迎え?
カルロに別れを告げ、扉を潜る。
すると、どういう訳なのか、シリウス達近衛達を待たせていた"秘密の宝物庫"の扉の前、その空中から放り出されることとなった。
入る時は普通だったのに!
あまりにも雑な出口に、そんな事を想定さえしていなかったシエルは、絶対に着地なんて出来ない、そう自覚出来る体勢になりながら床へと落ちることになってしまった。
完全に横倒しのような体勢となって落ちてくるシエルだったが、床へ激突することはなかった。
その体は、扉の前で待機していたシリウスによって、しっかりと抱き抱えられていた。
「び、びっくりした。」
シリウスの腕の中で、シエルは目を丸め凍りついたまま。
「俺もだ。」
「あっ!お兄ちゃん、ありがとう。」
苦笑交じりの声が頭上から聞こえ、シエルは顔を上げて礼を言った。
驚いたというわりに、冷静そのものの表情を崩していないシリウスに、母の面影を見出しシエルは思わず噴出してしまう。
どうした。
そう聞く兄に、今の顔が母に似ていたから、とシエルは素直に理由を教えた。
それに返ってきたのは、シリウスの何とも言えない微妙な顔。母に似ていると言われて嬉しさを覚えてはいるようだが、困ってもいるようで…。そんなシリウスの表情に、何か変な事を言ってしまったのかとシエルは焦り、キョロキョロと周囲に居るシリウスの友人でもある騎士達を見回す。
すると、彼等は彼等でシリウスとシエルから顔を背けるようにして肩を震わせている。
シエルとは違い、自力で無事着地することが出来ていたブライアンは、何があった?と興味を隠すことなく尋ねていた。
「殿下。お客様がお待ちですよ。」
ブライアンが望んだものではない言葉を、側近がうやうやしく、でもその僅かに下げた顔をにやつかせてブライアンに告げる。
「隊舎にてお待ち頂いておりますので、お早く。」
そんな予定は無かった筈だ。
そう首を傾げ、不思議がるブライアンも、側近や騎士達の無言の促しを受けて足を進め始めた。
皇太子の執務室でもなく、ブライアンの私室でも無い、近衛騎士の隊舎でということは、公には記録出来ない訪問者だということ。
今、このタイミングでとなれば、『銀砕大公』か『灰牙伯爵』、もしくはシエルに目印を付けた『麗猛公爵』か。一応『目』を使い、彼らの今現在の動向を出来うる限り確認してはあるが、ただの人間でしかないブライアンを欺くなど簡単にしてくるだろう。なんといっても、彼等は大戦以前から生き続けている魔界の上位に位置する者達なのだから。
『銀砕大公』ならば、先程シエルにも教えたあれらを使えば許しを乞えるだろう。『麗猛公爵』なら、危うい橋を渡ることになるが手は用意してある。問題は、『灰牙伯爵』。シエルを可愛がっている様子の彼を、どう説得しようか。
歩きながらブライアンは、持ち得る情報を頭の中で駆け巡らせていた。
「いや、まさか貴女が来られるとは思ってもみなかった。」
宝物庫へ向かった時と同じように、シエルの姿を完全に消し去り隊舎へと戻る。
そして、先行する騎士によって開け放たれた部屋の扉の中に向けた目を、ブライアンは大きく見開き、苦笑したのだった。それは本当に、本心からの驚きだった。ブライアンの予想では、帝都に彼女が出向いてくることは無い、そう完全に決め付けていた。
それだけの過去が、この帝都にはあった。
その予想は、ブライアンだけでなく、それを学生時代に自力で調べ上げたシリウスの考えでもあった。
そんな彼女が、シリウスやグレル、ロゼ、シエルの四人の母であるヘクスが、シエルがもてなされていたソファーに腰掛け、ただ静かにブライアン達が戻ってくる時を待っていた。
先程、シリウスが微妙な顔になり、騎士達が笑っていた事情が理解出来る。
男女の違い、年齢の違い、その他色々と違いはあるものの、シリウスに似た容貌の女性。学生時代、まだシリウスが男性になりきる前に事情があって女の姿をした時を思い出すその姿は、シエルが思わず「似ている」と思っても仕方無いものだった。
部屋に残っていた近衛騎士達によって出されたお茶にも、茶菓子にも手を出すことなく、シエルにとっては普段と変わらない、表情が乏しい、まるで人形のように座っているだけ。
ただ、その口元が真横にきつく引き結ばれている様子に、ほんの少しだけ怒りという感情を見出すことが出来る。それも、気配に敏感であるべき騎士であるからこそ、感じ取れたものだった。
ブライアンが部屋に入りながら掛けた言葉に、ヘクスは無言の一瞥を返した。
普通ならば、不敬だと叫ぶ者もいるだろう。
けれど、今この場にはブライアンの気心の知れたものばかり。おまけに、ヘクスがそんな反応を示しても仕方ないということを理解している者ばかりだ。ブライアン自身も顔を引き締め、そんな反応を受け入れている。
一歩、一歩。
ゆっくりとだが、確実にブライアンへと近づいていく、ヘクス。
滅多に見ることの無い、母が感情を露にしている、鬼気迫る様子に、ブライアンの後ろから覗き込んでいたシエルも息を呑んだ。
騎士達は、事と場合によってはブライアンを早急に治療出来るようにと身構える。
ブライアンの前に出て護ったり、それを成すヘクスを確保しようとしないのは、そうブライアンに厳命を下されているからだった。
バチッン!!
それは、大きな音だった。部屋中に響き渡り、全員を驚かせた。
ブライアンの前に進み出たヘクスは大きく腕を振り、ブライアンの頬を平手で思い切り良く叩いた。
振りぬかれた後、ブライアンの頬には真っ赤な、くっきりと女性の物と分かる手の後を残す。
「ッ。」
覚えた痛みを堪えるように、声を食い止める音が漏れる。
だが、それは頬を叩かれたブライアンではない。叩いた側のヘクスからだった。手首を傷めたらしく、痛みを訴える手首をもう片方の手で押さえ、眉を顰めている。
「母さん。」
「人を叩くのも大変なのね。」
人の意見は別として、良い子ばかりを子供に持ったヘクスは、普通の親ならば貴賎問わず一度はした事があるだろう、手を上げて躾けるということをした事が無かった。戦いに慣れた村人の中で暮らす中、誰かを叩くということもない。そういう事態が起これば、ヘクスがそれに気づく前に、行動を起こす前に夫や村人達が早々に事を沈めている。
ヘクスの覚えがある限り、これが人に暴力を加えた初めての瞬間だった。
ヘクスに近づいたシリウスが母の手を取り、その様子を見る。シリウス達からすれば、怪我とも言えないようなものだったが、ブライアンの治療をする為に、と用意を整えていた仲間に声を掛け、痛みを取り除く魔術を行なわせた。
治療魔術によって、優しげな光に覆われた自身の手を見た後、その手を持ったままになっている息子の顔をヘクスは見上げた。
「元気そうで良かった。」
寄り添う形にある母の言葉に、シリウスは笑みを作る。その目が僅かに潤む様子は、それを真正面に受けているヘクスにしか見られることは無かった。
「えぇ。母さんも。」
「貴方にも会いたかったから、グレルに頼んだのよ。」
「グレルお兄ちゃんに送ってもらったの?」
ヘクスがどうやって、此処まで来たのか。そんな事を思っていたシエルも、ヘクスの言葉に納得した。グレルなら、皇都だろうと、皇宮だろうと簡単に転移出来るだろうという信頼があった。
「皆には、色々とやってやれと言われて渡されたけど、シエルの無事な姿と貴方の顔を見たら、これだけでいいかもと思ってしまったわ。」
シリウスとシエル、二人の顔を交互に見たヘクスは、肩から斜めにかけていたカバンを引っくり返す。
ドサドサ バサ
床に開け放たれた、どう見てももカバンの容量を超えていそうなそれらは、騎士達の口元を引き付かせるのに充分な程のものだった。




