兄貴分は苦労症
エミルの宿屋を出て、まだまだ活気のある通りを突き進み、フォルスは領主の屋敷へと辿り着いた。
次第に店や人が少なくなっていった通りの先、屋敷と呼べる建物が立ち並ぶ中、一際大きく貫禄のある建物が、この街を中心とした領地を治めるラインハルト侯爵が住む、役所を兼ねた屋敷だ。
石垣と鉄柵で作られた高い塀に囲まれた屋敷に唯一入ることが出来る門に近づく。夜も遅くにやってきた若い男に門番たちは警戒を露にしている。フォルスは、槍を構えて警戒する門番たちに懐から出した村長から渡された書状を渡す。それに書かれた村の名前を確認した門番の一人が顔色を変えて大慌てで屋敷の中へと走っていった。
「多分、すぐに中へ案内出来るだろう。」
許可が降りるまで待ってくれと、申し訳なさそうに言っう門番に断りを入れ、門のすぐ横の塀に背中を持たれかからせて、走っていった門番が戻ってくるのを待つ。
侯爵家の屋敷がある一帯だけあって、立ち並ぶ家々はもの静かな空気を醸し出している。静かなだけで家々の窓から漏れる光が、多くの住人たちが住んでいることは確認できる。夜空を見上げても、村のように星を眺めることは出来ず、少しもの悲しくなった。
「候の所へ案内する。ついてきてくれ。」
見えない星空を諦めて、目を瞑って待っていると、走ってきたのか息を荒げた門番が、門の中へフォルスを招き入れた。
門番から引き継がれた執事の案内で、あっちを曲がり、こっちを曲がり、くねくねと迷路のような廊下を歩いて、フォルスは一つの部屋に案内された。
執事が扉を叩いて中から許可を貰い、開かれた扉をフォルスだけが潜った。
中には丸く大きなテーブルを囲む数人の男たちがいた。
その中には、何度か世話になったエミルの夫ダンゲの姿もある。
「よく来た。ミール村のフォルス・エンゲード君、であっているかな?」
一番奥に座っている中年の男が最初に声をあげた。
一番しっかりとした服装などから、彼がラインハルト侯爵だと推測する。侯爵自らに、名乗っても居ない名前や滅多に使わない家名を呼ばれたことに、フォルスは驚いた。
「お初にお目にかかります。ミール村より報告を任されました、フォルスと言います。一応、Cランクの冒険者です。」
「警戒しないでくれ。君のことは、ギルドマスターから聞いていただけだ。入って一月あまりでFからEに上がり、二年目ですでにCランクにあがった有望な若者だとね。」
「お褒め頂いて光栄です。」
「ミール村は本当に有望な若者ばかりが生まれるな。流石は『隠遁者の村』だ。
あぁ。私が領主のフォークスタ・エルゲ・ラインハルトだ。」
君に、『朱撃のエミル』に、『天弓のレクス』に・・・村出身の現役でギルドと関わっている者たちの名を語っていく。
「そんな村が迷宮に飲み込まれ、組み込まれたことは非常に由々しき事態だ。」
ラインハルト侯爵が鋭い眼光で、フォルスに探りを入れようとする。
若い頃には軍人として活躍していたというだけあって、それなりの場数を踏んだはずのフォルスも緊張に身体を強張る。
「俺達ミール村が魔族側に回るわけではありません。それについては、『銀砕大公』からも言われています。『銀砕大公』は、“ただ代わり映えのない風景に飽きて模様替えをしただけだ。人間だって、するだろ?”と伝えてきました。ミール村は、これまでと変わりなく、ただそこにあり続けるだけです。これまで通り、冒険者たちを受け入れます。村に手を出す相手には相応の対応をする。これまでと一切変わりはありません。」
「分かった。中央にも、そう伝えよう。こちらとしても、村に住んでいる隠遁者たちを敵には回したくはないからな。その言葉は受け入れられるだろう。」
「そういえば、『祝福持ち』はどうしている?」
報告も終わり、ホッと息をついたフォルスに、手を叩いたラインハルト候の声が再びかけられた。
「『勇者の祝福』を見たという報告から、その審議と、真実であった場合の迎えを兼ねた者達を向かわせたのだが、変性に巻き込まれたのか連絡が取れなくなっている。村にも連絡は入れてあった筈だが、どうなっている?」
「いえ、『勇者の祝福』を持つ者が村にいるなんて話、俺は初めて耳にしましたが?
村に滞在していた冒険者でしょうか?」
一瞬、フォルスの心臓が大きな音を立てて乱れたが、それを顔に出す事なく、シレッとした顔をして首を傾げてみせる。
村から街へと来る途中でも、そういった一団とすれ違うことも、それらしい痕跡も見なかったと伝えておいた。
「そうなのか?まぁ、騒ぎになることを厭ったのかも知れんな。ただ、右耳に印がある者を見たと伝令の魔道具で報告があっただけだ。その報告してきた冒険者も、詳しい話を聞こうにも連絡が取れなくなっていてな。もしや、今度の変性は大公が『祝福持ち』を手に入れようと企てたのではと考える声もある。」
候の言葉に、それを知らなかった者たちも見に纏う気配の色を変えた。
神殿の語る神話によれば『勇者の祝福』がある限り、魔界と地上の空間を遮っている封印は守られ、強力な大物の魔族たちが地上に現れるのを防がれる。
もしも、『銀砕の大公』が候たちの予想する通りの理由で村を飲み込んだとしたのなら、彼等が地上に出ようと画策しているということになる。
「近年、『勇者の祝福』を持つ者が史上でも稀に見るほど揃うという事態が起こっている。これに、世界の危機が近づいているのではと訴えている者もいる程だ。村に現れたという『勇者の右耳』らしき人物が本当に大公の手に落ちたとあれば、騒ぎは必至だろう。」
本人たちは暢気な顔をして、いつも通りの生活をしているけどな。
真剣に顔を強張らせて声を唸るように出しているラインハルト候や周囲の人々を、そうとは分からないように眺めながら、フォルスは小さく笑う。
うっかりと冒険者に右耳の後ろにある印を見られたアホ娘も、娘を手放したくなくてツケの支払いという、候たちが知る事があれば顎を落とすような方法で大公を動かした母親も、魔王の側近として堂々と神話に顔を出しているなんて思えない、酔っ払いのおっさんと化している大公も、誰も世界の危機だとか、そんなこと考えてもいない。奴等はただ、己に正直に、思うがままに動いているだけだ。
それを教えてやったら、どんな顔をするのかなと、フォルスは考えた。
「まぁいい。中央に連絡を入れ、判断を仰ぐ。事は一介の貴族の私が判断できるようなことではないからな。エンゲード君。中央から返答があるのは明日になるだろう。部屋を用意させるから、この屋敷に泊まっていってくれ。」
「お言葉に甘えます。」
ラインハルト候が手元にあった鈴を鳴らすと、扉を開けて先ほどの執事が入ってきた。室内へ頭を一度下げ挨拶をして、フォルスは執事の後に続いて客室へと案内された。
好きに使って構わないと執事に言われ案内された部屋は、村人に使わせるには豪華過ぎるものだった。
綺麗に整えられた寝台には向かわず、ソファに腰を下ろす。
荷物の中から、携帯食として持ってきた日持ちするよう作られた硬パンを取り出し口にする。飲み物も、部屋に用意された物には手を出さずに、水筒として使っている皮袋から口に入れた。
村に生まれ育ち、冒険者となって旅立つ者が必ず教えられることがある。
それは、ミール村出身だと信頼出来る者以外に知られるな。知られたのならば警戒を怠るなというものだった。迷宮に囲まれるような場所にある、『隠遁者の村』と呼ばれるようになる程、村には薄暗い過去を持つ村人が多い。彼等と過去、敵対していた者たちの手が子供達に伸ばされないようにという考えだった。
その教えを守り、フォルスは冒険者となった後、信頼出来る場所以外では決して完全に気を許すことはしない。ソファの上に、剣を手にしたまま横になり、目を閉じた。
「エンゲード様。お待たせいたしました。」
ドアが叩かれ、執事の声が届いた。
その頃には、窓から覗く太陽は空高くに上っていた。
いつもの習慣通り、日が昇る前には目を覚まし、部屋に運ばれた朝食を礼儀に反さない程度に口にして、身体を解した。剣の手入れや、簡単な体の調整をしながら時間を過ごしていたが、大分長い時間を待たされたとフォルスがイライラとし始めていた時だった。
執事に案内されて、昨日と同じ部屋に入る。
「随分と待たせてしまって申し訳ないな。」
室内の顔ぶれは、エミルの夫がいないくらいで昨日と変わらない。
「いえ。帝都は何と?」
「東方騎士団が動くことになった。」
驚いた。しかし、ラインハルト候が予想した事の大きさを正しく理解したのなら、それは当たり前かも知れない。帝国の軍事は6つの騎士団に分けられる。四方を守る騎士団、帝都を中心とした中央部を守る騎士団、そして王族を守る近衛騎士団だ。その一つの動かすのだから、翌日の昼にまで決定が遅れるのも理解できる。
「すでに、中央からの命令を受けた東方騎士団から二つの師団が出発した。あと数時間もすれば到着するだろう。君には、彼等と共に村に帰ってもらいたい。」
それも、ある意味予想していた通りだ。村長は、フォルスが派遣される者たちを引率する役目を任されるだろうと言っていた。
「分かりました。ですが、俺みたいな若造がお相手では、騎士の方々は不満ではありませんか?」
「いや。その心配はないよ。師団を率いるのは君も良く知っている方々だ。」
「えっ?」
嫌な予感がフォルスを襲った。
「率いているのは、中央騎士魔術第一師団副長グレル・アルゲート、第三師団長ロゼ・アルゲートの二名。君は、ギルドに登録してすぐに彼らと協力してAランクに相当する事案に当たったのだったかな?」
「まじかよ・・・」
頭を抱えるフォルスの姿に、ラインハルト候は同情を禁じえない。
彼についての報告の中に、通常通りに新人が受けるFランクの依頼を片付けている最中に遭遇した事案が、若すぎる天才として名を馳せるアルゲートの双子が担当させられた事件に関わるものであることが分かり、彼等に気に入られたフォルスはそのままAランクに相応する事件の対応に付き合わされることになったとあった。あの双子に気に入られただけでも色々な意味で大変なことだし、新人がAランクの解決に関与することも度肝を抜かれることだ。
目元を押さえうな垂れているフォルス。彼等と解決に奔走した事件を思い返しているのだろうとラインハルトは考えた。新人には荷の重い任務に関わることになった上に、死にかけたと報告書には書いてあった。そんな事を思い出すのは苦痛だろう。
「ッツ」
生暖かな目をフォルスに向けていたラインハルト。
突然、フォルスが目を覆う手に力を入れ、小さく舌打ちするのを見てしまった。
「ど、どうしたのかね?」
「・・・・いえ、何でもありません。」
重い沈黙が落ちる。
そんな中、執事たちが大きな声で制止する声と、慌しく立てられ近づいてくる足音が聞こえてきた。
教育の行き届いた者しかいない屋敷では、使用人たちが大声を上げる事も、あんな風に走り足音を立てることも滅多にあることない。
そして、足音が部屋の前にまで近づいてきた事に気がついた途端に、鈍い音を立てて扉が砕かれた。
部屋の中にいた全員が扉を失った場所に視線を集め、それぞれが自分の獲物へと手を添えた。ラインハルト候の前に数人が歩み出て、襲撃から彼を守る体制を整える。
「っ『朱撃のエミル』!?」
部屋の中に入ってきたのは、昨日見たエプロンドレス姿とは一変としたエミルだった。皮で出来た胸当てを装着し、ふとももが露になったパンツに、膝を覆うロングブーツ。殺気を隠そうともしない目。その手には真っ赤な鞭が握られている。
「やっぱり」
口元を覆ったフォルスの小さな言葉は、エミルの登場とその剣呑な気配に呑まれた人々の耳に入ることはなかった。
「ごめん、フォルス!シエルが浚われた!」
「やっぱり・・・」
他の誰を見るでもなく、部屋の中のフォルスだけを視線に写してエミルが叫んだ。
その言葉に、溜息を吐き、肩を落としたフォルスの背中に、ラインハルトたちは哀愁が漂っているのを感じた。




