『欠片』の脅威
「ロゼちゃん、彼氏居たんだな…」
扉の中へと消えた主君がさらりと残していった言葉は、残された彼等に衝撃を与えていた。彼等にとっても、友人の妹として他の人間よりは深い付き合いがあり、それなりに可愛がっているロゼに恋人が居たというのは寝耳に水な話だった。
今考えても、そんな様子は一切無かったと断言出来る。何かと注目を集める存在である彼女が、恋人の存在を完璧に隠し切っていたことにも驚きを禁じえなかった。
「なぁ、シリウス。知ってた…わけないか、その様子じゃ。」
眉間に皺を寄せているシリウスに、あぁあと苦笑が集まった。
「…別に、ロゼに恋人が居たことが気に食わない訳じゃないぞ。」
友人達が何を考えているのかを察したシリウスはそう言うが、普段の弟妹を大切にしている姿を知っている身としては、その言葉には「おや?」と驚いた。
「えっ?"妹を手に入れたくば、俺を倒していけ!"ってやるんじゃないのか?」
「ロゼなら、自分の身くらい最低限は守れる力がある。まぁ、手合わせくらいはしたいとは思うが…。」
「じゃあ…その顔の意味は?」
攻撃魔法を得意とする魔術第三師団団長相手に、最低限の力はあるという言葉もどうかと思うが、それよりも自分の言葉とは正反対の、不満そうなシリウスの顔が気になった。
「…誰にも知られないようにするような相手、というのはどうなんだ?そんなに、その相手には問題があると…」
いやいやいや。
つまりシリウスは、ロゼがおかしな男に引っかかってしまったのか、と心配らしい。
俺だったら絶対に紹介されたくない。
シリウスの事を大切な友人、仲間と思っている彼等だって、そう思うのだ。ロゼの恋人だって思うだろう。ロゼ本人だって、シリウスやグレルが起こすと思われる行動を容易く想像し、恋人を庇っていると思われる。
「いやだって、なぁ。」
「帰ってきたら、ロゼと話をしないといけないな。」
「あぁ!うん、そうしな。うん。じっくり、ゆっくり、話をすればいい。兄妹水入らずで!!」
その後落ち込んだシリウスを励ますことになろうとは思うが、今巻き込まれるよりはその方が楽だ。
彼等の心中は、「頑張れ、ロゼちゃん。頑張れ、彼氏君。」と一致していた。
「…お姉ちゃん、内緒だって言ってたのに…」
ブライアンと共に潜った扉の中は、目の前にいる筈のブライアンの姿や、自分の手足も見えない程の闇に覆われた空間となっていた。
それでも、怖いと思わないのは、シエルの意としない安心感を与えるブライアンと手を繋いでいるからなのか。
「いつかは知ることになる事だ。それに、彼は覚悟を決めたようだからいいんじゃないか?」
ぼぉ
暗闇の中に灯りが生まれた。
それは壁際の台に置かれた燭台の、三本の蝋燭に火がついた事で生まれた灯りだった。
ブライアンは空いている手でそれを持ち上げると、行こうかと足を前へ進め始めた。
「此処では極力、魔力などは使わない決まりとなっているんだ。」
面倒臭いものだがな。
屋内の、時にそれなりの地位や資産がある家などでは照明は魔道具を使うことが多い。その方が汚れや延焼を恐れる事が無いなど、利点が多いからだ。
だから、帝国の中心である城で蝋燭なんて、とシエルは驚いていた。そんなシエルに、ブライアンは苦笑を浮かべながら嫌がることもなく説明する。
ブライアンが歩き出したことによって揺らめく炎の光が、先の長い廊下を映し出した。
「お姉ちゃんの彼氏さんの"目"も借りてるんですか?」
ブライアンに引かれながら歩くシエルは、姉とその恋人について詳しく知っていそうなブライアンに、興味を抑えきれず尋ねることにした。
「彼の仕事上、"目"を借りると何かと助かるんだ。まぁ、近い内にロゼから紹介があるだろう。その時に色々と聞くといい。面白い男だからな。君もきっと、興味を引かれる。」
そこで、シエルよりも少し前を歩いていたブライアンが、歩みを止める事なくシエルに顔を向けた。
「あぁそうだ。君が何も反応しないから、言う機会を逃していたんだがな、家に帰るまで欠片の力は使わない方が良い。鳥籠の中のような生活よりも、君は自由な生活の方が好きだろ?」
「あっ、そっか。お母さん達に『遠話』で話せば良かったんだ。」
ブライアンの忠告を受け、シエルは何処からでも連絡をつけることが出来る『遠話』を全く思い尽かなかった事に気がつき、恥ずかしさに顔を赤らめた。
自分の持っている、普段もよく使っている力なのに。
恥ずかしく、そして情けなく。シエルは泣きたくなった。
「それが…。」
そんなシエルの頭を、繋いでいた手を外したブライアンが優しく撫でた。
「それが、良いか悪いかは別として。そういった危急の事態に遭遇して慌てふためき普段出来ている事が出来なくなるという事は、君が周囲に愛され、大切に守られて育ったということだと思う。それは、本当に幸せな事だ。」
そんな環境は、望んでも手に入らない者の方が多い。
だから、それに感謝して此れからに繋げていけばいい。
「…はい。」
ブライアンの声は、すとんとシエルの中に落ちていく。
「えっと…」
「『勇者の欠片』に対して迎えが送られたと思うが、それは欠片持ちに対して当たり前に行なわれることだ。国としては、『耳』を始めとする一部の欠片は出来れば現れて欲しくない存在だ。使い方、そして教育の仕方を間違えれば、扱いに困るモノになるからな。だから、君が帝都に来た場合、滅多に外には出れない生活を強いられることになる。」
お礼を言うべきか、どうなのか。迷っているシエルを横目に、ブライアンは話を続けた。
「『耳』は、役に立たないんですか?」
「役には立つ。日常においても、有事においてもな。だが、人知を超える力は何れ人の手には余ることになる。特に『耳』には、そういう前例がある。だからこそ、危険視せざる得ない。」
そう口にするブライアンの表情は薄暗く、その右目は何かを見ているようだった。
シエルは、空いている手で自分の持つ『勇者の欠片』右耳を触れた。
「欠片の力を使えば、近くに居る欠片持ちに気配が伝わる。一応、君が此処に居ることは私達しか知らぬことな上に、私は近衛達と休憩を取っていた事が公の記録として残るようになっている。だが、それも欠片持ちの存在を感知されてしまえば、探る者もそれなりに現れて面倒な事になるだろう。最悪、君の自由を奪わなくてはいけなくなる。それは避けたいんだ、君の為にも、シリウスの為にも。」
「前例って…その人は何をしたんですか?」
ブライアンがそこまで危険視する『耳』に欠片を持った人が何をしたのか。
シエルは気になった。
もしも、自分が無意識の内にしてしまっていたら。そう不安が過ぎった。
「『耳の欠片持ち』は、人の耳を支配して聞こえる音を選別することが出来る。」
それは先程も聞かされたことだった。コクコクと頷きながら、シエルは真剣な面持ちでブライアンの言葉を待った。
「その欠片持ちは、自分が居る国の民全てに自分の声だけしか聞こえない状況を作り、それを何度も繰り返すことで人々の精神に異常をもたらして国の支配した。その国で、それは神のように振舞っているそうだ。」
その言葉に少し違和感を覚えたシエルだったが、それが何なのか気づくことは出来なかった。
「半分でしかない私のものと違って、完全であるシエル嬢の『耳』なら国に留まらず全ての人間にだって出来るようになるだろう。でも、シエル嬢はそんな事しないように。」
おどけているような口調で、シエルに笑いかけるブライアンだったが、その目は真剣そのものだった。
「そんな怖い事、したくないです。」
「うん。普通はそう思うものだよ、普通はね。でも、『欠片持ち』が全員、まともな人間である事なんて有り得ない。人々が尊ぶような、魔物から世界を守ってくれている聖人君主ばかりでは無い。それは覚えておくといい。」
「ありがとうございます。」
シエルはブライアンに向かい、笑みを浮かべて礼を言った。
その言葉が、届け物係として色々な場所に出向いているシエルに対する、優しさからの忠告であることが分かったからだ。
「うん、君なら大丈夫だろう。」
頑張りな。
「はい。」
心強さを感じる応援に、シエルは明るく頷いていた。




