その落ちた先は
「どういうつもり!!?」
ロゼの怒声が食堂に轟いた。
「落ち着け、ロゼ。皇太子殿下の紋章は本物だ。これも殿下の仕業だろう。なら、傍にはシリウスが居る。悪い事にはならない。」
ルーカスがロゼの肩に手を置き、宥めている。
力は込めているが、肩に手を置いた程度ならば、何時ものロゼなら簡単に振り解く。いや、振り解くことなく魔術で殲滅するくらいはするだろう。それをしないのは、ルーカスが言っていることが真実だとロゼも理解しているから。目の前でひたすらに頭を下げて謝っている彼らをどうこうしようと意味が無いことを知っているからだ。
それでも、怒鳴らずには居られなかった。
「そう、シリウスが居るの。なら、大丈夫ね。」
自分に言い聞かせているようにも聞こえるヘクスの小さな声が、ほんの少しだけロゼの勢いを緩めた。
「いやいや、安心は出来ねぇよ。帝都だぞ?ありとあらゆるものが集まる坩堝みたいな場所だ。シエルなんて放り込んでみろ。何も起こらない訳がねぇ。」
口ではシエルを虚仮落としているが、ヘクスに寄り添うジークの手は怒りで震えていた。何だかんだと言うものの、ジークとて娘が可愛くないわけが無い。
「そうだな。シリウスは信用出来るが、帝都なんて大都市は変態や愚か者の集まりだ。そんな中に、あのシエルが放り込まれたとあっては何が起こるか…。流石のシエルも怪我をするかも知れねぇぞ。すぐに、迎えに行ってやらないと。」
そうだな。うん、そうだ。
食堂の一角で、村人達が剣呑な空気を生み出している。
鍛冶師のガースが妻シャラとともに、店に置かれていたありったけの武器という武器を持ち込み村人達に配っていた。
魔術師であるホグスは、日頃は曲がった腰を助ける為に使う以外には必要としない、魔術の補助道具"杖"を念入りに手入れしている。
薬師ホウライは怪しい色の薬瓶を多数用意し、ガースから武器を受け取ったラドルやレクス、グスタフといった戦闘を得意とするものたちに渡していく。丁度村にいたシエルとも年の近い、最近駆け出しの冒険者として名を売り始めていた若者達も集まり、準備を整えている。
「うちの村を、随分と舐めてくれるもんだ。」
東方騎士団の団員達が泣き言を口にしながら、そんな村人たちを必死に止めようと奮闘するが、全くもって聞く耳など持たない。
「それにしても、アルスは何をしているのか。」
一部の、冷静になって状況を見定めようとしている村人も居るには居るが、彼らも団員達に味方してくれる訳ではない。その手元では、なにやら数枚の書類が作り出されており、帝都の機能を一時でも停止させて…などとある意味物騒な言葉を笑いながら囁いている。
「おそらく、余程強力な力を持つ魔女が手を貸したか、或いは魔道具を使用したか。一瞬で迷宮の外に出てし
まえば、迷宮内に設置されている村人に対する守りも届かないでしょうしね。まぁ、それでも外まで追いかければいいだけですがね、本来は。」
「そうすると、帝国が壊滅しかねない。俺達は平和的に解決しなくてはいけない。一応帝国の民だ。」
確かに、最低でも爵位持ちの魔族が襲撃してくることに比べれば、ただの辺境の村人が襲撃してくる方が平和的ではある。それが本当にただの村人ならば、だが。
「…注意を促しておこう。此処を止めるのは無理だ。」
武装を着々と整えていっている村人達を見回し、ルーカスは早々に諦めることに決めた。そんな、と事の原因となった本人達が声を上げるが、ロゼやジークに睨まれ口を閉ざすことになった。
そんな彼らを横目に、ルーカスは帝都の知り合いへと連絡を取る準備を始めた。
ばしゃん
一方、食堂から姿を消したシエルは、大きな水音を放って全身を濡らす事態に陥っていた。
光の渦のような空間を、手を引っ張られるような感覚に襲われながら通り過ぎ、気がつけば目の前は水飛沫。しかも、ただの水では無く、触れた部分が赤く変色するような熱さのお湯だった。跳ねたお湯が、驚き見開いているシエルの目へと僅かに入り、目に違和感を覚えて何度も瞬きすることとなった。
突然のことに腰を抜かしたシエルは、立つ事も出来ずにお尻を床につけて座り込むこととなった。その肩までがお湯に漬かり、飛び上がった水飛沫が降り注ぐ中で、お湯に使っていないシエルの頭もずぶ濡れだった。
濡れた服が全身に気持ち悪く張り付く。
「…こんな激しい覗きは初めてだな。」
「いや…ていうか誰よ。」
瞬きを繰り返すシエルの耳に、知らない声が届いた。
大人の男の人の声が幾つも聞こえ、瞬きの中に前を見据えようとするが、お湯から昇る水蒸気が視界を覆い邪魔をする。
「覗きにしても堂々としすぎだろ。」
「えっと…立ち入り禁止区域への侵入だから、一応拘束して牢に入れないと、だな。」
シエルを頭の先からずぶ濡れにする落下する水飛沫が、湯気を消していく。
それによって、違和感が無くなってきたシエルの目にも、周囲の状況がはっきりと見て取れるようになった。
「えっ…」
シエルの視界に入るだけでも十人以上はいる、男性達。
全員が驚きを露にした顔でシエルに注目している。それはいい。シエルだって驚いているのだ。男達が驚くのは無理もない。
だが、その姿が問題だった。
全員が何も身に付けていない…そう裸だった。
きっ
そこは大きな風呂だとシエルは気づいた。
シエルの家にも風呂はあった。その屋敷を造った成金貴族が道楽で作った内装には、普通の家屋には置かれない設備もしっかりと備え付けられていた。その一つが風呂。数人が同時に入る事が出来る大きさの風呂には、宿に泊まる冒険者達も驚く。大きな都市などに一軒あるかないかの施設と同じ規模のそれを辺境の村で見るとは思わなかったと冒険者達は言う。
此処も、何処かの都市にある施設なのだろう。
そんな場所に突然現れたシエルが悪いのだ。
分かっていても、それでも、シエルの口からは自然と悲鳴が上がりそうになった。
きゃ
流石に悲鳴はヤバイと思ったのか、裸の男達がシエルに手を伸ばそうとする。
それが、ますますシエルの混乱を助長するのだが、流石に男達も突然のことで混乱しているのだろう。冷静な判断を求める方が難しい。
むぐ
大き過ぎる悲鳴を上げかけたシエルの口を、背後から伸びた手が塞いだ。
それによって悲鳴は防がれ、男達もホッと息をつく姿がシエルの目に映った。
「大丈夫だ。落ち着いて。目を閉じて。」
背後から聞こえてきた手の持ち主と思われる声も初めて聞く声だった。
だというのに、シエルは何処かその声に安心を覚えた。この人の言うことなら大人しく聞いても大丈夫。そんな事を思わせる声に、シエルは素直に従い目を閉じた。
シエルの閉じた目の上に、口と同じように手が乗せられた。
これで、シエルが思わず目を開けても、思わぬものを見ずにおけるだろう。
「何か拭くものを。あと…お前達、出ていけ。」
シエルの様子が落ち着いたのを見届けて、口を覆っていた手がどけられる。
その手が、そのままシエルの頭へと向かい、ポンポンと優しい手つきで撫でた。それにもまた、シエルには安心を覚えるものだった。
「おいおい、なんか目つきが怖いぞ。俺らは加害者じゃないぞ?被害者だろ?」
誰かの言葉に、シエルは思わず自由になった口から「ゴメンなさい」と泣きそうな声を漏らした。
うっと息を呑む音が聞こえたような気がしたが、再び謝ろうとするシエルの頭を軽く叩いた手によって、それは止められた。
「いや、被害者はシエルの方だ。いいから、さっさと俺の服と、シエルを拭くものを持ってきてくれ。落ち着いた所に移動させてやりたい。」
「えっ?」
どうして名前を知っているのか。
振り向いて誰なのか確かめたい。そう思っても、目を塞いでいる手によって頭は動かそうにも動かせず、見ようにも見えない。
「シエル。それって、お前の…」
周囲の空気がざわめいた。
「あぁ、殿下の企みはこれか。」
ざわめきの後に訪れたのは、納得の声。
えっ?えぇ?
それらの声は、シエルを戸惑い不安に陥れた。
 




