それは皆の目の前で
ケイン・ファブラは困っていた。
「や、やぁ…」
「何してるの、あんた達。」
冷たい物言いはいつもの事。そう分かっていても、今日の声音は一段と冷たく突き刺さってくるようにも感じた。それは、ケインに後ろ暗いことがあるからこそ感じるものだとは思うが、それでも今にも攻撃してきそうな気配を全身から放っているロゼの姿を見れば、本当にそうなのかも知れないと思うのだった。
同じテーブルを囲む友人達に助けを求める視線を送るが、それぞれがケインから目を逸らし、矛先が向かわぬようにと気配を消そうと試みている様子だった。
この席に着いて運が良い。
そんな風に浮かれていた数分前の自分を殴りたい。
そう後悔しても、もう遅い。
ケインが座る位置の向かい側には、ケイン達と同じ席についているヘクスの肩に手を置いて立ったロゼがいる。その目は鋭く細められてケイン達を、特にヘクスの正面に座っていたケインへと睨みを降り注いでいた。
そんなロゼの後ろには、この村に辿り着く前に偶然出会ったシエルが不思議そうな顔をして、ケイン達を見ている。
二人の後に続くように食堂に入ってきた東方騎士団の団員達が、何だ何だと、面白い余興を見るような目でニヤニヤと様子を窺っている。普段のケイン達なら、腹を立てて睨み返すくらいはするだろうが、今はそんな余裕はない。
「ロゼ、こいつらは?」
「グレルの、学園時代からの連れ。」
団員達の中でただ一人、真剣な眼差しを保ってケイン達を窺っていたルーカスが、ロゼの背中に声をかけた。
「っていうと…何で、こんな所に居るんだ?」
学園の連れ、ということは学園の生徒だったということだ。帝国の最高学府である学園に通っていたというのなら、卒業後はどんな進路を選ぼうとそれなりの職を得ている筈。王族や貴族、他国のそれまでもが通う学園卒業の言葉には、それだけの効力が保証されている。
そんな彼らが、仕立ては良いとはいえ冒険者のような姿に扮して迷宮内にいる。ルーカスだけでなく、先ほどまでニヤニヤと事の成行きを見守っていた団員達も目を細め、身に付けている獲物に手を伸ばしていた。
「さぁ?なんで?それと、なんで母さんとお茶してるのかしら?良い身分ね。」
テーブルの上には、まだ温かな湯気を立てているお茶が残るカップが5つ。
囲む椅子に腰掛けているのは、ケイン達四人とヘクス。
ロゼにとっても顔見知りな彼らが村に居るのは別にいい。だけど、ヘクスとお茶を飲んで交流を図っていることに、ロゼは苛立ちを露にしていた。
「えっ、いや…これは…」
「母さん、こいつらに変なことされなかった?」
「いいえ。貴女達の話を教えてくれていただけよ?」
「話?」
一段と低くなる周囲の気温など気づかないヘクスは、手にとったカップを口元へ運びながら、ロゼからの問い掛けにさらりと答えた。
本人のいない間にどんな話をしていたのか。
ロゼの眼光の強まりを、ケイン達は身を固くして受け止めている。
「私は、シリウスが女の子の格好をした時にそっくりなんですって。」
「お母さん、それって反対じゃない?お兄ちゃんがお母さんに似たんでしょ?」
「あんた達…」
ヘクスが少しだけ、子供だからこそ分かる程度に嬉しそうに顔を綻ばせた。子供の頃に別れた息子が自分に似ていると聞くのは嬉しいものだった。
そんなヘクスの、どうでもいい言葉に反応して突っ込みを入れたシエルだったが、そんな母の様子にシエル自身の顔も綻んでいた。
ロゼとしては、彼らの友人であるグレルの行なったあれやこれやを告げ口しているとばかり思っていたのに、母の口から出てきたのは兄シリウスが学生時代の話。しかも、兄本人の耳に入れば顔を顰めて嫌がるものだった。呆れ半分、哀み半分の視線をロゼはケイン達に送った。母やシエルにそれを教えたなどということがシリウスに知られれば、殺されはしないものの血反吐を吐くくらいには追い込みが掛けられるだろう。
ロゼの視線が意味することを理解した四人の中でも察しの良いケインとファグが青褪め、顔を引き攣らせたようだったが、それに気づいた団員達としては苦笑を浮かべるしか出来ない。シリウスの実力は、帝都で行なわれる武の祭典によって、全ての騎士団に知れ渡るところ。誰が好き好んで嵐の中に巻き込まれるものか。
「あっ、そうだ!そう。此処に来たのには、ちゃんと理由があるんですよ。」
「へぇ。」
空気を払拭しようと声を上げたアサトを、ロゼはあっさりと冷たい眼差しで切り捨てた。
だが、ケインが懐から出した二通の封筒についたある物を目に入れると、その態度も一変した。それは、近づいていたルーカスも同じだった。
「皇太子殿下より預かってまいりました。」
差し出されたのは、二通の封筒。
ケインがロゼ達に見せるように上に向けた封筒の開け口には、王太子が認めたと示す封蝋が成されている。
「確かに。」
テーブルの近くへと進み出たルーカスがその二通を受け取り、封蝋の刻印を確かめる。それが確かに王太子の紋章であるとルーカスが認めると、一斉に場を静まり返った。まさか、迷宮の中で王太子からの手紙を受け取ることになるとは、誰が想像出来ただろう。何か危急の知らせなのか、団員達は緊張を高めた。
「なんで、だ?」
封筒を裏返したルーカスが怪訝な声を漏らした。
「……ヘクス、シエル、これはお前達にだ。」
「え?」
「はぁ?」
どういうことよ!?戸惑いを露に叫んだロゼが、ルーカスがヘクスに向けた差し出した封筒を奪い、その表書きを確かめる。
「シリウスの母君、妹君へ。」
何度見返しても、読み返しても、書かれている言葉が変わる事はない。
「お母さんと私?なんで?」
「読んでみたら?」
宛名になっていたシエルも戸惑いの声を上げて首を傾げた。
「…そうだね。」
辺境の村に住む身としては皇太子など雲上の人。そんな人から手紙が来る意味の重さが、あまりよく分かってはいないヘクスとシエル。驚き混乱しているロゼの心情など気にも留めず、動きを止めているロゼの手の中からヘクスが封筒と抜き取ると、それをシエルに渡すのだった。
幼い頃、ろくな教育を受けてはいないヘクスは長文を読むのは得意ではない。だから、ロゼの手から抜き取った封筒はそのままの流れでシエルの手の中へ。そして、シエルも迷いのない動きで、ピリピリと封筒の上部を手で破いていった。
あまりに普通の流れに、誰もが口を挟むことも出来ず、止めることも出来なかった。
ロゼが正気に戻った時には、シエルはすでに封筒を開けて、中の手紙を広げるところだった。
「まっ…」
二つ折りになっていた手紙をシエルが開く。
その瞬間、ロゼには強い魔力が術という形を成して解放される感覚を感じた。
「"おいで"?」
シエルが開いた手紙には、ただそれだけが書かれている。
どういう意味だろう。
シエルが声に出して、その言葉を音にした。
「えっ?」
「シエル!!!」
それが音として発せられた途端、シエルの周囲を囲う透明な枠組みが生まれた。透明の箱に入れられたような形となったシエルにロゼが手を伸ばすが、透明な壁がそれを阻む。壁を壊そう、ロゼの一瞬での考えを実行しようと魔力を練る。何時もならば、数秒も必要とはせずに魔力を練って術と成し、後のことなど余り考えずに放つ。それが出来ず、頭の中で一番被害の少ない方法を一瞬とは言え模索してしまったのは、もちろん壊す壁の向こう側にいるのが、可愛い妹だから他ならない。
だが、その一瞬が命取りとなった。
ロゼが術を構成して放つよりも早く、透明な箱の中の光景が歪み始め、箱の中で不安そうな表情になっていたシエルの姿が消えてしまった。
「まぁ…」
ヘクスの声が静かに響いた。




