本の修復
「わぁ!!!凄い!本が一杯!」
ロゼと手を繋いだまま、カルタに教えられた建物に入ったシエルは、建物の中の様子に感嘆の声を上げる事になった。大小様々、時間を感じさせる黄ばみや綻びの覆い本が壁一面の本棚の中に積み上げられた中に、そのドワーフは居た。
先程出会ったカルタや、今までにシエルが出会った事のあるドワーフ達との違いが、シエルの目には判別出来ない、髭に覆われた屈強な体の背の低い男。何処と無く、他のドワーフ達よりも物静かな印象を受けるような気もしないでもない…かな、とシエルが思うのは、そのドワーフが小さな眼鏡をかけて、その手の中に本を開いているからだろうか。
この建物の中に居て、本を手にしている。多分、このドワーフが、アイオロスに教えられた本を修復してくれる職人レテオなのだろう。
シエルは、声を上げながら中に入ってきた二人に向かって体を動かすことはせずに、ただ眼光鋭い睨みを効かせているレテオに近づき、話しかけた。
「すみません。この本を直して欲しいんです。」
籠から本を取り出し、レテオに向かい差し出す。
すると、レテオは言葉を一切発さないまま、自分の手の中の本を閉じると近くの棚に置き、シエルから本を受け取った。
シエルの倍以上あるゴツゴツと太い手の中に納まると、本の大きさは本当に小さく見える。
パラパラと、一見荒いようにも見える手つきで本のページを捲っていく。
そして、その動きがあるページでピタリと止まった。
ピッタリと張り付いて離れなくなってしまっている、件のページだった。
「たく、最近の若い奴は…」
ようやく聞こえたレテオの声は、シエルのお腹の奥に響くような、低く重い、少しだけ擦れているものだった。
「最近は紙の質も印刷技術も格段に良くなって手に入りやすくなったが、そうはいっても本ってのは貴重なもんだ。
それを、こんな風にバリバリにくっつけちまいやがって。随分と昔からの本を、こんなにしちまいやがって…」
先ほどはパラパラと無造作にも見える動きでページを捲っていた手つきが一変し、太く、丸太や大槌を持った方が格段と似合うような指を器用に操り、慎重に慎重を重ねて、古びて乱暴に扱えば崩れてしまいそうな本の表紙に背表紙、くっついてしまっているページに何かを確かめるように触れていく。
「わ、私じゃない、です。」
恫喝しているわけでは無い。
それでも、本から一切目を離さずに淡々と語りかけるように言葉を紡ぐレテオに、シエルは肩を竦めて落ち込みそうになっていた。
それでも、何とか自分がやってことではないと無罪だけは主張する。
「ふぅん。まぁいい。時間は少し掛かるかも知れないが、直せないことは無い。」
そこの棚になる札を持っていけ。
レテオが顔を上げることなく、建物の入り口近くで様子を窺っていたロゼの真横にある棚を指差した。
「これの事かしら?」
シエルが取りに行こうと体を向けるが、自分が取るわ、とロゼがさっさと棚の中に置かれていた札に手を伸ばしていた。
シエルにも見えるようにロゼは札を宙に摘み上げる。
"10"という数字と、札に埋め込まれた小さな透明の石が、少し離れた場所にいるシエルにも見えた。
「10だな。終わったら、その石が赤くなって知らせる。そしたら取りに来い。代金はその時だ。」
分かったな。とシエルに念を押したレテオは、近くから引っ張り出した紙切れに"10"という数字を書き込み、シエルが持ってきた本の間に数字が見えるように挟んでいた。
「どうやって直すんですか?」
そう思っても仕方が無い程に、二枚の紙はピッタリと張り付いていた。アイオロスはきっと直ると言っていたが、シエルは半信半疑に思っていた。なのに、レテオはあっさりと直ると断言してしまった。
どんな方法があるのか。シエルは気になって仕方が無かった。
「教える訳ないだろ。」
シエルの質問をあっさりと切り捨てたレテオ。今までも同じような質問をされた事は嫌という程あった。だが、自分が長い苦労の末に掴み取った技術をベラベラと話す職人がいるものか。そう、レテオは今までも切り捨ててきたのだ。執拗な相手は力尽くで黙らせ、二度とこのドワーフの村に足を踏み入れないようにした。
レテオはシエルの質問に、またかと思い、面倒臭げに息を吐き出していた。
「…そうだね。うん…ごめんなさい。変な質問しちゃって。」
「は?」
それは今までに無い反応だった。
今までの、シエルと同じ質問をしてきた者達は、客商売とは思えない、職人気質の強いドワーフの中であっても特に素っ気無い対応をするレテオに、ムッと顔を顰めたり、いいじゃねぇかと悪態をつく者がほとんどだった。そもそも、レテオの客の中でも、本というものを本当に大切にしている知識人はそんな馬鹿な質問はしない。するのは、本の所有者から依頼されて代理でやってくるような者達などだった。だからこそ、レテオの対応に対する悪態は酷いものになる。
だが、シエルはただただ素直に自分の質問の非を認め、謝ってきた。
それに、レテオは純粋に驚き、顔をあげた。すると、シエルが頭を深く下げている様子がレテオの目に映った。
「じゃあ、お願いします。」
行こう、お姉ちゃん。
レテオが顔を上げて呆然としている間に、シエルは下げた頭を上げて、パタパタとまるで逃げていくような素早さでロゼと共に建物を出て行った。
「…悪ぃ事したな。」
ポツリと吐き出された言葉を聞く者は誰もいなかった。
仲間達がそれを聞いていたら、熱でもあるのかとレテオに詰め寄ったかも知れない。無愛想で素っ気無い、気に入らなければ客であろうと叩きのめすレテオが、自分の対応を反省する姿など、生まれた時からを知られている村の年長者達でさえ記憶の端にあるか無いかのものだった。
「変な事聞いちゃった。」
建物を出たシエルは両手で頬を押さえていた。その両手の中にある顔は真っ赤に染め上がっている。小さな声で、恥ずかしい、恥ずかしい、と呟く姿は心なしか縮こまって見えた。
そんな姿を"可愛い"と思いながら、ロゼはシエルの頭を優しく撫でて、励ますのだった。
「よくある事よ。」
シエルの頭を撫でていた手で、ロゼはシエルの頬に当てられていた手を取った。
二人で手を繋いで移動する事をまだまだ終わらせる気は無いらしい。
「グレルが頼んだっていうのも気になるから、見に行ってみましょうか。」
カルタの店に行こう。
ロゼにとっては、その程度と思えるような事でまだ恥ずかしさに身悶えているシエル。そんなシエルの気を逸らすように、ロゼは手を引いて歩き出していた。
「何を頼んだのかしら?装飾品が専門って言っていたわよね?」
まさか恋人?
その可能性が本当に零に近いことはロゼも分かっている。同じ家に住み、同じ職場に勤めている。一応は目立つ人間であることも自覚がある。そんな話があれば、噂となってロゼの耳にも届いている筈だった。
「まぁ、私も人の事言えない状況だし…ね。それも有り得るかも。」
その小さな呟きは、腕を引かれて歩いている状態のシエルには、届いてはいなかった。




