何かの予感
ニッコニコ
そんな陽気な音がよく似合いそうな、機嫌の良い笑顔をここ数日浮かばせ続けている主君に対し、ようやく理由を問い掛けることが出来た一人の仲間には、周囲から称賛の喝采が音も無く寄せられた。
今度は何をしでかしたのか。
そんな思いを抱くが、主君のその笑顔が何時も以上に晴れやかで、何も言えずにいた。
多分ではあるが、きっと今まで以上の事を企んでいるのか、影で遂行しているのか。何はともあれ下手に関わったり、指摘してしまえば巻き込まれることは確実だということは分かっていた。
「殿下、何か楽しい事でもお考えなのですか?」
そんな直球な問い掛けをしたのは、普段から軽い雰囲気を作り出すことを特技としている元・学友、現・補佐官だった。
周囲にいた付き人や近衛騎士達が口元を引き攣らせ、無意識に一歩だけ後ずさったことにも気づかず、彼は主君と同じだけのニコヤカな笑顔を浮かべて、主君の言葉を待っていた。
「あぁ、とっても楽しい事があってね。そろそろ実行してくれると思うんだが…。まぁ、時間が経てば経つほど減給だと伝えてあるから大丈夫だろうけど。」
主君である皇太子ブライアンは、その言葉が回りに居る気心の知れた友でもある者達がどう受け取るかも分かった上で口にした。
ブライアンには周りの者の頭を抱えさせる困ったところがあった。
それは、人を使って遊ぶことだった。
政などに関しては、しっかりとした自分の考えをもって、私心を押し留めて国の為に動くことが出来る。だが、それらに影響を与えない限りにおいて、人をからかったり、悪戯を仕掛けたりと、その人物が右往左往をして困る姿を見るのを楽しむところがあった。標的になるのは、彼にとって気に食わない、何があっても困らない程嫌う相手であるのなら、誰も文句は言わない。ブライアンにとって敵と認定されるような存在は、彼らにとっても敵だからだ。だが、困った事に、ブライアンは時として友人やお気に入りに対してもそれを行なうことがあった。その理由は、面白いからという、それだけ。今、ブライアンの近くにいる側近や近衛騎士達も、今までに全員がその被害にあったことがあった。
「誰だ?」
隣にいる仲間に秘かに聞いているのだろうそんな声も、ブライアンにはしっかりと聞こえている。
そんな風に、直接の被害にはあっていなくても、動揺して困っている彼らの様子を観察するのも、また一興だとブライアンは考えていた。
それでも、この場にいるだけではない直属の部下や友人達が皇太子ブライアンの事を、友人であり主君であると認め、忠誠を誓っているのだから、ブライアンの趣味が受け入れられているということだろうか。
誰だ。
その言葉は、被害を合う者を探っているものなのか、それとも実行犯に選ばれてしまった者のことなのか。
だが、ブライアンよりも前を歩いていた近衛騎士の一人が、ブライアンが僅かに目を横に向けたのを見逃さずにいた。
「…まさか…」
小さな呟きだったが、何か知っているのかという視線が騎士に集まった。
だが、そんな彼にブライアンは口元に人差し指を置いて、口を閉ざすように"お願い"をした。
仲間達の視線の中、その近衛騎士は固く口を閉ざして前を向いた。
けれど、その胸の中はドキドキと大きな音を鳴らして、その額からは分かりやすく汗が流れ落ちていた。
彼が見てしまった、ブライアンの視線が向いた時に横にいたのは、彼の同僚。時として皇太子ブライアンよりも名前が知られていることもある、帝国最強という呼び名さえ冠し始めている、シリウス・アルゲートだった。
彼は今、シリウスの弟妹である双子が、彼の故郷であり母と妹が住んでいる村にいることを思い出していた。シリウス自身ならば、ブライアンの差し向けた何かに対してもサラリと対処することだろう。それは魔術を扱う双子も同じ。でも、話を聞く限り、そんな力を持っていないと思われる母・妹はどうだろう。…そんな二人に何か被害があったら?
シリウスの忠誠を疑いことな無い。
でも、静かに、心を押し殺して怒るくらいはするだろう。
そして、母と兄弟以外を何とも思っていないと思われる双子がどうでるか。
近衛騎士カルア・ボルデンは、休暇を申請して、帝都から遠く離れている故郷に足を向けようかと、本気で考え始めていた。
「お母さん、おはよう。」
「おはよう。」
食堂に仲良く手を繋いだまま入ってきたロゼとシエルは、お盆を手に机と机の間を動いている母ヘクスに向かって、まず声をかけた。
「おはよう、ロゼ、シエル。朝ごはんは皆と同じものでいいわね?」
うん。
長年一緒だったかのように全く同じ動作で頷いた二人は、食事は自分達で取りに行くねとヘクスに断りを入れて厨房に向かった。
「おはよう、お父さん。」
厨房で忙しく調理をしたりと忙しいジークに声を掛けたのは、今度はシエルだけだった。
ロゼは、ニコニコとシエルと同じように笑ってはいるが、その笑みは何処か先ほどとは違って固さを含んでいた。
「あぁ、おはよう。飯なら、そこらへんのやつを適当に注いで持っていってもいいぞ。」
「うん、ありがとう。」
さっさとスープを皿に注いだり、パンやサラダを皿に乗せたりとして、シエルとロゼは食べるだけの朝食を持って食堂に戻った。そして、空いている机に二人で座り、いただきますと空いたお腹に朝食を放り込み始めた。
しかし、パンを千切って口に運んでいたシエルの手は、食事を始めてすぐに止められることになってしまった。
「君が、あの布団の持ち主なのか!!!」
誰かが制止する声も振り切って、シエルとロゼの二人だけがついている机に駆け寄った冒険者が一人、大きな声で詰め寄ってきた。
その男の体は、どちらかというとロゼに向かっていた。
まだ子供に見えるシエルよりも、大人の女性とはっきりと分かるロゼの方が、羊人の布団を手に入れて来られるとでも思ってのことだったのか。
その予想は見事に間違いだった事を若く腕の立つ冒険者も、まだ気づくことは出来なかった。
冒険者クーゲンは、この『銀砕の迷宮』が解禁されてすぐに挑戦することがギルドによって許可されるくらいには腕の立ち、色々な経歴を持った冒険者だった。
そんな彼は、朝食の前に体を動かそう裏庭に出て、物干し台に干されてフカフカな状態にほぼ戻っている布団を見つけたのだ。そして、僅かに漏れ聞いた軍人とヘクスの会話から、ヘクスの娘と思わしき話をしていた二人の所に駆け寄って来たのだった。
「あれを何処に手に入れたんだ!?幾らなら売ってくれる?」
あっ、やばい。
そんな風に思ったのは、ロゼの同僚である軍人達だった。
その思いの通り、可愛い妹との初めての食事を邪魔されたロゼは、詰め寄る男からは見えない場所で、その手の中に魔力を溜め、すぐにでも魔術を放てるように構えていた。
「あら、違うわよ。あれを貰ってきたのはシエルよ。」
「うん。お姉ちゃんじゃないよ?」
「えっ?」
緊迫した雰囲気など関係なく、ヘクスとシエルの母娘はロゼを持ち主と思って詰め寄っている男に向かい、それが間違いであると指摘した。
それによって、段々とロゼに近づいていた男の顔が離れ、同じ机についているシエルへと向けられた。
チッ
ロゼが漏らした舌打ちの音が、シエルやヘクス、そしてシエルに目を向けている男以外の耳に届いた。
男が呆気にとられながらもシエルの方に近づいたことで、魔術を放つことが出来なくなったロゼの目は鋭く男を射抜いていた。




