初めまして。2
「ふぇ!?」
目が覚めると、目の前に知らない女の人がいました。
横向きに寝ていたらしく、シエルは目を開けた瞬間に、自分の隣で横になっている若い女性を見ることになった。
スースー
静かな寝息を立てて、シエルが変な声を上げて体を動かしても、一向に起きる気配の無い女性。
誰!?
なんで!?
そんな事を、驚きのあまり音にはならなかった言葉を口から吐き出しながら、シエルは起き上がろうとした。
でも、それは出来なかった。
シエルは間違いなく動こうとした。
それを阻んだのは、シエルの体に巻きついた腕と足。
シエルの事を抱き枕とでも思っているのか、女性の腕はシエルの胸のあたりに、足はシエルの足に、しっかりと絡まって動く気配は無かった。
「あの~すみません…」
一応、といった感じに、シエルが女性にかける声の音量は抑えられたものだった。
なんとか動く腕を動かし、女性の体を揺さぶる。
「起きない…。どうしよう。大きな声を出したらお父さんとお母さん、気づいてくれるかな?」
騒がしさが響いてくる階下の物音、そして窓の外から聞こえてくる音からすると、まだ朝食の時間で、食堂に宿泊した冒険者達が集まっているということが分かった。
そんな時に、体が小さいシエルの、精一杯とはいえ出した声が届くわけは無いと分かっていても、呟かずにはいられなかった。
どうしよう。
もっと大きな声を出してみる。
もっと強く揺さぶってみる。
起こす為にどうするか。そんな事を考えながら、少しだけ驚きも冷めて冷静になったシエルは、目の前で目を閉じている女性の顔をジッと見つめた。
そして、気づいた。
薄い茶色の長い髪が垂れ下がって半分は隠されてしまっている顔に、何処か見覚えをあることに。
「お母さん?」
その顔は、目を閉じている分だけ分かりにくくはあったが、何処か母に似ている感じを受けた。そして、数日前にあった兄グレルにも、男女の差があるくらいで似ているように感じた。
「って事は、この人は…お姉ちゃん?」
パチッ
「わっ!!」
シエルが口にする独り言を聞いていたのか、と言いたくなるようなタイミングで、女が突然目を開いた。
「んぅ…。」
暗い影があるように見える紫色の目がシエルを射抜く。
鋭く細められた目を向けられ、息を呑んでシエルは身を竦ませてしまった。
でも、そんな緊張を強いられる時間はすぐに終わりを告げた。
「おはよう。」
一変、にっこりと笑みを浮かべた女性が、まだ少しだけ自由に動ける隙間があったシエルのことを腕に力を込めて引き寄せ、抱きしめた。
「ふふふ。シエルと一緒に寝たって、兄さんやグレルに自慢してやらなきゃ。」
力づくで引き寄せられたシエルの顔が、女性の胸の中に押し込められた。
離してぇ~。
そんな気持ちも込めて、手を動かして女性の背中を叩くが、シエルの頭に顔を埋めるようにして抱きしめている女性はビクともしない。
必死になって声の無い訴えを行なっている中シエルの耳に入ってきた女性の言葉で、この女性が自分の姉であるロゼであることを確信することは出来た。
でも、その初めて会う姉がどうして自分の部屋で、自分を抱きしめて眠っていたのかが分からないシエルは、ロゼの背中を叩くことを止めなかった。
「?どうしたの、シエル?」
クスクスと、どうやら半分は寝惚けながら、笑い声を漏らして何かを言っていたロゼが、ようやくシエルの離して欲しいという訴えに気づいたらしく、シエルを強く抱きしめていた腕の力を弱めて顔を離してロゼを見上げることを許してくれた。
「…えっと、お姉ちゃん、ですか?」
色々と言いたいこともあったが、まず口に出てきたのはそんな確認の言葉だった。
「うん。そうだよ。初めまして、シエル。お姉ちゃんのロゼよ。」
「初めまして。」
二人で寝転んだままの、初めての挨拶。
何処か気恥ずかしくて、シエルは頬を赤らめて、眉を八の字にしたまま笑みを作った。
かぁわいい。
そんなシエルを可愛らしく思ったのか、ロゼが感激の声を上げて再び抱きしめる為に腕に力を込めようとした。でも、今度はそれを気づく事が出来たシエルは、二人の間に腕を入れて、今ある隙間が縮まらないようにすることに成功した。
「なんで、此処で寝てたの?」
階下から食事を取っている人達の物音が小さく聞こえてきているということは、シエルが自分の部屋に戻ってきてから数時間も経っていないということ。
そんな短時間で、どうして姉が部屋に来て、そして寝ているのか。
気になって仕方が無い事を、気恥ずかしさを紛らわす為にも、聞く事にした。
「母さんと寝てたのよ。でも、仕事だって起きていっちゃってね。私も目が覚めて食堂に着いて行ったんだけど暇だし、まだ眠たいし。そしたら、あのおと…義父さんが母さんにシエルが帰ってきたぞって言ってるのを聞いて、会いにきたのよ。」
まだ何処か眠っているような、ホワホワとした声を笑顔を浮かべたまま口から出したロゼ。シエルはそんな姉の言葉を大人しく聞いていた。
「それにしても、本当にお母さんに似てる。グレルの言った通りだわ。」
まぁ、目の色はちょっと気に食わないけど。
幸いなことに、最後の言葉だけはシエルにも聞こえないような小さな声で呟かれた。
まだ義父と認めてきれていないジークと同じ色の、自分を見上げてくる大きな目を見つめながら、ロゼは少しだけ口元を引き攣らせてしまったことも、シエルは気づかなかった。
「なぁ、ロゼの姿が無いようだが?」
その頃、食堂では全員が集まった騎士団の面々が、一人だけ姿の見えず食事を取っている様子の無いロゼに気づき、どうしたのだろうと首を傾げていた。
食堂には、ロゼ達が大好きという感情を隠そうとはしない母ヘクスの姿がある。ジークを蹴散らしてまでヘクスと眠ることを選んだロゼが、食堂に姿を見せていないということに、何処か体調でも崩したのかという心配が彼らの中で大きな可能性を秘めて浮かびあがっていた。
「ヘクス、ロゼは何処に行った?」
ルーカスが全員の心情を代表して、忙しなく朝定食を運んでいるヘクスへと声を飛ばした。
「ロゼなら、まだ眠たいからってシエルの部屋に行ったわ。」
足や手の動きを一切止めることなく、ヘクスはルーカスの問いに答えた。
「今頃、一緒に寝ているんじゃないかしら?」
「そうか…。だが、今日の予定もあるしな。おい、誰か起こしに行ってこい。」
ルーカスの指示が飛んだが、誰も手を上げる者はいなかった。
「おい…。」
「いや、だって殺されますよ、ロゼさんに!」
「いやいや、それを言うなら、グレルさんやシリウス様だって、妹の寝姿を見たなって何をするか…。」
全身を震わせて、冗談のように言う彼らだったが、その声は何処までも本気な色を含んでいた。
 




