朝帰り
「ただいま~」
青紫色の明け方を表現されている村に帰りついたシエルは一人、家へと近づいていった。そして、表の玄関からではなく、表からは見えにくい場所に作られている厨房の勝手口から家の中へと入っていった。
村に着くと、ムウロはシエルに色々と注意を促し、用が済んだらすぐに戻るからという言葉を残して、渋々、嫌々という感じを隠そうともせずに、今来た道を戻っていった。
明るんできたとはいえ、まだ夜といってもいいくらいの朝早くでは、それぞれの家の中で行動を始めている気配は感じられたが、さすがに家の外に出てきている者はいない。
それは、宿屋を営んでいるシエルの家も同じで。宿泊者の部屋として割り当てている部屋の窓からは人が動いている影が見えたり、時間態も考えて声を潜めてはいるらしい声も聞こえてくる。
ちゃんと第五階層まで来る事が出来た冒険者達もいるんだな~。
大きく開いたカエルの口や、何の目印もない三本の木を思い浮かべながら、シエルはいつもの癖で帰宅の挨拶を口にしながら勝手口を潜った。
「おう。おかえり。」
朝食の準備があるとはいえ、まだ厨房に出てくるような時間では無いとばかり思っていた父ジークの姿が、勝手口を潜って入った厨房にあり、シエルの挨拶に答えていた。それでも、まだ作業は開始してはいないようで、竈に掛けられている鍋から湯気が出ているとか、包丁が鳴らす音は聞こえてこない。たまたま、少し早めに厨房に入ったところに、シエルが帰ってきたということらしかった。
「…おはよう、お父さん。」
驚きながらも、朝の挨拶を口にする。
「おはよう。こんな早くに帰ってくるなんて…ちゃんと寝てるのか?若いからって無茶ばっかりしてると、後で体にガタがくるんだからな。」
そう言って、床にある凹みに手を伸ばしてしゃがみこむジーク。よっこらせと腰を叩きながらの動作は、なんだか年寄り臭く、シエルは思わず噴出していた。
「大丈夫だよ。」
「そうか?お前のことだから、歩きまわるのが楽しいわ、階層ごとに違う時間のこと忘れるわで、寝てねぇだろうなって思ったんだがなぁ?」
その顔を、床にある凹みに手を入れて持ち上げることで現れた床下収納の中に向けたまま、チラリと、シエルと同じ深い赤色の目だけはシエルへと向けてきていた。
そんな事ないよ、と口にはしながら、ジークの言葉通りだったシエルはギクッと肩を震わせた。
「そ、そんなことないから、大丈夫だよ。それにしても、お父さん朝早いね。」
いつもよりも早いんじゃない。
話を逸らそうと、ほんの少しだけ気になっていたことを聞こうとするシエル。
娘の問い掛けに、床下収納から野菜や保存肉の塊などを取り出していたジークの手の動きが止まり、なにやら黒い影を背中に覆い被せ始めた。
「一人で部屋にいたって暇だからな。」
何処かふて腐れたような声に、シエルは首を傾げた。
ヘクスがどうかなんて何時も変わらない無表情のせいで判別出来ないが、ジークはヘクスが大好きだと言うことは娘であるシエルだけでなく、村中の人間が嫌という程知っている。それはもう、鬱陶しい程知っている。そんな両親の寝室は当たり前に二人一緒だ。それなのに、ジークは"一人"といった。夫婦喧嘩でもしたのかとシエルが慌ててジークに詰め寄った。
「えっ!!お母さんと喧嘩でもしたの!?何やったの?早く謝りなよ!!」
完全に、喧嘩の原因はジークにあると決め付けいるシエル。
「喧嘩なんてしてねぇよ!」
「じゃあ、何したの?」
シエルの言葉を否定したジークにグイグイと聞いていく。
「母娘水入らずで寝るんだってヘクスを連れて行かれただけだ。」
今、シエルの姉でもあるロゼを含んだ帝国の軍人達が泊っているんだと、ジークは口先を尖らせて呟いた。
「あっ、グレルお兄ちゃんには会ったよ?」
お姉ちゃんも来てるって言ってたけど、泊ってるんだ。
シエルは無意識に二階へと目を向けていた。
「グレルは単独行動だって言って泊ってはないな。あぁ、そうだ。お前、ユーリスってのは知ってる奴か?」
落ち込みながらも、ゴソゴソと収納されている食材を漁り仕事を始めているジークが、顔を上げてシエルを見た。その口から、知っている名前が出たことに驚きながら、シエルは頷いた。
「うん。牧場をやってる吸血鬼の人だよ。」
「そうか。そいつから、肉やら菓子やらが届いてるぞ。」
その荷物をジークは床下収納に仕舞って置いたようで、これもこれも、と出してきた。
そういえば、とシエルはユーリスの牧場での事を思い出した。
ベーコンやチーズ、ヨーグルトなど、牧場で採れたものを使って作られたものを試食させてもらった。そして、試食しながらジークが欲しがっていたと話した覚えがある。
「アルス叔父さんが持ってきて、お父さんが仕入れしたいって言ってたやつだよ。仕入れするかどうか、お父さんに聞いておくねって言ったんだけど…。」
送ってくれたんだぁ。
ベーコンやハムの塊に、色々な大きさと色のチーズの数々。
ジークが収納から取り出したものを眺め、シエルは感嘆の声を上げていた。
「あぁ、あれか。じゃあ、これは俺が使っていいってことだな?」
シエルのものだからと、使いたいと思っても手をつけずに我慢していたジークは、シエルの言葉にニヤリと口元を緩ませた。
そして、最後にジークの片手に乗る程の大きさの、可愛らしいラッピングがされた箱を取り出して、床下収納の蓋を閉めた。
「でも、これはお前のだろう。カード付きだしな。」
シエルが箱を受け取ると、その箱を包むリボンに挟み込まれていた一枚のカードを引き抜いた。
感謝を込めて
これからも姉の良き友であることを祈る
そんな言葉が書かれているカードには、それ以外の、名前などは何も書かれてはいなかった。
初めは誰だろうと思ったシエルだったが、姉という言葉を見て、すぐに誰からのものか理解出来た。
「レイさんだ。」
「?ユーリスって奴じゃないのか?」
「レイさんは、ムウさんのお兄さんで、ユーリスさんの親なんだよ。」
「…あぁ、吸血鬼としての親か。」
シエルの言葉の足りない説明も、そこは実の親、ジークは少し考え込んだだけでシエルの言葉を理解することが出来た。
「それにしても、レイで、灰牙伯の兄貴ねぇ。『麗猛公爵』か…。」
また大物を釣り上げて。そんな事を呟いて溜息を吐くジークに、シエルはただ純粋に「お父さん、凄い」と驚きの声を上げた。
「お父さん、詳しいんだね。」
「はっ。これでも冒険者としてブイブイ言わせてたんだ。有名処の魔族の名前とか関係とかは頭に入れてる。」
「ブイブイって…。古いよ、お父さん。」
一瞬だけ、ジークのことを尊敬しそうになったシエルだったが、ニヤニヤと過去の話をし始めそうになるジークに向ける視線が段々と冷たくなり始めた。
「うるせぇ。」
悪態をついたジークの目が、シエルの背後へと向けられた。
「でかい荷物もあることだし、さっさと部屋に戻って仮眠でもしたらどうだ。ヘクスには伝えておく。」
「うん、分かった。そうする。」
早速これを使おう。
背中に背負っていた荷物に嬉しそうな笑いを向けたシエルの様子に、ジークはその布の塊のなよう荷物に興味を示した。
「羊人さん達に貰ったんだ。」
布団だよ、と答えて厨房を後にしていくシエルの背中に、ジークは頭を抱えて悩み始めた。
もう少し常識を教えておけば良かった。
それの価値をしっかりと理解している様子が無いことに、ジークの中にほんの少しだけ不安が生まれていた。




