閑話:その頃のミール村
ヘクスがおかしい。
ヘクスはいっつもおかしいだろ?
夜もすっかり深けたミール村の宿屋の食堂では、村人たちが集まってどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。銀砕の迷宮に村が飲み込まれた事もあり村に訪れる冒険者たちの姿もなく、食堂の端で静かに食事をしている一組のパーティーだけがいる状態だった。彼等は下層から命からがら戻ってこれた唯一の冒険者。突然、五階層以上も繰り下げられた場所から怪我を負いながらも上ってこれたというだけで、彼等の実力の程が窺える。腰元や首に下げられた特殊な金属で作られたギルドの登録証を覗き見れば、そこにはAランクと刻まれている。彼等なら、村人の付き添いが無くても勝手に街へと帰っていくだろう。
目ざとい村人たちは判断を下し、フォルスとシエルという付き添いをつけて帰した昼の冒険者たちにしたように声をかける事はせず、食堂に集まって好き勝手に飲み明かしている。
本来なら、すでに食堂を閉め、村人たちを宿から蹴り出し帰宅させる時間なのだが、今日はそれを行うものがいない。いや、宿屋の主人であるヘクスは食堂の中にちゃんといるのだが、料理や酒をテキパキと運ぶ以外は、村の入り口を望める窓から外をボーッと眺め続けている。
時間を確認して勝手に仕事を終えたジークが声をかけようが、体に触れようが、窓から離れることはない。心配そうに顔を歪めたジークが、ヘクスの背中から目を放すことなく、村人たちのテーブルに混ざって腰かけようが、ヘクスは変わらず外に目をやり続ける。
「やっぱり。シエルを村の外に出したのは間違えだったかな?」
「何言ってんだよ。村から出せねぇって思ってたあいつが外に出れるようになったんだぜ?親なら喜んで送り出せよ。」
冒険者であろうと二の足を踏むような魔力溜の中にも迷う事なく突き進んでしまう鈍感さ、異変や異常を感じ取れず、逆に魔物の目の前に自分から飛び出してしまう天性のトラブル体質、剣を振らせれば自分が怪我をして、魔法を使わせようにも魔力がスズメの涙程しかない特異体質、頭はいいのに世間を知らない常識の無さ。
どんな職業を夢見ようと、冒険者としてもやっていけるようにと教育されるのがミール村の子供だ。それら修行のおかげで、村出身の子供は一度は冒険者という仕事を経験する。その中で、シエルだけは教える側の村人たちが無理だからと匙を投げ、一緒に修行していた子供たちが諦めろと説得にまわったくらいに、シエルが村の外に出たら危ないというのが、ミール村の総意だった。
年上の少年らが村を旅立つ光景をキラキラと目を輝かせて見送り、同い年の友人たちをふて腐れながら見送り、年下の子供らを悲しげに見送るシエルの姿に心を痛めていた村の大人たちは、シエルが村から出て迷宮内を自由に出来ることを我が事のように喜んでいた。今日のどんちゃん騒ぎの理由の一つでもある。
「でも、あんなに心配そうな顔をしてんだぜ。」
村人たちに注がれた酒を口にしながらもヘクスの背中を見つめる事を止めないジークが、悩ましげに溜息を吐いて、村人たちに訴える。
ジークの訴えに、ほろ酔い気分の村人たちはヘクスに視線を集めた。
首で結ばれた黒い髪を、少し開いた窓の隙間から吹き入れる風に揺らしている。
貴族のように真っ白とは言わないまでも、村人にしては白い肌。
顔に浮かんでいるのは、ピクリとも動かない感情を見せない表情。
ヘクスの表情の無さについては、普段から一切変わらないものだ。
そして、光を宿していないように見える暗紫の瞳は、ボーっと外の風景ばかりを写している。
「いや。普段と変わらないぞ。いっつも、表情とかあんな感じだし。確かに、行動はおかしいけど」
村人たちから見えても、ヘクスの表情に変化があるとは思えない。
彼女は、あの無表情でシエルを叱ったり、褒めたりしている。
村人たちが、今日のヘクスはおかしいと思うのは、テキパキと働く彼女がボーっと窓から離れないことくらいだ。
「俺には、何時もどおりの表情の無さに見えるけど。」
「まぁ。分からないでもないがな。手元に残った唯一の子供が巣立ったんだ。村を出たってわけじゃないが、それでも思うところはあるんだろ。」
顔を真っ赤にした狩人ラドルの声に深く頷いてジークに睨まれていた村人の中で、グスタフが昔を懐かしむように遠くを見つめた。
「そういえば、あの三人が村を出てった後もあんな感じだったな。」
ああ、そうだった と、昔から村に住んでいる住人たちがグスタフの言葉に頷いて、眉を八の字に下げて酒を飲む。
記憶の中から込み上げてくる苦々しいものを、酒で飲み干してしまおうとした。
「あいつらは、あの頃でも一人で生きていけるくらいにしっかりしてたけど、シエルの場合はヘクスに似ちまったからな。心配も大きいだろ。」
シエルの厄介な性質の多くは、ヘクスが持っているものだ。むしろ、ヘクスの方がより性質が悪いものだといえる。一人で森に入れば凶悪な魔物の巣に迷い込む、魔物だと気づかずに撫でたり戯れていたり、人が体の自由を奪われてしまう威圧や強い魔力を浴びせられても平然として近づいていってしまうりと例を挙げればキリが無い程だ。その厄介さの最たるものが、拾って連れ帰り怪我の手当てをした犬が『銀砕大公』だった事だ。あの時は、村中の人間が現役時代さながらの戦闘態勢になって大騒ぎだった。
「えっ?ヘクスさんって、シエルの他に子供いたの?」
シエルが生まれてから村に住み始めた、鉱石堀りを生業にしているゴルドが疑問を口にした。その声に、ゴルドと同じように最近村に住み始めた住人たちを見回すと、皆が首を縦に振っている。
「ヘクスが村にやってきたのは15の時だ。冒険者の旦那と一緒にな。村に来て半年くらいで男の子を、その二年後に双子を生んでるんだよ。」
それらの視線に答えたのは、ガースだ。
まだ、帝国の基準で成人を迎えたばかりの少女だった、ヘクスの姿を思い出す。
生傷の耐えない、暗い目をした少年に手を引かれてきた少女は、今と変わらない表情の無い人形のような顔で、日常の一つ一つに困りながら、見かねた村人たちに手を借りながら、少しずつ家で冒険に出た少年を待つ生活を送り始めた。
村にあった、成金の馬鹿な男が建てたものの手放した別荘を即金で買い取り住み始めた時は、村人たちも眉を顰めて遠巻きにしていたが、ぶっきらぼうながらに礼儀正しかった少年の態度と少女の危なかしさに徐々に打ち解けていった。
下の双子が生まれた頃、少年が冒険に出掛けて帰って来なくなった。冒険者になっていた村出身の男が報告を持ってきた事で、依頼の途中に死んだという事が分かった。
それからは慌しく時間が過ぎていった。
ヘクスは三人の子供を村人たちの手助けを受けながら育てた。
相変わらずの無表情と常識の無さだったが、本人は本人なりに一生懸命にやっていた。
そのせいか、傍から見ると突き放しているように見えるヘクスだったが、子供たちは懐いていたし、頭のの良さを使ってヘクスに近づく男達を撃退するくらいには母親が大好きだった。
子供らだけで外で遊ぶようになってからは凄まじかった。
長男は、修行をつけていた元・騎士だとか冒険者、それなりに修羅場を潜った実力持ちが絶賛する程の才能があった。
次男と長女は、ホグス爺さんや迷宮にやってきた魔術師たちが称賛するくらいに魔法の才能があった。次男は結界や補助魔術に特化。長女は、爺さんたちが戦慄するくらいに魔力があったな。
上の長男が9歳になった時だった。
貴族の使いだって奴が来て、次の日には三人を連れていっちまった。
なんでも死んだ少年、子供等にとっては父親は帝都の貴族の名家の御子息だったらしく、才能あふれる子供を残したってのを聞きつけて引き取りに来たんだ。
説得じゃなくて脅迫だったな。
ヘクスは脅迫に屈することは無かったが、子供達の将来を考えろっていう言葉で、三人を手放すことにしたんだ。
でも、三人が帝都に行っちまった後はしばらくヘクスは今みたいな、あんな感じで元気が無かったんだよ。
一人じゃ部屋が余ってしょうがないからって、宿屋を始めはしたものの、空元気で見てられなかったな。
元に戻り始めたのは、アルスが足を怪我したジークを連れてきた後からかな。
あとはまぁ、本人の前だから言わないでやるが、色々と馬鹿やって口説き落として、シエルが生まれて、ようやくヘクスも元に戻ったんだ。
「へぇ。そんな事が。」
「って、ちょっとまって。ヘクスさんって幾つなんですか?そりゃあ、シエルちゃんがいるから、それなりな年だってのは分かってますけど。」
一番新入りの、村にある家を拠点に迷宮の中で採取をしている男が顔を引き攣らせた。
シエルという13才の娘がいるということにも驚かれるヘクスは、見た目は20代後半に見られる。よく、20代、30代といった年下の冒険者に口説かれている光景が食堂で繰り広げられている。
「39才だよ。見えねぇけどな。」
「うわぁ。秘訣があるなら聞き出して、金を持っている女性とかに売り出したら儲かりそうだな。」
村の住人が採取した物を街や、時には帝都にも売りに行く行商人が悪巧みを企て始めた。
「シエルも知ってるんだよな、三人のことは」
「知ってるから、帝都からの迎えを嫌がってたんだよ。そんな人たちがいる所行ったら比べられる!お母さんを独り占めにしやがってって絞められる!ってな。まぁ、本当の理由は他にあるだろうが。」
兄と姉のことを知っているのかとジークに問いかけが飛んだ。
どんな話を吹き込まれたのか、シエルの中の兄姉たちはどんな風になっているのだろうか。村人たちは顔を引き攣らせて笑っている。
「確かに。顔見知りを見つける度に絡んでくるからな、あいつら。だけど、シエルの事を悪く言ってる話はないから大丈夫なんじゃね?お前は嫌われてるみたいだけど。」
「うるせぇ!」
帝都だけではなく、どんな所であろうと、村で見た顔を見つけると猪突猛進に寄ってきて「母は元気か」「村の皆はどうだ」「妹ってどんなんだ?」などと質問攻めにしてくると、村から出ていった者たちを怯えさせている。幼い頃から周囲を瞠目させていた実力をそのまま成長させた彼等は、それなりの地位を築いて部下まで率いる身となっている。そんな彼等に絡まれると周囲の目が痛いし、彼等の部下たちの視線が恐ろしい。
「こいつ、用事があって帝都に行った時に長男の方に会って、殺されかけたんだってよ。」
「話を聞かれた奴等も困ってたぞ?恐ろしい顔で伝言を頼まれるのはゴメンだって。」
母親のように表情を無くして殺気を放つ姿は恐ろしかったと伝言を伝えに来た男は言っていた。
「認めてもらえるのは何時になるんだろうなぁ、ジーク?」
ラドルがジークの肩をバシバシッと叩いて、大声で笑い出す。
その笑い声は、ラドルから周囲に、そして食堂中に伝染していった。
あっははははは
手を持ち上げただけでも笑い出すような酔っ払い達の笑いは、大きくなることはあっても、収まることはなかった。
そんな笑い声の広がりを背中に感じて、ようやくヘクスは食堂の中に視線を戻した。
兄たちと姉は、そのうち登場予定。




