『運命の人』?
パキンッ
ムウロの手の中で、淡い光を放っていた小さな水晶玉が握り潰され、砕け散った。
細かい破片や粉となった水晶玉の残骸がサラサラと、ムウロの手から地面へと落とされていく。
「これでよし。」
アルスに事の次第を報告していたムウロは、水晶の残骸に目をくれることもなく、笑顔で言い放った。
最後の方にはムウロが報告した占者の話ではなく、ディアナや『魔女大公』の鍵と箱の話になり、水晶玉から聞こえてくるアルスの声も恐ろしく重厚なものになっていた。そんな声を遮るように通信の魔道具である水晶玉を壊してしまって良かったのか。シエルが聞いてみるが、ムウロは構わないよと笑顔で答えた。
「ねぇ、兄ちゃん。なんか俺のも光ってるんだけど。」
そう言ってシュラーが手の平に乗せている、ムウロが握り潰したのと同じ水晶玉を見せた。ピカピカと淡い光を点滅させている。
「お前の通信具に連絡してくるのなんて、パスティス兄上くらいだろ?父上が目付け役を送るって言っていたから、兄上の耳にも入ったんじゃないか?」
早く出て叱られろ、とムウロは笑顔のまま言い捨てた。
そんなぁと情けない声を出しながらも、ムウロに言われるがまま点滅を続ける水晶玉にシュラーは応答した。
「違う!サイレンさんは僕の本当の『運命の人』だよ。」
シュラーがシエルやムウロに背中を向けて水晶玉からの声に答え始めた頃、シエルとムウロはシュラーではなく、村人達に囲まれているフルルの方に目を向けていた。
ムウロの説明を聞いた後、村人達は口での罵りあいに発展していたフルルとルシアを引き剥がし、それぞれに説明を聞いて知った話を伝え、お互いが主張している『運命の人』について諦めるよう、説得していた。
何かしらの術を使われているらしく、村人の中でも親しい友人達や祖父の言葉にも中々納得しようとしなかったルシアだったが、何度も何度も言葉を重ねられる内に少しずつだが聞く耳を持ち始めてきた。
「あまり強い術では無かったんだろうね。あの男も、術で雁字搦めにした思考は美味しくないって言っていたし。」
嫌な事を思い出しているムウロの顔は渋く歪んでいた。
だが、フルルはそうもいかなかった。
村人達の説得に、フルルは「僕は違う」と声を荒げていた。
「ちゃんと、あの人に会った時に衝撃を感じたんだ。心が打ち震えたし、何より今も思い出すだけで、思い出すだけで…」
その言葉の通り、サイレンの事を思い浮かべたらしいフルルが頬を赤く染める。
「…なんか、本当に『運命の人』っぽいね、サイレンさん。」
その様子に、シエルもフルルの主張を信じ始めていた。
「そうだね。」
「そうなら、花嫁になるかどうかは分からないけど、会わせてあげたいね。でも、相手が何処に居るのかもわからないし…」
フルルが照れながら言っていた、シエルの魔女という肩書きを使えば、という主張はどうやっても受け入れることが出来ない話だが、フルルとサイレンという女性を会わせて本人同士で話をさせるくらいはしてもいいのでは、とシエルは思い始めていた。
「あっ、そうだ!これから届け物するのに色々な所に行くから、サイレンさんを見かけたら、フルルさんの事を伝えればいいんじゃないかな?」
もちろん、サイレンと遭遇する可能性は低いということをシエルも分かっている。
だが、何処にいるかも分からない相手を探す方法など、シエルにはそれしか思いつかなかった。
ムウロを見上げ、どうかなと首を傾げたシエルに、嘆息したムウロが答えを返す前に、どうやらシエルの言葉を聞いていたらしいフルルが突撃してきた。
「本当ですか!お願いします。」
自分を囲んでいた村人達の体を押しのけてシエルに駆け寄ると、フルルはシエルの手を痛いくらいの力で握り締めて目を輝かせていた。
「サイレンさんに会ったのは、十年前のことです。」
本当だからサイレンがどんな人なのか教えて欲しいと言ったシエルに、フルルはシエルの手を握り締めたまま、恍惚とした顔となって語り出した。
十年前の、まだシュラーが門番として現れる前のことだったとフルルは言った。
それを聞いて、じゃあ俺は無実だね、とまだ水晶玉から聞こえる兄パスティスの声に叱られていたシュラーが呟いたが、その声はフルルの話に集中しているシエル達には聞こえてはいなかった。ただ「叱られている最中に他所へ気を取られるとは、な」というパスティスのさらなる叱りの言葉を受けることになっただけだった。
その頃は門番という存在は無く、門は内側から長老が特別な呪文を口にすることで開く仕組みになっていた。
「えっ、じゃあシュラー君は必要無いよね。」
あまり年上といった感じのしないシュラーに、シエルは何時の間にか自然に"君"付けをし始めていた。
「だから、シュラーを置いたんだよ。」
「私は助かっておりますので。」
おずおずと、シュラーが来るまでは来客が来る度に門まで出向くことになっていた村長ベルキュリオがフォローに入った。
「村の外の森に生えている花があるんです。とても美味しくて、病気の祖母に食べさせたくて僕は採りに行きました。」
声を潜めて放すシエルとムウロを他所に、フルルの話は続いていた。
「サイレンさんとは、其処であったんです。」
白く丸い花を咲かせるその植物は、花も葉もとても美味しく、けれど村の中では滅多に咲かず、人が滅多に入らない村の外の森の中には群生する場所があった。
それを聞いたフルルは、少しだけと商隊が来てベルキュリオに寄って開かれた門をこっそりと潜り抜けて、森へと向かった。
森の奥に進むと、話に聞いていた通り花が群生する場所があった。
フルルは夢中になって花を摘み取った。
もう少し、もう少し、祖母だけではなく、両親や友人にも分けてあげようと持ってきていた籠一杯になるまでフルルは花を摘み続けた。
フルルが気づいた時には、考えていたよりも多くの時間が経っていた。
慌てて帰ろうと森の中を駆け始めたフルル。
行きに通った曲がりくねった獣道ではなく、近道をしようと草むらに飛び込んだ時に、フルルはサイレンに出会った。
「草むらに飛び込んで抜け出た時に、サイレンさんにぶつかったんだ。」
その時点で何人かの村人達が首を捻った。
大公の庇護を得ている村の近くに、しかも森の中に誰かがいる事など滅多に無い。第二階層の森でしか採れないという資源も無い上に、万が一にも村に危害が加えられることがあれば、大公の怒りを買う危険があると周知されているからだ。
だというのに、フルルはうっとりとした顔で、森の中で女に出会ったと言うのだ。不思議に思っても仕方が無い。
「サイレンさんは何人かの仲間と一緒に居て、その人達が名前を呼んでいたから彼女がサイレンという名前だって分かったんだ。サイレンさんは、突然現れた僕に怖い顔を向けてくる仲間達を一喝してくれて、僕に笑顔を向けてくれたんだ。その時、僕は体が痺れるくらい震えたんだ。それ以来、サイレンさんの顔がずっと忘れられなかった。」
占者さんの話で、ずっと忘れることの出来なかったあの衝撃が『運命の人』を感じた瞬間だと分かったんだ。
どうして森に居たのか。
そんな疑問が残りはしているが、誰もがフルルの話に納得がいったような顔になった。
顔が忘れられなかったというのは、誰もが恋をしている時に味わう事だと思った。味わったという衝撃は、『運命の人』に出会った時に感じるものだと伝え聞くしか無い者達からすれば、フルルの感じた衝撃が該当するものなのだろうと予想することしか出来ない。
「やっぱり、そのサイレンさんがフルルさんの『運命の人』なんだね。」
シエルも改めて納得していた。
そして、ムウロもシエルの言葉に頷いていた。
多くの村人達が、自分達が若い頃に経験した事のある初恋の思い出を思い出しながら、頑張れよと生暖かい視線を送り出していた。
「綺麗な緑の目でした。とても強く鋭くかった。」
ふんふん、とシエルはフルルの語るサイレンの外見的特徴を持っていたメモに書き取っていく。
「体は大きかったよ。一緒にいた男の人達と並んでも、負けそうに無いって思えるくらいだった。女性冒険者の絵姿みたいな感じかな。」
まぁ、迷宮の中にいるのだ。魔族ならば、迷宮内を動きまわっているのなら戦闘などを得意とする者で、それならば何も無い第二階層に居る必要性が無い。その為、そのサイレンも冒険者のようなものだろうと想像していたムウロも、村人達も、フルルの説明する言葉に納得した。
「冒険者ってことは、サイレンさんは人なの?」
シエルが口に出してフルルに確認した。
だが、フルルは首を横に振ってシエルの言葉を否定した。
えっ?と全員が疑問を顔に出した。
「サイレンさんは、虎の獣人なんだ。」
羊人である村人達が息を飲む音が嫌に大きな音となってシエルの耳に届いた。
「…それは、違う衝撃だと思う。」
目の前で目を輝かせて遠くを見ているフルルに、シエルはその言葉しか口に出来なかった。




