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アルスの子供達

パタッ パタタッ

静まり返った空間に、尻尾を床にリズム良く叩きつける音は程よく響く。

小さな光源が幾つかあるだけの、窓一つ無い広間は薄暗い。だが、その中で人の背丈程の高さがある巨大な石の寝台の中心で、尻尾をパタパタと振って寝そべっている小さな銀色の狼の姿だけが、際立って浮かび上がって見える。

寝台の上には、銀色の小さな狼を囲むように座っている5人の人影があった。


「あ~あれだろ、あれ?ズルズルした黒い布で全身覆ってて、自称未来を視る事が出来る占者っていう。お前が何度も泣かされて、俺とかネージュが噛み付かれた!」


魔界に寝かせてあった本体に戻っても、地上用に使っていた形代がそうなってしまったように、小さな狼の姿のままだったアルスが声を上げて笑っている。

話の相手は、羊人村の事で連絡を入れてきたムウロだった。

今でこそ、余裕そうな外面で、シエルの前で兄ぶっている息子が恥ずかしがる過去の話を口にして、何をしても元に戻らない自分の体に対する苛立ちの、八つ当たりをしていた。


淡い光を立ち上らせた通信用の魔道具を前足の間に置いて使っている事に気づかなければ、大きな独り言を口にしているようにも見える、アルスの姿。その事に思い至り、口を閉ざして見守っていた者達の一人である女が、耄碌して独り言を言ったり、すぐに記憶が無くなる老人の話を思い出し、プッと堪え切れなかった笑いを漏らした。

他の4人が、笑いを漏らしたものを無言で睨みつけるつけるが、口を両手で押さえて顔を真っ赤にして我慢しようとしている女の姿を目にして、睨みつけていた目を呆れたものへと変化させた。


「は?本当の事だろ?あん時は痛いわ、お前を殴ったら姫やネージュが五月蝿いわ、で大変だったんだからな。それで、そいつが俺の迷宮で悪さしてるって?分かったよ。ガルストに文句言っておくわ。シュラーはそのまま、そこに置いておけ。誰か目付け役送っとくわ。」


目を瞑り、肩が揺れるのを隠そうと静かに座っていた一人の男が、ピクリと肩を揺らして顔を上げた。


「それよりも、さ。地上の方で姫の気配と陛下の力を感じたんだけど、お前何か知ってる?」


からかうような声音から、真剣なものへと変化した。

逆らうことは許さない。

そんな真意がはっきりと分かるように威圧さえも込めた声で言われる言葉には力がある。話をしている相手も、その力を感じ取って息を飲んだのか、「ほら、知ってるんなら、さっさと言え。」とアルスは促している。

だが、その声や言葉を出しているのが、女子供の腕の中に納まってしまうような小さな狼の姿でだと目の前で見て知っている5人にとっては、笑い過ぎて死に掛けになっている女程では無いが、笑いを抑えることに必死になる光景だった。


「は?何だよ、それ。聞いてないぞ?ディアナが持ってた?って、ディアナに会ったのか?」

アルスが声を荒げる。

ムウロが、鍵がどういうものだったが、幾つがあるらしい鍵穴のこと、そして『魔女大公』アリアが遺していた声を聞いたことを伝えたのだ。

バシンッ バシンッ

それまで軽快なリズムで石の寝台を叩いていた尻尾の動きが激しく、力任せなものになった。

「言ってないって。姫の手掛かりが手に入ったんなら、俺に報告するべき事だろ!?」

ガルル、と可愛らしい狼の姿に似つかわしくない音を喉から出すアルス。


もう止めて。と呼吸困難に陥りかけている5人も、一応は空気を呼んで物音一つ立てないように気をつけていた。


「忘れてた?んな嘘が通じるとでも思ってんのか!?」

通信の先にいるムウロにしてみれば、色々あり過ぎて忘れていたという言葉は本当の事だったのだが、あの場にいなかったアルスは信じようとしなかった。ムウロがわざとアルスに報告しなかったのだと勘ぐり、怒りを滲ませる声を出した。

「あっ、切りやがった。」

幾ら説明しても納得しないアルスを面倒くさく思ったのだろう。アルスの意思に反して、アルスの前足の間に置かれていた通信用の魔道具から光が消えていった。

通信相手のムウロが、魔道具を強制的に破棄したことで会話は途切れてしまった。


「シュラーが何か、やらかしたんですか?」


四足で立ち上がり、毛を逆立てて怒りを露にしているアルスに、声が掛かる。

それは、アルスの5番目の子、三男パスティスだった。ラミア族の母から生まれたパスティスは、蛇のような赤い目をジッとアルスに固定して返事を待った。

兄弟の中で一番、厳しくも愛情深く末の弟に接しその様子を案じているパスティスは、父親が口にした『魔女大公』の存在も、『毒喰大公』の名前にも反応する事は無く、自分が仕事をしろと言って向かわせたシュラーの事を聞く。


ジィィッと、真っ直ぐに、逸らす事なく向けられるパスティスの目とその迷いの一切無く、ある意味空気を読もうともしない言葉に、アルスは呆気に取られて、怒りに高まっていた心を落ち着かせていった。

「ん?あぁ~…。はぁ。羊人の村にガルストの所のトラクスが入り込んだのに気づきもせずに、グースカ腹出して寝てたみたいだぞ?」

「グースカ…。…父上。少し出掛けて来ますので、帰るまでに溜まった仕事の方を終わらせておいて下さいね。」

息を吐いて落ち着きを取り戻したように見せ、アルスはムウロから聞かれた事の次第を伝えた。

すると、パスティスは音も無く立ち上がり、この場を立ち去ろうとした。

「あら、行くの?なら少し待ってなさいな。この前、暇潰しに編んだ腹巻があるから持っていってくれない。部屋が片付かなくて困っていたから丁度いいわ。」

「姉上。甘やかすのは良くありません。あの馬鹿が腹を出して寝ているくらいで風邪など引きはしませんよ。」

二番目の子供であるビアンカが、遠まわしにシュラーを心配して差し入れを持っていかせようとパスティスを引き止める。

"馬鹿は風邪と引かない"人間に伝わる俗説を呆れた声で口にして姉を嗜めたのは、14番目の子であるグルデン。


他に寝台の上でアルスを取り囲んでいるのは、未だに笑い終わらない18番目の子であるフランテと、この中では一番年下にあたる為大人しくしている23番目の子であるハロン。


「プッププッ。まぁ、そうね。元気にピンピンしてますって。でも、連れ戻すのは賛成。」

「そうっすよ。どうせ仕事なんて真面目にやってる訳無いって最初から分かってたじゃないっすか。」


この場に集められたのは、アルスがしっかりと個として認識している実子達。

シエルと一緒にいるムウロに声が掛かることはされず、何処かで自由気ままにフラフラと穴を掘っているケイブは何時もの事で呼ばれていると言うのに姿を見せることは無かったが、子供達は城の奥深くにあるアルスの私室へと呼び出され、自分が任されている仕事の手を休めて集まっていたのだ。


「まぁいい。あいつとは、後でゆっくりと話をつけてやる。それで、お前達。話の続きだが…!」


ブツブツとムウロへの文句を垂れることを中断したアルスが、そんな父親をほったらかして末の弟の話に興じていた子供達を見回した。

「話の続き?…なんだったかしら?」

「えっと、確か…」

元々興味を感じられない話だったから、と全員が「何だったっけ」と顔を見合わせていた。

本当は覚えているのだろうが、彼らには仕事の手を休めて付き合う程の重要性を見出せない話だった。早く仕事に戻りたいと顔にありありと書かれていた。


「俺の、この愛らしく情けない姿をどうするかって話だろ!!」


この親不孝共!

ワンワンと閉ざされた部屋の中に反響する大きなアルスの声に、5人の子供達は耳を両手で塞いでいた。

「でも、父上様?感じ取れる気配からも、魔王陛下や『魔女大公』様が関わっている御様子ですもの。私達には、どうしようも無いではありませんか。ということで、御自身でどうにかして下さいませ。」

この場に集まった子供の中で最年長であるビアンカが、アルスを冷たく突き放した。

役にも立たない兄ケイブに代わって、父親の後宮の管理などに関わることが多かったビアンカに、父親に対する敬意は少ない。だからこそ、こういう時にもはっきりと言い捨てることが出来る。

魔王や魔女大公のことも良く覚えているビアンカは、呼び出されて参上した瞬間に目に入った父の姿から、しかと感じ取った懐かしい気配に、自分達ではどうしようもないと理解していた。アルスにそれぞれ認められているとはいえ、それぞれ爵位を持ったりしていても、魔王や大公位の成した事を相手に何が出来るというのか。弟妹達に代わってビアンカは、はっきりと父親に無理なものは無理だと伝えた。


「先程の話では、ムウロがディアナ様に再会出来たとか。ならば、ディアナ様にお聞きになったら、どうです?ある意味では、陛下や『魔女大公』様に一番近しいのはディアナ様ですもの。」


「あぁ、でも。その前に、羊人村の件の事で『毒喰大公』にお会いになられるのですよね。同格の方なら何かお分かりになるのでは?」


アルスとて、子供らに言ってもどうしようも無いことは分かっていた。ただ、遠い昔に姿を消した、懐かしくて堪らない気配を自分の体から感じ取り、何処か寂しさを覚えたのだ。それぞれに気に入っている子供らを集めたのは、寂しさを紛らわせたかったというものが大きい。

なのに、此処まで冷たくされるとは…。

アルスは、これが反抗期か、とヘクスが呼んでいた教育書を垣間見て覚えた見当違いな知識を思い起こし、広間から下がっていく子供等の背中を見送っていた。


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