恋する乙女
「あんたかぁ!」
「えっええ」
手に持った木刀を揺ら揺らと揺らし、少し大きな鍋は少女の頭を覆っている。逆さとなった鍋の影から覗く茶色の目が鋭く爛々と光り、今にも襲い掛かってきそうな気迫を放っている。
その目に真っ直ぐに射抜かれているシエルは無意識のまま後退りしていた。
シエルの目には、羊人族の少女の背後に、荒い鼻息を吐き、前足を踏み轟かせる目を爛々を輝かせた羊の姿が浮かび上がって見えていた。
「これ、ルシア。」
ズンズンという音が聞こえてきそうな歩みで、シエルへと近づいてくる少女。そんな彼女とシエルの間に、長老ベルキュリオがシエルに背を向けて割り込んだ。
ルシア。ベルキュリオが嗜めるようと口にした名前に、少女は渋々と言った様子で足を止めた。
「邪魔しないでよ、おじいちゃん。人の婚約者をたぶらかした女に一矢報いなきゃ女が廃るんだからぁ!!」
進行方向に割り込んだベルキュリオに向かってシエルから逸らされたルシアという少女の視線も、またすぐに怒りや憎しみといった強い意思を孕んでシエルへと戻される。
「た、たぶらかした?」
「すごい勘違いだね。」
これはもしや、シエルが届けられた花嫁だと勘違いされているのだろうか。
シエルもムウロも、そんな考えに辿り着いて、お互いに顔を見合わせていた。
「何を勘違いしておる!」
「勘違い?勘違いなんてしてないわよ。大公様の魔道具にフルルが依頼した花嫁が来たんでしょ!!?だったら、そいつは私が叩きのめす敵で当ってるじゃない!」
ベルキュリオは必死になって孫娘を止めようと立ちはだかり説明しようとしているが、怒りに我を忘れているルシアは聞く耳を持ってはいなかった。
大柄な自分の半分以下しか無い小柄な祖父をヒョイッと横にどかせ、ルシアはシエルに向かって再び足を踏み出した。
「ち、違うよ。私は…」
「問答無用!潔く私と勝負なさい!」
ルシアが突き出した木刀がシエルの鼻先をかすめた。
シエルが説明しようとしても、ルシアの耳には届いても、頭へは届かないようだ。
「ルシアちゃん。その子は、父上様の魔女だから。怪我なんてさせたら村が大変なことになっちゃうから!」
ルシアが振り上げようとした木刀を手にとってシエルから逸らさせ、暴れようとしたルシアの体を羽交い絞めにして止めたのは、シュラーだった。
「魔女ぉ?」
シュラーに体を持ち上げられて、手足を振り回すしか抵抗出来なくなったルシアは次第に、自由にならないことで落ち着きを取り戻していった。
そして、ようやく耳を通った後に停滞していた情報が頭に届いて処理され始めた。
そして、ルシアが聞き逃していた重要な言葉が浮かび上がり、ルシアは呆然とその言葉を口にする。その顔は、段々と青褪めていった。
「魔女。大公様の…魔女…」
それは村の存亡に関わる言葉だった。
この村と、村に住む羊人族に、庇護を与えて下さっている『銀砕大公』アルスが自分の魔女を害されたとなれば、罪人やそれに関わった者に何をもたらすか、それは想像するしかない。だが、何のお咎めも無いということは無いだろう。そんな甘い方だとは誰も思っていない。
「じゃあ、フルルが呼んだ花嫁は?」
呆然とした顔のまま、ルシアがキョロキョロと周囲を見回した。
だが、ルシアの目は、見知った村人達に、門番らしくない門番、そしシエルとムウロだけだった。ルシアが目の敵にして姿を見せる時を待っていた『花嫁』らしき姿は何処にもなかった。
「『花嫁』としか書いてなかったから、説明を聞こうと思ってきました。」
「えっ?」
シエルの言葉に、ルシアはきょとんと目を見開いて首を傾げた。
「ルシア。もっと考えることを身に付けなさいと、いつも言っているだろう。届け物に『花嫁』とだけ書いて、何処から、どんな『花嫁』を連れて来いと言うんじゃ。」
「あっああああ…。ご、ごめんなさい。」
ようやく頭に届いた祖父の説明。
落ち着きを取り戻したルシアなら、祖父が何を言っているのか理解することも出来た。
先程とは違う意味で、顔を真っ赤に染め上げたルシアがシエルに向かって、勢いよく体を折り曲げて頭を下げた。その勢いで、少しブカついていた頭の鍋が外れ、クァンクァンという甲高い音が辺りに鳴り響いた。
「お、お怒りならば私一人にお願い致します。村は関係ありません!!お願いします!」
どうも、一つの事を考えると突っ走ってしまう癖があるようだ、とムウロは思った。
ボロボロと涙を流し出して頭を下げるルシアに、シエルが手を伸ばして頭を上げさせようと奮闘している。
けれど、シエルよりも大きなルシアが頑なに頭を上げようとはせず、ますます足腰に力を入れて踏ん張って、より一層頭を下げようとされては、シエルにはどうしようも無い。
「どうぞ好きにして下さい!」
困り果てたシエルがムウロを振り返って、助けを求めた。
「婚約者がいるのに、このフルルっていう男は花嫁を届けさせようとしていたのか。」
こういう相手には話を逸らしてしまうのが一番。
そう考えたムウロは、助けを求めるシエルの為に、ルシアの気を引けるだろう言葉を口にした。
「依頼は無かったことにして下さい!」
ムウロの目論見通り、ルシアは下げていた頭をガバッと上げて、ムウロとシエルの顔を交互に見ながら、頼みを口にする。
「これっ、ルシア!他人の成した取引に口を出すんじゃない!」
「他人じゃないわよ!婚約者だもの!」
「親同士の口約束ではないか!正式なものでは無かろう!」
孫娘と祖父が睨みあう。
「えっと…」
「ルシアちゃんはフルルにベタ惚れなんだよ。」
詳しく聞きたいと思うものの、口を挟んでいいものかと躊躇っていたシエルの横にシュラーが立った。その反対側に立つムウロに、シエルの頭上を通して鋭い目を向けられるが、見ないふりを通してシュラーは笑顔を保っていた。
「親同士の口約束で冗談交じりで言っていた婚約者っていう言葉を信じちゃうくらいフルルの事が好きでね、フルルが父上様の魔道具が来た途端に書いた『花嫁』っていう言葉で、頭に血が上っちゃってさぁ…」
見つかったら怖いから、フルルは会わないように隠れているんだ。
ニコヤカにシエルへと教えるシュラーにムウロの鉄拳が飛んだ。
「村の外に居る筈の門番が、どうして村の中のことをそんなに細かく知ってるんだろうね?」
「ちょっとした休憩時間があっただけだよ。別に村の中に入り浸ってた訳じゃないよ?」
必死に言い訳を口にするシュラーだったが、その目は分かりやすく揺り動いていた。
「そうか、入り浸っていたんだな。」
シュラーの言い訳が嘘だと決めたムウロは、すぐにでも兄に報告してやろうと笑みを浮かべた。
「じゃあ、フルルさんには会えないのかな?」
隠れているし、会いたくない相手であるルシアが居るこの場に来るとは思えない。
「ううん。今に来るよ。誰かが呼びに行っているだろうし。」
そうだよね。とシュラーが村人達の固まりの中に問い掛ければ、あぁそうだ、という返事があがった。
「嫌でも出てくるよ。初恋で想い続けている人と結婚する為だもん。」




