村の門番
第二階層にある羊人の村の入り口近くへと、シエルとムウロは降り立った。
冒険がしたいと思っているシエルには、転移の術を使っての移動は何だか物足りなさを感じるものだったが、依頼に書かれているモノがモノだけに、早く説明を聞いて届けなければ間に合わない可能性もあるよとムウロに説明されれば、頷いて納得するしかなかった。
ムウロがしっかりと気づいてしまった、シエルが秘かに望んでいるような数国の国境を渡って帝国に入って『銀砕の迷宮』の入り口からきちんと入るという方法では何が起こるか分かったものではないという、ムウロの胃を守る為という事情に気づくことは無かった。
シエルは、ムウロにしてもらった説明の通り羊人が敵を恐れる臆病な人達であることは、降り立ってすぐに理解出来た。
太くシエルの頭を直角に見上げさせなければ頂上が見えない木の棒を使って組まれ柵が長々と続いて村を囲み、村へと出入りする為には頑丈で大きな木の扉を開けてもらわなければならないようになっていた。
だが、その組まれている柵には、シエルなら体を横向きにしてしまえば潜れそうな隙間があり、こんなんで大丈夫なのかなとシエルに思わせた。
シエルは、それについてムウロに問おうと目を向けた。
「あぁ、それは大丈夫なような仕組みがあってね。」
朗らかな声で答えるムウロだったが、その目は羊人の村へと続く大きな木の扉へと向いていた。
いや、ムウロの視線は"扉へ"というよりは、その扉の前の地面に居る存在へと向かっていた。
シエルも柵に空いた隙間と同じくらいに気になっていた存在だった為、あれは?、と冷めた目でジッと見ているムウロに問い掛けた。
「あれはね、ゴミだから。待っててね、今片付けて道を空けるよ。」
木で造られた頑丈で大きくそびえる両開きの扉の前に居る存在。
それは、お腹を空へと向けて全身を伸ばして気持ち良さそうな寝息を立てている黒色の巨大な狼。反るように伸びた頭とフリフリと振られている尻尾の根元までで、シエルが5人6人が腕を伸ばしてやっと到達する程の横幅がある扉を塞いでいる。
よく見れば、反られて見えにくくなっている狼の鼻からは丸く膨らむ、いわゆる鼻ちょうちんが見え隠れしていた。
あまりに暢気な光景に、小さな鳥達でさえ警戒心を発揮することなく揺れる狼のお腹の上で羽根を休めている。
「やっぱりゴミは焼却処分が一番だよね。」
ニコヤカに言い放つムウロの笑顔に凄みが生まれている。
前へ突き出されたムウロの腕に、炎が生まれて渦巻き始めた。
「あの人、魔狼だよね。知ってる人なんだよね?」
ムウロが攻撃を加えようとしているというのに、眠りが深いのか狼は起き様という気配さえも無い。シエルが慌てて止めようとムウロに声を掛けて炎を纏っていない方の腕の袖を引いた。だが、そんなシエルへと顔を向けて笑いかけていながら、その腕からは炎を放ってしまっていた。
クオー スピー
ムウロから放たれた炎は暢気な寝息を立てている狼の機嫌良く動く尻尾に向かって、蛇のように宙を駆けていった。
フサフサの、地面の上をパタパタと動く尻尾には落葉や砂などが付き汚れている。
そんな尻尾の一番端の毛に、炎の蛇は喰らいついた。
ジリ、チリチリ、ボゥボゥ
段々と尻尾の根元へ向かって炎は勢いを上げて昇っていく。
だが、その時点でまだ、狼は起きる気配は無かった。
尻尾といえば、身は確かにある筈だというのに、チチチッと鋭く五月蝿い鳴き声を上げて鳥達が飛んでいっても、狼は起きない。
「尻尾って、ちゃんと身があるよね?」
すでに、焚き火よりも大きな炎が尻尾の三分の二程まで昇っていた。だというのに起きない狼の様子に、シエルは自分でも可笑しな質問だと分かっている事を聞いていた。
「身はあるけど、痛みを感じる頭が無いからね。」
シエルにとっては珍しい、辛辣な口調でムウロは暢気に眠る狼を鼻で笑い飛ばした。
狼が目を覚ましたのは、炎が黒い尻尾をますます真っ黒になるよう焦がして、お尻へと辿り着いた頃。
まず、鼻ちょうちんが弾け、寝息が止まり、ゆっくりと頭を持ち上げた狼。
寝返りをして、ぐるりと砂に汚れた背中を見せた。
そして、ただの人間、よりも鈍いシエルにも感じ取れる強烈な焦げ臭い匂いが鼻に付いたのか、クンクンと鼻を動かした。
次に、頭を左右にキョロキョロと振り、右を見て、左を見て、正面を向いて、という行動を三回程繰り返した後、ようやく狼は首を大きく限界まで背中へと向けた。
だが、その後も長かった。
パチパチと瞬きを繰り返し、一度首を下に戻して正面を向き、再び背中へと首を回す。
そうして、ようやく自分のお尻から真っ赤な火と黒い煙が上がっていることが頭へと入ったようだった。
「鈍い!!」
生物として大丈夫かという鈍さに、シエルは思わず声を出して驚いていた。
あまりに暢気な光景と種族として許せない間抜けな姿に苛立ち、火を付けてしまった張本人のムウロも、馬鹿馬鹿しくなってしまう程の鈍さに頭が一気に冷え、溜息をついていた。
キューン キューン
狼は自分のお尻で轟々と燃える炎を消そうとしているのか、グルグルと体を丸めて炎を追いかけ始めた。
ようやく痛みや熱さを感じているのか、目には涙が溢れ、仔犬のようなか細い泣き声を喉で鳴らしている。
だが、どう考えても一生追いつけないだろうお尻を追いかける姿が間抜け過ぎて、悲壮な光景というよりも、笑い話の一面のようになっていた。
何回も何回もまわり続けた狼がピタリと動きを止めたのは、駆け回ることで炎に勢いが増して焦げた匂いがキツクなった頃。狼の涙に溢れる目が何かしらの拍子にムウロとシエルの姿を映し出したからだった。
ピタリと動きを止めた狼の顔は二人へと完全に向けられ、そして二人に向かって駆け出していた。
「兄ちゃん、兄ちゃん、にいちゃぁぁぁん」
ドタドタという巨体が奏でる荒々しい足音や勢いがある炎から聞こえる音の中で、かすかに聞こえたのは助けを求めるような声。
「ムウさんの、弟?」
明らかに狼はムウロを見つめて走り寄ってきていた。
情けない顔に涙を流して駆け寄ってくる狼の姿は、間抜けで情けない様相ではあったが、その体の大きさだけでも威圧感がある。
このまま進み続ければ、シエルやムウロを踏み潰してしまいかねない。
シエルは思わず、ムウロの背中に隠れ、その服へとしがみ付いていた。
ムウロは溜息を再び吐き出し、腕を振るう。
そうした直後に、狼の上に水球が生まれたと思えば、それが弾けて狼の体を隈なく濡らしつくしていた。
炎はあっさりと消え、残ったのは焦げ臭い匂いとお尻を地面に付け、後ろ足の間から伸ばして顔へと近づけた自分の焦げた尻尾をペロペロ舐めながら惚けている狼の姿だった。
「羊人は魔族にも人間にも狙われていたって教えたよね。」
「う、うん。」
「だから、本当なら迷宮でも下の階層に住んだ方が安全なんだけど、彼等は弱いから地面に近い階層に暮らすしかない。でも、それだと色々と狙われやすい。ということで、父上が羊人の村を護る為に寄越したのが、あれなんだ。」
ムウロは、狼を指差してシエルへと説明した。
「…大丈夫、に見えないよ?」
先程見た、あまりにも情けなく鈍い姿に、それで護る事なんて出来るのかとシエルでさえ思ってしまう。
「呼び鈴くらいの役には立つでしょ?」
「兄ちゃん、酷い!!!」
まったく戦力としては期待していない、とはっきりと言うムウロに、正気に戻ったらしい狼が叫び声を上げた。




