王妃の見た未来と今
一目見た瞬間、息が、いや心臓が止まるほどの衝撃を感じた。そして、ふわりととある確信が天啓のように舞い降りた。
ああ、―――この子は、素晴らしい王妃になる。
※ ※
私はこの国の王妃だ。実家の力。美貌。教養。それらを万遍なく持ち合わせ総合的な能力ならかなり高いと言える。だけど、勿論それだけが理由ではない。
建国当初からある私の家は、それなりの歴史があるもので。
私の家の初代は星読み、先読みの才のあった一人の女性だったらしい。血が薄れるにつれ、その才は消えてしまった……かに思われた。その時、生まれたのが私という存在。
私には初代には及ばないものの少し先読みの才がある。それを政治に生かせないかと言うことで私が選ばれたのだ。
しかし、残念ながら、今まで役に立ったことはない。
そう今までは。
今日、この瞬間。初めてこの先読みが役に立った。
街を散策しているとき、何かの本能に引きずられるように顔がそちらに向いたのだ。
電流が走ったのかと思った。
その少女を目に入れたとたん、そのくらいの衝撃を感じた。手を当てていなくとも分かるほど心臓が鳴っている。
まだ幼さの残る顔立ち。曇り無き青い瞳は大きく、それを覆う睫毛は長い。ふわふわのプラチナブロンドの髪。桃色の唇。
―――この子こそ、王妃だ。
私ではなく、この子こそ。民に愛され、王に愛される素晴らしい王妃になる。
すとんと胸に落ちた確信はすでに揺るぎないものになっていた。
視界が二重にぶれる。星読みの前触れ。
少女の少し成長した後の明確な映像が浮かんだ。
愛らしい顔立ちから美しくなった彼女がバルコニーから民に向けて手を振っている。民の王妃! という声。背後には赤く国紋の入った王のガウンが見える。愛おしそうに彼女の肩に添えられた手が愛情の深さを表していた。
先読みの才のある私に限りこれは妄想ではない。
ここまで、明確に未来か見えたのは初めてだけれど。
その未来を見て思った。この子になら王妃の座を譲り渡せると。
私と私の愛する旦那様、国王陛下との間には二年たっても子を成す気配はない。そもそもそう言った関係にないのだから当たり前だけれど。
私は世継ぎのことで貴族達に散々言われた。なぜか彼らは陛下ではなく私に言ってくるのだ。
是非我が娘を側妃に、と。
散々拒否してきた。私は例えこれが政略結婚で陛下に気持ちはないのだとしても、彼を愛していたから。
けれど今はあの肩に掛かる手にさえ込められた愛情を視てしまった。顔まで確認することは出来なかったけれど、きっととろけるような笑みを浮かべていたのでしょう。感覚で分かってしまう。
どう、拒否しろと言うの。私には一生得られることのない愛情が深く深く表されているというのに。
私は彼が好きだ。愛している。だから、私は彼に幸せになってほしい。願わくば、私の手で。
以前はそう思っていた。けれど、高慢な願いだったのね。彼を幸せにするのは私ではなくあの子なのだから。
ならば。
私はこの想いを封印しよう。彼が愛するあの子を王妃にしてあげよう。
私は少女の名前を聞き出すと、決意を込めて歩き出した。
※※
侍女も下がらせた夜更け。トントンと扉を叩くものが居た。
誰だろう。
王妃位を譲り渡す書類を書いていた私は手を止めてガウンを羽織って扉をあけた。
「あら、陛下」
そこにいたのは国王陛下だった。
彼は遠征に行っていたから会うのは一ヶ月ぶり。相も変わらず美しい容姿。その麗しきかんばせの中央にある冷たいとも感じさせるアイスブルーの瞳が無表情に私を見つめていた。
「中へどうぞ?」
「……ああ」
どうして先に伝言してくれなかったのだろう? 侍女は下がらせてしまったのでもてなすことができない。
とりあえずは酒を用意して陛下の正面に座った。
「私が此処に来た理由は分かっているな?」
「はい。王妃のお話ですわね」
確か遠征から帰ったのは今日だったはず。こんな早くに来るなんて予期していなかったけれど話すことならその話でしょう。
「君が選定した王妃候補に会った」
「とても愛らしい少女だったでしょう?」
「ああ。確かに愛らしかった」
……まぁ。
呟きかけた声はしまい、穏やかに微笑んでみせる。
陛下はあまり女性の容姿を褒めたりなさらない。なのに、愛らしいと評価した。やはり、陛下も一目で惚れてしまったようだ。でもそれも無理はない。彼女の愛らしさは王宮にいるどの女性でも勝てないほどなのだから。
さぁ、それで。彼は私になんと別れを告げるのだろう?
不思議なほど静かな心で返事を待つ。
開けていた窓からふわりと風が夜の空気を運んできた。
「……もう夜も遅いが、君は起きていたんだな。寝ていると思っていた」
これは、これから告げる事実の緩衝材の会話だ。けれどそんな気遣いは必要ない。私はにっこりと微笑み話を戻す。
「ええ。あの子を王妃にするための書類を作っていたのですわ」
「どこに?」
「その机の上に」
陛下は頷くと立ち上がり、書きかけの書類を手を持った。よほどあの子が王妃になることを実感したいよう。だったら、早くそう言えばいいのに。この書類を申請した時点で覚悟なら出来ている。
「ほとんど揃っているんだな」
「ええ」
悲しみで歪みそうになる顔を見られないように背を向けたまま答える。どうか。早く決定的な言葉を告げて欲しい。楽に、させて欲しい。
そうか、と陛下は平坦な声でつぶやく。
「だが、これは必要ないな」
ビリッと紙を裂く音が聞こえた。
……は?
嫌な予感に振り返る。陛下の手にはもともとは一つだったはずの紙切れが二つ。
「ああああっ!!」
面倒な手順を踏んで、一ヶ月かかってやっと作成した書類が!
衝撃のあまり固まっていると陛下に手を引かれ、隣に座らされた。はっと我に返る。
「な、なにをなさるんですか……?」
「隣はいやだったか」
「誰かそんな話をしていますか! 書類を破るなんて何をお考えなのです!」
いろんな所を一生懸命回って作ったのに! どれだけ私が胸の痛みを押さえて苦労したかと。
そう睨みつけると、アイスブルーの瞳とかち合った。
すぅ、と細められた瞳の奥に見え隠れする感情は……紛れもない怒りだった。なぜ、陛下が怒るのだろう。
頬に彼の手が触れる。
「それは私の台詞だ。何を考えて、こんな馬鹿な事を?」
馬鹿って。反論しようとすると無言の威圧がかかってきた。……怖い。
「あ、あの。陛下の判断も仰がずに勝手な事をしてしまって申し訳ありません」
あまりの距離に身をそらすがいつの間にか腰に回っていた腕がそれを許さない。何故怒っているのか分からないが理由を話すまで解放してくれそうにない。
距離の近さに早鳴りし出す心音を感じながら口を開いた。
「先読みで視えましたの。美しく成長した彼女が王宮のバルコニーから手を振る姿が」
「それで、どうして王妃だと?」
「民が王妃! と言っておりました。それに……その陛下が彼女の肩に手を置き愛情を示しておりまして」
陛下はアイスブルーの瞳を見開かせて驚いた。
「は? それは本当に私だったのか」
「ええ。王のガウンを羽織っておりましたもの」
はぁぁと長い溜め息をつかれた。あれ? 信用されていない? いや、陛下が私の先読みの才を買って王妃にしてくれたので、そんなことはないはず……。
「もう一度聞く。それは本当に私だったのか? 顔はみたのか?」
「か、おは見ておりません」
なんだかこうもきかれると自信がなくなってくる……。だけど、王のガウンを羽織ってるのは陛下以外はいない。
なのに、
「ならば、断言しよう。それは私ではない」
なぜ。
「……なぜ言い切れますの?」
喉から声を出すということが、こんなにも難しいなんて。上手く絞り出せなかった声はわずかにふるえている。
それに気がついたのかそうでないのか。陛下は相変わらず変わらない表情でつづける。
「年の差があるだろう」
「歴代の王と王妃にはもっと差のある方もいたではありませんか」
「だからと言って年の差があることには変わりないだろう」
「あまり女性の容姿をお褒めにならない陛下もあの少女を愛らしいと言っていたではありませんか! 自分の気持ちに正直になってくださいませ」
「……っ」
確かに年の差が少しあるのだから、躊躇してしまう気持ちも分かる。けれど、心配することは何もない。彼女は民にも認められる王妃になるのだ。
だから、大丈夫。
そう言うと陛下はすっと息を吸った。
「っいい加減にしろ! あれは少女というより赤子だろうが! あれを王妃になど私を変態にするつもりなのか!!」
近い距離で大声を出されたので耳がキーンとした。
……まぁ。陛下、余程ご乱心のよう。
確かにあの少女はまだ二歳。けれど光る素質はある。年で決めるのはよくないと思うのです。
「先読みで……私の手はみたんだよな?」
「ええ、ばっちりと」
「皺はあったか?」
「……え?」
皺?
「ああ。私ももう三十を過ぎて何年かたつ。彼女が成長するときには少しは皺がついているのではないか?」
私がみたのは、いつも通りの逞しい手。むしろ瑞々しく……って、え?
「だいたい君が視た未来は子供の相手じゃないのか?」
「あ」
…………わ、わぁ。私ったらとんだ勘違いを。
じっとりとこちらを見つめる陛下の目はとても冷たい。居たたまれなくなった私は素直に頭を下げることにした。
「申し訳ありません。私、勘違いしていたみたいです」
「やっと分かってくれたか……」
再び陛下からはぁぁと長い長いため息が漏れた。うう、申し訳ありません。
疲れた様子だったので背中を撫でて差し上げた。しばらく頭を抱えていた陛下だが、短い息を吐くと、顔を上げた。
「私も悪いのかもしれないな。そう言えば、言ってなかった」
陛下ががしりと私の手を掴んだ。もともと近かった距離が更に詰まる。瞳に妖しい光が灯った。壮絶な色気を漂わせた国王様は婉然と微笑む。
「君を愛している」
…………え?
「愛情表現がたりなかったのだな。すまない。これからはしっかりと、余すことなく、伝えよう」
呆然としていると膝がすくい上げられ―――……暗転。
四ヶ月後、私の妊娠が発覚した。
お読み下さりありがとうございました(^^)