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夢牢   作者: 伝次郎
7/9

その七


           (七)



「――どこに行くのだ」

 どこからともなく、声が聞こえて来た。

「そんなことお前に関係ないだろ」

 と、恭次はぶっきらぼうに答える。

「身体は傷だらけだし、心もすでにボロボロ。大事なおチンチンもなくなったというのに、今さら行く場所もあるまい」

 そう言って、その声は嘲笑った。

「余計なお世話だ。俺に構わないでくれ!」

 と、恭次は怒鳴った。「どうせお前は――」

 その声を振り切るように、恭次はゆっくりとした足取りで歩き出した。

 あの声である。神様だとか閻魔だとか、わけの分からんことを言う、あいつ。

 どっちだっていい。後はなるようにしかならない。

 かといって、どこに行けばいいのだろう。

 この街は本物のゴーストタウンであって、たとえ人物が現れたとしても、それは恭次を苦痛の世界へと誘う輩でしかないのだ。

 歩くしかない。恭次にはそれしか選択肢がなかった。

 繁華街の中心であろう、スクランブル交差点に差し掛かって、恭次は足を止めた。歩行者用信号が点滅して「赤」に変わったからだ。

 恭次は苦笑した。立ち止まる必要などないのだ。

 車も走っていなければ、バイクや自転車も通らない。動くものといえば、恭次が犯した罪悪に関するものばかりなのだ。

 何もない世界であったとしても、安全な場所などないのだろう。どこに行っても地獄の実演が待っているに違いない。だったら、もう開き直るしかない。

 赤信号を無視して、静まり返ったスクランブル交差点を渡り始める。その中間地点まで来て、恭次はまた立ち止まった。

 もし車が来たら、撥ねられるだろうか。いや、いっそのこと、撥ねられた方が気が楽だ、とさえ思っていたのだ。

 すると――遠くからエンジン音が聞こえて来て、恭次はその方向を振り返った。

 まさか……。一直線に延びた道路の向こうから、一台の車が猛然としたスピードで走り寄って来る。真っすぐ走り過ぎたら、間違いなく恭次は宙に浮くだろう。

 怖い、という感情は、全くなかった。むしろ歓迎しているようでもあった。

 小さく見えていた車が、どんどん大きく成長して行く。いくつかの信号を走り過ぎ、あっという間に車は目前に迫って来る。

 しかし……。悪いことは存分にやって来たが、車で人を撥ねたことなど、恭次は経験がなかった。それでも俺は、こんな場所で「事故」に遭ってしまうのだろうか。

 アクセルを踏み込む音を聞いた。そして運転席に誰も乗っていない無人の車が、目の前に差し掛かった。

 来い……と、恭次は歯を食いしばった。

 衝撃――ではない。肩をポンと叩かれて、固く閉じていた目を少しずつ開けてみると……。

「目を閉じてたら、何も見えないだろ」

 と、正面に立っている男が言った。「自分の人生、ちゃんと見届けろ」

 恭次は男の顔を見て、呆然と立ち尽くした。

 撥ねられるはずだった車は、どこにも見当たらない。消えてしまったのか、それとも最初から幻を見ていたのか。

 いや、そんなことはどうだっていい。不思議な世界だと分かっているからこそ、突然現れた男を見て、恭次はためらっていたのだ。

「お前は誰だ……。こんなばかなことがあるか!」

 と、恭次は怒鳴った。

「驚くのも無理はない。しかし、あまりにも哀れで見ていられなかったんだ」

「さっきの車に乗って来たのか」

「車に? ふむ、車だったかもしれんな」

 と、その男は言った。「しかし気づいていたかもしれんが、俺はお前のそばから離れたことはない。ずっと一緒にいたはずだ。――さて、これからが大事なシーンだぞ」

「大事なシーンとは何だ。これからどうなるのか、お前が知っているはずないじゃないか。違うか」

「知ってるよ。何もかもね」

 と、男は笑いをこらえている。「だって、すべて自分がやって来たことなんだから」

 恭次はその顔をじっと見つめた。

 もちろん知っている男だった。知り過ぎて、飽きるほど見続けて来た男なのだ。

 どういうことだろう。この男の存在に、どんな意味があるというのか。

「――お前は誰だ」

 恭次はもう一度訊いてみた。

「お前の神様だ」

 と、男は答えた。「――いや、閻魔の使いだったかな」

 男の顔が、愉しげに破顔した。

 やはりそうだったんだ、と恭次は小さく呟いた。どこかで聞いたことがある、と思っていたこの声、聞き間違えるはずがない。

 四十数年間も聞いて来た――というより、自分の身体に振動していた声なのだから。

「どうしてここにいる。俺たち二人が一緒にいたらまずいだろ」

 恭次は言った。

「生きている世界だったらね」

「ここならいいのか?」

「仕方ないさ。夢の牢獄を彷徨ってるんだ。お互いに助け合わないと」

「夢の……牢獄?」

「ああ、とてつもなく広くて、際限のない牢獄。もちろん夢かもしれんが、そこにいるお前は現実のものだ」

 男の声は淡々としていた。

「どういうことだ。お前が何を知っているというんだ!」

 そう言いながら、恭次は男の胸倉に掴みかかった。

 男は怯むでもなく、笑みすら浮かべている。

「やめろ。自分の身体に傷をつけるだけだぜ」

 と、男は言った。「この身体だって、お前のものなんだから」

 分かっている。言われなくても、見ただけで充分だ。

 男の姿が、恭次自身であることぐらいは……。

 恭次は鏡でも見ているような気分で、その男に言った。

「どうしてここにいるんだ」

「それは自分がよく知っているだろう。俺はお前なんだから」

 男はちょっと笑ってから、「今から二人で――いや、一人で、と言うべきかな、反省会でもしてみないか」

 と、恭次の肩に手をかけて来た。

 感触があった。不思議な世界に迷い込んで、初めて感じた人の温もりだった。たとえそれが自分の体温だったとしても、懐かしいような、嬉しいような、「生命」を感じた瞬間でもあった。

 男が歩き出す。恭次もちょっと遅れて歩き出した。

 閑散とした街を、二人の男が歩いていた。

 もし誰かがその場面を見ていたとしたら、一人の男が歩いている光景にしか見えなかったかもしれない……。


 



 いいかげんに休もうぜ。夢の世界かもしれないが、いつまでも歩いていたら、疲れる、ってもんだぜ。

 

 情けないこと言うなよ。運動不足じゃないのか?


 四十をとうに過ぎてるんだ。無理な運動は禁物だ。


 ふん、年齢のせいにするのはジイさんの言うことだ。


 それだけじゃない。俺はあちこち怪我してるんだ。生き埋めにされて喉を一突きにされるし、大事な「息子」はちょん切られるし、とんでもない目に遭ってるんだぞ。ピンピンしてろ、って方が無理なんじゃないのか。


 そうかな。俺は何ともないんだけどね。

 

 お前は俺なんだろ? だったら痛みも同じじゃないか。


 おっと、何もかも同類にしてもらったら困るな。同じ肉体であっても、人間というものは、天使と悪魔を共存させているものなんだ。つまり善と悪。しかし、生きているときの「善」は陰の存在であって、「悪」の方がのさばり放題。特に「田所恭次」という男は、ほとんどが悪の塊りみたいな奴だからな。「善」の部分があっても、なかなか誰も気づいちゃくれない。哀しいもんだよ……。


 自分のことをよくそんな風に言えるな。俺もお前も同じだろ。

 

 そこが違うんだよな。同じ「田所恭次」でも、ここにいる二人は全く別者なんだ。


 どういうことだ。さっぱり分からないじゃないか。


 つまり、この世界では「善」と「悪」が別々の身体に別れた、ってことだよ。


 それじゃ……俺は「善」の方なのか?


 ふざけるな! お前ほど悪い人間が他にいるものか。


 どうしてそんなことが言える。


 いいか、よく考えてみろ。お前はこの世界に迷い込んで、どんな目に遭って来た。すべて自分がやって来たことを思い出させるような事ばかりじゃないか。だからな、「悪」であるお前が、地獄の入り口を見て来た事になるんだよ。


 まて、俺が手を下したわけじゃない。


 直接ではなくても、お前がやらせたんだ。罪を償うのは、お前だ。


 そうか……。だったら訊くが、そっちは「善」なんだろ。俺が痛い目に遭っている間、お前は何をしていた。


 だから何度も言ったはずだ。俺はお前の神様なんだよ、この世界ではね。


 ふん、閻魔の使いじゃなかったのか。


 何とでも言え。とにかく俺は、お前が地獄へ連れて行かれないように、善良だった「田所恭次」をアピールしていたんだ。少しでも罪が軽くなるようにね。


 誰にアピールするんだよ。本当に神様がいるとでも言うのか。


 ああ、いたね。俺もびっくりしたよ。まさかあんなところに神様がいるとは。


 ふん、ぜひお会いしたいもんだね。その「神様」とやらに。


 ――会わせてやろうか?


 そんな事ができるのか。


 簡単だよ。ただし、これだけは言っておく。田所恭次がこれからどうなるのか、すべてはその神様に委ねられている。地獄へ堕ちるか、天国へ導かれるのか。それとも――死を回避して、生き返る事ができるのか。お前には何も言うことはできないし、神様の判決をただ黙って待つことしかできない。もちろん結果がどうであれ、恨むのは自分自身だ。それでも会いたいというのなら、何とかしてやってもいい。――ほら、今ごろすぐ近くまで来ているはずだぜ。


 近くに? ――どこにもいないじゃないか。


 ここではない。死にかけた肉体の近くだ。


 どうやって会わせてくれるんだよ。


 そうだな……。あ、あれがいい。あのビルを見てみろ。街頭CM用の大型テレビがあるだろ。あそこに映してやるよ。


 テレビに? そんなことができるのか。


 前にも見たことあるだろう。あの薄暗い取調室や、ホテルでの大型テレビ。ベッドで寝ている自分の姿を見なかったか。


 ああ、確かに見たよ。しかしあれは、何だったんだ……。


 あれが現実の、お前の姿だ。そして今から映し出す映像も、お前自身の現実だ。


 誰が映してるんだよ。カメラがあるのか? 映し出すための機械があるのか? お前がリモコンでも握っているというのか?


 映しているのも、見ているのも、田所恭次、お前だ。すべてが自分のことなんだ。――さあ、始まるぞ。テレビを見てみろ。


 わけの分からんことを……あっ、あれは何だ! あそこに映っているのは、俺……なのか?


 どうだ、鮮明な映像だろう。


 ああ……。まるで現実の世界を見ているようだ。

 

 現実なんだよ。田所恭次が「田所恭次」を見ているんだ。今は遠くからだけどな。


 容態はどうなんだ。まだ生きているんだよな。


 かろうじて生きている、ってとこだな。酸素マスクや点滴が繋いであるだろう。いつ死んでもおかしくない状態らしいが、あとは本人の生命力と気力しだいだそうだ。奇跡的に助かることもあるらしい。つまり、神様の判断に任せるしかないんだよ。


 だからその神様はどこにいるんだよ!


 もっと近くで見てみるか?


 どういうことだ。まさか……。


 今、俺たちは、肉体を離れている。身体は生きているが、その魂はこうして別のところにある。だから、元の場所に帰ってみる、ってのはどうだ。


 そんなことができるのか?


 神様の顔も見たいだろ。――それじゃ、行くぞ!


 ま、待て……何をするんだ!


 お前と俺が合体しなきゃいけないんだ。さあ、俺に抱きつけ!


 吸い込むな……吸い込むな……ああっ!



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