鳥かごのうた
鳥かごが、大きくなっただけだ。私は変わらず閉じ込められて飼われていて、自由にはなれない。けれどそれが何だというのだろう?そんなことは誰もが同じだ。立場だとかしがらみだとか、名前は何であれ、生きる範囲を定められているのは、変わらない。
最初は、部屋だった。寝台と文机と、他には何もない部屋で、囀り歌っていた。次に国が倒れて、しばらくは寝台が鳥かごだった。微睡む以外の時を、歌って過ごした。鎮魂歌、だったのだろうか。その意図は特になかったが、私を鳥かごから一度も出さなかったあのような親であっても、悼む気持ちはないではないから、その魂が安らかであるならいい。
寝台から出されて、生まれて初めて扉を出ることを許されて、次に城が鳥かごになった。地に咲く花を初めて見たのは、城の中庭でのことだったか。活けられているのでない花とは、翌日も翌々日も萎れたりせずむしろより生き生きとするものだと、深い感動を覚えたのだった。そして、そう、それからすぐに、城門を越えた。その先にあるものがつまり民の生活なのだと、初めて目の当たりにして、そう、だから、それから、私は国を民を私の鳥かごとしようと決めたのではなかったか。
かつて私は姫と呼ばれた。鳥かごの姫君だった。父王が何を思って私を閉じ込めたのかは知らない。ただ、日々囀るだけの私は無能の姫君だった。
国が倒れて私はやはり姫だった。亡国の姫君だった。亡き人たちを想ったわけでもないのだけれど、偲ぶ歌を歌っているのだと言われた私は鎮魂の姫君だった。
そして、国を滅ぼしたあのかたが私を伴侶にと望んでくださった。けれども自分は王にはならぬとおっしゃった、だから私は女王となった。あのかたの執着するような愛は恐ろしかったのだけれど、逃れられるわけもなくて、歌っていたらそれを愛と認識されて私は愛を歌う女王となった。
私は私の鳥かごを選んだ。この国を私の鳥かごとした。そこから出る意図はなく、ただ歌っていることを許されているのなら構わない。私は歌い続ける、羽をもがれても。私は歌い続ける、命のある限り。
私は私の鳥かごを離れない。この国に民に縛られ続ける。あのかたの腕でも構わない。歌う私を許してくれさえするのなら。
そうだから私の治世は、それは鳥かごのうた。