2.わずらう調合師 (1)
「この通りです! どうか! お願いします、先生!」
テーブルに額を擦りつけて懇願する青年の後頭部を見下ろして、パルメは無言で足を組み替えた。重心のずれに合わせて、木製の椅子が僅かに軋む。
肘掛けに体重を預けたパルメは、明後日の方向へ視線を向けた。壁を隙間なく埋める棚の一つが視界に入る。個性的な形の植物が植えられた鉢や、小型動物の死骸を保存用の液体と一緒に瓶詰めしたものがずらりと並んでいた。他の棚も似たようなもので、客を通すには少々居心地の悪いところだ。
「そんなに頭を下げられてもねぇ……」
目の前に座るこの若者は、薬師としてのパルメの腕を耳にして、遠路はるばるやってきたのだという。病で寝たきりの妹さんを治す薬を調合してほしいのだそうだ。
使い込まれ、艶の出た丸テーブルには、青年の頭と両の手。それと、粗末な格好の彼に不釣合いなほどの大金が乗っていた。
「あんたが欲しがってる薬を用意するのは、難しくないよ。金もそこに乗っかってる分でそこそこの量が買える」
「本当ですか!」
顔を上げた若者は、希望に瞳を輝かせた。しかし、パルメは相変わらず冷めた態度を崩さない。女の小指のように細いキセルを指先で小さく揺らし、淡々と告げる。
「だけどね、アレが欲しいってくらいだ。妹さんの病気は一朝一夕で治るほど軽くないんだろ。違うかい?」
「……仰るとおりです。そこらの町医者には到底治せない、と言われてしまいました」
青年の表情が翳る。パルメは気にせず言葉を継いだ。
「ざっと聞いた限りじゃ、完治には少なくともこの倍は必要になるね。厄介なことに、アレは完治するまで適量を服用し続けないといけないシロモノだ。途中で止めたら意味がない」
「ば、倍ってそんな……!」
顔色を失った若者は、愕然とパルメを見つめる。衝撃的な事実を知って、頭の中がからっぽになってしまったに違いない。
無理もない、とパルメは思った。
青年が貧しい暮らしをしているのは身なりを見れば分かる。テーブルの上の金を工面するのに、並大抵ではない苦労を重ねたことも。
必死でかき集めた大金だろうに、最低でもその倍は必要だと言われて呆然としてしまうのは仕方のないことだろう。
「金が揃ったらまたおいで。そんときは売ったげるよ」
肘掛けに乗せた腕で頬杖をつき、パルメは無情とも思える台詞を青年に向けて放つ。同情的な心の内とは裏腹に、パルメの口調はそっけなかった。しょっちゅうとは言わないまでも、よくあることだからだ。
「お帰りはあちらからどうぞ」
青年の背後にある扉をキセルで指すと、青年はふらりと立ち上がった。パルメに軽く会釈して、覚束ない足取りで部屋の出口へ向かう。
扉の向こうに消える若者を見送って、パルメは気だるげにキセルを銜えた。微かに残った煙を吸い、溜め息とともに言葉を吐き出す。
「は~ぁ、まったく」
果物のような甘い匂いがふわりと散った。
「気分が良いもんじゃないねぇ、やっぱり」
パルメ・サルフィール。
彼女の職業は調合師。医者ではない。
朝早く。
町の人々が朝食を食べているであろう時間帯に、パルメは一軒の店の前にいた。
大通りから二本ほど道を外れたところにある、二階建ての宿だ。二階建て、といってもさほど背が高い建物ではなく、作りも簡素で、どことなくこじんまりした佇まいを感じさせる店である。
飾り気のない木製の扉の上には、『森の木漏れ日亭』と書かれた看板が乗っかっている。
「邪魔するよ」
馴染みの店の扉を開け、慣れた調子で挨拶をしたパルメを出迎えたのは、男性の落ち着いた声だった。
「いらっしゃいませ。珍しいですね。こんなに早くからいらっしゃるなんて」
入り口から見て左手側、カウンターテーブルの向こうで、店の主人がテーブルを拭く手を止めてひょいと眉を上げる。開いているかどうかも見分けられないくらいに細い瞳が、ちょっとだけ開いた。
「ちょいとね、面倒ごとから逃げてきたのさ」
カウンターの向かいの壁に横付けされた幾つかの長テーブルのうち、一番奥のテーブルを選んで腰を下ろし、パルメは店の主人に言葉を返した。
「そうですか。しつこいお客様から逃げていらっしゃったのですね?」
「さすが。耳聡いねぇ」
パルメはなんとも言えない表情をして、懐からキセルを取り出した。キセルを銜えたその口で、軽めの酒の名前を告げる。
「かしこまりました。歩いているだけで耳に入ってくるんですよ。結構、噂になっていますから。……何かお食べになりますか?」
「そうだね。適当に軽いものを頂戴な。それにしても、へぇ? 噂?」
カウンターテーブルに背を向け、壁を占領する酒棚から酒瓶を取り出す店の主人に、パルメはさして興味のなさそうな声をかけた。実際、巷に溢れる有象無象の噂話に興味を持たないパルメにしてみれば、自分に関する噂話も関心の外だ。
店の主人はテーブルの下から出したトレイにコップを乗せ、酒を注ぐ。
「パルメ・サルフィールの美貌に一目惚れした客が、朝な夕なに口説きに行っているとか、あんまりにもすごい技術を目の当たりにした同業者が、やたら熱心に弟子入り志願しているとか。そのような噂です。テオ、いますか?」
酒を注ぎ終わった店の主人は、酒棚の隣、開けっ放しにされた扉の向こうの厨房に呼びかけた。すると、名前を呼ばれた男の子がひょいと顔を出した。10をいくつか過ぎたくらいの、まだ顔立ちの幼い少年だ。
「注文です。パルメさんに軽い食べ物をお願いしますね」
「……」
どこか人形然とした無表情でパルメに会釈し、それから店の主人をもう一度見、少年はこくんと頷いて顔を引っ込めた。
「はっは。事実には掠る気配もなし、ってとこだねぇ」
少年に軽く手を振って応え、パルメは見当外れな噂を笑う。
「食事はもう少しお待ちを。……では、本当のところはどうなんです?」
パルメの前に酒を置いた店の主人が、トレイを小脇に抱えて尋ねる。キセルを中指と薬指で挟んだパルメはさっそく酒を一口呷った。
「面白くもない話さ。雑用でも何でもいいから、薬の代金を前借りさせてくれって頼み込んでくるんだよ。何度も断ってるってのに。懲りない奴だよ」
「なるほど。それで、ここに避難してきたという訳ですか」
「そうさ。いい加減うんざりしてきたからね」
まったく、つまらない話だよ、とパルメはもう一度呟いた。店の主人はパルメの言に同意も、かといって否定もせず、静かにカウンターに戻っていく。
テオと呼ばれた少年が厨房から顔を出し、皿に乗せたパンとベーコンとサラダを店の主人に差し出した。
同時刻。
朝も早くから、仕事に精を出す男たちがいた。石畳の敷かれた道に山と積まれた荷物を、男たちはせっせと荷馬車に運び入れる。
その中には、先日パルメの元を訪れた青年が混じっていた。
「よお、どうだい。調子は? 薬は売ってもらえそうかい」
両肩に荷を担いだ青年に、同僚の男が声をかける。荷を馬車に降ろした青年は額の汗をシャツで拭い、同僚に顔を向けた。
「いやあ、全然っす。とりつく島もないっすよ」
「そうかい。あのパルメ・サルフィールだからなぁ。まあ、血も涙もないってぇ訳じゃないだろうが……。おめぇも大変だな」
同僚に労われ、青年は笑みを返す。
「いえ、薬がある、あいつの病気が治るって分かっただけでも希望が持てるっすよ」
「おお、その調子だ。しっかり稼げよ。……妹さんの病気、治るといいな」
「うっす!」
励ましとともに青年の肩を叩き、仕事に戻る同僚に元気な声を返し、青年は荷物を掴む。
「早くしないと……。待ってろよ、ミイナ」
妹の名を呼ぶ青年の表情に、余裕はなかった。
「ここか……」
『森の木漏れ日亭』の看板を見上げ、トウマは静かに呟いた。どうか薬を売ってくれ、と、パルメに何度となく嘆願している青年である。彼の陳情は目下のところ、まったくと言っていいほど効果を上げていない。おかげで、焦る彼の表情は強張り、緊張のためか汗が浮いていた。
太陽が中天に昇る少し前、掻き分け掻き分け通り抜けてきた大通りも、おおいに活気溢れていた。しかし、流石に通りを二つも外れると、耳に痛いあの喧騒も、遠くに聞こえてしまうようだ。
生唾を飲み込んで、トウマは木目の美しい扉を押し開ける。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた男性の声が、トウマを出迎えた。左手のカウンターテーブルの向こうでグラスを磨いていた男性が、トウマを見てにこりと笑う。
筆で描いたような細い目は柔らかく、トウマの体の強張りを少しだけほぐしてくれた。
トウマの他にもちらほらと客がいた。カウンター席で軽食をつっつく男やテーブルに集まって歓談する女性たち。本業は宿屋だと聞いていたが、昼は食事処にもなるらしい。
「すみません。ちょっといいっすか?」
「はい、なんでしょう?」
カウンターに座るやいなや、注文もせずに切り出したトウマに嫌な顔ひとつせず、店主らしき男性が応じる。
「ここが、パルメ・サルフィールさんの行きつけだって聞いたんすけど……」
おや、という風に、店主の眉がひょこりと上がった。
「確かに、パルメさんにはよくご利用いただいておりますが。詮索ですか? あまり、感心しませんね」
やんわりと窘めるように、店主はトウマに告げる。
「すんませんっす。でも色々と事情があるんっすよ」
「そうですか。……そうですね。事情は伺っていますし、ここでパルメさんをお待ちいただくのは構いませんよ」
「ありがとうございます!」
「いえいえ、大したことでは」
カウンターテーブルにぶつけそうなくらいに頭を下げるトウマに、店主は優しく微笑んだ。それからちょっと悪戯っぽく口を吊り上げて、
「でも、そうですね。お礼といってはなんですが、コッフィルの一つでもご注文いただければ、こちらとしても嬉しいですね」
とトウマに言う。
「あっ。す、すんません。コッフィル一つください」
「かしこまりました」
恥じ入るように縮こまるトウマを微笑ましく見ていた店主は、にっこりと笑って口を開いた。
「いよう、マスター!」
黒い液体がカップに注がれていくのを眺めていると、入り口の扉が景気よく開かれ、野太い声が飛んできた。
「いらっしゃいませ、ランドさん」
コッフィルをトウマに差し出しながら、店主はランドと呼んだ大柄な男に笑顔を向けた。
熊のように大きな体がのっしのっしと近付いてきて、トウマの横の二回りほど大きな椅子に腰掛ける。
「マスター。エィル、ジョッキでな。あとタムサの串焼き二人前」
指を1本、2本と立て、ランドはよく響く声で店主に注文した。
「かしこまりました。テオ! 注文です!」
店主が厨房に向けて声を張る。ガラス瓶に入った砂糖を木匙で掬い、コッフィルにおとしながら、トウマは隣に座る大男の様子をちらりと窺った。
筋骨隆々、腰には剣。顔や腕には新旧多数の傷跡がある。身なりからして、おそらく兵士か傭兵だろう。雰囲気からすれば後者ではないか。
トウマはそんなことを考え、コッフィルを口に含んだ。
「お? マスター。パルメの奴、今日は来てねえのか?」
注文を待つ間、店内を見回したランドが、トウマの探し人の名を出す。驚いたトウマは思わずコッフィルを大量に流し込み、げほげほとむせた。
「ええ、まあ……」
店主はやや困り顔で言葉を濁す。茶色くシュワシュワと泡立つ液体をジョッキに注ぎ、店主はランドの前にとんと置いた。ぐびりぐびりと半分ほどを一気に飲み干したランドは、思い出したとばかりに声を上げた。
「おお、そうか! 今時分だとあいつは森の中か」
トウマの耳がぴくりと動く。
「すみません! その話詳しく教えてくれませんか!」
がっしとランドの肩を掴んだトウマは、勢い込んで尋ねた。
「パルメさんがどこにいるか知ってるんすね!?」
「お? おお、そうだが……」
体格差に物怖じしないトウマに戸惑い、ランドは若干身を引いた。
「パルメなら、この時間はだいたい家の裏にある山で材料集めしてるはずだ」
「家の裏の山っすね。あざっす!!」
一礼して店を飛び出していくトウマ。残されたランドは目を白黒させて店主を見た。
店主は眉尻を下げて困った顔だ。
「俺、なにかまずいこと言ったか?」
ランドが怪訝そうに呟く。
「いえ、ランドさんに落ち度はありません。ただ……」
そこで一旦言葉を切った店主は、心配そうに店の入り口を見て言った。
「遭難者が出なければいいんですけどねぇ」
串焼きをトレイに乗せ、厨房から顔を出したテオが、頭の上に疑問符を浮かべて小首を傾げた。
コッフィル=コーヒー
エィル=エール酒
タムサ=食用の鳥




