没落令嬢アリスとガラクタだらけの古道具店~終わらない婚約破棄
年に一度の建国祭。
この日ばかりは国中の貴族が一堂に会する。高位貴族のみならず低位貴族、そしてその子女まで。広々としたホールを、色とりどりのドレスが埋め尽くす。
そんな大規模な夜会の最中、事件は起こった。
「オリヴィア・グランチェスター公爵令嬢。君との婚約は破棄する! そして、新たにティナ・メルヴィル男爵令嬢を婚約者とする!」
第一王子レナードの突然の宣言。
その映像が、ホールの壁にでかでかと映し出されたのである。
ホール内は一瞬にして静まり返った。
貴族たちの顔からは笑みが消え、一斉にその視線がレナードへと注がれる。
映像は止まることなく流れ続けている。
レナードの婚約者であるオリヴィアが眉を吊り上げる。口元を隠す扇を握る手が怒りのためか震え、指輪が光る。
次いでまた別の令嬢が映された。
男爵令嬢ティナだ。
「レナード様……! あたしを選んでくださって、嬉しいです!」
「愛しているよ、ティナ」
抱き合う二人の姿を最後に、映像はぷつりと途切れた。
──そして。
「なんだこのふざけた映像は……!」
レナードが怒りを露わにした。
それもそのはず。
先程の映像はどう見ても不自然極まりないツギハギだらけの、明らかなフェイク動画だった。
困惑した様子のオリヴィアの肩をレナードが優しく抱き寄せる。
そこへ厚顔無恥にも、ティナは突撃した。
「レナード様っ! あたしを婚約者にしてください!!」
──その瞬間。
膨大な量の記憶が頭の中で弾けた。
夜会での婚約破棄というテンプレと、出来の悪いフェイク動画というダブルパンチが呼び起こしたのかもしれない。いわゆる、前世の記憶だった。
──異世界転生。
こういう展開を、百回くらい読んだ。
ただし、その記憶を取り戻した張本人──アリスは、第一王子の婚約者ではなく……。
更に言えば男爵令嬢ティナでもなく、その姉だった。
こういう場面で前世の記憶が蘇ったら、秒で対策を講じて断罪を免れるようにするものなのだろうが……。
アリスの前世は、ごくごく普通の事務員だった。
特別な知識も、人一倍の度胸も瞬発力もない。もちろん、今世のアリスも。
つまり、妹がとんでもないことをやらかしていることは理解していても、咄嗟に行動に移すことなどできるはずもなく……。
呆然とするアリスの目の前で、ティナはあっという間に衛兵によって会場からつまみ出されていった。
──その後。
映像はティナの仕業であったことが判明した。
ティナは確かに可愛らしい容姿で、愛嬌のある子ではある。両親もティナのデビュタント後は、
「玉の輿に乗れ! おまえなら行ける!」
と調子に乗せていたことは間違いない。
しかし何を勘違いしたのか、王子殿下にちょっかいを出し、自ら変な動画を作成して婚約破棄をでっち上げるとは……。
当然、実家は一発でアウトだった。
王子殿下への不敬罪、および公爵家への名誉毀損。あまりに愚かで杜撰な犯行だったため「国家転覆の意図はなし(ただの馬鹿)」と判断され処刑こそ免れたものの、爵位は剥奪、財産はすべて没収。
我がメルヴィル男爵家は瞬く間に取り潰され、一家は離散した。
──というわけで、十八の春、アリスの人生は馬鹿な妹のせいで一変した。
幸いだったのは、前世の記憶のおかげで、平民として働くことに抵抗がないことくらいか。
ただしアリスの心持ちがどうあれ、紹介状も持たないやらかし没落貴族の元令嬢を雇ってくれる職場など、ひとつも見つからない。
貴族からの嘲笑と蔑みの目を避けるように、王都のはずれを彷徨って早三日。王都内ならば仕事に困らないだろうという目算は、見事に外れた。
こうなったらいっそ、住み慣れた王都を離れた方がいいのかもしれない。
日が暮れはじめ、町にぽつぽつと灯りがともり出した頃。
ここが最後、と決めて、『従業員募集(住み込み歓迎)』の紙が貼られた、一軒の古びた古道具店の扉を開いた。
「ごめんください」
──からん、とくぐもった音でベルが鳴る。
一歩足を踏み入れて、アリスは完全に硬直した。
薄暗く埃っぽい店内。
ガラクタのような古くさい魔道具が、所狭しと並べられている。商品のはずなのに乱雑に、どれも埃を被って。
更には店の奥──本来ならばそこから店主が顔を覗かせるのであろうカウンターテーブルには、大量の書類がうず高く積まれている。その山はカウンター上を埋め尽くし、そればかりか周囲の床にまで散乱していた。
散らかっている、という言葉ではとても片付けられない惨状に言葉を失う。
思わず後ずさりしようとしたアリスの足下で、何が黒いものがのそりと動いた。
「……たす……けて……」
「ぎゃあああ!!!」
悲鳴をあげて飛び退くも、無情にも背後は閉ざされた扉。
震え上がるアリスに向かって、黒い塊からにょきりと出た手がおずおずと伸ばされた。
「…………おなかすいた…………」
「は!?」
黒いものは人間の男だった。
皺だらけの服にボサボサの髪。床に這いつくばる姿は、どうしようもなくダメな人種であることを主張しすぎている。
「帳簿の整理を始めたら一生終わらなくて……。でもこのままには出来ないし、終わるまで動かないって決めたら本当に終わらなくて、もうずっとごはんを食べれてない……」
聞けば聞くほど深刻なダメ人間だった。
アリスは仕方なく、ポケットの中に手を突っ込んだ。クッキーが三枚、残っていたはず。
これは男爵家を出る時に、使用人たちがアリスを不憫に思って手渡してくれたものだった。
本当は手持ちの少ないアリスの今晩の食事代わりになるはずだったが、まぁいいだろう。この男と違って、倒れるほど飢えてはいない。
「よかったら、どうぞ」
「! ありがとう! 君は女神だ!!」
たかだか数枚のクッキーを大袈裟なほど喜んで、男はあっという間にクッキーを平らげると、途端に生き返ったとばかりに伸びをして立ち上がった。
「いやぁ、助かったよ。お礼にたくさんサービスしよう。何を買いに来たの?」
「あ……いえ。私は客ではなくて」
言いかけて、はっと口を噤む。
家なしのアリスは、住み込み可である職場を魅力的に感じていた。古びた古道具店を選んだのも、きっと店主は年配者だろうと考えたからだ。
が、目の前の男はどうだろう。
だらしない姿だが、若い。どう見ても二十代である。
他に人の姿はないし、そもそもこの小じんまりとした店に何人もの従業員がいるとは考えられない。
アリスも年頃だ。さすがに初対面の若い男と二人暮らしをするというのは、ちょっとご遠慮願いたい。
しかしそんなアリスに対して、男はぱっと目を輝かせた。
「もしかして、貼り紙見た? ここで働いてくれるの!?」
「あ。そうなんですけど、でも」
「君、書類仕事できる!?」
「得意な方だと思います。昔……かなり昔、経験はありますけど、でも」
「良かったあ! あ、部屋は二階の空き部屋を使って。もちろん、鍵もちゃんとついてるから安心して!」
「あの、でも、私……紹介状とかなくて」
「そんなのいいよ! 君は僕の命の恩人だからね! 僕はハロルド。よろしくね。君は?」
アリスは目を丸くした。
これまで幾度となく、紹介状がないことを理由に断られてきたのだ。
それを、この男は。
たった数枚のクッキーで全面的に信用し、身元のわからない小娘に同居を許してしまうなんて。
見るからに生活力のなさそうな風貌、とっ散らかった店構え。その上、心配になるほどのお人好し。あまりにも危なっかしくて、放っておけない……と、思ってしまった。
これを逃せば他の就職先は見込めそうにないという、追い詰められた状況もあり。
アリスは覚悟を決め、深々と頭を下げた。
「アリスです。よろしくお願いします」
◇◆◇
「アリス。もう僕は、君なしでは生きていけない」
「大袈裟な」
「だって部屋はぴかぴかだし、帳簿はすっきり整理されているし、ごはんはおいしい! 一生僕の面倒をみてほしい!」
「普通にクズの発言ですよ、それ」
ハロルドの古道具店で働き始めて数日。
すっかり片付いた店の奥でアリスの作った昼食を共に囲みながら、ハロルドは感動に震えている。
けれど、アリスは給金に見合う働きをしただけのこと。
このほとんど客の来ない店でどうやって利益を得ているのか知らないが、ハロルドの提示した給金が破格だったのである。
そのため事務仕事に加えて炊事や掃除など、前世の知識と経験をとても地味な形でフル活用し、店とハロルドに貢献してみた。
結果、ハロルドのアリスへの好感度は上がる一方のようだ。
にこにこと幸せそうに食事を楽しむハロルドを見て、悪い気はしないな、とアリスがひっそりと笑みを零した、その時。
店の方から、からん、とベルが鳴った。
アリスがここへ来てからはじめてのお客様だ。
「ハロルド! いるか!?」
呼びかけに答えるべく、ハロルドとアリスは昼食を中断し、二人揃って店へ顔を出した。
店の入り口で、一人の青年が立ち尽くしている。
「やあ、いらっしゃい」
「おい、どうした。片付いているじゃないか」
「ふっふっ、そうなんだ! 僕はとうとう人生最高のパートナーを得てしまった」
「なんだと?」
青年に睨まれて、アリスはぎくりとした。
目つきが悪いが、それ以上に目に付いたのが彼の胸元に光る金色の胸章だった。王宮の役人である証。
青年はどこか洗練された空気をまとっていて、恐らく貴族であると窺える。
だとしたら──。
例の夜会にも参加していたかもしれない。
アリスは特段目立つ容姿ではないが、万一あのやらかし男爵令嬢の姉だと知られれば、どんな目で見られるかなんて分かり切っている。
未来永劫、笑い者や蔑み者にされるような黒歴史が頭を過ぎって、アリスは慎重に口を開いた。
「あの、違います。ただの従業員です」
「アリスだよ。とってもとっても優秀で心優しい、女神様みたいな子だよ!」
「なんだ、店員か。よくこんなゴミだらけの店で働いてくれるような子が見つかったな。奇跡だ」
「でしょう。本当にそう思うよ! 僕は最高にツイてるね。それで、セス。今日は何の用?」
ハロルドに尋ねられて、セスと呼ばれた青年は思い出したようにカウンターテーブルの上に布で包まれた何かを置いた。
「これだ。呪いの魔道具。おまえなら何とかできるだろう」
「呪い……!?」
物騒な言葉に思わずアリスがそう漏らすと、セスは不憫そうにちらりと視線を寄越した。次いで、ハロルドに非難の目を向ける。
「おまえ、ここがどういう店かちゃんと説明してないのか。おまえがいわくつきの魔道具ばかりを集めてる奇人だってことも、言ってないな?」
「人聞きが悪いよ。たしかにちょっと問題のある魔道具が集まってくるけど、ちゃんと直すのが僕の仕事。それを売ってるだけなんだから、変人扱いは失礼だよ!」
「それで、これまでにいくつ売れたんだ」
「…………。ひとつも?」
「ほら見ろ。さっさとこんな店たたんじまえ。王宮鑑定士に専念しろ」
セスが呆れたように言い放って、ハロルドが年甲斐もなく口を尖らせるのを、アリスは不思議な気持ちで見つめていた。
どうやら、ハロルドはただのダメ人間ではないらしい。
王宮の役人と軽口を叩き合い、鑑定士として頼られている。
もしかしたらハロルドもまた、貴族の生まれなのかもしれなくて、だから身の回りのことを自分でするのが苦手だということなのだろうか。
──そこまで思い至って、アリスはそれ以上考えることをやめた。
ハロルドが自分から語らない限り、詮索することはしない。
アリスにだって、話したくない過去があるのだから。
「とにかく、今はこれだ。魔力供給を止めても、なぜかずっと止まらない。何かの呪いだろうが、王宮魔導士もお手上げだと。何とかしてくれ」
そう言って、セスがばさりと布を取っ払った。
姿を見せたのはプロジェクターで、そこから伸びた光が店の壁一面に映像を映し出した。
『オリヴィア・グランチェスター公爵令嬢。君との婚約は破棄する! そして、新たにティナ・メルヴィル男爵令嬢を婚約者とする!』
『レナード様……! あたしを選んでくださって、嬉しいです!』
『愛しているよ、ティナ』
「……なっ……!!」
思い出したくもない過去が、突撃してきた。
頭にこびりついて離れない、あの夜会で流されたフェイク動画である。
卒倒しそうなアリスの目の前で、映像は延々とリピート再生され続ける。
ハロルドだけが、目をきらきらと輝かせて映像に見入っていた。
「へえ。面白い!」
「どこがだよ。頭がおかしくなりそうだ。この稚拙すぎる編集も、繰り返し見てるとそこはかとなく気持ち悪い」
「うーん。たしかに、ツギハギだらけだね」
「だろ。さっさと呪いが何なのか特定してくれ。万一王子殿下の御身に関わることなら一大事だ。例の男爵一家も、放逐じゃ済まなくなる」
セスの最後の一言に、アリスの体が強ばった。
アリスの人生をめちゃくちゃにしたあの事件。終わったと思っていたのに、そうではなかった。
あの頭の中にお花が詰まった妹に、呪いなんてかけられるとは、アリスには到底思えない。
でもだからこそ、深く考えずに起こした行動の結果、もし何か恐ろしい呪いがかかってしまったとしたら──。
妹だけではない。両親も、アリスも。一家全員処刑される未来が脳裏にちらつく。
背中に嫌な汗が流れて、足が微かに震えた。
「呪いじゃないと思うよ」
暗闇の中の一筋の光のように、いたく冷静なハロルドの言葉がアリスの耳に届いて、顔を上げる。
「魔道具の動力源は二種類。直接魔力を供給して動かすか、魔力を溜めた魔石を回路に組み込むか。この魔道具の型は、前者だね」
「ああ。だから変なんだろうが。供給を止めても動き続けてる。呪いじゃなきゃ、何だって言うんだ」
「じゃあ見てみよう」
そう言うと、ハロルドは工具片手に素早くプロジェクターを分解し始めた。
あっという間に外側の箱が外されて、中の回路が露出する。
「わあ、素晴らしく緻密な回路……! なんて倒錯的で淫らなんだろう! 本来規格に合わない魔石を、無理やりねじ込んで繋げてある。この芸術的な歪さ! 外部魔力が切れた瞬間、魔石が目覚めて無限ループの奈落へ引きずり込む仕組みだ。ゾクゾクするほど愛らしいね……!」
ハロルドが頬を紅潮させ、うっとりと指先で回路を愛撫する。
どうやら回路に興奮するタイプの変態らしい。
ドン引きするアリスに気づいたセスが、わざとらしく咳払いをした。
「おいハロルド。つまりどういうことかちゃんと説明しろ」
「ああ、そうだったね! ほら。ここ、この奥。ごく小さい魔石が組み込まれてる。きっと後から改造したんだよ」
「! 本当だ! こんな場所に隠すように……。言われなきゃわからない。さすがだな」
「セスの言うように、隠したんだろうね。これが回路に組み込まれることによって、魔力が供給され続けてるってわけ」
「なんて執念深い女だ……。そんなことをしたところで、王子殿下と婚約できる訳でもあるまいに」
苦々しい顔でセスが言う。
二人のやり取りを聞きながら、アリスは妙な違和感を感じていた。
──あの馬鹿な妹が、そんな手の込んだことをするだろうか。
映像を止まらなくする理由がわからないし、そもそもこんな高価な魔道具を買うお金なんて、貧乏男爵家だった我が家には、なかったはず──。
「……あの。魔道具はもちろん、魔石もとても高額なものですよね……?」
アリスの口から思わず零れた問いに、セスが頷いた。
「ああ。こんなに小さくてこれだけの時間動き続けているんだから、相当なもんだろう」
「そんなもの、男爵家の娘ごときが手に入れられるはずがありません」
「……。たしかに? まさか、盗んだ……?」
セスが顔を顰めるのを見て、アリスは首を横に振る。
「だとしても、魔道具を改造してもらうツテなんてないはずです」
「うーん……。つまり?」
「魔道具を改造した上で、それを誰かから譲られた……とか」
「はあ? そんなことあるか? わざわざ誰が、何のために?」
呆れたようにそう言われ、黙り込む。
セスの言う通り。
改造済みの高価な魔道具を、男爵令嬢ごときに譲る人間がいたとして、その意図など想像もつかない。
「…………あれ?」
魔道具から魔石が抜かれ、にわかに沈黙が落ちた店内に、ハロルドの声が響いた。その顔は、先ほどまでよりずっと輝いている。
「これは凄い……! 投影用の主回路に寄り添うように、細く、長く、独立した探知回路が走ってる。しかも見事に隠してある! 美しすぎる……いや、いっそ卑猥な程! これこそ芸術だ!!」
恍惚とした表情で、ハロルドが魔道具を抱き締めている。
「…………。セス様。私、ハロルドさんが何言ってるか、全然わからないんですけど」
「安心しろ。俺もだ」
セスに「説明!!」と怒鳴られたハロルドは、はっとして魔道具を撫でながらもこちらへ向き直った。
「えーとつまりね、この魔道具は、ただの投影機としてだけじゃなく、別の役割を与えられているんだよ」
「別の、というのは?」
「魔力探知だね」
ハロルドの言葉に、セスの顔が険しくなる。
「なんだそのきな臭い話は。どういうことだ」
「そのままだよ。特定の魔力を検知するための回路が組まれてる。夜会の場にいた……誰か、一人の」
「…………。誰のだ?」
「さあ? そこまでは」
ハロルドが肩をすくめて、セスが苛立たしげに舌打ちをした。
「いよいよ厄介な話になってきたな……。あの男爵令嬢は、一体何を企んでたんだ?」
セスが唸る横で、アリスは考えを巡らせた。
ハロルドの話を聞いて、はっきりしたことがある。
この魔道具は、やはり誰かの手によって、ティナに渡されたものである──と。
良くも悪くも考えなしのティナが、何かを企んでいたなんてとても考えられない。単純に、王子殿下と結ばれることしか頭にないような子だ。
だとしたら、そんなティナを利用して、この魔道具を夜会で使わせた人物がいるということだ。
……それは、何のために? 誰かを、探すために?
「この魔道具が使用されたその日、何か変わったことは起こりませんでしたか?」
アリスの問いに、セスがうんざりだとでも言いたげに吐き捨てる。
「起こったよ。コレのせいで、建国祭のオープニングがめちゃくちゃになった」
「そうでしょうけど、それだけじゃなくて何か……」
「殿下は本当に災難だったよな。あんな騒ぎのせいで、立太子の発表も見送られて」
「……立太子?」
セスがしまった、というように顔を歪めた。
「……いや、これはあくまで噂レベルの話だが……第一王子殿下の立太子が発表されるんじゃないか、と言われてたんだよ。幼少期病弱だった殿下もすっかりお元気になられて、最近はその優秀さも広く知られてるだろ。だから……。おい、憶測の話だから、くれぐれも言いふらすなよ」
立太子発表の予定があったのに、騒動が起こったせいで、それがなくなった。
結果論ではあるが、もしもはじめからそれ自体を狙っていたのだとしたら──。
「ねえセス、アリス」
呼びかけられ、二人は揃ってハロルドへと視線を向ける。
魔道具の鑑定を続けていた彼は、にこりと微笑んだ。
「ちょっと面白いことに気づいたんだけど、もしかしたら前提から違っていたのかも」
「前提?」
「そう。この魔道具には特定の誰か一人の魔力を探知するための回路が組まれているけど、そのためには、その誰かの魔力波長データが必要になる。で、その元となっていたのが……」
話しながらハロルドは、魔道具のそばに置かれていた何かをピンセットで拾い上げた。
「これ。この、回路に組み込まれてた魔石」
取り外された魔石は、店内の昭明に照らされて、宝石のようにきらりと輝いている。
「もともとこの魔石は、魔力探知のために組み込まれたんだと思うよ。ところがこのとっても細かくて複雑な魔力回路の一部に干渉して、図らずも魔石の魔力を供給する形となって、結果、止まらない投影機が出来上がった、と」
ハロルドが導き出した答えは、アリスの予想を裏付けるものだ。
魔道具が止まらなかったのは、セスが言ったようなティナの執念でも何でもない。
そもそも、例のフェイク動画騒動そのものがフェイクだった。目的は魔力検知に他ならず、それを発動させるため、投影機と見せかけた魔道具を、ティナに渡した誰かがいるのだ。
「それと、もうひとつ。魔道具に残されている探知結果は、『検知なし』となってる」
「…………え?」
魔道具が使われた建国祭は、国内の貴族が揃う場だった。ならば探していた人物というのは、平民ではなく貴族だと考えるのが自然。
けれどその人物は、あの場に居なかった。
魔道具の『検知なし』という探知結果は、それを示している。
謎ばかりが積み上がっていく。
セスはすっかり考えることを放棄したらしく、無気力に大きなため息をついた。
「……まあ、いい。止まらない映像の理由はわかったし、止まったしな。王宮に戻って鑑定結果の報告をすれば、俺の仕事は終わりだ。おいハロルド、魔道具を返せ」
「ええ~? もう少し眺めていたかったのに」
渋々ハロルドがセスへと魔道具を手渡す。
アリスは慌てて声を上げた。
「待ってください!」
アリスの人生を一変させたあの事件。
たしかにティナは愚かだった。
けれど彼女の背を押した、事件のきっかけを作った何者かが存在している。
あの事件の裏にどんな思惑があつたのか──。
この機会を逃せば、永遠にわからないままだ。
「この魔道具が、ティナのものでないことは間違いありません。本当の持ち主が誰なのか、調べる方法はないですか?」
「本当の持ち主?」
「そうです。たとえば……シリアルナンバーとか!」
「? 何それ」
ハロルドがきょとんとしている。
どうやらこの世界には、そういった概念はないらしい。
「えっと……魔道具は高価なものですから、それが粗悪品でないという証明。あとは事故や不具合があった場合、責任を負ってもらうか、または修理してもらうために作り手を明らかにする、という意味でも、何かしるしをつけたりしないんですか?」
「なるほど……?」
いまいちピンときていなさそうなハロルドの様子に不安を覚えるも、彼は笑って手招きをした。
「そういう意味でなら、あるよ。魔道具職人の中でも高度な技術を持つ人は、みんな国のお抱えなんだ。他国に流出させる訳にはいかないからね。職人が作った魔道具は、必ず国の専門機関に納品され、そこから商店に卸される。だから、ほら」
ハロルドがセスから投影機を受け取る。ひっくり返してみれば、裏側にはっきりと王国の象徴である双頭の獅子が刻印されている。
「本当だ……。でもこれ、どの魔道具も全て同じ刻印ですよね? だったら作り手は特定できないんじゃ……」
「これだけじゃ、そうだね。ただし納品された魔道具は、全て帳簿に記録されている。それを辿れば、誰が作って、そしてどこの商会に卸されたのかがわかるよ」
「! 本当ですか! その帳簿はどこに?」
「もちろん、専門機関がある王宮に。それから、一応ここにも写しがあるよ」
「えっ!」
「俺は王宮魔道具鑑定士だから。そういう仕事もしてる」
アリスが驚きに目を丸くしていると、セスがすかさず口を挟む。
「そんでその大量の帳簿を管理し切れずにゴミ店にしたのは、どこのどいつだ。おまえが抱え込んでるとんでもない量の書類の山から必要な情報を探し出すなんて、いつになるのかわかったもんじゃないぞ。多少マシとはいえ、王宮の方も同様だろうけどな」
「それは大丈夫です! 全て整理しましたから」
「なんだと?」
「たしかにそういう帳簿があったの、思い出しました。古いものから順に並べて、更に生活必需品や娯楽品など品目別、価格順に保管してあります。魔道具が作られたのが何年くらい前なのか、おおよその価格がわかればすぐに取り出せます。ハロルドさんなら、わかりますか?」
「もちろん! まかせて」
アリスとハロルドのやり取りを、セスが呆然と眺めている。
そのうちに、アリスはあっという間に目的の帳簿を探し当てた。
「ありました! これですね、投影機!」
アリスが開いた帳簿に、三人揃って目を落とす。
帳簿に記された店名に、ハロルドとセスは真顔で黙り込んだ。
貧乏男爵家の娘だったアリスには、その意味がわからない。
「有名なお店なんですか?」
「……まぁ……そうだな。高級魔道具店だ。有名なのは、グランチェスター公爵家御用達だからだ」
「グランチェスター公爵家……」
「いや、もちろん他にも顧客はいるし、公爵家だと決めつけるには無理がある」
「…………。そう、ですね」
グランチェスター公爵家といえば、真っ先に頭に浮かぶのは、第一王子レナードの婚約者オリヴィア。婚約破棄騒動の渦中にいた、その人。
アリスの脳裏に、強制的に繰り返し観ることになってしまった、あのフェイク動画が再生される。
映像の中のオリヴィア。
──そして、ふと顔を上げれば。
先程までハロルドが魔道具を鑑定していた作業台が視界に入る。
その上で、取り出された魔石が転がったままになっている。光を反射し、美しく輝く魔石。
「──あ」
アリスの頭の中で、一本の線が繋がった。
その時だった。
からん、とベルが鳴る。
店の扉がゆっくりと開いて、現れたのは──。
「! オリヴィア・グランチェスター公爵令嬢……!!」
護衛と侍女を伴い店内へと足を踏み入れたその人に、ハロルドとセスが息を呑む。
古びた店には不似合いな優雅な佇まいで、華やかな装いで、オリヴィアは淑女の笑みを浮かべている。
「ごめんあそばせ。こちらに、先日の夜会での騒動で使われた魔道具が持ち込まれたと耳にして伺いましたの」
「いらっしゃいませ。まさかこのような店に、あなた様が直々にお越しくださるなんて、光栄の極みですね」
「あの一件には、わたくしも巻き込まれていますもの。それに、魔道具が止まらないそうね? 何かの呪いではないかと聞いて、恐ろしくて……」
一瞬目を伏せたオリヴィアは、すぐに視線を上げるとハロルドを窺うように見た。
「それで? 何かわかったのかしら?」
「ええ、まあ。いろいろと」
「その前に、ひとついいですか」
アリスの放った一言に、セスが目を剥いた。勢いよくオリヴィアに頭を下げ、そのままアリスに詰め寄る。
「バカ、アリスおまえ! 会話を遮るな! 相手が誰だかわかってんのか!?」
「事件に巻き込まれたというなら、私もそうです」
オリヴィアが目を瞬いてアリスを見つめる。
「……あなたは?」
「アリスと申します。……元男爵令嬢ティナ・メルヴィルの、姉です」
セスの瞳が、これ以上ないほどに見開かれた。
一方でオリヴィアは、みるみる顔を青ざめさせる。
「……そう。あなたが、メルヴィル家の……」
「私自身は何もしていないにも関わらず、貴族令嬢としての立場を一夜にして失いました。巻き込まれたと言うには十分だと思います。……ところで、グランチェスター公爵令嬢」
アリスはオリヴィアの手元へと視線を滑らせた。
「本日は、指輪はしていらっしゃらないんですね」
オリヴィアの顔がわずかに強ばる。
「私はあなたをよく存じ上げませんが、例の投影機の映像の中で、あなたの手には指輪が光っていました。あれはどこからか手に入れた元の映像を加工したものでしょうから、あなたは日頃から指輪をしていらっしゃったんではないかと思ったんです」
あの動画の中で、オリヴィアが身につけていた指輪。そして、先ほど魔道具から取り出された小さな魔石。どちらも独特な色合いと形をしている。
もし、これが同じものだとしたら──。
「あの指輪はもしかして、第一王子殿下からの贈り物ですか?」
「……どうして……!」
「やっぱり、そうだったんですね。でしたらこれは、お返しします」
作業台の上の小さな魔石を拾い上げて差し出すと、オリヴィアは震える手で受け取った。
贈り主がレナードならば、魔石で得られたのは、彼の魔力波動データだろう。そして魔道具が示す結果は、『検知なし』。
ならばあの日、あの場所にいた居たレナードは──誰だろう。
アリスの頭に浮かんだ疑問は、とても恐ろしいもので……。それを裏付けるようにオリヴィアの顔もまた、何か恐ろしいものを抱え込んでいるように、すっかり青ざめている。
「グランチェスター公爵令嬢が抱えていらっしゃるものに比べたら、きっと貧乏な男爵家ひとつなんて取るに足らないものなんでしょう。それでも私たち家族の人生がめちゃくちゃになったのは、紛れもない事実です。だから……どうかあなたの手で、全てを明らかにしてください」
◆◇◆
オリヴィアとレナードの婚約は、互いが生まれた時から決まっていたようなものだ。
家柄、そして年回りも考えた上で、将来王となるであろうレナードに、オリヴィアは誰よりも相応しい。
そうして二人が三歳の誕生日を迎えてすぐ、正式に婚約は整った。
──けれど。
レナードはとても病弱だった。
赤子の頃から体が弱く、乳をあまり飲まないので体は小さく、頻繁に熱を出す。一歳の誕生日を迎えることすら難しいかもしれないと、非情にも侍医が告げたほどだ。
それでも王妃の唯一の子であるレナードは三歳まで生き永らえ、そして当初の約束通りの年齢に達したことで、婚約の運びとなった。
だからといって、レナードが健康になったわけではない。
オリヴィアの知るレナードは、たしかにいつ死んでもおかしくないほど弱々しかった。
自分と同じ歳のはずなのに、ずっと歳下のように小さく、手足は折れそうなくらい細い。金の髪はぱさついて艶がなく、顔色はいつだって青白い。
婚約者同士の交流は、レナードの体調がいい時に合わせて、ごく短い時間。彼は王子宮から出ることはないので、その一室にオリヴィアが毎度出向く。
レナードがそんな状態なので、オリヴィアは側妃の生んだ第二王子とも交流をしていた。
きっと周囲は王妃の手前、レナードが存命のうちは大きな動きを控えつつも、彼が王になるのは難しいと、既に見限っていたのだろう。
そして、年に数えるほどのレナードとの交流を続けて数年。
オリヴィアの、七歳の誕生日の翌日だった。
「オリヴィア。遅くなったけど、誕生日おめでとう」
レナードから贈られたのは、小さな石のはまった可愛らしい指輪。
「ありがとうございます。珍しい宝石ですわね」
「それ、実は魔石なんだよ。宝石みたいに加工してもらったんだ。僕の魔力を込めてあるから、お守りとして持っていて欲しい」
魔石に自身の魔力を注入し、お守りにする。
そんな話は聞いたこともない。
もちろん魔石も高価だろうが、それよりもずっと価値のある宝石類をたくさん贈られてきたオリヴィアは、婚約者からのプレゼントに困惑した。
「とても……独創的ですわね」
「僕は自分の足で君に似合うものを探し歩くことが叶わない。会う度、僕の知らない世界を教えてくれる特別な君に、他の誰かとは違う、特別なものを贈りたくて」
その時、オリヴィアははじめて心からレナードを不憫に思った。
オリヴィアにとっては、レナードとの交流なんてただの義務に過ぎない。
病床のレナードに話の種があるはずもなく、共通の話題もない。オリヴィアはいつも自身のまわりで起こったことを、ただただ沈黙を埋めるために話すだけ。
けれど、レナードは違ったのだ。
ごく限られた数の使用人しかいない王子宮。あまりの病弱さに面会も気軽にできず、母である王妃以外の王族の足は遠のいて。
ままならない体と孤独だけが蔓延る毎日の中で、オリヴィアとの交流は、彼女の話す日常は、レナードにとって特別に違いなかった。
伝えるべきことを言い切った途端、普段よりも顔色の悪かったレナードは机に突っ伏すように倒れ込んでしまった。
いつだって体調が悪いくせに体外へ魔力を放出するなんて無茶をして、だからきっと今日だって決して調子は良くなかったのに、なるべく早く誕生日プレゼントを渡すためにとこの場を設けたのだろう。
……本当に、哀れだと思った。
その日以降、レナードの病状は急激に悪化した。
王子宮は慌ただしくなり、交流は一切なくなった。
もう長くはないのだろう、と誰も彼もが囁き合う。
しかしそれからしばらくして突然、レナードの体調が快方に向かっているという話がどこからともなく聞こえてくるようになった。
起き上がっていられる時間が、徐々に増えてきた。
普通の食事を口にできるようになった。
教師がつき、教育を受けられるようになった。
日に日に広がる噂は、まるで奇跡みたいな話。
それでもレナードからの誘いはなく、会えないままに、気づけば一年ほど経った頃。
ようやくレナード側から婚約者同士の交流の名目で呼び出しがあり、二人は再会を果たした。
久しぶりに見るレナードは、まるで別人のようだった。
輝く金の髪。細身ではあるものの、不健康さを感じない程度にふっくらした体つき。血色の良い顔に、笑みを浮かべて。
あまりの変貌ぶりに、オリヴィアは心底驚いた。
「ずっと会わないままで、すまなかった。元気になった姿を見せて、君をびっくりさせたかったんだ」
張りのある声もまた、同一人物とは思えなかった。いつだってようやくなんとか絞り出したように、弱々しく話す人だったのに、と。
やがてレナードは体を鍛え始め、これまでの時間を取り戻すように勉学に励み、徐々に表舞台に立つようになっていった。
ほとんど存在を忘れられていた王子の回復に、当初は混乱もあった。
けれど彼は勤勉で有能で、じきに周囲からの歓迎の声は大きくなっていく。
いつしか誰もが彼を認め敬い、いずれ国を担う王族としての地位を磐石にしていた。
だからこそ、オリヴィアは口にすることができずにいた。
レナードに抱き続ける違和感を──。
オリヴィアとて、レナードのことを良く知っているとはとても言えない。確信を持って断言できることは何ひとつない。
それでも、たびたび考えてしまう。
今のレナードはあの病弱な頃のレナードと、本当に同じ人間なのだろうか──と。
気付けば幼少期に彼の世話をしていた、乳母や侍従、護衛、侍医、更には回復期についた教師……。これまで彼の近くにいた人間は皆、多額の退職金を手に王宮を去っていた。
今王子宮で働く使用人は、かつてとは一人残らず入れ替わっている。
その事実が、恐ろしい想像をかきたてる。
もちろん人間が一人入れ替わったとして、彼を溺愛していた王妃が気付かぬはずはないのだ。
けれどもし、王妃自身が関わっているとしたら……?
疑念は膨らむばかりで何もできずにいるうち、今年もまた、建国祭の日が近づいてきた。
そんな時に父から告げられた言葉。
「今年の建国祭で、レナード殿下の立太子が発表されるだろう。おまえもこれまでよりも一層、殿下をお支えしていくように」
背筋が冷えた。
立太子したレナードは、いずれ国を導く王となる。もし万一、オリヴィアの疑念が事実だとしたら──。
紛れもなく、国の乗っ取りである。
取り返しのつかないことになる前に、せめて……立太子の発表を阻止しなければならない。
だが、オリヴィア自身が声を上げることは得策ではない。未来の王妃となるべく教育を施されてきた以上、ただの思い過ごしだった場合に失うものが多過ぎる。オリヴィア一人の責任では済まないのだ。
では、どうすればいいのか。
悩んでいた時、知ったのがティナ・メルヴィルの存在だった。幾度となくレナードに近付こうとし、失敗続きの男爵令嬢。
当然だ。彼の周囲には、常に優秀な側近や護衛がいる。
しかし彼女は何度もレナードの行く先に現れては、話しかけようと試みる。
今のところただ鬱陶しいだけで危険は感じられず、男爵家へ抗議すべきか検討中ではあるが、そんなおかしな女がいるのだと、側近がオリヴィアの耳にも入れてくれた。
……愚かな女。
でもだからこそ、使えると思った。
ティナに接触してみれば、予想よりも遥かに愚かだった。
「あなた、レナード様に近付こうとしているそうね。何が目的?」
「それはもちろん、ご挨拶をさせていただきたいからです!」
「……それだけ?」
「それだけです。あっ! でももしも、万が一、王子様に見初められたら……側妃なんかにしてもらえたら、それはとても嬉しいですけど……!!」
頬を染めるティナは、本当に単純で愚かで、あまりに扱いやすそうで笑みが零れた。
「……実はね。レナード様はあなたの姿を見かけて、すっかり心を奪われてしまったようなの。本当はわたくしとの婚約を解消して、あなたを正妃として迎えたいと考えていらっしゃるのよ。でも立場上、簡単にはいかないでしょう? だから……建国祭で、大勢の前で、二人の真実の愛を宣言するのはどうかしら」
ティナは目を丸くした。それから、じわじわと顔を赤らめ、目を潤ませる。
「……信じられない……。本当ですか……?」
「ええ、もちろん。わたくしも、レナード様の望みを叶えて差し上げたいもの。あなた達の味方よ」
オリヴィアはあっさりと、目的を遂げるための駒を手に入れた。
建国祭で、レナードの醜聞にもなる形でティナに騒動を起こさせ、立太子発表を見送らせる。
──それだけじゃ足りない。
レナードがかつての病弱な頃の彼と同一人物なのか、確かめなければならない。
幸いにも、彼の魔力が込められた魔石が手元にある。これを使えば、確実に特定できる。
オリヴィアが建国祭の場に魔道具を持ち込み、レナードの前で使用することなど出来るはずもないが、あの女ならば──。
魔道具を用意し、魔道具職人に改造させ、急ごしらえの映像を記録させれば、あとはティナに任せるだけ。
「あなたにこの魔道具を差し上げるわ。建国祭でこれを使えば、あなたはレナード様の婚約者になれるはずよ」
そしてあの日、事件は起こった。
◇◆◇
からん、とベルが鳴る。
「ハロルド、アリス、いるか?」
昼下がり、小道具店にやって来たのはセスだった。
プロジェクター型の魔道具を持ち込んだあの日から、数日後のことである。
「いらっしゃい、セス。今日は何? どんな面白い魔道具を持って来てくれたの?」
「違う。今日はアリスに用があるんだよ」
「私ですか?」
アリスが驚いて掃除の手を止めると、セスは重そうな袋を持ち上げ、カウンターへ置いた。じゃら、と物騒な音がする。
「これはおまえのものだ。預かってきた」
「……ええー……?」
嫌な予感がしながらも覗き見ると、袋の中には大量の金貨が詰め込まれていた。
「ひっ……! なんですか、これ!?」
「王家から報奨金だと。今回の件、アリスのお手柄だったからな」
「……私は、何も。魔道具を鑑定したのはハロルドさんですし。国王陛下への告発も何もかも、全ての功労者はグランチェスター公爵令嬢でしょう」
ひとつの魔道具から解き明かした謎。
その裏で巻き起こっていたのは、第一王子レナードの入れ替わりという、国を揺るがす大変な事態であった。
本物のレナードは、七歳で亡くなっていた。
唯一の子を亡くした事実を受け入れられなかった王妃がその事実を隠し、孤児院からレナードによく似た子どもを引き取り、秘密裏に王子宮へ引き入れていたのだ。
王妃はたった一人の実子が国王からも見捨てられ、周囲から忘れ去られていく中ひっそりと亡くなってしまい、もうとっくに狂っていたのだろう。
今回の件が発覚してすぐ、王妃は離宮で静養することが発表された。
これだけのことを仕出かしてしまったのだ。じきに死を賜ることになるのだろう。
「ま、そうかもしれないが。一連の話、恐らく公にはならないだろうから、要するに口止め料ってことだ」
「……殿下の正体も、公表しないんですか?」
「王子が入れ替わってて何年も気付かなかったなんて、王家にとっては酷い醜聞だ。公表できない、が正しいな」
「でも……」
今レナードだと思われている彼は、もとはただの孤児だ。王族の名を騙って、ただで済むとは思えない。
「偽物の殿下は、何も知らなかったみたいだ。突然孤児院に迎えが来て、『あなたは本当は王子だ。身の危険があって孤児院に預けていたが、替え玉がかわりに死んだから王子宮に迎え入れる』と言われたらしい。自分のことを、本当に王族だと思っていたんだと」
返す言葉が見つからなかった。
彼もまた巻き込まれた被害者で、人生を変えられてしまっていた一人だったのだ。
「とりあえず病の再発とかで、王子宮に引きこもることになるんじゃないか? 王位継承権は間違いなく剥奪されるだろうし、子も成せないようにされるだろう。ただあの偽物殿下は、本当に勤勉で優秀だったからな。何かの形で、影から第二王子殿下をお支えしていくことになるかもしれない」
「ということは、第二王子殿下が……」
「立太子されるだろう。グランチェスター公爵令嬢との婚約もな」
「……そうですか」
アリスとその家族の人生をめちゃくちゃにした事件の黒幕はオリヴィアだったわけだが、その当人の輝かしい未来には何の翳りもないままなのだから、皮肉なものである。
「ねぇ、アリス」
それまで黙っていたハロルドが、ふいに金貨の袋とアリスを見比べて口を開く。
「そんな大金が手に入って、アリスはどうするの?」
「そうですね……。どうしましょう」
「まさか、このお店を辞めるなんて言わないよね? 君に捨てられたら僕は生きていけないよ! お願いだからずっとここにいて!!」
「やめろ見苦しい、みっともない!」
アリスに縋ろうとするハロルドを、セスが乱暴に掴んで遠ざける。
「この店から出て行くつもりなら、グランチェスター家の養子に、って話を断ったりはしなかっただろうに。そうだろ? アリス」
「……まあ、そうですね」
あの後、アリスはオリヴィアから謝罪を受けた。
その上で、巻き込んだ責任を取りたいと、アリスを公爵家に養子として迎え入れたいという申し出があったのだ。
もちろん断った。アリスに公爵令嬢なんて荷が重い。
他に何が要望があればできる限り叶える、と募られたが、特に何も思いつかなかった。オリヴィアはどうにかして償いたいと思っているようだが……。
「セス様。グランチェスター公爵令嬢に、伝言をお願いできますか?」
「ん? ああ、なんだ?」
「私の両親と妹の行方を探し出していただきたいんです。事件後散り散りになって、連絡もとっていなくて。公爵家の力があれば、簡単でしょうから。それで、これ」
金貨入りの袋から半分ほどを別の袋に移し替え、セスに手渡す。
「これを両親に渡してください、とお伝えいただけませんか。これだけあれば当分……もしかしたらもともと貧乏で贅沢を知らない人たちなので、一生暮らせるかもれしません」
「親孝行だな、アリスは。妹には?」
「そうですね……。じゃあ、これを」
金貨を一枚だけ、摘み上げて見せる。
セスが意外そうに目を瞬いた。
「一枚、か」
「十分です。いくら誘導され利用されたとはいえ、ティナは自分の意思で王族に不敬をはたらき、建国祭をめちゃくちゃにしたんです。この金貨一枚をあの子が何に使うかはわかりませんが、少しは苦労も知らないといけません」
「そうか……そうだな」
セスは頷くと、受け取った金貨を手に踵を返し、扉に手をかけた。
「じゃ、預かったこれは、間違いなくグランチェスター公爵家に届けてやるよ。ただし金を受け取ったからには、うっかり口を滑らすんじゃないぞ。消されるからな」
冗談なのか本気なのか、笑顔で脅し文句を口にしたセスが、ふと扉の裏側に目を留める。
「そういやハロルド、なんだこれ。この貼り紙」
「あっ、そうだった。忘れてた! もう必要ないね。アリスがいてくれるからね! 剥がさなきゃ」
「こんなもん、いつ貼ったんだ。大体どういう風の吹き回しだ? 大事な魔道具を価値のわからん奴に触らせたくないからって、通いの従業員でさえ雇うのを嫌がって、ゴミ店になるまで放置したくせに……」
セスにそう言われ、ハロルドは苦笑いしている。
てっきりずっと昔から貼られているものとばかり思っていた、『従業員募集(住み込み歓迎)』の張り紙。
思い返せばハロルドは、アリスが素性を明かしても、まったく動揺を見せなかった。それは、不自然なほどに。
それに店をはじめて訪れたあの日だって、お人好しうんぬん以前に、驚くほどすんなりとアリスを受け入れた。まるで、はじめから雇い入れることを決めていたように。
セスが首を傾げながらも今度こそじゃあな、と声をかけて出て行って。二人きりになった店内で、アリスは思い切って声をかけた。
「……あの、ハロルドさん」
「うん?」
「本当は、知ってたんですね。私がメルヴィル男爵家の長女だったって」
「ええ?」
「特に説明もなかったのに、あの映像が夜会で流されたものだと、ハロルドさんはわかっていたみたいでした。あなたもあの建国祭のホールにいたんですよね? 私のことを最初から知ってて、不憫に思って雇ってくれたんですか?」
ハロルドをじっと見つめると、彼はわかりやすく笑って誤魔化した。
「さあ、どうかな。まあ、どっちでもいいよね! アリスがここで働いてくれて、僕はすごく嬉しいよ! 君を雇って良かったって、毎日思ってるんだから」
「ハロルドさん……」
「働き者で賢くて優しい君は、やっぱり僕の女神だ。だからこれからも、よろしく頼むよ」
いつもながら大袈裟なハロルドの言葉に、思わず笑みが零れる。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
終わっていなかった婚約破棄事件の裏側が判明したところで、没落令嬢である事実は変わらない。
それでもここには新しい居場所があって、アリスの日常は続いていく。
過去とようやく決別できたような清々しい気持ちで、アリスはガラクタのような魔道具に囲まれた店内で、ハロルドと笑みを交わした。




