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乙女ゲームは馬狂いによって成立しませんでした

天使と呼ばれた伯爵令嬢の結婚条件は少々特殊です 〜最高の馬を贈ってくださる殿方を希望いたします〜

掲載日:2026/03/15


 社交界で天使と呼ばれる伯爵令嬢リオナ・アルシオンには、少々特殊だがどうしても譲れない結婚条件があった。


 一番素晴らしい馬を贈ってくれる殿方であること。

 そして、結婚後も毎日の乗馬を許してくれる方であること。


 それが、伯爵令嬢リオナ・アルシオンの望む結婚相手の条件だった。


 およそ淑女らしからぬその条件を、彼女はなんのためらいもなく口にする。

 しかも、社交界で天使と呼ばれる美貌に、可憐な微笑みまで添えて。


 柔らかな蜂蜜色の髪。

 春の空を映したような青い瞳。

 ひとたび微笑めば、たいていの殿方は心を奪われる。


 もっとも、その後に結婚条件を聞かされた瞬間、夢から覚めたような顔になるのだが。


「お父様、次の方はどんなお馬をお連れになるのかしら」


 午後のお茶の席で、リオナは楽しげに尋ねた。


 向かいに座る父、アルシオン伯爵は深々とため息をつく。


「普通の令嬢は、まず求婚者の顔や家柄を気にするものだ」

 

「わたくしも気にしておりますわ。馬に対する姿勢を見てからですが」

 

「それを普通とは言わん」


 伯爵は片手で額を押さえた。


 娘は美しい。

 家柄も十分。

 性格も悪くない。

 求婚者は次々と現れる。

 なのにことごとく縁談がまとまらないのは、ひとえにこの娘が馬という生き物に出会ってからのここ十数年で、馬を見る目ばかり肥えてしまったせいだろう。


「リオナ様、侯爵令息様がお待ちです」


 侍女の声に、リオナはぱっと顔を輝かせた。


「参りますわ」


 その足取りは、求婚者に会いに行く令嬢のものというより、名馬の品評会へ向かう馬好きのそれだった。


 案内された応接間には、若き侯爵令息が待っていた。

 王都でも評判の美丈夫で、家柄ももちろん申し分ない。


「お目にかかれて光栄です、リオナ嬢。今日はぜひ、あなたに相応しい贈り物をお持ちしました」

 

「まぁ。ではさっそく、馬を見せていただけますか」


 侯爵令息は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに胸を張った。


「もちろんですとも!」


 連れられて向かった先にいたのは、見事な白馬だった。

 絹のような白い毛並み。

 高く掲げられた首。

 豪華な飾り鞍。

 見た目の華やかさだけなら、申し分ない。


「我が家の誇る名馬です。いかがでしょう?」


 リオナは白馬の前で足を止めた。

 白馬もまた彼女を見た。

 耳を揺らし、少しだけ鼻を鳴らす。


 数秒ののち、リオナはにっこり微笑んだ。


「とても美しい子ですわね」

 

「でしょう?」

 

「でもどうしてかしら? 右後ろ脚を少しかばっていますわ」


 侯爵令息の笑みが固まった。


「……え?」

 

「ほんの少しですが重心がずれていますもの。最近なのかしら? どこかで軽く捻ったのでしょう。ほら、耳を伏せてましてよ。ずいぶん不機嫌そうですわ」


 白馬がぶるるっと低く喉を鳴らした。

 まるで、その通りだと言わんばかりに。


 侯爵令息の隣に控えていた従者が、気まずそうに目を逸らした。

 どうやら図星らしい。


「見た目を整えるのは大切ですけれど、痛みを抱えたままの子を素晴らしいとは申せませんの」


 リオナは白馬の首筋をそっと撫でた。


「この子は良い馬ですわ。だからこそ、きちんと休ませてあげてくださいませ」


 結局、その侯爵令息との縁談はその場で静かに立ち消えとなった。


 父である伯爵は、その夜、書斎で深々とため息をついた。


「リオナ、お前は本当に結婚する気があるのか?」

 

「もちろんですわ、お父様。わたくしはただ、馬を飾りとしか思っていない殿方に嫁ぐ気がございませんの」

 

「そこまで言うなら、いっそ馬と結婚したほうが早いのではないか……」

 

「それはできませんわ。馬は夫にはなれませんもの」


 愛娘ににこにこと微笑まれ、伯爵はますます頭を抱えた。


 そんな父娘のもとへ、新たな来客が告げられたのは、それから三日後のことだった。


「辺境伯家のご嫡男、エリオス・グランヴィス様がお見えです」


 その名に、リオナは少しだけ目を瞬いた。

 グランヴィス辺境伯家といえば、北方を守る名門中の名門ではないか。

 優れた軍馬の育成でも知られている。


 応接間へ現れた青年は、これまでの求婚者たちとはまるで違っていた。


 華美な装飾のない濃紺の上着。

 陽に焼けた肌。

 無駄なく引き締まった長身。

 凛々しい顔立ちだが、愛想がなく冷たさよりも真面目さが先に立つ。


「本日はお時間をいただきありがとうございます」


 低く落ち着いた声だった。


「こちらこそ」

 

 リオナは微笑む。


「それで、エリオス様。わたくしに馬を見せていただけますか?」


 父が小さく咳払いをした。

 普通ならもう少し会話というものがあるだろうと言いたげだったが、エリオスは気を悪くした様子もなく頷いた。


「えぇ、ぜひ」


 案内された厩舎にいたのは、栗毛の馬だった。


 華やかな飾りはない。

 白馬のような派手さも、青毛のような珍しさもない。

 だが、ひと目見た瞬間にリオナは息を飲んだ。


 美しい。


 見た目の派手さではない。

 均整の取れた骨格、深い胸、無駄のない筋肉。

 何より、その目がいい。

 人をよく見て、無闇に媚びず、けれど警戒しすぎてもいない。

 誇り高く、静かな眼差しだった。


「……この子」


 リオナは思わず一歩近づいた。


 栗毛の馬は、じっと彼女を見つめ返している。


「この馬はレリックと言います。ご覧の通り、見栄えはしません」


 エリオスが言った。


「戦場に出たこともあります。肩に傷も残っています」


 たしかに肩口には古傷があった。けれど痛々しさはない。

 きちんと癒え、ここまで大切にされてきた傷だと分かる。


「ですが、私の領地で一番賢く、一番強く、そして何より私が一番信頼している馬です」


 エリオスがその首筋を撫でる。

 手つきが驚くほど丁寧だった。


 その一瞬で、リオナには分かった。

 あぁ、この人は馬を飾りではなく相棒として扱う人なのだと。


「触れてもよろしいでしょうか?」

 

「この馬が許せば」


 リオナはゆっくり近づいた。

 急がず、怖がらせないように手を差し出す。


 栗毛の馬はしばらく彼女を見ていたが、やがて自分から鼻先を差し出した。

 そっと手のひらを寄せると、温かな息がふわりと触れる。


 リオナの頬が自然と綻んだ。


「まあ……なんて素敵な子なのでしょう」


 栗毛の馬が低く喉を鳴らす。

 それを見て、エリオスがわずかに目を見開いた。


「珍しいな」

 

「人見知りをするのですか?」

 

「知らない相手には、あまり自分から近づきません」


 つまり、認められたのだ。


 その事実に、リオナの胸が少しだけ高鳴った。


「この子、とても大事にされてきたのですね!」

 

「分かるのですか?」

 

「ええ。馬は隠しませんもの! 大切にされた子は、人を見る目がやわらかいですわ」


 静かな沈黙が落ちた。

 それは気まずいものではなく、どこかあたたかな間だった。


 やがてエリオスが口を開く。


「もう一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「はい」

 

「結婚後も毎日の乗馬を許してくれる相手がよい、と伺っています」


 リオナはぱちりと瞬いた。

 そこまできちんと自分のことを調べてきてくれたことが、ちょっとばかり嬉しい。


「えぇ。わたくしにとって、とても大切なことですわ」

 

「でしたら問題ありません」


 エリオスは即答した。


「毎日でも、朝でも夕でも、お好きなだけ」

 

「まぁ」

 

「必要であれば馬場を整えます。遠乗りがお好きなら案内いたしますし、ご希望なら一緒に騎乗いたします」

 

「まぁまぁ!」

 

「厩舎にも自由にお入りください。止める者がいれば、俺が止めます」


 父がごほっと妙な咳をした。

 リオナは目を丸くしたまま、しばらくエリオスを見つめた。


 条件を飲むだけではない。

 彼はそれを面倒とも奇妙とも言わなかった。

 それどころか、まるで当然のことのように受け入れ、その先まで整えると言ってくれているではないか!


「……エリオス様」

 

「はい」

 

「あなたは天使のような殿方ですのね」


 言った瞬間、エリオスは完全に固まった。


 栗毛の馬が、ぶるるっと楽しげに鼻を鳴らす。

 父は今度こそ天を仰いだ。


 少しの沈黙のあと、エリオスが咳払いをした。耳がほんの少し赤い。


「それは初めて言われました」

 

「……そうでしょうとも」


 父が遠い目でつぶやく。

 リオナはくすりと笑った。


「その求婚、喜んでお受けいたしますわ!」

 

「……本当に?」

 

「えぇ!」


 彼女は栗毛の馬を見上げ、それからエリオスを見た。


「この子を見れば分かりますもの。あなたが良い方だと」

 

「俺ではなく?」

 

「馬は嘘をつきませんわ」


 エリオスは数秒黙り込んだあと、静かに笑った。

 最初に見た時より、ずっとやわらかい顔だった。


 婚約が決まってからのアルシオン伯爵家は忙しかった。

 ただし大半は、普通の婚約で必要な衣装や装飾の準備ではなく、リオナのための騎乗服や、北方へ移る際に連れていくお気に入りの鞍の選定だった。


「花嫁衣装より先に馬具を選ぶ令嬢は、お前くらいだろうな……」

 

「そうかしら? どれも大切ですわ、お父様」

 

「比重が違いすぎる」


 けれど伯爵はどこかほっとしていた。

 娘の奇妙な条件を、笑わず、呆れず、真正面から受け止めてくれる相手など現れないのではないかと密かに案じていたからだ。


 北方へ嫁いだ後も、リオナの日々はほとんど変わらなかった。

 朝になれば厩舎へ向かい、馬の機嫌を見て、風の匂いを吸い込み、晴れた日には馬場を駆ける。


 変わったのは、その隣にエリオスがいることだった。


「今日は東の丘まで行ってみませんか?」

 

「喜んで!」

 

「少し風が強いので気をつけてください」

 

「わたくしを誰だと思っていらっしゃるの?」

 

「馬に乗る時だけ無敵になる人だと思っています」


 そんなやり取りをしながら、二人はよく並んで駆けた。

 最初に贈られた栗毛の馬、レリックは今ではリオナにもすっかり懐き、遠乗りのたびにリオナを乗せてどこか得意げな顔をしている。


 ある夕暮れ、遠乗りの帰り道で、エリオスがふいに足を止めた。

 西日が丘の草を金色に染め、馬たちの影を長く伸ばしている。


「リオナ」

 

「何でしょう?」

 

「一つ、礼を言いたい」


 彼はまっすぐに彼女を見た。


「最初は、結婚相手の条件として馬を求める令嬢など、正直どうかしているのではと思っていました」

 

「まぁ」

 

「ですが今は、あれ以上に正しい条件はないと思っています」


 リオナは目を瞬いた。


「馬をどう扱うかで、その人間が分かる。あなたは最初から、俺のことをそこできちんと見ていた」

 

「……えぇ」

 

「俺もです」


 エリオスは少しだけ照れたように視線を逸らし、それでも続けた。


「馬を見るあなたを見て、この人となら共に生きていけると思いました」


 胸の奥が、ぽっとあたたかくなるようだった。

 リオナは愛馬のたてがみを撫で、それから自分の夫を見上げる。


「でしたら、わたくしたちは最初から同じものを見ていたのですね!」

 

「そうかもしれません」


 その時、レリックが二人の間にぐいと鼻先を差し入れてきた。

 もっと自分も褒めろと言わんばかりの顔である。


 リオナは思わず笑い出し、レリックに頬擦りする。


「えぇ、えぇ。あなたが一番素晴らしい馬ですわ」

 

「それは間違いありません」


 エリオスまで真顔で頷くものだから、リオナはますます笑ってしまう。


 社交界で天使と呼ばれた伯爵令嬢の結婚条件は、たしかに少々特殊だった。


 一番素晴らしい馬を贈ってくれる殿方であること。

 そして、毎日の乗馬を許してくれる方であること。


 それは変わった条件ではあったけれど、リオナにとっては、きっと誰よりまっとうな幸せの見つけ方だった。


※「乙女ゲームは馬狂いによって成立しませんでした」と世界観が一緒ですが、別の国のため本編の繋がりはありません。


読んでくださり、ありがとうございました。

もし少しでも楽しんでいただけましたら⭐︎やブクマで応援していただけると嬉しいです。


☆☆☆☆☆→★★★★★ (*_ _)人


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