時空駆ける暗殺者 第一話
二千二十五年三月十九日の深夜から早朝にかけて、ヴォルツ青年は自宅の一室に閉じ籠って、小説作品『時空駆ける暗殺者』の執筆に取り組んでいた。彼の考えによれば、未来世界における理想的な統治者とは、平和主義者や民主主義者ではありえず、徹底した権威主義者でなければならなかった。この青年が想像する現実的な未来社会とは、政府の意向に与する思想の持ち主のみで占められた世界であり、体制への異議や反駁などは絶対に存在してはならないはずであった。彼の脳内に浮かんだ未来政府は、自らの時代の支配のみに飽き足らず、過去世界の統治にまで踏み出していた。それはすなわち、過去世界の思想の単純化であった。
『常に自国の政府の政権を信頼し、その政策を永遠に支持する』という、たったひとつの論理によって、過去世界全体を同時に束縛しようというのである。つまり、未来から過去に対して号令をかけ、すべての時間軸に存在する国家の体制を固定化しようというわけである。
遥か未来の世界における政治や社会が、どのように移り変わっていくかは、現在の時点では一般人には分かりようもないはずだが、少なくとも、ヴォルツ青年はそのような理想を持っていたわけである。しかしながら、過去世界にまで思想の単純化の押しつけを推し進めることは、そう簡単にはいかないはずであり、それを達成するまでの道のりには多くの困難が待ち受けることが予想された。例えば、各世界の教科書や法律をこちらの支配者よりのものに変えていくくらいでは、大衆の思想を国家に忠実なものに統一していくことはできないだろう。自分の想像の中において、それらの目標を手っ取り早く実現するために、青年は時空を自在に飛び交うことのできる暗殺者を考案した。
暗殺者というダークヒーローはまだ余計な思想に毒されていない純朴な少年であるべきだった。ヴォルツ青年がその脳内において創り出した少年の外見は、中背細身で眼光鋭く、黒い紳士用スーツを着込んでいた。この少年は例え数百人を同時に殺害しようとも、まったく動揺を見せることはないという冷酷な心の持ち主という設定であった。今書き進めている作品の主人公としての大きな特徴を持たせるために、この少年暗殺者には真っ赤な回転式拳銃を持たせることにした。この少年は未来政府の統治者に、その思考を操られているために、過去世界において、何のためらいもなく次々と殺人を行うという設定である。その細い腕には未来世界において開発された時空転移リングが装着されている。この装置を操作することによって、少年は過去や未来を自在に行き交うことができるのである。
優秀な暗殺者は無口な方がしっくりくる。おしゃべりな犯罪者というものは、大抵間抜けなミスを犯して自滅するものだ。さらにこの考えを推し進めて、この少年は生まれつきの聾啞である、という設定の方が面白いかもしれないと、ヴォルツ青年はそのように考えるようになった。
この暗殺少年の基本的な目的は過去世界における優秀な思想家の殺害である。すべての過去世界において、平和や人権主義や身分の平等を訴えて、大衆心理を操ろうとする学者たちの大多数が殺害され、その上で、その遺体をも消し去られることによって、彼らの生んだ盲目的な主義主張は、そもそも存在していないことになるわけである。それだけでも、未来世界の権威主義国家にとって、有利な展開が多く生まれるというわけである。
例えば、二十世紀前半のドイツにおいて、多くの平和思想家やその支援者を、この少年が密かに殺害して消していたことにすれば、後に極右政党のナチスが台頭した事実との整合性が取れるわけである。ここまではなかなか面白い設定だとヴォルツ青年は自賛した。次にこの殺し屋の少年が各年代のロシアや中国を始めとする他の独裁的な国々においても、同じようにリベラル思想家たちの抹殺を行っていたことにすればいい。この冷徹な少年の暗躍によって、未来世界の姿は本来のあるべき姿から、少しずつずれて、陰鬱で固定化された世界へと変化していくはずである。
ただ、この暗殺少年にも追手となる敵が存在するという設定にした方が話の展開としては面白くなるのではないかと、ヴォルツ氏はそう思うようになった。彼はそこで時空警察という概念を想像した。この聞きなれぬ名称の組織は、未来において、暗殺少年に指示を出して操っている政府機関と真っ向から対立しているレジスタンス的な民主主義組織によって立ち上げられた部隊である。彼らは時空を股にかけて行われている悪質な犯罪を取り締まるのがその主たる任務である。
時空警察は様々な時代において、リベラル思想家や平和主義指導者の暗殺が行われていることをその調査によって知り、このままでは、未来におけるすべての国家の有りようは固定化され、暗黒に包まれてしまうことを危惧する。そこで、彼らはさらなる綿密な調査を行い、その結果として、たったひとりの少年が時空を過去や未来に自在に行き交いながら、多くの残酷な事件を引き起こしていることを知り始める。当然のことながら、時空警察は少年の横暴を止めようとする。両者は各時代の事件現場において出会い、激しく対立するようになる。少年も自分にも敵となる追手がいることを悟るようになる。
暗殺少年が警察の追手を振り切って、時空から次の時空へと逃げ去っていくたびに、時空警察の側は捜査の網を過去へ過去へと広げていく。少年は自分の居場所が狭くなるたびに、病的なほどに慎重になっていく。彼は移動に便利で人口の多い大都市ではなくて、寂れた街や貧民街を選んで身を潜め、その羽を休めるようになる。
ヴォルツ青年はここでその筆をいったん止めると、大きく深呼吸をしてから、ブラックコーヒーを一杯飲み干した。想像の中において、暗殺者とその追手となる時空警察との激しい戦いの、その後の展開を考え出していくことは、それほど容易ではなかった。この少年ひとりで、すべてのリベラル思想家たちの暗殺という骨の折れる活動をさせていくことは、そろそろ限界ではないかと思うようになった。
そこで、この暗殺少年がとある時代の貧民街に身を隠しているときに、可愛らしい娼婦と運命的に出会うことにしてみた。ふたりが出会ったきっかけは、酔っ払いの労働者から暴行を受けそうになった彼女を、この少年が偶然にも救ってやったという形でもいいではないか。
娼婦ははじめ、自分を救った少年が聾唖であることと、凶器である拳銃を所持していることにひどく驚くが、ふたりは意思の疎通を取っているうちに、互いの立場を認め合い、恋に落ちることとなる。この娼婦は右目が生来見えないという病気があるという設定にしたかったが、この曖昧な設定を上手く生かせるかどうか、ヴォルツ青年は自信が持てなかった……。このふたりの物語の行く末が、最終的に救われることになるかどうかが、彼にはまだ確信が持てなかったのである。
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