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第4話 「学校跡地と、風に揺れる掲示板」

ここに来てから、時間の単位が変わった。

分や時ではなく、風や影で数える。

今日は、夏焼の「声」を集める場所を作る。

山道を少し下った先に、木造の平屋が残っていた。

黒ずんだ看板に、かすれた白い文字――「夏焼分校」。

窓の桟に手を置くと、木が陽を吸って、ほのかに温かい。


「ここ、好きだな」

白井澪がつぶやく。

教室の床には、チョークの粉が薄く残っていた。

熊のミーシャが胸のパネルを点ける。

「“授業のベル”、鳴らしてみる?」

効果音が小さく鳴って、空き教室に丸い音が広がる。

誰もいないのに、椅子が起き上がる気配がした。


「まずは掲示板からだね」

新顔が工具箱を置いた。

桐生菜摘。宿舎整備担当。

髪を後ろで結んで、ジャケットの袖をざくっと折り返す。

「板はこの廊下の壁に沿わせて、外光で読める角度。

 紙はピン止めじゃなくクリップで。風、強いから」

動きが速い。声は軽いが、迷いがない。


もう一人が、黒板の前でメジャーを伸ばしている。

中原瑠花。教育と記録の担当。

黒縁の眼鏡が、光を薄く返す。

「見出しは大きめに。字をそろえるより“読む順番”を決めること」

チョークで線を引き、

〈今日の仕事〉〈明日の相談〉〈誰かの発見〉と書いていく。

彼女の文字は、拍子のある音楽みたいだった。


俺と天野颯真は、玄関側に板を運ぶ。

外から、柴崎悠里が枠の塗料を混ぜて入ってくる。

「古い木色は活かして、上から半分、薄く白を引こう。

 読みやすくなるし、光が柔らかく跳ねるから」

澪は雑巾を絞って、手すりの埃を拭き取っていく。

ミーシャが廊下の端で、古いスピーカーの埃をそっと払った。


「結城くん、ここの高さ、どう思う?」

瑠花が指す目線が、ちょうど俺の胸のあたりで止まる。

「立って読む人にも、座って書く人にも合う高さがいい」

言うと、彼女はうなずいて小さく笑った。

「じゃあ、その“あたりまえ”に合わせよ。ここは、みんなの手の届く場所にする」


菜摘が金づちを持って、軽く板を叩く。

トントン――と、分校の骨組みに合図を送るみたいな音。

颯真が釘を渡す。

木島大輝が支えに回る。

みんなの手が、ひとつの面を起こしていく。

風が入って、廊下の埃が細い光の中で舞った。


「掲示板、仮止め完了」

菜摘が肩で息をして笑う。

手の甲に薄い塗料がついて、陽にきらっと光った。

その横顔に目が行くと、廊下の向こうで悠里が視線を戻す。

一瞬だけ、目がかすかにぶつかって、何も起きない。

起きないことが、今日は正しい気がした。


ミーシャが胸のパネルを点け、黒板を撮る角度を探し始めた。

「“今日の声”を記録するよ。

 投稿用の写真はここ、説明は短く。

 長い言葉は、分校に置いていこう」

澪が頷く。

「紙の匂いと、手書きのリズムはここに残して、

 外に見せたいのは光と空気、ですね」


瑠花が白紙を数枚配った。

「最初の書き込み、三つ欲しい。

 〈今日の仕事〉〈明日の相談〉〈誰かの発見〉」

俺はペンを受け取り、迷ってから一行目を書いた。

〈畑の風よけフレーム、追加一本。午後、分校裏で乾かす〉

隣で澪が、

〈薬草の棚、午後に組み立て。陽の当たる窓辺希望〉

と、丸い字で書いて貼る。

菜摘は笑って、

〈洗濯ロープ増設。明日はみんなの毛布を丸洗い〉

クリップで留める手が、早い。


瑠花は最後に、黒板の隅に小さな段をつくった。

〈だれかの発見〉

そこへミーシャが、チョークでゆっくり書く。

〈教室の隅から、昔の出席簿が出た〉

熊の字は、少しぎこちない。

でも、丸い「し」が、どこかで見た形だ。


出席簿は、布張りの薄い帳面だった。

ページをめくると、日付と名前と出欠の丸。

最終のページに、小さな文字で書き足された一行。

〈来年、春も咲く。〉

句点のあとの余白が、やけに長い。

ミーシャが胸のスピーカーの音量を下げる。

教室が、耳を澄ます側に変わった。


「録音、流すね」

熊が再生すると、古いマイクの奥から、子どもの笑い声がほどけた。

走る足音、木琴、校庭の風。

過去の空気が、いまの光と重なる。

澪が目を細める。

悠里は黙って、掲示板の角を布で磨いた。

瑠花は目を閉じて、数えるように息をした。


菜摘がぱっと手を叩いた。

「はい、写真撮るよ。“夏焼掲示板、はじめます”」

ミーシャが角度を調整し、みんなが自然に並ぶ。

肩が触れ、笑いが連鎖する。

シャッターの擬音が一度鳴って、空気が軽くなった。


外に出ると、分校の桜が、まだ硬い蕾をかかえていた。

黒板消しを干す網に、陽がやわらかく当たる。

掲示板に最初の紙が三つ、風で少し揺れる。

瑠花がそれを見て、小さくうなずいた。

「これで、“ここで暮らしてる”って、毎日わかるね」

その言葉は、誰にも競われない目標みたいに、分校の梁に掛かった。


帰り道、俺は歩幅を少しだけ大きくした。

隣を歩く澪の影と、足音のテンポが合う。

前を行く悠里の髪が、風でふわりと浮いて落ちる。

菜摘が後ろから、洗濯ロープの束を肩に乗せ直す。

瑠花が、掲示板用の紙とペンを抱えてついてくる。

その全部が、村の鼓動に思えた。


ミーシャが最後尾で、胸のライトを弱く灯した。

録音のランプが点る。

〈今日の声――分校の廊下、十人の足音〉

熊が小さく笑う。

「明日、どんな紙が増えるかな」

それは問いというより、明日のための余白だった。


分校の窓に、夕陽が遅れて刺さる。

掲示板の紙が、もう一度だけ揺れて、静かに止まった。

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