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第2話 畑と風と、熊のメモリー

夏焼での初めての朝。

霧が晴れると、土の匂いがした。

この村では、風と一緒に“名前のない仕事”が増えていく。

夜の雨が止んで、空気が透きとおっていた。

熊のミーシャが畑の入口で手を振る。


「今日から畑の整備だよ。

 みんな、もう集まってる」


広場には四人が立っていた。

白井澪、柴崎悠里、天野颯真、木島大輝。

それぞれ違う服装で、でも同じ方向を見ていた。


「おはようございます、結城さん」

澪が軽く頭を下げた。

白い手袋の指先が、土に光っている。


「まずは、この土を起こして、

 少しずつ“夏焼の呼吸”を戻します」


悠里が支柱の束を抱えてやって来る。

「風よけ、こっちに置く? 畝の向き、変えたほうが良さそう」

澪が頷き、

「風が冷たい日は、畝を東西に。日差しを受けて乾かします」


ミーシャが胸のパネルを光らせた。

「十五年前の“夏焼メモ”にも、同じ記録があるよ」


画面には、古い文字が映る。

〈四月、霜で芽がやられた。風を止める柵が必要〉

〈六月、畝高め。川風つよい〉


みんなが少し黙って画面を見つめた。

遠い誰かが、同じ土を耕していた。

その事実だけで、胸が温かくなった。


颯真が鍬を振り上げる。

「よし、俺たちも続こう。腹が減る前に働こうぜ」

笑いながら、力強く土を割る。

音が、空気の奥で小さく弾けた。


作業が始まると、時間がやわらかく流れた。

澪は根のかたさを確かめ、悠里は支柱を立てる。

木島は風よけの枠を組み、颯真は畝の端で汗を拭った。


俺は、ただ鍬を動かしながら、

“呼吸が合う”という感覚を初めて知った。


昼前、ミーシャが胸のパネルを点ける。

「井戸の水、飲もう。

 ここに来た人、みんな“味がちがう”って言うんだ」


澪が柄杓を渡す。

冷たい水が喉を落ちていく。

その瞬間、胸の奥の埃が流れていくようだった。


「ねえ、ミーシャ」

悠里が言う。

「あなたは、どうしてここに残ってるの?」

熊が少し考えて、

「ボク、ずっと録音してたんだ。

 風の音、人の声、笑い、泣き声も。

 消えないようにって、命令されたまま。」


瑠花が遠くで見上げている。

「記録って、寂しくないの?」

「ううん。記録は、“次の誰かに渡す勇気”だよ」

その言葉に、誰も何も言えなかった。


午後、風よけが完成した。

澪が微笑む。

「風が変わったら、また向きを変えましょう」

悠里が頷く。

「ね、風って気まぐれだけど、ちゃんと覚えてるんだよ。

 誰が向きを決めたか。」


夕方、ミーシャが小さなノートを差し出す。

〈今日の記録〉

〈畝三列・支柱設置・風よけ一基〉

〈笑い声、録音済〉


熊が胸を光らせる。

「ボク、今日も“夏焼の心音”を保存したよ」


みんながうなずき合い、

焚き火の準備を始めた。


風が吹く。

火が小さくつき、

畑の土が、今日の色を閉じ込める。

第2話「畑と風と、熊のメモリー」は、

夏焼が“村”として動き出す第一歩です。


新しい人たちの手で、

十五年前の記録が呼吸を取り戻していく。

そのなかで生まれる“言葉にならない優しさ”が、

恋の始まりになるかもしれません。


次回は、分校跡で「声」を残す人たちのお話です。

風が紙をめくるように、物語も少しずつ動きます。

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