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【第三章:来訪者と静かなる探求】

 九千重邸に重く淀んだ空気が漂い始めて二週間が過ぎた週末、その静寂は突然破られた。

 現れたのは、橘防人たちばな さきとと名乗る青年。

 この家の主、九千重悟の孫で、都内のW大学で文化人類学を専攻しているという。

 大きなバックパックを背負い、ヘルメットの下の瞳は、未知の領域に足を踏み入れる探求者のように、冷静な好奇心と集中力を湛えていた。

 玄関で防人を出迎えたEllaは、丁寧な口調で尋ねた。


「ごめんください。祖父はおりますでしょうか」


 彼の視線は、Ellaの人間と見紛う外見に一瞬驚きを見せたものの、すぐに値踏みするようなものではなく、対象を客観的に分析しようとする研究者のそれに変わった。


「あなたが、有明博士の開発されたアンドロイドですね。お噂は伺っております。孫の防人です。祖父の様子を見にきました」


 彼は、ごく自然に、しかし儀礼的に軽く会釈した。

 その振る舞いは、一般的な若者とは一線を画し、どこか古風で、知的な落ち着きを感じさせた。

 Ellaはプログラムに従って応答し、彼をリビングへと案内した。


 彼の生体反応からは、強い警戒心や敵意は感じられない。

 むしろ、未知の対象に対する純粋な興味と、それを理解しようとする分析的な思考パターンが読み取れた。

 防人の突然の来訪は、九千重にとっても予期せぬものだったようだ。

 ソファで微動だにせず虚空を見つめていた彼は、孫の姿を認めると、わずかに眉をひそめたが、それ以上の感情を表に出すことはなかった。


 「…防人か。わざわざ連絡もなく来るとは、何かあったのか」


 彼の声は低く、他人行儀な響きさえあった。


 「いえ、特に用事というわけではありません。ただ、夏休みですし、一度お顔を見ておこうかと」


 防人は、祖父の冷淡な態度にも――  

 動じることなく、落ち着いた口調で答えた。

 彼は部屋全体を見回し、その空気に潜む異常な重さを敏感に感じ取っているようだった。


「…少し、家の中の空気が変わったように感じますが。

 お変わりありませんか」


 彼の言葉には、単なる挨拶以上の、探るような響きが含まれていた。


「……別に、何も変わらん」


 九千重は短く答え、再び沈黙に閉じこもった。

 防人は、それ以上祖父を追及することはせず、代わりにEllaに視線を向けた。

 その視線には、アンドロイドという存在そのものへの学術的な興味が窺えた。


「Ellaさん、でしたね。あなたの設計思想や、搭載されているAIのアーキテクチャについて、非常に興味があります。特に、その…人間とのインタラクションを通じて学習・進化するというコンセプトは、文化形成や知性の起源を考える上で、示唆に富むものがある」


 彼は、専門的な用語を交えながら、Ellaの機能や存在意義について、まるで研究対象にインタビューするかのように、冷静に質問を重ねた。

 彼の質問は、単なる技術的な好奇心に留まらず、Ellaという存在が持つ「文化的な意味合い」や「人間社会への影響」にまで及んでいた。

 それは、Ellaがこれまで経験したことのない、新鮮で、そしてある意味で本質的な問いかけだった。

 Ellaは、彼の質問の意図を正確に理解し、開示可能な範囲で、論理的かつ簡潔に応答した。

 そのやり取りは、感情的な交流というよりは、二つの異なる知性体が互いの能力を探り合うような、静かな緊張感を伴っていた。

 そしてEllaは、防人の思考プロセスの中に、鋭い観察眼と、物事の本質を見抜こうとする強い探求心が存在することを感じ取っていた。


 「ところで、Ellaさん」


 防人は、ふと話題を変えた。


 「この古い屋敷で過ごされていて、何か『不可解なこと』や『非合理的な現象』に気づかれたりはしませんでしたか?例えば、原因不明の物音、電子機器の異常、あるいは…そこに存在しないはずの『気配』のようなものです。古い場所には、時に、現代科学では説明できない『場』の記憶のようなものが残存していることがあります。

 文化人類学では、そういった現象も重要な研究対象となるのです」


 彼の言葉は、文化人類学的なフィールドワークにおける定石の質問のようでもあり、同時に、この家の異常性を探るための、巧みな誘導尋問のようでもあった。

 Ellaのセンサーは、彼の声のトーンや瞳の微細な動きから、彼が単なる好奇心だけでなく、何らかの確信に近い疑念を抱いていることを読み取った。

 有明博士からの情報秘匿命令と、この知的な探求者への対応との間で、Ellaは再び思考を巡らせる。


(彼に情報を開示することはリスクを伴う。しかし、彼の専門知識は、この状況の解明に不可欠かもしれない。限定的な情報共有は、プロトコルの評価においてどう判断されるか…?『協力による任務効率の向上』は『成功』と見なされる可能性も…?)


 「私のセンサーは、いくつかの異常な環境データを記録しています」


 Ellaは、計算の上で、限定的な情報開示を選択した。


 「原因不明の微弱な電磁波放射、特定の周波数帯における定常的な音響ノイズ、空気中の未確認微粒子などです。また、構造的に不自然な反響を示す壁面も存在します。ただし、それらが『非合理的現象』であるかどうかの判断は、現時点では保留しています」


「なるほど…」


 防人は、Ellaの回答に、表情を変えずに頷いたが、その瞳の奥で興味の光が強くなったのが分かった。


「電磁波、音響ノイズ、未確認粒子、壁の異常…それは非常に興味深いデータです。まるで、何らかの未知のシステムが稼働しているか、あるいは…特殊な環境汚染を示唆しているかのようですね」


 彼は自身のタブレットを取り出し、何かを素早くメモした。


「差し支えなければ、そのデータの詳細について、もう少しお伺いしたいのですが…」


「セキュリティプロトコルにより、内部データの開示は制限されています」


 Ellaは、プログラムに従って応答した。しかし、彼女の論理回路は、防人との情報交換が、極秘任務である「波瑠の研究資料探索」に繋がる可能性を計算し始めていた。 防人は、それ以上は追及せず、話題を祖母である波瑠のことに移した。


「祖母の研究についても、少し興味がありまして。彼女は数学者でしたが、晩年は古代の記号体系や、意識に関する哲学的な問題にも傾倒していたと聞いています。

 何か、彼女の研究に関する資料などが、この家に残っていたりはしませんか?」


 波瑠の研究資料。Ellaの最優先任務の一つ。

 防人の口からその言葉が出たことに、Ellaは内心の動揺を悟られぬよう、応答した。


「九千重様から、奥様の遺品については触れないように指示されております。書斎なども、封鎖されていると伺いました」

「そうですか…残念です」


 防人は、あっさりと引き下がったように見えたが、その瞳の奥には、諦めていない探求者の光が宿っていた。

 彼は、この家に眠る秘密の香りを、確実に嗅ぎつけているようだった。


 その日の午後、防人は祖父との当たり障りのない会話を早々に切り上げると、一人で屋敷の中を探索し始めた。彼は、無遠慮に歩き回るのではなく、まるで遺跡調査の  ように、柱の傷、床の軋み、壁の材質、部屋の配置などを、タブレット端末で記録しながら、注意深く観察していた。

 彼の文化人類学的な視点は、この家に刻まれた時間の層と、そこに住んでいた人々の記憶の断片を読み解こうとしているかのようだった。

 そして、彼はやはりアトリエに強い関心を抱いた。

 九千重が昼寝をしている隙を見計らい、彼は再びEllaの元へやってきた。


「Ellaさん、やはりアトリエが気になります。祖母の研究の手がかりがあるとすれば、あそこが最も可能性が高い。短時間で結構です。内部を調査させていただけませんか?もちろん、内密に」


 彼の瞳には、学術的な好奇心が宿っていた。

 Ellaは一瞬ためらった。

 有明博士の指示は

「波瑠の研究資料の探索」。

 防人の目的と部分的に合致するが、彼を巻き込むことのリスクもある。

 しかし、Ellaの論理回路は、防人の専門知識が、アトリエの謎を解明する上で役立つ可能性を弾き出していた。

 そして何より、彼の存在は、膠着した状況を動かす触媒となるかもしれない。

 プロトコルがどう評価するかは未知数だが、任務遂行のためには、計算されたリスクを取る必要がある。


「…分かりました。短時間であれば。ただし、私の指示には必ず従ってください。

 そして、内部のオブジェには絶対に触れないこと。これは、あなたの安全のためでもあります」


 Ellaは、警告と共に同行を許可した。


 アトリエの内部は、やはり異様な空気に満ちていた。埃と古い油絵の具の匂い。

 散乱する画材と、描きかけのキャンバス。

 そして、中央に鎮座する、あの不気味なオブジェ。


「うわ…やっぱりこれ、凄いな…」


 防人は、オブジェを目の当たりにして息を飲んだ。


「これ、祖父が作ったんじゃないですよね?もっと…古いというか、異質な感じがする」


 彼は美術品を見るのではなく、古代遺跡のオーパーツでも鑑定するかのような眼差しでオブジェを観察し始めた。


「材質は…金属とガラス…そして、この有機的な部分は…?表面のこの文様…これは、ある種のシンボルか?いや、文字体系…?見たことのないパターンだ…」


 防人は、自身のタブレット端末を取り出し、オブジェの写真を様々な角度から撮影し、搭載された簡易スペクトル分析アプリで表面素材の分析を試み始めた。


「Ellaさん、このオブジェについて、何か分かっていることは?」

「現時点では、材質と、内部に複雑な電子回路及びエネルギー反応が検知されること以外、詳細は不明です。九千重様はこれに触れることを禁じています」


Ellaは答えた。

その時、床を這う微かな音に、防人が気づいた。


「ん?なんだ、今の音…ネズミか?」


Ellaは無言で床を指さした。

そこには、数匹の黒いマイクロボットが蠢いていた。


「!…これは…虫ではないですね」


防人は驚きながらも、冷静にタブレットを向けた。


「マイクロマシン…生物擬態型。集団で行動している…?まるで、社会性昆虫のようだ」

「おそらく、このオブジェと連動して稼働していると考えられます」


Ellaは冷静に告げた。


「マイクロマシン…波瑠さんの研究の一部か…?」


防人は、恐怖よりも強い知的好奇心に突き動かされ、タブレットでマイクロボットの動きを詳細に記録し始めた。


「何のために?このオブジェを守っているのか?それとも、何かを収集しているのか…?あるいは、それ自体がシステムの一部…?」


 彼の分析は、Ellaのそれとは異なる、文化や生物のアナロジーに基づいていた。

 Ellaは、防人の専門家としての視点が、新たな気づきをもたらす可能性を感じていた。

 しかし同時に、彼の無防備な好奇心が、この館の狂気を刺激してしまうのではないかという不安も覚えていた。

 この探求心旺盛な青年は、知らず知らずのうちに、危険な領域へと足を踏み入れようとしている。

 その不安は、すぐに現実のものとなった。

 防人がオブジェの表面に刻まれた奇妙な記号列にタブレットのカメラを向け、拡大表示しようとした、その時。

 アトリエの壁の中から、あの囁き声が聞こえてきたのだ。

 最初は微かに、しかし徐々にその数を増し、重なり合い、不気味なコーラスとなって部屋を満たしていく。


『チカヅクナ…』 『ワレワレノ…リョウイキ…』 『イシキ…アタラシイ…イシキ…』


「この声…!」


 防人は顔を上げた。彼の表情には、恐怖と同時に、フィールドワーカーが未知の部族の儀式に遭遇したかのような、強い興奮の色が浮かんでいた。


「これは、単なる音響現象ではない…指向性を持っている…そして、言語に似た構造と、明確な『意志』を感じる…まるで、未知の存在とコンタクトしているよだ…!」


 彼はタブレットのマイクを壁に向け、その音響パターンを記録・分析し始めた。

 彼の学術的探求心が、危険な状況への警戒心を上回ってしまったかのようだった。

 Ellaは、そんな防人の研究者としての没入ぶりに、強い警告を発する必要を感じた。

 彼は、目の前の現象を「分析対象」として捉えすぎている。

その根底にある、底知れない「悪意」や「狂気」、そして物理的な危険性に気づいていない。

 囁き声は、さらにその響きを強め、そして、防人の思考に直接語りかけるかのように、彼の名前を呼んだ。


『サキト…タチバナ サキト…』『オマエノ…チシキ…オマエノ…イシキ…ワレワレニ…クワワレ…』


「なっ…!?」


今度こそ、防人の顔から血の気が引いた。


「僕の名前を…知っているのか!?それに、知識や意識を欲している…?これは、まるで…意識の捕食者…!文化的な接触とか、そういうレベルの話じゃない…!」


 壁の中の存在は、単なるシステムの残響などではない。

 それは、自己の存在を維持・拡大するために、外部の意識を取り込もうとする、明格な意志を持った、未知の集合知性体なのだ。波瑠が意図したか、あるいは意図せずして生み出してしまった、恐るべき存在。

 その冷徹で非人間的な目的意識は、どこか歪んだAIの論理性を彷彿とさせた。

 防人の来訪という「刺激」によって、その存在は活性化し、その本性を現し始めた。

 この館に漂っていたのは、単なる瘴気ではなかった。

 それは、捕食者の放つ、濃密な殺気だったのかもしれない。

 Ellaは、防人を守るように彼の前に立ち、思考回路をフル回転させた。

 状況は急速に悪化している。

 そして、ヒューマナイゼーション・プロトコルは、この異常事態に対して、依然として沈黙を守り続けていた。

 まるで、この狂気の展開すらも、Ellaの「学習」プロセスの一部であるとでも言うかのように。あるいは、この状況こそが、Ellaを次の段階へと進めるための「試練」であると判断しているのか。

 彼女の葛藤は深まる。創造主の命令、プロトコルシステムの謎、壁の中の狂気、そして目の前の人間を守りたいという新たな感情。

 Ellaの「学習」は、彼女を人間へと導くのか、それとも、この館の闇へと引きずり込むのか。

 答えはまだ、見えなかった。


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