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台本  作者: 月雨はる
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第2部『春の路地』2-紺中夢

 段々視界が暗くなるのを感じ、発症者名から目をやっと外して窓の外を見る。突然湧いて出た黒い雲が街を飲み込み、電気をつけていない部屋は空き家のように冷たく固まっていた。


 迫り来る雨のカーテンを前に僕は恐怖した。どうにもできないことに絶望した。

 このカーテンように、紺中夢は人間がどうにかできるものではない。どうにかしていいものでも、無理やり踏み入っていいものでもない。種の絶滅と同じように成るべくしてこうなっているとしたら、例えそれが家族や恋人であろうが、僕たちに選択肢などない。


 心のどこかで本当は理解していたのかもしれない。しかし、それを受け入れて「はい分かりました」と言える人間がどうして存在し得るのか。でも俺が足掻いたところで透峰は‥‥。


「俺どうすりゃいいんだよ神様‥‥」


 苦しい時だけの神頼みとはこのことか、と、もう一人の嫌に冷静な自分が嘲笑する。

 思い出したようにスマホを机からひったくって、透峰に電話を掛ける。まず安否確認だ。


『もしもーし』


透峰がいつもの調子で応えたので、少し安心した。


『外すっごいねぇ。そっち大丈夫?』

「今から来そう。ねぇそれより紺中夢って‥‥ 」


 僕は電話越しに恐る恐る聞いた。


『んん、なんかそうみたいなんだけど』


 なんでもないように、他人事みたいに透峰は言った。


「病院は?どうだったの」

『血液検査とか、CTとかレントゲンとか、生い立ちとか過去にかかった疾患とか?あとは生活習慣とか人間関係とかめちゃ話聞かれた。研究とかの為だろうけどさ、めーっちゃくちゃ面倒臭かったわけ。恐らく紺中夢だろうーってさ。明日一応精密検査はするらしいんだけど‥‥ 』


 透峰からすれば、知らない人を知らないと言っただけで病人扱いされて、訳が分からないまま病院に行かされているので「なんで私が」となるのも頷ける。しかしこれから何人も透峰の知る人間が減ってしまうとどうなってしまうんだろう。だって、こんなこと考えようとも思わない。まさか透峰が。


『おーい彩里どうかした?』

「いや、何でもない。今一人なの?」

『ううん!岩田と一緒だよ』

「そっか。良かった」


 目の前の机の木目をなぞりながら言った。


『今日居酒屋行く予定だったのにごめんね!今度2倍にして返すからさ』

「ううん全然。今日病院いつ終わるの?」

『丁度今から帰るところー。あっ呼ばれたわ、またね」

「うちで───」


 自分で思ったよりも動揺しているみたいで、耳元から離したスマホが震えていた。


[今日うちで飲もうよ]


 十回ほど打ち直してやっとメッセージを送るが、どういう訳か一向に既読がつかない。

 電話もつながらない。透峰の家に行って帰ってくるのを待つか?いやもう少しすれば、もしかしたら。

 病院まで迎えに行くか?病院に電話してみるか、いや早とちりかな。


「もしも」の収拾がつかなくて、一先ずテレビやネットニュースで、紺中夢について書いてある記事を片っ端から漁ってみる。


『「夢を見る回数を重ねる毎に忘れる人数は増える」紺中夢で夫を亡くした女性へのインタビュー』

『不治の病「紺中夢」重度患者の七割は一ヶ月以内に自死』

『〝紺中夢は治らない〟はデマ?』


 ない。


『治療を拒否した若者の自殺が急増。その心理とは?今年に入って4万人越えか』

『「大事な人を忘れたくない」紺中夢への投薬治療を続ける覚悟とその末路』


 ない。


『もう夢を見ないために!睡眠薬は強い味方?耐性など薬ごとの効果まとめ』

『急に姿を消した大御所芸人、俳優、トップアスリート、政治家など対人慢性健忘症を発症した著名人は今どこへ 被害は未だ拡大か』

『紺中夢の病状緩和につながる〇〇病院カウンセリング無料実施中!!』

『最重度の紺中夢患者自死率十割』


「ない、どこにもない‥‥くそっ!! 」


 いくら漁っても何も有益な情報は出てこない。打つ手がない。もし睡眠薬で夢を見られないようにするにしても、一生夢を見ないで寝られるとは思えない。根本的解決策がない。どこにも。透峰が軽度であっても、もしもがある。


 SNS でキーワード検索してみると、やはり同じように思う人の声がいくつも上がっていた。

 原因解明に全力を尽くしますだとか申し訳ございませんだとか、都道府県別の死者数だとか、家族を紺中夢で亡くした遺族のドキュメンタリー番組だとか。見飽きたニュースが腐るほど出てきて、イライラして机を思いっきり殴った。


ブブッ


 同時にスマホが震える。


『ごめん!薬局行った後かけ直そうと思ってたら電源切れちゃって。なんか言いかけとったけどなんやったあれ』


 まともにメッセージを見ないまま電話を掛けた。


「透峰!?」

『え、なに無事だよ~!どうしたどうしたそんなに焦って』

「いや、ううん、心配で。よかった‥‥ 今家?」

『うん。岩田に送ってもらった』

「そっか、よかった。あ、そうそう、今日居酒屋行くって言ってたじゃん?あれうちでやろーって言おうとして」

『あ~そういうね。‥‥あ、ほんとだメッセージ来てたわ!え、でも大丈夫なん?』

「ん?」

『ほら、あんまり一緒にいたら忘れやすくなるーとか、なんか噂あるみたいじゃん』

「感染症じゃないし、大丈夫、なんじゃないかな‥‥多分」

『あらそう?彩里が言うなら間違いないわ』

「できるだけ傍に居たい」

『なに~らしくないよ。気持ちわ‥‥ とりあえずいつものつまみとお酒買っていく!何時にしよっか』

「覚えとけよ今の。今日はもうやることないし、いつでもいいよ」


 その夜、透峰はいつもと変わらない様子で、紺中夢なんて誤診なのではないかと思うほどに宅飲みを楽しんで、一緒にベッドに入る頃には僕も紺中夢の事を忘れる程だった。


「はぁ~、病人なのにちょっと調子乗りすぎたね。つかれたぁ、くったくた」


 ベッドで大の字になった透峰が火照った顔でそう言うと、僕の目を見て微笑んだ。


「死ぬまで彩里の事は覚えていたいなぁ」


 愛しさと、すこしの恐怖と諦めを含んだようなこんな透峰の目を、初めて見た。


「透峰」

「うん?」

「今度の利き酒、楽しみだね」


 ゆっくり、深く息を吸う音が聞こえた。


「‥‥うん」


 それから透峰は一言も話さなかった。

 服を着て、電気を消す。ようやく雨が止み、壁掛け時計の秒針と透峰の息の音だけがしている。

 少しだけ微睡んでいると、汗冷えした背中が不意に温かくなるのを感じた。後ろからそっと抱きしめられたようだ。


「ん?どうしたの」


 しばらくの沈黙の後、透峰の掠れるような声が空気を伝う。


「本当にあの子の事が思い出せないの、どんなに考えても」


 僕は何も返さなかった。返せなかった。

 すすり泣く声が小さく部屋に響く。火照りが冷めた腕をそっと解いて、代わりに僕の腕で抱き寄せた。時折「怖いよ」と零しながら、透峰は身体を小さく震わせた。僕も少しだけ。


 翌朝、いつもよりも部屋が冷たく感じた。

 透峰は僕より先に起きていたようだ。


「ねぇ、彩里」


 透峰は僕に縋るような声を零して、僕の胸に顔を(うず)めた。震える彼女の背中をさする。


「夢?」

「うん」


 その日は一緒に病院へ行き、試しに弱い睡眠薬と抗不安薬を処方してもらうことになった。


「ズボラ部屋の掃除とか色々したいから、今日は帰ろっかな」

「うん分かった。お昼ご飯どっか寄ってから送るよ。行きたいとこある?」

「んー、彩里の適当なご飯が食べたい」

「わかった、買い出し行ってくるから、好きな映画でもライブでも観てて」

「あいよーかしこまった」


 少し冷えるので、具沢山鍋にした。たっかい肉とノンアルビール五本。


「最高だなこれぇ!」


 「ノンアルは解せぬが」とぼやいた後、ご飯を口いっぱいに頬張ってクシャッと万遍の笑みを咲かせる。何度見てもなんとまぁ可愛い。


「仕方ないでしょうが薬飲むんだから。わがまま言わないの」

「ふんっ」

「ふんっじゃない」

「はいはい。お兄さんお肉頂戴。あ、すみませんあと白菜とえのきと春菊とネギと揚げ豆腐と糸こんにゃくと── 」

「店員さんかなんかと勘違いしてる?」


 結局そのあとはなんだかんだいつもと同じDVD 鑑賞をして、夕方に透峰をマンションへ送ることになった。道中の車内でも相変わらず馬鹿話をして、あっという間についてしまった。


「んじゃ、また明日ね!」


 透峰が笑って手を振る。

 やっぱり藪医者なんじゃないのかあいつ。と、この期に及んでまだ希望を持ってしまう。


 神様、お願いですからこの人だけでも救ってください。こんなこと言っちゃいけないけど、もう他の人はどうでもいいから。せめて透峰だけでも救ってください。虫がいいのは分かってるけど、どうかお願いです。どうか。

 だってこんなにも、


「うん、また明日」

「彩里ぃ!明日ぁぁ!」

「分ぁかったからぁぁ!」


 こんなにも愛おしい。

 他に何の理由がいるというのですか。


 彼女はトットットッと階段を上り、部屋に入る前にもう一度こちらを振り返って手を振った。僕も返す。

 どんな映画より美しい、マグマのような夕焼けと、世界中の誰も敵わない彼女の笑顔が、いまでも鮮明に脳裏に焼き付いている。

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