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犬神の罪



結婚式は滞りなく行われた。


スズは真っ白なウエディングドレスに身を包み、チャペルに現れた。目を伏せて歩くスズの姿は、息を飲むほどに美しかった。

制約、指輪の交換、そして誓いのキスが行われた。新郎新婦とゲストが退席し、チャペルが空になるまで、あっという間に時間は過ぎた。


ゲストの案内を済ませ一息ついた頃、間も無く約束の時間が迫っていることに犬神は気づいた。

緑色の男と約束した時間である。


かつての恋人の結婚式だと知っていれば、断っただろうか?


披露宴では友人代表のスピーチが始まっていた。


「ご紹介に預かりました、友人代表の田中と申します。本日はご結婚、誠におめでとうございます。お二人の一生に一度の晴れ舞台にこうして立ち会えたことを嬉しく思います。」


聞き流しながら、犬神はスマホを開きユーチューブを開く。


〈ヒトミドリ〉と検索すると、「生放送まで後三十分」と表示されていた。タイトルは変わらず「緊急生配信〜一生に一度の晴れ舞台」だ。犬神は思う。そういえばあの男は、チェペルで何をするつもりなのだろうか?


「お二人が出会ったきっかけは愛猫のクロちゃんだったとお聞きしています。まさに愛を運んできたクロネコ宅急便というわけですね。」


ワッと会場に笑いが起こり、犬神は披露宴会場を飛び出した。舌打ちをして、床を蹴とばした。


犬神はかぶりを振り、自分に言い聞かせる。


関係ない。あのハゲ男が何をしようと、元カノの結婚式がどうなろうと、俺にはどうでもいいことじゃないか。

スズと俺は黒猫をきっかけに別れて、スズは黒猫をきっかけに新しい幸せを見つけた。

それ以上もそれ以下もない。

どうでもいい。

もういいじゃないか。

この会場に俺は必要ない。スズの晴れ舞台の上に俺はいない。

それだけだ。


雑念を振り払うように全力で走った。非常口に着くまでにそれほど時間は掛からなかった。


乱暴に非常口の扉を開けると、冷たい風が飛び込んできた。同時に、鼻に違和感を覚える。


緑色の男は、敷地外の歩道に立っていた。


「ああ、チャペルの。」


犬神を見つけると、ペコリと頭を下げた。服装は昨日と変わらず全身緑色である。側にはハーネスをつけた茶色い猫が行儀よく座っている。加えて、昨日は見ていない数匹の猫も男の周りに座っていた。


「ナオン」


低い猫の鳴き声が足元から聞こえた。咄嗟に目をやると、大きな黒猫が犬神の足に頬ずりしていた。


「ナオン」


犬神は知っていた。これは甘えるときに出す鳴き声だ。スズの黒猫もよくこんな鳴き声で甘えてきた。五年前の記憶が鮮明に蘇ってくる。


犬神の足が、小刻みに震え始めていた。


「時間になりました。失礼いたします。」


緑色の男が呟いて、敷地内に足を踏み入れた。足元にいた猫がさらに数を増やしていることに犬神は気づく。十匹…それ以上いる。


「ゴホッ。」


口元に手を当てる。胃の中がむずむずして、何かがせり上がってくる。


「何をする気だ。」と犬神は尋ねる。


「配信です。一生に一度の晴れ舞台です。」


緑色の男の言葉を聞いて、犬神の背中に悪寒が走る。足の震えが大きくなっていく。


緑色の男の背後から、蠢く何かが近づいてくる。空気が冷たい。背景に見える公園の木々がざわついている。


「晴れ舞台って、お前は結婚できないだろう。」


指摘しながら、蠢く何かを目で捉えようとする。


その正体は、猫だった。


数十匹の猫の大群が、公園から式場に向かって集まってきていた。


黒、茶色、白、灰色…大群となった猫が巨大な大きな生き物のように式場の駐車場になだれ込んでいる。


「ナオン」と足元の猫が一鳴きした。すると、猫の大群はピタリと静止し、行軍をやめた。


大群の中に立っていた緑色の男が口を開く。



「結婚なんて、そんなの私ができるわけないじゃないですか。」



両手を広げ、手のひらを上空に向ける。おびただしい数の猫が男の周辺を埋め尽くして整列している。全ての瞳が犬神に向けられた。犬神は生唾を飲み込んで言う。


「目的を言え。」


全身が粟立ち、寒気と熱さが同時に顔に上ってくる。少しでも顔を下に向けたら吐いてしまいそうだった。


猫の大群を従えた男は、にっこりと屈託のない笑みを浮かべて言った。



「結婚式を犯したいです。」



少しだけ開いた口元から、赤黒い歯茎が覗く。隙間の開いた歯茎から唾液がこぼれ落ちて糸を引いていた。


「幸福と希望で満ち溢れた結婚式を犯したいのです。この私と、世界に捨てられたこの猫の民たちが、結婚式を犯します。さぞ痛快でしょう!そしてその様子を全世界に配信流のです。まさに一生に一度の晴れ舞台!」


主張する男の姿は、背景の保護色となって形がおぼろげになっている。


「バカな…どうしてそんなことを…」


犬神の脳裏にスズの困り顔が浮かぶ。


「おや?あなたも手伝ってくれる話では?」


「そんなことは一言も言ってない。」


言い切ると、緑色の男は不思議そうに首を傾げた。おかしいですね、と何度も呟いている。


「でもあなた…、誰よりも結婚式が嫌いじゃありませんか。」


ぐらりと視界が揺れた。そのとき、式場の駐車場を埋め尽くす大量の猫たちが一斉に鳴き始めた。緑色の男に賛同するように、崇めるように、犬神を厳しく責め立てるように、嘲笑うように。


「そこをどけ!チャペルのガキ!」


緑色の男はついに怒鳴った。


吐き気がする。頭痛がする。寒気がする。襲いかかるアレルギー症状と、深い後悔、自責が、犬神を襲う。


「俺は」

呟いて、非常口から館内に戻る。涙で滲む視界を拭って、非常口の鍵を閉める。


すぐに非常口を開けようとして扉を叩く音が聞こえた。


「おい、開けろ!開けろお!」


緑色の男の怒鳴り声が関内まで響く。扉を叩く音はしばらくするとやみ、静かになった。

犬神は気づく。


まさか、ロビーの方に回りこんだのか?


すぐに非常口から離れる。大きなくしゃみがでた。身体中がチクチクして寒い。おぼつかない足どりで廊下を走る。


玄関正面から来るかもしれない。


出会ったときは小心者で取り柄のない枯れたおじさんだと思った。

式場にも、一人では近付くことさえ臆病者だと思った。見下した。価値のない人間だと鼻で笑った。


未だに目を疑う、おびただしい数の猫の大群。狂気と怒りに満ちた男の表情。恍惚とした表情で語った、他人の幸福と自分の破滅願望。


「俺は、クズだ。」


犬神は式場の扉を片っ端から開けた。誰もいない部屋、親族の待合室、ゲスト待合室、そして—


「イッちゃん?」


お色直しをちょうど終えた様子の、スズを見つけた。純白のウエディングドレスではなく、薔薇のような真っ赤なドレスに着替えていた。顔面蒼白、鼻水と涙が止まらずぐちゃぐちゃに汚れた犬神の顔を見て、スズはすぐに異常事態だと察する。


「イッちゃん!?どうしたの!?」


倒れる寸前の犬神の体を支える。唾液、鼻水がドレスにつくのもお構いなしに、頭を抱えて抱きしめた。


「え…すごい熱…きゅ、救急車を…!」


犬神は真っ赤に染まった視界をぼんやりと眺めていた。スズの胸の中で、かつての日々を思い出していた。


スズと出会い、遊んで笑って、緊張して告白して、また笑って。


カフェに行って居酒屋に行って遊園地に行ってお祭りに行って映画館に行って。


アレルギーなんて些細な問題だった。


もっとスズの気持ちを考えていれば。


スズを第一に考えていれば。


あんなことはしなかったはずだった。


「ずっと謝りたかった。」


大群となって現れた猫の目は、犬神を咎めるように暗く光っていた。


「え、何?早く病院へ!」


スズ。と呼んで息を吸い込む。


「あのとき、クロを蹴って悪かった。」


別れが決定的となったあの日。


甘えてくるクロにアレルギー反応がおきた。

その日は今日みたいに症状が酷くて、咳が止まらなくなった。


それでもすり寄ってくるクロに犬神は苛立ち、クロを思い切り蹴飛ばした。クロは壁に叩きつけられ、泡を吹いて気絶した。最悪は免れたが、骨折の大怪我を負った。


「クロを蹴って、本当にごめん。」


「イッちゃん…」


体が震える。全身が痛い。寒い。

ああ、もしかしてあの日、クロもこんな気持ちだったのだろうか。


「スズ、チュールをくれ。」


え?とスズは困惑して聞き返す。


「今日コンビニでたくさん買ったって言ってたろ。チュール。譲って欲しいんだ。置いてある場所だけ教えてくれればいい。お金は置いておく。スズは結婚式に戻れ。まだ終わっていないだろ?スズは戻らないとだめだ。今日はスズの、一生に一度の晴れ舞台なんだから。俺のことは気にしなくていい。ちょっとしたトラブルだよ。猫が式場に紛れ込んだんだ。披露宴会場に紛れ込んだら大変だから、公園に誘導しようと思ってた。アレルギーが少し出てしまったけど、心配ない。ほら、俺、タバコを吸えば治るって言ったろ?だから大丈夫。それより、猫を刺激したくないんだ。だからチュールで公園まで案内する。スズ、頼む。」


クロは今も元気で、スズと旦那さんと仲良く暮らしている。それが聞けてよかった。

クロが今も生きていて、本当によかった。心の底から嬉しい。

安心した。

スズとクロに会うことは二度とないだろう。

それでいい。

だから、スズ。


「結婚おめでとう、スズ。」


どうか幸せになってください。


それ以上スズは犬神に何も聞かず、小さく返事をした。



次回エンディングーーー



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