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緑色の男

 

 犬神賢一が緑色の男を初めて目撃したのは、喫煙所で一服していた時だった。


犬神が働く結婚式場の敷地内には、喫煙所が駐車場の一箇所しかない。緑色の男は、結婚式場の東側の歩道をのんびり歩いていた。


緑色の短パン、緑色のTシャツに袖なしのダウンジャケットを羽織っている。ジャケットも緑色で、全身が保護色になっていた。男はまるで、これが流行の最先端だと言わんばかりに胸を張って歩いている。


しかし、頭頂部まで禿げあがった頭、膨れたビール腹、ギョロリと光る大きな目玉が、前衛的なファッションに違和感をもたらしている。単純な見た目に加えて、奇妙で歪な男の存在を、犬神は「緑色の男」と総評した。


緑色の男は猫を一匹連れていた。猫はハーネスを着用してリードに繋がれていた。背中は茶色の虎模様、白い顔にピンクの鼻右前足だけ白くて靴下を履いているみたいだ。

犬神はタバコをふかしながら、緑色の男と茶虎模様の猫をぼうと眺めていた。


「おい犬神、いつまで休憩しているんだ。」


背後からため息まじりの先輩の声が聞こえる。慌ててタバコの火を消して振り向いた。


「すみません、すぐ戻ります。」


はあ、と今度ははっきりとため息をついた。


「もういいよ、別棟からでかいボード持ってきて。ウェルカムボード用の。」


先輩は目も合わせず、背中をむけた。


「了解です‥。」


返事も聞かずに館内に戻っていく。自動ドアがしっかりと閉まったことを確認してから、犬神は舌打ちした。


「もういいよってなんだよ、死ねクズ。」


スーツのポケットに手を突っ込んで、唾を吐き捨てた。式場の敷地を出て、横断歩道のない細い道路を渡る。冷たい風が吹いて、身震いした。


別棟は小さな公園を挟んだ場所に建てられている。季節は二月。今週はかなり冷え込むらしい。鼻に違和感を覚えて、思わずくしゃみをする。胸ポケットのハンカチで鼻水を吹いて、くしゃくしゃのままポケットに入れた。


もう一度舌打ちして、ポケットからタバコを取り出す。鼻をすすりながら辺りを見回すと、公園のトイレの横にスダンド灰皿が置いてあった。式場の方角を一瞥して灰皿に駆け寄る。タバコに火をつけると、鼻の違和感は治まった。深呼吸すると、煙と吐息が交じり白い塊になって大きな雲のように漂った。


「どうもー!」


と、遠くで男の声が聞こえた。声の方に目をやると、公園のベンチの前で緑色の男が手を叩いていた。半袖短パンで全身緑色の男が、平日の昼間に一人、大声で話している。


犬神は無言でタバコをふかした後、冬用のスーツに落ちた灰皿を払った。最後の煙を吐き出すと、灰皿に吸い殻を投げ入れて歩き出した。


スーツの襟を直し、ネクタイを締める。そしてまっすぐ緑色の男の方に向かった。


近づくと、緑色の男の声は大きくなった。ベンチに一台のスマホが立てかけてある。男が話しかけていたのはスマホだった。数メートルの距離まで近づいたとき気配を感じたのか、緑色の男は話をやめて振り向いた。


大きな目がこちらをじっと見ている。目、そして体へと視線は移り、物色するように犬神を観察している。


「あの—」


たまらず声をかけると、


「こんにちは」と緑色の男はペコリと頭を下げた。更地になった頭頂部がよく見える。緑色の男の足元には、ハーネスをつけた猫が行儀良く座っていた。丸くて翡翠の水晶のような瞳が犬神をまっすぐ見つめている。


「ミドリといいます。」


緑色の男は頭をあげて言った。


「ミドリ…さん?」と聞き返すと、男は大袈裟に手の平を顔の前で振る。


「猫の名前です。」


聞いてもいないのに、猫の名前を紹介された。ミドリと呼ばれた、全身茶色の猫は名前を呼ばれてご機嫌な表情を浮かべている。


「どうしてミドリなんですか?」尋ねると、


「実は私、緑色が好きなのです。」

緑色の男は照れたように禿げた頭をかく。


「そのようですね。」犬神は男の服装を一瞥して言った。


「この子、目が綺麗な緑色をしているでしょう?」


犬神はそうですね、と適当に相槌をうった後、ベンチの上で自立しているスマホに目を向ける。


「ここで何をしていたんですか?」


すると男は思い出したように目を丸くした。


「そうだ、撮影中でした。今、動画を撮っていたのです。」


動画や撮影と言われて、犬神はフォトウエディングや披露宴のダイジェストムービーを思い浮かべたが、すぐに候補から消した。


「ユーチューブの撮影です。」


へえ、と犬神は片眉をあげてみせる。先ほど聞こえてきた「どうもー!」のかけ声は動画撮影の入りだったのかもしれないと犬神は思った。今時珍しくもないが、しかし、式場横の公園で撮影しているなら話は別だ。


一応注意しておきますけど、隣、結婚式場なんで。間違っても敷地内に入ったりしないでくださいよ。特に明日、式本番なんで。猫が披露宴に紛れ込んだりしたら、新郎新婦のご迷惑になりますから。」


犬神はネクタイを締め直しながら、早口で言った。


「へえ!明日結婚式があるのですね!いいですねえ。実は私、結婚式が大好きなのですよ。全国から一ヶ所に集まってお祝い。美味しいお酒とご飯もすすんで笑いあり涙ありの特別な一日。会場に飾られる花束は荘厳で、噴水から湧き上がる水しぶきは美しく、鳴り響く鐘の音は心を揺らします。」


緑色の男は、ゆっくりと噛み締めるように続ける。


「結婚式の中で最も特別なのは新郎新婦のお二人でしょう!なんといっても一生に一度の晴れ舞台!大勢の親戚や友人に囲まれて祝福!百名程度集まるのでしょうか?その中で間違いなく主役。一日中注目の的。憧れますねえ。残念ながら私の人生には縁のない話ですが、今でも新郎になれたらと毎日のように思います。」


目を閉じ、両手を広げて嬉しそうに語る。

再び冷たい風が吹いて、犬神は鼻に違和感を感じる。ポケットをあさってタバコを探した。タバコに火をつけると、くしゃみの予兆は治まった。


「おや、もしかして、明日の結婚式の新郎を務める方…?」


息を吐くと、白い煙が現れて霧散する。


「俺は新郎新婦をお出迎えする方ですよ。そこの式場で働いています。一応。」


タバコを持っていない左手で自分の襟元を掴んでみせる。


「ああ、チャペルの方ですか!どうりでその格好!」


パン、と緑色の男が手を叩く。うなづきながら、大きな目で犬神の全身を見つめている。


「じゃあ俺、仕事なんで。ユーチューブの仕事頑張ってください。」チャペルの方という独特な呼び方を聞き流して、方向転換する。


「ああ!」

緑色の男がまた大きな声をあげて、去ろうとする犬神を引き留めた。


「明日、私も結婚式に参加することはできないでしょうか?」と名案でも思いついたように言った。


「はあ?無理ですよ。招待されていない人は式場に入れません。」


「お願いです。私、結婚式が大好きなのです。」


「好きも嫌いも関係ありません。無理です。新郎新婦の迷惑になります。」


「そこをなんとか!では、新郎新婦の迷惑にならないようにします。チャペルで少しだけ撮影できたら、すぐに帰ります。」


犬神が拒否しても、男は食いついて中々折れなかった。


「だからそのチャペルで明日は挙式を—」


言いかけて、犬神はふと思う。挙式の後、会場は、披露宴会場に場所を移し、チャペルはがらんどうになる。数分程度、部外者が進入していても誰も気づかないだろう。俺が非常口から案内すれば、ロビーも通らずに済む。不可能ではない。


『もういいよ。』


その時、なぜか先輩のため息を思い出した。

犬神は口角をあげた。


「いいよ。」

ちょうど嫌気がさしていたところだ。


「え?」


「明日、チャペルで動画とっていいですよ。」


犬神が言うと、緑色の男は満面の笑みを浮かべた。


「あ、ありがとうございます!」


と言って頭頂部を向けた。犬神はつるつるの頭を眺めながら、チェペルの不自然な白い壁を思い出していた。


緑色の男に明日の時刻と場所を伝え、犬神は公園を後にした。

日程を伝えている途中、緑色の男はスマホで必死にメモをとっていた。おぼつかない手つきでタップする男の頭頂部を見ながら、実に滑稽だと思った。


スマホを取り出し、ユーチューブを開く。緑色の男に聞いたチャンネル名を検索してみる。


〈ヒトミドリ〉


打ち込むと、見覚えのあるハゲ頭が表示された。


「緊急生配信〜一生に一度の晴れ舞台!」


いつの間にか配信予約が設定されていた。予約時刻は明日の昼過ぎとなっている。先ほど約束した時間だ。チャペルで生配信をするのだろう。動画の履歴を見てみると、十本ほどあげているようだった。サムネを見るに、猫とご飯を食べたり、遊んだりする内容のようだ。登録者、十人。

犬神は鼻で笑ってスマホを閉じ、本館へと戻った。



二話へつづくーーーーー

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