第5話 キャラクター
「ボクがシンジケートでまともに機能していたのは十歳までの五年間にすぎない。『半神化』の方針を巡って分裂したシンジケートは、ボクたちの所有を巡って争ったんだ。その時点の最精鋭モデルチームがぶつかった大きなものだった。表ではこんな感じで扱われたみたいだよ」
ルールマスターは自分の設定を語り始めた。彼女の言葉と同時に、五年前のネットの記事が流れ込んでくる。
北米、北欧、中国で富裕層だけの『要塞都市』が三カ所同時にテロ攻撃された大事件のニュースだ。合計数百人の犠牲者が出た。アンチテクノロジー団体に属していたとされる容疑者は全員死亡。その上で、身元不明の死体が二十人以上。
要塞都市には日本人の居住者や訪問者もいて、犠牲者も十人以上出た。十四歳だった僕の記憶にもしっかり残っている。
そして、その事件の身元不明の遺体の一つとして、カウントされていたのが今、僕が会話している少女だというのだ。
「この事件でシンジケートは三つに分裂したんだ。いまボクがいるのはその一つ『財団』の医学研究施設、正確には人体実験施設だ。この通り意識はあるけど、自分では指一本動かせない状態なんだ。医学的には閉じ込め症候群に近い状態かな」
言葉と同時に、脳に映像が浮かんだ。機械的な部品が多く組み込まれた分厚いベッド。その上に身動き一つせず、チューブに繋がれた少女が横たわっている。特に目立つのは、頭部に被さった厳つい機械だ。
誰だかはすぐに分かった。明るい金髪と抜けるような白い肌はVRルームで見たGMのアバターとそっくりだった。
「ちなみに、財団はボクが意識を取り戻しているのは知らない。彼らはボクの意識を回復させるためにBMIで刺激を続けている。ボクはそれを逆利用しているというわけだね」
「……いっそシンジケートとやらに協力した方がいいんじゃないか」
「スイッチ一つで自分を殺せる相手だよ。協力という関係が成り立つと思うかな」
「それは……無理だな」
「そう。だから【ルールブック】を作ったんだ。ボクの唯一の対抗手段としてね」
シンジケートは【ニューロトリオン】の知識と技術を独占してる。この少女はそのデータベースの設計者。そしてそのバックドアを使って独自のシステム【ルールブック】を作り上げた。なるほど、しっかりとした設定だ。
ただし、肝心の最後が間違っている。明らかに人選をファンブルしている。
「今の話が全部本当だったとして。勧誘する相手を間違っている。僕には君と違って特別な能力なんてない。役に立たないはずだ」
彼女の境遇に同情しないわけじゃない。一連の話は近未来物TRPGならわくわくしたかもしれない。でもそれが現実なら、一般人の僕にどうこうできるレベルの話じゃない。
「過小評価だね。『インヴィジブル・アイズ』の適合者候補における君のステータスは『発生力S』『制御力D』なんだ」
「意味が分からない」
「ニューロトリオンを発生させる資質が1000万人に一人。ただしそのコントロール能力は一般人以下って意味だよ。シンジケートの選定は二つのバランスだから、君はスカウト基準には満たない。DPCは制御力に大きく依存するからね」
「つまりお呼びじゃないってことだろ。シンジケートからも……君からも」
「ニューロトリオンは人間の高度な情報処理活動である意識に関わる。これはどうしてだと思う?」
頭の中で首を振る僕。少女はそんな僕に、別の質問をぶつけてくる。
「わかるわけがない」
「さっき説明したクオリアと関わるけど。意識はとても高度な情報処理なんだ。『世界』を作り出すためには異なる形式の情報を統合する能力が必要だ。つまり、目からの映像、耳からの音声など五感の情報に加え、社会構造や各種概念などの抽象的なもの。さらに、記憶や感情。こういった多様な種類の情報を「一つの世界」として統合、認識する。一つだけ簡単な例を出そう。今君の前で一人の少女が君に語り掛けているとしよう。少女の姿は目から、その声は耳から君の脳に入る。だけど、君は目の前の少女がしゃべっていると認識する」
「当たり前のことに聞こえる」
難しい言葉が並ぶが、要するに誰もが四六時中やっていることだ。今は出来ないけど。
「その当たり前が驚異的なんだよ。コンピュータは単一の種類の情報なら大量かつ高速で処理できる。例えば百万枚の写真から数匹の猫を探すとかね。だけど、自分の世界を持っていないし、ましてやその世界の中に猫を認識してるわけじゃないんだ。いって見ればコンピュータの情報処理は『広大な面積《2D》』で、人間の情報処理は『小さな体積《3D》』なんだ。この面積と体積の差が、生み出されるニューロトリオンのエネルギーレベルに大きな差をつける。さらに人間はその内部世界の中に主体としての自分を作り出す」
「自分の中に世界を描く。そしてそれを自分で探索する……」
「そして【ルールブック】は脳内に【ニューロトリオンを使いこなす意識】を作り出すことで機能する。これは何かに似ていると思わないかな?」
確かに似ている。あるゲームそのもの、いやそのゲームにおけるロールプレイそのものだ。
「…………もしかして君がオンラインセッションに集めたプレイヤーって」
「正解。五人とも君のような資質を持った人間だ。結論を言うよ。君は【DPC】には適合しない、だけどボクの【ルールブック】にとっては最高の適合者だ」
現実とは違う“世界”とその中での別の”自分”を作り出し、その意志と決断で未来を生み出す。TRPGのロールプレイで、脳がフル回転する感覚が思い出される。「ロールプレイなら任せてくれ」さっきの愚か極まりない宣言が、頼みもしないのに脳裏によみがえる。
TRPGが架空であることは承知の上だ。ごっこ遊びと揶揄されることだって、受け入れている。架空の世界でどれだけ上手く立ち回ろうとも、現実を変える力にはならない。その程度の分別はあるつもりだ。
いや、あるつもりだった?
もし、今聞いたような現実があったら? 僕のロールプレイがそのまま能力に変換され、その能力に相応しい困難な敵と戦うシナリオが存在したら? 自分の手で世界の未来に触れる機会があるなら?
僕が今の状況に感じているのは、本当に恐怖だけか?
心臓がドクンと脈打つのが聞こえた気がした。
「シンジケートのディープフォトン技術は進歩を続けている。君の資質にシンジケートが目を付けるまで八年、いや四年ないというのがボクの予測だよ。なぜなら、彼らの目的も究極的には脳のニューロトリオンになるからだよ」
「………………仮に、目を付けられたらどうなる?」
口が勝手に、聞くべきことを聞いた。
「シンジケートは君に【DPC】を埋め込んでモデルにする。経済的には恵まれると思うよ。モデルの平均収入は見習《ランク1》でも二千万を超える。上限は天井知らず」
「…………全く惹かれないな。モデル? 実際は“モルモット”じゃないのか」
四年ない、つまり丁度大学卒業だ。そんな就職先は御免だ。そんなことを誰かが思った。
「おおむね正しい。高エネルギーのニューロトリオンは人間の脳の高次元活動が生み出す。これは本質的に人体実験しかできないことを意味するんだ。シンジケートがモデルを使う理由の一つは、モデル同士の戦闘が最高のデータを生み出すからだ」
「やっぱりか。“俺”の予想通り…………じゃない!!」
危なっ。今TRPGを始めてなかったか。冷静に考えたら状況は最悪を更新中だ。今の話が本当ならサイバーパンクの地球規模の覇権争いだ。そんなものに巻き込まれたら命がいくらあっても足りない。大体『人体実験』とか『戦闘』とか明らかにシナリオの難易度が増しているじゃないか。
『説得』いや『言いくるめ』られたら大変なことになる。というか、このルールマスターとやらだって、僕を実験台にしていることは変わらない。
だけど、だけどだ。そう、まだ判断は早計だ。
…………そもそも今の話のどこまで本当なんだ?
まるで密偵になったように、状況を分析する。
僕の正気値が0になってないなら、明らかに異能的な何かはある。でも、シンジケートやモデルなんてものが本当に居る証拠はない。それに、この【ルールブック】の力は実際どの程度なんだ。僕に本当に使いこなせるのか?
判断するには情報が足りなさすぎる。そもそも、情報源がこのルールマスターという、一方の当事者であることが致命的だ。僕にはこの子の言葉がどこまで正しいのかを判断できない。
ならばその不足している情報を得るための手段は? この子の言ってることの裏を取るために必要な行動は?
「改めてお願いしたい。RoDルールブックのテストプレイヤーを引き受けてほしい。もちろん今回はテスト、安全なシナリオを用意している」
「安全なシナリオ……?」
「テストシナリオとして純粋な偵察ミッションを準備している。ある公共施設で行われるイベントでシンジケートが狙う技術が発表されることが分かっている。君にはシンジケートが狙っている技術と、送り込まれたモデルをそのイベントで探し出してもらう」
「探すだけでいいのか?」
「そう。今回はルールブックとキャラクターシートの試運転だからね」
「戦闘はないってことだな」
「君が見つかるような真似をしなければ。DPCと違ってキャラクターシートは基本的に脳の自然な機能の延長だ。検知が難しい。シンジケートにとってルールブックは未知のシステムだからね」
「…………」
ニューロトリオンやルールブックはある意味直接体験したことだ。一方、シンジケート絡みの情報はすべて彼女からの伝聞にすぎない。これから僕がどうするのか決めるには、両方の情報を統合して、世界の真相についての自分なりの認識を持つことが最低条件。
ならばその『シナリオ』でシンジケートについて自分自身の目で観察する。それがこのあり得ない現実《TRPG》を理解するための最も確実な手段だと言える。
ごくり。無意識に飲み込んだつばの音で感覚が戻っていることに気が付いた。耳にはエアコンの振動が流れ込み、鼻は残滓となった酸化したコーヒーの香りを捕える。そして灰色の視界。
腕置きを掴んだままだった右手が目に伸びそうになるのを抑える。
少なくとも彼女の言った通り僕の感覚は元に戻った。ならば……。
「最後に二つ質問したい」
僕は自分の目で見て自分の頭で判断する。だけどこれがTRPGだというのなら、彼女がRMとして最低限信頼できるかどうか決めなければいけない。
「一つ目、シナリオ内での僕の行動はキャラクターとしての僕が決める。異存は?」
「ない。RoDキャラクターは自身の意志で動く。そうでなければ君の資質は発揮されない。つまり、ルールブックのテストにならないんだ」
「二つ目だ。その結果僕が裏切ったらどうする? モデルとやらを通じて君の情報をシンジケートに売るかもしれないぞ」
「それに対してはこう答えるよ。ゲームをするってことはダイスを振らなければいけない時があるってことだってね。違うかい」
その声から僕の脳が思い描いたイメージは、先日一緒に最高のセッションを作り上げたGMと一緒だった。それで心が決まった。
「一セッションだけ参加する。キャラクター作成とシナリオの説明を頼む。ルル」
「了解」
まさか現実でロールプレイをやらかす羽目になるとは。自分では気が付かなかっただけで、僕の『正気値』はこの十九年でギリギリまで削られていたということか。