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幕間Ⅱ

幕間2

「ではXomeの警備にもどりたまえ。次の指示は追ってする」


 葛城早馬はいった。画面向こうで伏した蜘蛛のごとく頭を下げていた八須長司は青ざめた顔に戸惑いを浮かべたが、すぐに通信を切った。


 モルモットが下げた頭などすでに早馬の意識から消えていた。彼が頭脳を使うべき問題は別にある。それは目の前にあるデータだ。深層作戦室《DLOS》に浮かぶXomeの立体模型には大量のデータがプロットされている。


 インビジブル・アイズの対人追跡モードが分析を開始する。侵入者のDPが初めて明確にとらえられたのは20:27である。位置はXomeの外壁。紫を帯びた赤い光はドローンのDPレーダーを麻痺させている。


 監視カメラのノイズのはざまに数十分の一秒の赤外線の映像。侵入者のIDは墨芳徹。一般的にはこれで特定は終わりだが、侵入者が深層シンジケート側である以上IDなど意味を持たない。実際、墨芳なる人物の行動痕跡は既に存在しない。


 20:27に出現したDPの光点を起点に時間が逆戻りする。暗赤色の点はあっと言う間に霧に変り、確率分布として漂う。八須長司モデルが侵入者を認識した20:18には。建物のどこかにいる程度の確率分布へと薄まっている。


 三階の一室に侵入者の存在を特定したのは、八須長司の経験と技術に基づく複合的な情報処理、言ってみれば勘だ。二階のドローンの故障という侵入の兆候に加え、重要データがそこにあることが分かっていたからであり、センサーのデータからの結論ではない。


 一拠点で起こった一夜の一侵入者に対する対応としてはそれは正解だ。


 一方、早馬が焦点を当てているのはあくまで純粋なデータだ。なぜならそれこそが侵入者アンノーンのもつDP技術を客観的に示すからだ。つまり一機の戦闘機の飛行データから、その所有国の航空機技術水準自体を推し量ることに当たる。


 個々のパイロットの技量や今回の侵入の意図以上に重要な戦略的な情報が目的なのだ。その為に見えたことよりも見えなかったことが重要だという判断を、明晰な頭脳はごく自然に下していた。


 特筆すべきはその隠密性だ。最新のステルス戦闘機はレーダー上では小鳥より小さい。だが侵入者は蚊すら捉える監視を掻い潜り、忽然と三階に現れている。また、能力を用いて攻撃を防いだ際にセンサーに記録されたごく微量のDPは侵入者が発揮した能力に比べて著しく小さい。


 きわめて隠密性が高く、非常に高出力のDPC。データと、データが捉えられないその中間にあるそれは、ステルス戦闘機よりも潜水艦の隠密性に近い。


 さらに侵入者を支えているバックオフィス。Deeplayerに干渉しているにもかかわらず痕跡は皆無。内部に入り込まれた状態のアンノーンを起点としているとしても、相当規模のチームが後ろに居なければ不可能な芸当だ。


 データから想定されるアンノーンのDPCの性能は、低く見積もっても、複数のDPCコアの同調が必要だ。DPC内に二つのコアをもたせ攻撃と防御を分担させる事は財団も実現している。ただし、歩留まりの問題から作成難易度は二倍ではなく百倍になる。上級のモデルにしか与えられていない貴重なコアだ。


 このアンノーンのDPCが示すのはデュアルではない。トリプル、いやクアッド以上。


 もしそんなDPCを量産できるなら勝負はついている。そうなっていない以上、何らかの制約が向こうにあると考えるのが自然だ。DPCは試作品、それも極めて貴重なもの。おそらくだがそれを用いる適性も通常のモデルとは比べ物にならないのではないか。


 すぐに次の疑問が現れる。それほど貴重なDPCを投入したのが、財団の一拠点にすぎないXome。見つかるや否や一目散に逃げだしている。まるで鼠のそれだ。


 DPCの能力的には最大勢力の『教団』以外にあり得ない。なのに行動は『財団』におびえるような小組織のもの。その中間の軍団でもあり得ない。だがDPCを持つ以上シンジケート以外の可能性はない。


 答えの見つからない問いに、早馬はしばし思考に沈む。ある仮定が彼の脳内で生成された。


「教団内に異端が出来ていると考えたら説明がつく」


 教団は排他的なまでの結束力を示す。神の創造とでもいうべきイデオロギーがその中心になる。だが強固で強力なイデオロギーほど些細なことで割れる。


 教団内に異端者グループがいたとする。教団の強力な基盤を利用した上で、独自の画期的なDP理論を発見し、それを自勢力にも隠して開発している。財団の一拠点を相手に実戦テストすることは、これで合理化される。


 その発想に至った時、早馬の脳裏によぎったのは屈辱ではなかった。


 教団本体と異なり、その異端集団相手には交渉が成立しうる。上手く利用すれば彼の打ち手は財団を越えてシンジケート全体に広がる。幸い、異端集団アンノーンが執着している情報は彼が押さえている。そう、新型のDPCを二度にわたって用いてまで守ろうとした情報だ。


 早馬は秘密の通信を開いた。サングラスで目を隠した女性アメーリア、軍団の士官メンバーが表示された。


「予定通りそちらの傭兵を雇いたい。モルモットの候補は選別した」

「予定通り? どこかでボヤがあったみたいだけど?」

「予定に含まれている。これが今回のモルモットだ。“教団”が欲しがっている餌でもある」


 意味深に笑う美女に顔色も変えずに早馬は返した。アメーリアに表示されたのは栗色の髪を一房だけ赤く染めた、活発そうな少女だ。軍団の女性士官の目が、若い娘をねめつけるように見た。


「いいでしょう。教団の新型DPCにかかわるとなっちゃ大事だしね。こっちも人選は終わってるわ」


 筋骨たくましい男の映像が表示された。男女の二つの映像が左右に並んだ。まるで人造人間と少女。ゲームの対戦カードのようだ。


 アメーリアの姿が消えた。早馬の視界がDLOSから上杉のオフィスへ戻った。


 教団の脅威を餌に軍団との共同作戦を実現するプランに変更はない。ただし、早馬にとってはその一手がより深い意味を獲得していた。その為には何よりも、この作戦から得られる情報をコントロールしなければならない。




 そこは落日という言葉がない地だった。昼と夜は住人が見上げる高い山脈に太陽が隠れることによる。その人々が暮らす盆地すら海抜三千メートルを超えるのは皮肉と言うべきか。


 アジアの中央にある陸の群島の端、乾燥した空気が吹き上げる崖の上に一人の男がいた。


 片膝をついて眼下を見下ろす筋骨たくましい大男。彼の隻眼には自動小銃を持った武装兵たちが基地ねぐらへと急ぐのが映っている。


 灼熱の昼から極寒の夜へ移行する狭間、男の顔を覆っていた布切れが宙を舞った。隻眼の奥、脳の中心に不可視の光が瞬くのと同時に巨体は飛び降りた。落下中、彼の右腕だったものが解けた。それは一見金属の太い鎖のようだった。鎖と違うのは輪と輪がかみ合わず、その末端どうしで結合していることだ。


 崖の途中に空いた穴に金環の連なりが入り込み、内部でとぐろを巻いた。瞬間的な磁力のSNの変化が、硬い金属をゴムにも勝るような柔軟で自由な動きに変えたのだ。ばねの様な形状となった輪は交互に赤と青に光り、輪の間にはわずかな隙間が伸縮する。


 落下していた男の体が、ふんわりと垂直な壁面に足を着いた。ロッククライミングというにはあまりに躍動的な動きで、男は穴の中に立った。


 壁に指を走らせた。崖の上とは違う粘土質の感触を左手で確認する。同時に蟻の巣のような坑道図が脳内に映った。鎖を腕の形に戻すと男は廃坑の奥へと歩み出した。


 金属の輪の連なりが曲がりくねった通路の角から鎌首を持ちあげた。三人の部下を従え、自分は酒瓶を煽っていた男の横に立てかけられた自動小銃の金属部品を感知する。一瞬でそれを絡めとると、鎖は三脚のように形を変えた。


 酒を飲んでいた隊長の藪睨みの目が驚愕にゆがんだ。制圧開始の合図が飛び散る血と共に坑道に響いた。



 破壊された容器から流れる強酸が煙を立てる地面には、虚しく壁を削るだけの弾丸が転がっている。通路に横たわる気絶した兵士たちの間を男は悠々と進む。


「〇△△〇□!! 〇△△〇□!!」


 遊牧民にとって畏怖の名を呼びながら勇気ではなく恐怖によってトリガーを引き続ける武装兵たち。だが狭く複雑な通路では、縦横に動く金属の鞭に銃器は無力だ。


 積まれた土嚢の奥は無人だった。だが侵略者がその中央に足を進めた瞬間、山刀の煌めきと銃声が左右から襲い掛かった。三叉路の集結点に作られた奇襲陣形。初めて男の歩みが止まった。銃声と金属音の耳障りな楽曲はしかし二小節で途切れた。


 三人の若い兵士が鎖に締め上げられて壁に押し付けられていた。鎖が緩むと意識を失った体は枕木だけが残ったトロッコの軌道に落下した。


 仮に軌条が機能していても『トロッコ問題』は成立しないだろう。男たちはIDを持たない、すなわち存在していないのだから。


 倒れ伏した兵士の一人がその手にプラスティック爆弾を握っているのを確認して蹴り飛ばす。かつての排水溝で今は乾いたそこに落下したそれはひしゃげた。部屋の奥には先陣を切って倒されたチームの隊長が横たわっている。


 拳銃を持つ手がおかしな方向に曲がっていた。振り上げられた鎖は無力化された隊長の横にある壁に叩きつけられた。


 倒れた土壁の向こうで、顎髭をびっしり生やした男が腰を抜かしていた。その懐から銀色の金属光沢を放つ板金が零れ落ちている。


 基地の最深部にある部屋はむき出しの坑道から一変していた。木製の棚には高級酒が並び。床には古代契丹文字が織り込まれた絨毯。奥のベッドには裸の女が胸から血を流して倒れている。廃坑を根城にして近隣の鉱脈を支配する『司令官』の部屋だ。


「俺は裏切るつもりなんてなかった。上が勝手に荷の先を変えたんだ。本当だ。あの女が連絡役だったから始末したところだ」


 髭の男はそういうと地面に散らばった金属板をかき集めて差し出した。一枚僅か百グラムの薄板は、莫大な重みをもつ。地殻存在量はプラチナ以下の元素だ。この一枚を得るには百トン以上の粘土を強酸で繰り返し処理する必要がある。


「自分ではなく飼い主の責任だと」

「そ、そうだ。ほれ俺がいなくちゃあんたたちも不便のはずだ。こんな最果てでID無しの連中を管理するなんて、俺にしかできない」

「心配するな、飼い主にも責任は取らせる。お前は飼い主を選び間違った責任を取ればいい」


 体に巻き付く冷たい金属におびえる司令官に告げられた言葉。同時に宙に浮いた男からメキメキ、ブチブチという音がした。人間を原料にしたタルタルステーキが絨毯にぶちまけられた。男は血まみれの金属片を手に部屋を後にする。


 煙を上げる廃坑の後から、幾人もの兵が凍り付く夜の空気へと吐き出されてくる。男達は精錬用の硫酸の煙にせき込んでいる。


 喉を焼くような香りの残滓がただよう崖上で、男は頭上にある衛星と特別な通信をつないだ。黒髪を中央で分けたラテン系の美女が男の視界に現れた。


『状況は?』

(コンプリート。頭は潰した、群れの再構築は生き残った者が勝手にやる)

『ここの住人に他に生きる術などないものね。了解。南の島で休暇をどうぞといいたいところなのだけど、残念ながら次の作戦。行き先は東よ。まあ島ではあるわ』


 短いブリーフィングの後、ビジネスクラスの航空チケットが新しいIDに付与され、通信が切れた。


 立ち去ろうとした男の足が止まった。耳障りな羽音が背後に近づいた。男の腕が反射的に解け、鎖が背後で渦巻いた。


 小さな風切り音を立てるドローンが、黒鉄の鳥かごに捕獲されていた。廃品をつぎはぎしたようで姿勢を制御するにも苦労しているそれは普通の世界では三世代は前のもの。隣の武装集団がここで起きた異常を調べようと送り込んだ骨とう品だろう。


 耳障りな金属音を立ててドローンはひねりつぶされた。四つのプロペラの残骸が鎖の隙間から落下して、本体シャーシが風に溶ける砂と化すまで破壊は続いた。

2023年7月21日:

本日の投稿はここまでです。明日はセッション2の最後まで投稿します。

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