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第9話 潜入ミッション

『XomeというのはX - omeを意味しています。omeはすべてという意味で、例えはすべての遺伝子《gene》がGenome、すなわちゲノムです。他にもトランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームなどがあります。これらはまとめて網羅的解析と呼ばれます』


『必然的に一サンプル当たりのデータは膨大なものになります。例えばゲノムなら一人当たり三十億文字です。この網羅的解析を請け負う施設は物ではなく大量の情報を生み出すという意味で情報工場と呼ばれるのです』


 白い壁に囲まれた正方形の狭い空間。下には生体サンプルの一種を受け止める陶器製の機器。俺は白いドアを背景に、沙耶香の説明を聞いていた。同時に、テックグラスにはXomeの立体地図が表示されている。


 Xomeの三階建ての建物。その一階の右端に並ぶ個室トイレの二番目にある紫の点が俺だ。名前は墨芳徹すみよし とおるで科学機器の保守技術者。もちろん偽の身分(カバー)だ。


 二時間前、俺はここの一階にある遠心分離機の修理としてXomeに正面から入った。いうまでもなく遠心分離機を故障させたのはルルだ。修理器具をテックグラスに表示される手順に従って使うロールプレイ後、最初から壊れていない遠心分離機が無事再始動したのは就業終了時刻直前だった。


 そして帰り際にさりげなくトイレを借りて今に至るというわけだ。トイレのすりガラスから見える外の光は橙から黒に変わっていた。


 現在施設内に残っているのは一階に二人と、二階と三階に各一人だけ。ちなみに記録上は墨芳徹もとっくにゲートを通過済みになっている。おっと、一階の明かりが消えたな。二階の一人も非常階段を通過した。残るは年収三千万超の守衛一人だけ。


 そろそろ動かなければならない。今回の作戦シナリオをまとめよう。


(要するにここには単に医療機関からの検査を請け負う以上の設備がわんさかあるということだな)

『名目上は大学や企業からの研究サンプルの解析も委託されていることになっていますが、表に出る業務量と所有している設備の構成が釣り会いません』

『ボクが株主なら非効率な経営を咎めて経営陣を退陣させるレベルだよ』

(で、その分不相応な“装備”の本命が二階のこれってわけだな)

『最新のハイスループットシーケンサーですね。この機械は一台で膨大なDNA配列を解読するんです。当然きわめて高価です。これを複数、よほどの大量のDNA解析を行わない限りオーバースペックです』

『装置はコグニトームに繋がっていない。情報が全く外に出ないようになっている。明らかにおかしいからね』


 二階の一角が光り、白く四角い機器が表示される。機械の横には高性能のスタンドアローンのコンピュータ。集めたVA選手の生体データはここにある可能性が高い。メインターゲットはこれで決まりだ。


(問題は三階のモデルだな)

『当然おさえているよ』


 Xome社の社員の顔写真がトランプのように乱舞する。その中の一枚がピックアップされた。八須長司やす・ちょうじ。痩せ型の体を白衣に包んでいる三十九歳の男だ。血走っていて神経質そうな目の持ち主。長い髪の毛が片目を隠している特徴的な容姿だ。


 幼少期に火事で両眼を失明している。十年前に義眼を移植インプラントした。最先端のカスタムモデルで十億を超える値段だ。Xome社員としての年収は三千万程度。しかも、手術の際に標準以上の時間がかかっている。


 キャラクターシートから【ニューロトリオン・ソナー】をパッシブモードで発動する。トイレの天井を貫通して斜め上に赤い光が見える。三階にいる残った一人と完全に座標が一致。


 ゆっくりとトイレを出た。廊下を進む。一階の大部分を占める中央検査室は規則正しいモーター音と、点滅する小さな光が暗闇を演出する。ほとんどが自動化されているので、昼夜を問わず動くのだ。


 一階は表向きの、つまり病院などの医療施設からの検査を担当する。血液を血漿と血球に分離、俺が修理したふりをした遠心分離機の役目だ。そして処理されたサンプルはチューブに並び、全く同じに機械が整列する区画に運ばれる。


 ベルトコンベアによって運ばれるサンプルは透明な壁に囲まれた作業スペースで二本の機械の腕にピックされる。サンプルラックを一本が引き寄せ、もう一本の腕が液体を添加する。十二個のチップを連装ミサイルのように装備したピペットが規則正しい作業を終えると、最初の腕がプレートを掴み振動する板の上に載せる。


 サンプルと検査試薬の混合を終えたプレートはベルトコンベアの上を計測機器に流れていく、センサーを通過する瞬間、いくつものLEDが光った。測定が終わったプレートはそのままベルトコンベアで高温高圧処理機で廃棄される。


 人体という最も身近な生物が機械化されたルーチンによって処理される。情報工場インフォメーション・ファームという言葉通り、生体の一部を数値に変える工場だ。そうして生産された情報が、病気の診断から筋トレの成果の確認まで、さまざまな判断に用いられる。


 焼けた血の匂いが漂うように感じたのは錯覚だ。来る前に飲んだコーヒーの残滓だ。そう思いながら中央に進む。目的は二階へ向かうサンプル用エレベーターだ。


 Xomeでは一階から二階への人の移動はエレベーターのみ。もちろん監視の目に触れる。ルルの調べではエレベーターには存在しない地下への通路まである。


 一階の中央にあるサンプル用エレベーターは空母の飛行甲板のエレベーターのように四角い台が上下する構造になっている。人間が乗ることを禁ずるマークがあるが無くても乗ったりはしない。


 使うのは二階へ続く穴としてだ。スキル【インセクト・フィンガー】を発動する。十本の指先に淡い光が灯る。脳のニューロトリオンを指先の感覚神経に流し、接地面の電子を操作することで指と壁が磁石のようにくっつく。実際には分子間力の強化、昆虫が壁に張り付くのと同じ原理らしい。


 神経のオンオフで壁面にくっつくのと離れるのを繰り返せる。太腿の接地で体重を支えつつ、左右の手を交互に動かして上に上る。昆虫というよりヤモリの気分だ。


 …………


 二階に上がった。施設の立体図を呼び出す。暗闇の中にワイヤーフレームのように壁と機械が映る。あらかじめ調査済みの監視カメラの位置が表示される。【インセクト・フィンガー】を切り、代わりに【立体聴覚バット・イヤー】を起動する。


 脳の視覚野に映るワイヤーフレームの空間の中に、両耳の強化聴覚がとらえた音が認識される。地面を移動している物体は五つ。三つは掃除機ロボだが残りの二つは警備用の円筒型のドローンだ。空中にも一台のドローンが浮遊している。移動する監視ロボは固定設置された監視カメラの死角をカバーするように巡回している。


 飛び石のような経路で目的地へと近づく。経路はナビゲーションされるので、タイミングだけに集中する。機械学習された警備機器は人間を認識するように躾けられた番犬だ。【インセクト・フィンガー】で移動するゴキブリには反応しない。


 半分まで来たところで動きを止め、頭を上に向ける。ボヤっとした赤い光の焦点があい、モデルの位置が認識される。パッシブソナーは相手を視認していない限り、距離が分からない。だが今回は上の間取りが分かっているので、DPの強さで距離が逆算できる。


 DPCから細い光の線が四方八方に繋がっているのが分かる。その内の十個は動いている。センサーとドローンを制御しているのだろう。複数のドローンやセンサーを同時に制御できる能力を持ったモデルだ。拠点防衛型とでもいうのだろうか。こっちがゴキブリなら相手はクモというわけだ。


 戦闘型ではないのはいいが、気付かれたら負けに近い潜入ミッションでは強敵だ。ただし、向こうが目を光らせているのは敵対するモデル、つまりDPCだ。あいつが直接制御するセンサーやドローンにだけDPが感じられる。


 俺は探索用の、体内で完結するスキルだけを使っている。【ソナー・パッシブ】でモデルの監視の目を掻い潜り。【感覚強化】で監視機器を躱す。ここまではその計画通りだ。やはりレベル2はいい。


 モデルの注意が三階に集中しているのも幸いだ。本体は三階をときおり巡回するが、二階には全く降りてこない。直接制御のドローンも多くが三階にある。特に飛行型は三階から周囲を巡回をしている。


 小さな懸念が生じた。俺たちの設定したターゲットが間違っている可能性があるのでは……。


 いや、潜入中に理由もなく計画を変えるのは悪手だ。俺たちの分析の妥当性は揺らいでない。それに目的地に着けばおのずと答え合わせは出来る。


 監視を掻い潜り、設定したルートを這うように進む。いくつかのブロックに分かれた二階のフロアの中で、壁際の一画にたどり着いた。


 他のブロックと違って電子錠が設置してある。電子錠を開錠しようとした時、手が止まった。頭上の赤い光が移動した。


 モデルはゆっくりとした動きで上階を移動する。経路的にはまさに今いる場所に向かっている。赤い光が真上に止まった。自分が恐怖に身を固める小動物に感じられる。黒い静寂の中「ごくり」という唾をのむ喉の音が焦りを増強する。


 モデルの光が離れていく。そのまま同じ経路で最初の部屋にもどった。


 テックグラスに細かな光が浮かび、虹彩認識があっさり侵入者の入室を許可した。コンピュータの画像認識は人間なら感知できないほどの小さなノイズで歪む性質を応用している。監視カメラに人間の個体識別を間違えさせるにも使えるそうだ。


 我が卓のSIGINTは本当に有能だ。シンジケートがコグニトームをDeeplayerで監視するシステムは、巫女が三人そろっていた時に作り上げられた共通基盤だというのはやはり大きい。


 ゆっくりとドアを開けた。


 部屋の中には一台の機械が設置してあった。家庭用冷蔵庫くらいの大きさの白い台形の機械。四本の黒塗りされたチューブが繋がっている。横のモニターには黒地に無数の光点が映し出されている。光点は赤、青、緑、黄色の蛍光で、数十秒ごとに色を変えていく。


 沙耶香からレクチャーされたとおりの科学機器の姿だ。生命の設計図であるゲノムを高速で解読する機械の目。この中に目的のデータがある。

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