第0話 可視光外の戦い
灰色の視界の中、赤い光弾が三つ、空中で弧を描く。血を滴らせた死神の鎌のような軌跡で迫る弾丸は超技術の運搬体だ。俺は踵に力を込めて石畳をけった。一発目と二発目が背後で交差し、左右に着弾。背中に迫る三発目を前方に身を投げ出してかわした。
大都市の中にある不自然なほど広い自然、その緑地に抱かれた大池に浮かぶ小さな島、上野公園不忍池弁天堂の参道で、三つの弾丸は赤い光の粒子を発散しながら砕けた。
アルミホイルを電子レンジに入れたようなバチバチという音と、濃厚なオゾンの香りが迫る中、俺は樹木の影を目指して走る。
それを予測していたように上空からの第二射が降ってくる。放物線を描いて落下する赤い弾道は、物理シミュレーションを思わせる正確さだ。つまり、今度の攻撃は俺を追尾しているわけではなく、あらかじめ指定された場所に向かっている。そう判断して地面に靴を叩きつけて進路をねじった。
次の瞬間、俺がいるはずだった地面が爆ぜた。砕けた枯れ枝とちぎれた芝生が飛び散り、鼓膜に到達した空気圧がドンッという重い音に変換されて脳に伝わる。
回避ロール成功。賽子を振って出目を確認するだけで済まない現実が呪わしい。
大木の背に逃げ込み、地面に転がる弾丸の残骸を改めて見る。赤い光の残滓を纏う黒焦げの球体は、モデルガンの弾にしか見えない。この恐るべき兵器の口径はたった0.2インチというわけだ。
そのサイズに誘導と近接信管、そして状況に合わせて変化する攻撃効果を内包する。原子の限界に突き当たったはずの科学が裏でここまで進歩していたとは、
(まさに驚愕すべき世界の“深層”だな)
【ルールブック】の【世界設定】を確認している場合じゃない。大樹の向こうに敵の姿を確認する。ライトアップされた夜の弁天堂を背景に一人の男の黒い影が立っている。俺が網膜に展開したスキルは、男の頭部と右手に大小二つの赤い光を感知する。
頭部の大きいのが【マスター・コア】、右手の拳銃に組み込まれた小さいのが【スレイブ・コア】。恐るべき超兵器はチャージ中だ。あれが溜まる前にプレイを立て直さないといけない。
脳内で【キャラクターシート】を開いた。【通信】が繋がり、視覚野に狐面をかぶった金髪少女が浮かび上がる。
(GM、今の攻撃について情報を)
『ボクはGMじゃなくてRM。用語は正確に頼むよ。君の脳の認識はキャラクター能力に大きな影響を――』
(オーケーRM。だけど急いでる)
『不可視の双眸にアクセス。開発されたディープ・フォトン・アームのデータと今の攻撃を照会……。結果を送ったよ』
聴覚野に直接響く明るい少女の声と共に。敵の武器の仕様が流れ込んでくる。最初の攻撃、空間を電子レンジにしたのは分子の電離。次のは運動方向を一直線にそろえたことによる衝撃波、か。
作戦目的である“拉致”に合わせて非殺傷オプションが選択されているらしい。もっともターゲットではなく邪魔者である俺相手にリミットを外した場合の威力は今見た通り。
(射撃ごとに選択した効果を注入可能って、本当に下級兵士かよ)
『そう、あれが最低ランクだ。ボクとしては撤退を勧める。君一人の行動痕跡なら消せるよ』
少女の明るい声が冷徹な『現在』と、非情な『将来』への決断を突き付ける。
戦場の地理的条件、彼我の能力、これまでの戦いの経緯、果てはさっき転がったときに潰した草の葉の匂いまで、感覚を通じて収集された多種多様な情報が脳内を乱舞する。自分を取り巻く外界と、その中心でそれを見る自分が脳内で構成される。
意識とは『世界』を認識し、その未来を予測するための脳の機能だという。当然、その『世界』は自分自身を中心にしたものになる。物理的な客観性に拘束されるが、その目的や意味は自分が与えるということだ。
現状は極めて厳しいと言わざるを得ない。【バリア】は半分以下になっている。この【スキル】が切れれば敵の攻撃を打ち消せなくなる、いわばキャラのHPだ。逃げ回っているだけでここまで削られた。バリアがなくなれば生身にダメージが届く。そうなったとき、ただの大学生の俺にこの役を演じ続けられるだろうか。
つまり、戦闘の継続は加速度的に悪化していく“未来”に突っ込むこと。
脱出を選んだらどうか。
敵の標的は俺ではなく、俺の背後にいる美人女子大生《NPC》だ。邪魔者が逃げ出せば奴は本来のターゲットを優先するのが道理。この島さえ抜け出せば、RMが情報痕跡を消してくれる。何より黒崎亨のIDが消滅すれば全球認識網上の俺はいなくなる。
それは現代では存在が消失したのと同義だ。つまりプレイヤーである僕は、平穏な生活にもどれるということ。
そもそもこうなったのは彼女《NPC》がその才能でもって余計なことを知ったため。僕に責任があるわけじゃない。大体、あれだけの才能なら向こうでも重用されるんじゃないか。敵の幹部は彼女にずいぶんご執心のようだったし……。
後者の選択が甘い香りで俺を誘う。足 が勝手に一歩下がった。眼球が左右にぶれて最適な逃げ道を探索する。
(アホか。この程度でロールプレイを崩してどうする)
そんな自分を自分が冷笑した。
今の俺は『黒崎亨』。その役割は密偵だ。密偵が情報提供者を守れずにどうする。だいたい、昼間は彼女のその才能に助けられておきながら、それが原因で彼女が狙われたら囮にして逃げ出す?
そんなことはこの黒崎亨の流儀じゃない。そう設定したのは他でもない自分だ。
(隠れ家の予約はツインだったよな。なら二人で逃げ出すのが道理だな)
RMにそう告げて【キャラクターシート】からスキルを呼び出す。世界が灰色になり、鼻孔に漂っていた焦げ臭さが消える。大脳皮質が本来とは違う役割に再配分される感覚だ。
【感覚強化:動体視覚】
【運動周波数上昇】
『ちょっと待って、君のレベルでその二つの同時起動は――』
灰色の木の葉が視界を通過する。体感時間が引き延ばされる。待ち構えていたように敵が引き金を引くが、俺はやつの予想よりも先の地面に着地、すでに次の一歩を踏んでいた。
「この場面では逃げない。この“俺”はなっ!!」
現状が厳しいなら、もっとましな未来を創造してやればいい。人間の意識が己を中心とした『世界』を認識し、その世界の未来を決めるというのならできない道理はない。
技能だけでなく思考や感情も含めて、作り出した自分になり切る、それがロールプレイだからだ。
2023年7月16日:
本日はセッション1の7話後半まで九回投稿します。