ミランダから課せられたレッスン
「リーザ。早く行きますわよ」
遠くからミランダに呼ばれてそちらへと走って行く。
よそ見をしていたせいで、ミランダが先に行っている事に気が付かなかった。
「ごめんごめん」
「レディは呼ばれた場合は走らずに、優雅に早く歩くものですわ」
「なんの話よ?」
「舞踏会の練習ですわ。せめて明日の本番までになんとか致しませんとね」
びっくりしてミランダの顔を見る。
「本気?私にできると思うの?」
「やると決めたのは、ご自身でしょう?何を驚いておりますの?」
にっこりと笑うその顔を見て、本気で言っているんだと悟る。
「今日はきっちり覚えていただきますわ」
項垂れると、背中を叩かれる。
「背筋を伸ばしてくださいません?」
そう言って連れて行かれたのは、中途半端に散らかっている会計クラブの部室だった。
「片付けが必要ですし、床の汚れが目立ちますわね。では、床を拭くための布を2枚出してください」
「モップじゃダメなの?」
「ええ。いけませんわ」
ため息をついて、不要なタオルはないか棚のを探し、なんとか2枚みつける。
「これなら雑巾にしてもいいかな」
2枚の布を見せる。
「その布で結構ですわ。では、この靴を履いてくださいませ」
渡されたのは昨日履いていた、ハイヒールだった。
きっとヒールの高さは10センチくらいある。昨日は歩くのに苦労した。
「嘘でしょ?」
「本当ですわ。では、ハイヒールを履いて、雑巾を踏んでくださいませ。そして、足を滑らせるようにして、床を拭きながら進んでくださいませ」
言われるがまま、足で踏んだ布で床を拭きながら進む。
「お尻に力を入れて。足運びは滑らかに」
何がなんだかわからないけど言われるがままにそうする。
「何だかふざけているみたいな動きですわね。ちょっと滑稽に見えます。それではいけませんから一度私の見本をお見せしますわ」
そう言ってミランダも昨日のヒールを出した。
そして、布を踏んで、まるで滑るように歩いてみせてくれる。一体どんな動きをしているのだろうか。
「ねえ、スカートに隠れて肝心の足運びがわからないんだけど」
私の言葉にミランダが戸惑った様子をみせる。
「レディは足元など見せませんわ!」
「そう言わずに、そこを何とか」
「わかりましたわ」
「わかってくれた?本当に見せてくれるの?」
「仕方ありませんわね。本来なら肌を晒すのははしたない行為ですが、リーザと私の仲ですもの。さあ、リーザ。スカートをめくって足捌きをお見せくださいな」
「え?私が見せないといけないの?」
「当然ですわ!教えを乞うているのはリーザですもの。スカートの中なんて見たくありませんが、背に腹は変えられませんものね」
優雅に椅子に座ってこちらを凝視しているミランダが、私の次の行動を待っている。
言い出したのは自分だ……覚悟を決めてスカートを太腿あたりまで捲る。
そして、雑巾を踏んで滑るように歩き出した。
「もっと重心を滑らかに動かして」
部屋の中をまっすぐ歩いたり、ターンしたり、所狭しと動き回る。
「だんだんと動きが良くなってきましたわ」
その言葉で、もう終了かと思って動きを止めた。
「まだ終わってませんわよ。今から、会計本を部屋の反対側の棚に運びましょう」
「この重い本を運ぶ必要ないでしょ?」
ミランダの言葉に驚いて反論する。
会計本は、分厚くて重い。
しかも、本棚に収まっているのに、わざわざ部屋の反対側の棚に移動させるって!
「あら、ついでですわ」
そう言われて、ため息混じりに本を手に取る。
「リーザ。そんな一度に沢山本を運ぶレディなんてはしたないですわ。左右の手に一冊ずつ、が基本でしてよ」
もう抵抗はやめて、言われた通り会計本を右手と左手に一冊ずつ持って歩かされる。
「さあ、もっと早く動きませんとこの沢山の本は移動できませんわ」
「でも!」
「何も言ってはいけません。ほら、本棚から取り出す時は、手を添えて。脇を締めて。お尻の角度を疎かにしてはいけませんわ」
気がつくと、模様替えは終わり、床はピカピカになっていた。
「では仕上げですわ。手には何も持たずに、雑巾も片付けてくださいませ。そして、本を持った時のように肩を下げて、胸を張り、雑巾があった時のように足を滑らせるように動かして」
言われるがままに動く。
「まあ60点ですわ。いまからはその歩き方を崩さないでくださいませ」
「わかったわ。そろそろ帰ろう?」
そう言って、校舎の外に出る。
気がつくと夕方だった。
歩きながら、別棟のほうに目をやると、窓から見える教室の中では、他国からの転入生がちょうど授業を終えたところだった。
言語に、計算を習っているらしく、教室の黒板には文字の書き方の説明が書かれている。
その教室から先生が出ていくと、入れ替わりにヘイリーと先ほど見た護衛っぽい男性二人組が教室に入って何かを説明していた。
ヘイリーって他国からの転入生達を気にかけているんだ!
ヘイリーの話を、転入生達が真剣に聞いている様子が窓越しから伝わってくる。
そういえば、この他国から流入してきた生徒の寄宿舎などを支援しているのはヘイリーのお父様だ。
貴族でもないのに、熱心に支援している。
シルヴァ嬢のお父様達よりも、ヘイリーのお父様の方がボランティアや寄付に熱心だからすごい。
さっき、メリッサやアンナとハンナが傷つけられてメリッサに対しての怒りが心のどこかに残っていたけど、何とか言い返してやろうという気持ちが薄れていった。
イライラしているからって誰かを傷つけていいわけじゃないけど、でもヘイリーに仕返しをするのはやめよう。
そう考えて、ミランダと他愛のない話をしながら帰路についた。
アーネスト伯父さんの雑貨店に帰ると、今日もすでに『閉店』の札がかかっていた。
「閉店早くない?」
「今日は、早く閉店して、地下でレッスンです」
伯父さんのお店は一見普通のお店兼住宅だけれど、実は地下に広い部屋がある。部屋というより……板張りの道場だ。
ここですることといったら一つしかない。
護身術の練習だ。
「地下のレッスン……」
気落ちした声で呟く。
やりたくないやりたくないやりたくない!
「明日は…チャリティーDayの初日だし、夜はほら!舞踏会に行かないといけないから、今日は辞退しておきます。では、明日に備えてお肌のお手入れを……」
「では、2人ともついてきてください」
私だけじゃなくミランダも護身術を学ばないといけないんだ!
じゃあいつもよりも簡単かも。
あの容赦ない訓練が嫌い。
クリアできるとレベルが上がって難易度が増すから、少し手を抜いていたのだ。




