第8話 決着、そして新たなる力
くろにくる うんちく講座 第7回
ラリサ・アレクセーエヴナ・スミルノヴァ
ロシア軍中尉の自称天才バスター。「ロシアの子荒熊」の異名を持つ。
母はロシア国籍だが母方の祖母は日本人で、その祖母は夫を失ってから日本に住んでいた。怪獣出現後にロシア社会も怪獣絡みやそれ以外も含めて不安定化する中、両親は多忙であり、比較的安全だと思われた日本の祖母のところへひとりで預けられていた。
日本語が流暢なのは天才だからではなく、最近まで日本育ちであったため。祖母に言われてもロシア語の勉強をおろそかにしていたため、むしろロシア語が片言で、日常会話もおぼつかない。知識、思考は基本的には年齢相応。「天才」はあくまでバスターとしてで、且つ自称である。
父親はロシア軍の偉い人で、ラリサは日本で育ったが当然ロシア国籍であり、バスターになるとすればロシア軍のバスターだった。バスター志望を公言する娘をあきらめさせるため、両親はロシア軍の基地公開イベントで実際の姿を見せようとした。結果、突発的に起こった事態で正規の軍人バスターも逃げようとする中、ラリサがJKに乗って活躍してしまう。本来はそのイベントでサプライズとしてロシアのトップバスターの新しい専用騎を発表するはずだったのだが、体裁を整えるため、ラリサが優秀な新人バスターであると発表する流れになってしまった。
その時の騎体がベールクトであり、その時は全身が赤く、背中のアタッチメントも無かった。
ロシアは国土が広いこともあり、基地周辺に来た個体以外、元々散らばってしまっていた怪獣は現場のメリットが薄いために積極的に狩られることはなく、大部分が放置されていた。地方では時折被害を出していたため、ラリサはバスターになった後、志願してそれらを狩る任務に従事。通常のバスターと異なり、特定の基地に属することなく、そのときの活動範囲の近くの基地へ間借して転戦していた。その時の単独での活動時に必要になり、ベールクトの背中に複数の剣を装着する形のアタッチメントが作られた。年齢面などで神輿に担ぎやすいこともあり、軍や政府のプロパガンダ的に英雄扱いされることもあるが、それ以上に、実際の地道な活動によって地方では本当に英雄的に受け入れられている。
とある基地で、装備の横流しや怪獣の密猟などに関与する軍人に、相手に不都合な形で無自覚に接触。単独行動中にJKで襲撃されて殺されそうになるが、たまたま技術交流で訪問していたナゴミに助けられる形で共闘し、知り合いとなる。この事実を知った父親により、周囲が下手なことをできないようにという牽制と、軍としては本人へは謝罪的な意味や、明るみになった汚職よりもそれを正した行為へ世間の目を逸らすためなどの意図が絡み合って「中尉」へ昇進することになる。
今回、ベールクトまで持って来て日本にしばらく滞在しているのは、ちらばっていた怪獣をぶっつづけで狩り続けて大体片付けたご褒美的な意味に加え、殺されかけた時の状況などを踏まえて父親が娘の安全のためを思ってしていることでもある。両親の心境としては、以前はきちんとロシア人になってほしいと思っていた。しかし、絶対に折れない娘の性質と、殺されかけた諸々などから、もういっそのこと不測の事態で日本に永住してくれたほうが、いろいろな面で気が楽かもしれないとすら思い始めている。
第8話 決着、そして新たなる力
巨大な試作自在甲冑は、両腕を失って立ち尽くしている。
司令部で画面を見ているニナは複雑な気持ちを抱いていた。
娘に生還する命令を堂々と出せる。しかしそれは、人びとの生活圏を守る手段が無いことを意味する。
「もう彼女たちにできることはないわね。生活圏にも被害は大きく出るだろうけれど、だからと言って、直せば使えるドラムキングを無駄に消耗するわけにはいかないと判断します」
司令部内の者たちは黙ったままだった。
罪悪感に目をつぶる。
これはたしかに客観的に適正な命令でもあるのだ。
「艦上特殊少尉、九七式特殊曹長に命令します。これ以上の戦闘の続行は不可能と判断します。その騎体はそれ以上傷つけないように、修理して次の機会に備えるために帰還しなさい」
ドラムキングは立ち竦むように怪獣と向きあったまま、動かなかった。
ニナを始めとした、司令部の面々は不安と動揺を露わに見守る。
レイコはモニターのひとつでチハの様子を見ていた。
チハは目を見開いて正面の超大型怪獣を凝視していた。
動いた視線が、原型を留めないガンリューを捉える。
映像記録などで見るのと、実際に目の当たりにするのとでは、あまりに違う。
チハはわなわなと震え、涙がその目に浮かんでくる。
恐怖に囚われたのだろうかとレイコは考える。
先程の光線が直撃すれば、通常のJKならバスターも容易に死ぬことになるだろう。例えドラムキングであれ、当たりどころ次第でチハもレイコも簡単に死んでもおかしくない。
『チハさん、だいじょうぶですの? 動けませんの?』
『動けます。けど、ごめんなさい、艦上先輩……』
チハは苦悶の表情を浮かべて謝罪を述べ、歯を食いしばるように口元を引き結んだ。
レイコは、どちらの意味だろうと思った。
しかし、どちらだったとしてもレイコは反論する気は無く、チハの操作を補助することに努めることは決めている。だから彼女は問い返さなかった。
『チハ。苗字じゃなくて、レイコで構いませんわ。チハの好きにしてよろしくてよ。わたくしを信じてくださいまし』
中継で見ている者たちも、JK内のバスターたちも、司令部の者たちも。
誰もがもう勝てるわけがないと思っていた。
ドラムキングは怪獣に背を向けてよたよたと歩き始めた。情けない姿だが、誰も責める気は起きない。両腕を失い、もう戦うことなどできるはずがないのだ。立ち向かっても無駄死にするだけだ。
ただそれは絶望的な光景だった。もうどうしようもない。あの怪獣に人々の生活圏は蹂躙されるのだろう。
司令部の画面に映るドラムキングは怪獣に背を向け、よたつきながら小走りして加速し始めた。
ニナたちは、ほっとするような、複雑な表情を浮かべる。
彼女たちは超大型怪獣に負けたのだ。超大型怪獣の進撃を止める術は無いだろう。
だが。
『たかが両腕をやられただけだよ!』
チハが叫んだ。
レイコは少しの驚きを表し、ついでうれしそうなほほ笑みを浮かべた後で、真剣な表情になって力強く言い切る。
『腕なんて飾りですわ』
チハとレイコの発言にニナは驚愕した。
「何を考えてるの!? 戦えるわけないでしょう!?」
先程の光線でチハは、幼い頃を思い出していた。
彼女は怪獣に荒らされた街を知っている。
ナゴミの両親が死んでいるところを直に見た。
多くの死傷者が出た現場にいたことがある。
彼女が祖母に預けられたのは、ただ危険だから戦いから離されただけではない。
特に感受性の強いチハの反応は、そのままそういった環境に置いておくのは危ういと周りに思わせるほどだったからでもある。
無数の死、破壊、喪失。
けれど今のチハは、成長したチハは、その怖さを知った上で、受け止めた。
怪獣と戦っていた自衛隊の人たち。直接戦った、ナゴミを始めとしたバスター。その基盤を社会の維持という形で支えて来た人たち。
多くの人たちが、チハをそういったものから命をかけて、つらい思いをして今まで守ってくれたことを知っているのだ。だから。
街を踏みにじらせるわけにはいかない。誰かを殺されるわけにはいかない。
『あの怪獣を、絶対に街へは行かせない! ……今度は、わたしが守る番だから‼!』
力強くチハは断言した。
画面の中、敗走していたように見えたドラムキングは小さな山の麓に辿りつくと怪獣に向き直って片膝をついた。
チハの言葉と裏腹に、がっくりと力尽きたようにも見える。
しかし画面に映るチハとレイコの顔は、まったく絶望していなかった。
『レイコ先輩、ここならいいですよね?』
『ええ、チハ、あれをつかいますわよ』
『がってんです!』
ニナたちは、ふたりのやりとりを呆然として見つめていた。
そして、インターネット越しに世界すら注目している中、片膝をついた姿勢から前傾してそのまま倒れるかと思われたドラムキングの腰が持ち上がり、後ろで斜面が爆発した。ように見えた。
前傾姿勢で突然勢いよく走りだしたJKの姿に、山がクラウチングスタートのスターティングブロックがわりに使われたためだと気づいた者はどれぐらいいただろうか。
遠ざかるドラムキングを注視していた怪獣は、その突進にすぐさま反応していた。
口を開き、光を溜める。
見ている一般人の多くが疑念を抱く。
まさか、タックルをするつもりなのか。そんなことで倒せるはずがないと。
怪獣の口から光線が放たれる。
それはドラムキングがいたところを貫き、背後の山を本当に爆発させた。
ドラムキングは光線を跳び越え、宙を飛んでいた。
完全だったときのドラムキングの重さは八百トン近い。腕と肩の突起を失ったことを考慮しても軽く七百トンは超えている。
クラウチングスタートのような姿勢で、周りのことを考慮せずに短時間で全力のトップスピードに乗った巨体は、実に時速五百キロに迫っていた。
そこからさらに駄目押しするように跳躍し、落下速度も加わる。
運動エネルギーは、質量に比例し、速度の二乗に比例する。
『『すいッ!! せいッ!! きィいいいいいいぃっくッッッ!!』』
チハとレイコの声を合わせた絶叫とともに、縦回転に捻りまでも加えた強烈な跳び蹴りが怪獣の頭部に炸裂した。
直撃したクリスタルコアが砕け散ったばかりか、頑丈な怪獣の首さえあらぬ方向へねじ曲がり、思いきり吹き飛ばされた巨体は地面へと倒れ込みながら滑っていった。
頭部クリスタルコアが砕けてまともに動かず、痙攣のような動きしかできなくなっていた超大型怪獣の背中のクリスタルコアは、ヴァルキュリヤたちによって砕かれた。
腕を失ったドラムキングが地形と、動かない怪獣の体とを利用して再び立ちあがる間に、まだ動けるトリックスターたちはガンリューに集まっていた。
溶融して原型を留めていない表面からは、陽炎が立ち昇っている。
槍の穂先や剣の刃が溶解した外装の隙間へと差し込まれ、こじ開けられる。
チハとレイコはHMDにその様子を拡大して映し、固唾をのんで見守っていた。
表層が剝げ落ちた時、青いビニールのような層が出てきた。
チハによるU素材作成実験の後、この元希少素材は大量に作成され、昨日までに可能な限り各JKのコックピットを覆うように仕込まれていたのだ。
これが残っているということは、光線そのものはそこで遮られていたと思われた。
果たして、開かれたコックピットの中、ナゴミの姿に傷は見当たらなかった。だが、彼女は気を失っていた。
余熱でさえ騎体表面から陽炎が発生していた。内部の温度はどこまで上がっていたものか知れず、それにより電装系が停止したためか、モニタリングデータも取得できていない。
なりふり構わずナゴミの状態を確認しに行ったチャノとマオウによって、少なくとも穏やかな呼吸をしていることが確認され、バスターたちと司令部には安堵が広がった。
チハとレイコは、ナゴミの安否を確認後、すぐにドラムキングで基地へ向かっていた。
輸送手段が存在せず、修復の利便性にせよ、怪獣の出現に備える意味にせよ、ドラムキングを迎撃地域に置いておくわけにもいかない。
精神的消耗を考慮し、ふたりを休ませたいところでもあったが、むしろ緊張が途切れる前に帰還させることを優先したのだった。
腕を失ったことで全身のバランスも崩れ、戦闘の結果、各関節の機能などにも支障が出ているため、ゆっくりと慎重に移動する。
避難から戻った住民たちなどは、遠くからでもその姿を確認すると、ガッツポーズや礼、携帯電話で撮影など、様々な反応を示していた。
呆けたようなチハの視界の中、共通するのは笑顔だった。
『わたし、戦いたくなかったけど……』
『ええ……』
じわりと涙を浮かべたチハの言葉を、レイコは優しく肯定して促した。
『たしかに守ったんですよね。ほんとうに、戦って、よかったです……』
ナゴミが言っていたことを、わかったつもりでいた。しかし、結局のところ経験は、自ら経験することでしか得られない。
溢れる涙を拭う後輩を、先輩は画面越しに温かい目で見つめていた。
『そうね……。わたくしからも、お礼を言わせていただきますわ。ほんとうに、ありがとうございますわ』
『いえ、こちらこそ! ありがとうございます! レイコさんがいなければ、わたしは戦えてないんですから!』
軽くふくれたような反論に、レイコは笑みをこぼす。
『では、ふたりともですわね。できることなら、これからも、よろしくお願いいたしますわ』
『この子が必要な間だけですけど、ぜひ! 根性のわたしと……』
『では、努力のわたくしで』
『『よろしくお願いしますね/よろしくお願いしますわ』
ふたりの少女は、うれしそうに笑い合った。
ドラムキングが基地へ辿り着いた時、ゆっくりしか移動できなかったこともあり、辺りはすでに繁忙状態にあった。
自力帰還可能だった通常のJKは、すなわち軽度の修理で再出撃可能であることから、取り急ぎ修復作業が始められている。
そうでなくても、JCなどを用いた迎撃地域からの回収作業もある。
動けなくなったJKを現地で動かせるレベルへ応急処置するために、確認された必要な素材を見繕ってJCで出発する者たちもいる。
それでも、ドラムキングが位置を定め、身体を横たえる間、多くの視線が集まっていた。
完全に停止した巨大JKからチハとレイコがドラムキングから現れると、誰ともなく拍手を始め、徐々にその戦果を称える声が空間を満たしていった。
レイコから渡された特生軍の制服の上着を羽織っているチハは戸惑ってしまう。
「みんな、がんばったのに」
先輩は微笑みかける。
「それもみなさん、わかっていますわ、それでも目立つ活躍でしたのと、わかりやすい象徴も必要ですのよ、きっと。ナゴミさんもこんな気持ちでしたのかしら」
朗らかに笑いながら四方へ会釈するレイコを見て、チハは慌てて追従し、ペコペコと頭を下げる。
一層強まった拍手が治まった頃、恐る恐るといった感じでチハは足を踏み出した。
慌ただしく作業が再開されている様子にきょろきょろしていると、彼女はきたじぇのJCを発見した。
その横にいる、きたじぇの制服を着ている人物に驚き、駆けよる。
「榊さん!」
リエルが近くにいるスタッフに視線を向けると、「いいよ」と笑顔で返され、チハへと向き直る。
「……お疲れさ……」
「ありがとう!」
ぎこちなく浮かべた薄い微笑で労おうとしたクラスメイトに、チハは勢いそのまま抱き着いた。
「ちょ、なにすんのさ」
「だってだってだって~……!」
剝がそうとしても、しがみついたまま会話にならない相手にリエルが辟易していると、チハを追うようにレイコが歩いて来た。格闘技を教えたことで、面識はある。
「艦上先輩も、お疲れさまでした」
「お疲れ様ですわ。そして、ほんとうにありがとうございますの」
リエルは、チハの顔面を片手で掴んで引きはがしながら首を傾げた。「いだ、いだだだ」と悲鳴をあげる同級生のことは気にしない。
「ああ、手伝ってるのは、志願じゃない動員でですよ。手当をもらうわけで、そもそも役割ですし、どんな形であれ役に立てるのは本望ですけど」
ぶっきらぼうな言葉にレイコは笑みを深めた。
「そちらもですけれど、あなたが教えてくださった格闘技術のことですわ。おかげさまで怪獣を倒すことができましたの」
「そうだよ、ありがとう!」
「そんな……」
目を見開いたリエルは、困惑して言葉に詰まる。
「自在甲冑そのものも、それに関連した技術も、多くの人が積み重ねてきたものですの。あなたの技もですわね。今回、人々を守ったのはあなたでもあると言っても、過言ではございませんのよ」
バスターになることを望んでいたリエルは、超大型怪獣の出現と避難により、自分と身近な者たちの命の危機というものをあらためて実感することとなった。
守る側になりたいのに自分は守られるしかない弱者なのだと痛感していた少女は、チハの言葉をまた思い出し、万感の思いを持って呟く。
「……ほんとうに、無駄なんかじゃなかった……」
零れる涙も誇らしく、今の少女は堂々と泣き、そして笑った。
超大型怪獣を撃破した翌日。
テレビや新聞、インターネットなどは大騒ぎだったが、当事者たちはそれどころではない者が多い。
対特殊生物自衛軍十勝基地の会議室のひとつで、錚々たる顔ぶれで会議がもたれていた。
基地司令であり、世界初のJKの開発者とされる特殊大佐の九七式二七。
基地のJK関連技術主任である雷電奈技術特殊中尉。
昨日、超大型怪獣を討伐した特殊少尉である艦上零子と、同じく特殊曹長である九七式千八である。
さらに、やはり昨日、超大型怪獣を撃破したロシア軍所属でエースであるラリサ・アレクセーエヴナ・スミルノヴァ中尉。
そして画面越しに世界初のバスターで「ザ・ファースト・バスター」の異名を持つ大和特殊大尉。
ナゴミは入院中であり、入院着でベッドの上である。
光線のコックピットへの浸透は免れた。だが、遮断したU素材も、直撃していた各種部材も高熱を発したために電装系は機能を停止したと思われる。
救出された際に気絶していたナゴミも、サウナなど遥かに超える高温に晒されたと推測されていた。
自覚的にも検査の結果としてもおよそ問題は無さそうなのだが、万全と言い切れるほどではないので、念のため様子見で入院しているのだ。
特生軍の制服を着ている他の面々に対し、ラリサはタンクトップにレギンスという私服だ。ナゴミに寒くないのか問われ、「ロシアに比べたら暑いし、『若いから』」と言って相手の頬をひくつかせていた。
ラリサは会議机の上に駄菓子を広げ、隣のチハと分け合って食べている。どころか、ニナとエレナもうれしそうにそこに参加し、レイコも慣れない様子で相伴にあずかっていた。
会議室内の緊張感の無い様子は、肩書だけ並べた時に一般人が想像するだろう光景とは、あまりに異なっていた。
『それで、ええと、司令?』
ひとりそこに参加できないことが悔しいのではなく、状況に頭を抱えながらナゴミが促した。彼女は、この顔ぶれの中では保護者役に回ることもめずらしくない。
「ええ、大体まとまってる話としては、ラリサちゃんの件は、専用騎を本人の希望にあわせて作って譲ることと、戦果への貢献度合いに応じたU素材の受け渡しでロシアとは話がついてるわ。まあ貢献の度合いとそれにもとづいた報酬の算定の折衝は大変そうだけど」
ベールクトがぼろぼろになったためだった。
本人の志願にニナが出撃許可を出して、街を守るために命をかけて戦ってくれたが、ロシア軍には事後承諾となった。
この駄菓子はニナによる個人的な礼のひとつである。ラリサも中尉なので、十一歳とは言え階級相当の報酬は得ているし、今回についても、特生軍から戦果に応じた討伐手当が出るのだが。
エレナが画面のナゴミを見て言う。
「ドラムキングは、二週間ぐらいあれば戦えるところまで持っていけると思う。実戦の時のデータをフィードバックして改修も加えてね」
チハは少し不安そうになる。
「ドラムキングを直すっていうことは……」
『当面、お前は戦力として期待されることになる。超大型怪獣が複数出現することは確定したしな』
「うん……」
『ヒマだからテレビとか新聞見てたら、すごい扱いだぞ。新型試作自在甲冑で超大型怪獣を討伐した十五歳の少女。ザ・ファースト・バスターの再来か、だとさ』
ザ・ファースト・バスター本人は、複雑な心情を抱いている様子で軽く笑いながら話した。当人はそれどころではなかったため、英雄使いされていた当時の世間での扱いにいまひとつ実感がない。今回、これを元に想像を巡らせてもいた。
「チハ、だいじょうぶですの? わたくしと違って、元々はバスター志望ではありませんでしたのですわね?」
レイコに気づかうような視線を向けられたチハは、少し無理をするように笑って見せる。
「いえ、みんなを守るためなら、わたし、戦いますよ!」
「そう……」
レイコはそれでも案じる様子を崩さなかった。
『それでその、出現地域の方はどうなんでしょうか。また超大型怪獣が近いうちに出るとか』
ナゴミの質問に、ニナとエレナはやや険しい顔になる。
「いつもの微震が、頻度も大きさも増したとも言えるし、長期的な観点では、誤差の可能性も捨てられないレベルね」
怪獣の出現地域の地中を震源とする地震は、日常的に観測されている。ただし機械では検出できるが、人間ではほぼ感じない程度のものだ。なんとなく怪獣の出現と連動しているかもしれないという程度で、明確に関連していると言えるデータとはなっていない。
ニナがラリサを撫でる。
「ラリサちゃんの専用騎は、しばらく待ってね。もしかしたらひと月とかかかるかもしれないけど、状況が落ち着いてからでいいかしら」
「しかたないよね。あたしは急がないし、いいよ。堂々と長くこっちにいれるのはそれはそれでうれしいし」
言ったラリサに、エレナも手を伸ばして撫で始める。
「シミュレーションでいろいろ設計は事前に試せるから、希望は聞くよ。私は修理作業とかに直接はあたれないから、比較的手は空くし」
技術部主任としてJKの設計などに携わっているエレナだが、今の現場スタッフと比べればJCの操作適性は高くなく、作業も苦手なのだった。
実際の組み立て作業は職人が行うことになる。職人の中には設計から組み立てまでほとんどひとりで行う者もいるが、求められる能力が多岐にわたるため、比率は少ない。
エレナがふと思い出したようにチハを見る。
「チハちゃんも、一応、余裕が出たら専用騎を作ることはできるよ。それに、撃破スコア的にエース扱いになるんだよ。ですよね?」
最後に同意を求められ、ニナは困ったように笑った。
「うそ!?」
チハは驚愕して口からお菓子をこぼし、レイコがそれをまとめてティッシュで覆って端に寄せる。
ニナが複雑な表情を浮かべる。
「スコア的にはそうなっちゃうのよね。艦上特尉と半分で割るとしても。大型複数に超大型だから、超大型を大型相当で考えても。だから、半年のあいだ問題を起こしたりしなければ、自動的に特殊少尉への昇進は決まってるわ。一応、採用直後だからすぐすぐ昇進させるのはないだけなのよ。特殊少尉だと、場合によって小隊長も任される側だし」
と言うより、いつでも小隊長をさせられるように、前提としてエースは特殊少尉以上になる。
アメリカ軍では戦闘機パイロット準拠で、バスターの階級は少尉以上になる。特生軍ではそれを参考にしつつ、やや控えめな設定になっており、どちらかと言うと戦車乗りに近い扱いだ。「少尉」などと言うが、「特殊」も付く。特生軍のバスターなどは、そもそも士官ではない。ともすればおおげさにも見える特生軍のバスターの階級は、他国のバスターとの交流や比較に対して体裁を整えるという側面も強いのだ。
チハは、こぼした菓子の処理をしたレイコにぺこぺこ頭を下げていた。そして気を取り直して言う。
「でも、わたしはドラムキングにわたしが必要な間はバスターやるけど、他の人が動かせるようになったりしてわたしが戦う必要なくなったらバスターは辞めたいから、専用のJKはいらないよ」
ニナやナゴミはほっとしたようだった。エレナも気づかうような優しい微笑みを浮かべていたが、レイコは複雑な顔だった。
ラリサも不満そうな顔になる。
「なんか、意外っていうか、さっき言ったじゃん、みんなを守るために戦うって」
チハは困ったように眉を寄せた。
「それはそう、わたしが戦うしかないならきちんと戦いたいと思うけど、ふつうのセカンドとかで戦うなら、わたしより強くてバスターになりたい人たちがいるし。ふつうに採用試験受けたら受からないような、それで元々バスター志望でもないわたしが枠を埋めるのはおかしいから、辞めるのが正しいと思う。今すぐに辞めるってことはなくて、ドラムキングが必要な間はちゃんと操作の練習とかして、それが必要なくなっても、何があってもいいように強くなる訓練はつづけるよ」
「そっか」
ラリサは少し納得したようだった。
「それにしても、『製作者の趣味の無駄遣い』から、大した変わりようよね。ドラムキングはいつ直るのかって、あっちこっちから問い合わせ殺到よ」
ニナは、真剣な様子でぼやいた。
チハとレイコはドラムキングから外されたコックピットでシミュレータを起動し、移動モードのドラムキングを動かしていた。
仮想空間内で、巨体は軽く拳突きなどを試していた。
露天に晒されている今の実物は、ネコの耳のように見える部分があった場所に穴が空いていて、四肢の外装も装着状態はまばらである。
仮想空間では耳のような円錐形に尖った突起は付いており、腕も脚もきちんとついて外装で覆われている。丸太のような四肢はきちんと機能していた。
外で機材を用いてそれをモニターしているエレナがふたりに話しかける。
「どう? 腕は実戦時のデータを元にしてUマッスルの配置を簡略化する方で設計をかなり詰め直したんだけど、前より動かしやすくなって、しかも力も出るようになってないかな。脚も、手間がかからなくて修復のついでにできる範囲で少し手を入れてみたんだけど」
元々、ドラムキングは実戦での使用を想定されていなかった。新しいUマッスルの配置などを試す以上、とりあえず大雑把に設計したようなところがあるのだ。人間に直すと日常生活動作レベルに支障は無く余裕を持たせながらも、運動となるとできるかどうかはわからないような、そういう想定の設計だった。実際に動かしてデータを集め、戦闘に向けて本格的に設計するためのテストベースだったのだ。
拳突きや蹴りの動作を試したドラムキングは、直立して腕を組んだ。
NCユニット内でチハは同じポーズをしていた。
彼女は満足そうに頷いた。仮想空間内の騎体の着ぐるみのような巨大な頭部もその動きに追従する。
『うん、いい感じだと思います。けっこう楽になってる感じ』
『そうですわね。わたくしの方も前より余裕が出てきそうですわ。雷特尉、この方向で実際の修理、お願いいたしますわ』
エレナはほっとしたように微笑んだ。
「うん。わかった。戦闘モードの実装は省略するけど、それでも早くて一週間か、十日はかかると思う。もしかしたら二週間とか」
昼休み、チハとレイコとエレナ、それにラリサが食堂に入ろうとした時だった。
「チハ、レイコ!」
呼び止められてふたりがそちらを見ると、チャノとリンゴがいた。
「ちょうどよかった。あたしら今日はもうオフなんだけど、お前らも午後暇ならこれから少し遠くまでラーメン食いに行かないか? エレナさんと、お子様もどうだ?」
同行すると昼休みを超過するような言い方にチハがレイコを見ると、お堅そうにも思える先輩は微笑んでいた。
「あのラーメン屋さんですの?」
レイコの問いに、チャノがにっと笑顔を返す。
「おう」
「では、チハもよろしくて?」
レイコに言われたチハは少し困惑する。
「レイコ先輩は、いいんですか? 午後まで時間かかるみたいですけど?」
「はみ出たぶんは調整いたしますので、構いませんわ」
レイコは意味ありげな微笑を浮かべていた。
彼女が気にしないのなら、チハに反対する理由は無かった。
「じゃあ、行きます」
「アタシも行く!」
「ちょっと、念のため司令にも声をかけてみるね」
目を輝かせて断言したラリサの横では、エレナが少し不思議なことを言い出した。
新得町の国道沿いのラーメン店を出たチャノは、伸びをした。首をごきごきと鳴らす。
「はー、食った食った!」
彼女は、もつ味噌ラーメン・ミニ豚丼セットに味玉をトッピングし、別に頼んだ餃子をリンゴと分けて、すべてたいらげていた。
「おいしかったですー」
満足そうなリンゴも同じメニューだった。
チハとラリサは涙目になっていた。
「やばい、食べすぎてもどしそう……」
チハが呻き、ラリサは声を出すのもまずいという様子で口を押さえながらわずかに頷く。
チャノたちの真似をしたチハとラリサは食べ切れず、元々分けるつもりだったのと、そういうことになるのをある程度見越していたために、ふたりでひとつのチャーハンを分けていたニナとエレナに片付けてもらうことになった。
「司令、ごちそうさまです。私まで」
エレナがぺこりと頭を下げ、チャノたちも口々に礼を言った。
「いえいえ。みんなには内緒よー。一部の人だけ贔屓したなんて、噂広まったら困るから」
ニナは冗談めかして言ったが、わりと内心は本気だ。贔屓などで生じ得る不満の蓄積などは、組織の運営上は軽視できない。けれど個人としては奢りたいし、奢らないのも恰好がつかない。上に立つ者の悩みの種だった。
「よーし、腹ごなしに少し歩くぞー、ついてこいー」
チャノは、言いながら先導して歩き始めた。
一行は、ラーメン店からほど近い散策路にいた。
小さい石碑のようなもののそばでチャノが立ち止まり、皆がそこに集まる。
「これが、バッタ塚だ」
石碑にも、そのものずばり「バッタ塚」と字が彫られていた。側面には「トノサマバッタ」とある。
「バッタ塚?」
ラリサが正面でしゃがみこみ、衝撃でまた戻しそうな様子を少し見せる。
チャノは焦ったが、ラリサがなんとか落ち着いたのを見て、説明をする。
「そう。昔、たくさんのバッタで困った人たちが、ここにいっぱい埋めたんだよ」
チハとラリサは、いまいちどう反応していいか困っていた。
自信ありげなチャノに対し、リンゴは気まずそうに指摘する。
「その、説明の仕方が、たぶん、あまりよくないかと……」
レイコがニナに振る。
「一八八〇年、でしたかしら」
ニナは感慨深げに石碑を見ながら頷いた。彼女に視線が集まる。
「そう。明治の頃。北海道開拓時代のことよ。テレビとかで見たことあるかしら。イナゴの害と書いて蝗害って言うんだけど、アフリカとかでも、バッタの大群がぎっしりと空間を覆って、草どころか繊維質のものをなんでも食べ尽くして群れで飛んで移動して、ものすごい被害を出すのよ。農作物だけじゃなくて、植物をねこそぎ食べつくしたりして。そんな風に十勝でバッタが大量発生してあちこちで深刻な被害を出して、各地で対策にお金と労力をつぎこんで。なんとかして増えないように幼虫を集めて埋めたりとかしたの。群は札幌にまで辿りついて、何年も農作物に被害を与えてね」
チハもラリサも驚いていた。
ニナとエレナにレイコ、リンゴは少しさびしげな顔だ。
チャノは、なぜか誇らしげに言う。
「怪獣との戦いに似てるだろ? 結局、あたしらがしてるのも特別なことじゃなくて、昔からある自然と人間の戦いの延長なんだよ」
「自然を大切に、とかっていうスローガンは詭弁的なのよね。人間も自然の一部だし、トリカブトだってフグ毒だって天然だわ。何も知らない人が適当にそのへんの草花やキノコを食べたらすごく危険なのよ。自然そのままの熱帯雨林とかに何も持たずに放りだされたら大変だわ。北極や南極、砂漠だって火山だって、宇宙空間だって自然の環境なのよ。『人類が快適に生きられる環境・サイクルを維持しよう』って言うならわかるんだけど。酸素があるところじゃ生きられない細菌だっていて、深海の、私たちと馴染みのある生態系とはまったく隔絶したような場所にも生態系はあって、チェルノブイリの原子力発電所跡にも放射線に耐性がある微生物がいるらしいし、地球が人間の住めない環境になっても、まず恐らくそれに対応する生態系ができるだけなのよ。生き物にとっては自然のなりゆきのひとつにすぎない」
チハとラリサは、ニナを驚いたように見る。
「天敵のいない島にシカが渡ったら、楽園のようだったそこで増えすぎて、今度は餌の植物を食べつくして地獄のようになって、遅れてオオカミが渡ったら数が調整されて生態系のバランスがとれるなんて話もあってね。別にバランスを崩して滅びかけるのは人間だけじゃないの。むしろバランスを崩したことを自覚して自分で踏みとどまれるのが人間なのよ。『自分たちの子孫が気持よく暮らせる環境にしよう、維持しよう』って思える、選べるのが人間なの。私はそういうのを自然との『戦い』って言うのは好きじゃない、線引きをして素敵な共存を目指したいと思う。けれど、結局今は怪獣との関係は、戦いなのよね」
ニナはひとりで遠くを見るように語っていた。そしてふと我に返る。
「あら、ごめんなさいね、変な話して。でもチャノちゃんが言ったように、生き物が生き物である限り向きあわないといけないこと、向きあうのが当たり前のことで、特別なことじゃないって言いたかっただけなのよ。医療の発達で赤ちゃんや小さい子を始めとした死亡率も下がって、なんだか人間にとって脅威らしい脅威が無い状態が怪獣出現前の日本では当たり前に思えたと思うけど、むしろそれまでのここ百年ぐらいが生き物として非日常的だったとも解釈できるのよ。人間も怪獣も正義でも悪でもない、どちらも生きるために、子孫のためにやっていて、お互いさまね」
ニナは石碑に歩み寄った。
「別に考え方は人それぞれで、できるだけ人の手が入らない環境や道具だけで生活するべきっていう人がいてもいいと思うのよ。人に強制しなければ。私も軽い気持ちであこがれることもあるし。ただ、私の場合は帝王切開でチハを産んでるから、開拓時代のような環境だったらどちらかとか、あるいはふたりとも死んでいたかもしれないの。私が生きた時代の環境で私は間違いなく幸せだったから、次の時代の人々が安心してしあわせに生きるための国を作るために一生懸命だった昔の人たちに感謝したいと思うし、同じように繋いでいきたいと思うの。大切な人たちを守って、子どもたちが幸せに生きられる環境にしたい。これは大義とか正義とかじゃないわ。エゴよ。人、人類の、って言ったらずるいわね、私という個人としてのエゴ」
特殊大佐は、石碑に向かって手を合わせ、目をつぶった。少しして、娘たちに笑顔で向き直る。
「こんなときだからこそ、あらためて来たかったの。自分たちの暮らし、そして子孫の未来を守るために、一生懸命戦った先人。石碑は、もうここと札幌にしか無いらしいけど、実際は、バッタは北海道のあちこちに広がってて、それぞれに対応したらしいわ。そして、同じように、記録が残っていることだけがそういう戦いじゃないのよね。全部が全部、いろんな人が、紡いできたもの、繋いできたもの、形のあるものも無いものも、全部が繋がって、私たちがいるの」
感動しているラリサの横で、チハは少し哀しげな顔だった。。
帰りの車の中だった。
チハは後部座席で先ほどの会話について考えていた。
「人類と怪獣、お互い子孫のためかぁ……。怪獣は、増えるとこ見られてないけど、やっぱり子どもとかいるんですかね。なんか、ふつうの生き物とちがう感じがするけど」
運転しているエレナが試すような笑みを浮かべる。
「神様がつかわした人間の天敵とか、異世界とか宇宙の知的生命が送り込んだ兵器とか?」
それらはインターネットや出版物などで珍しくない説ではある。ただどちらかと言うとトンデモ説として認識している人が多い。けれど社会単位で見ると、大真面目に訴えている宗教団体などの組織などもそれなりにある。
チハは安易に肯定できずに少し膨れた。
「そういうことでもないんですけど……」
後部座席でチハとラリサに挟まれているレイコが微笑んで、ポータブルコンピュータで検索して、ある生き物の画像を呼び出した。
「独特で独立した動物でしたら、クマムシというのがいますのよ。すごく小さくて、大きくても一ミリメートル台なのですけれど、特殊な形態になりましたら、すごい高温ですとか低温ですとか、放射線や真空にも耐えられまして、宇宙から来たのではないかっておっしゃる人なんかもいますの」
チハとラリサが驚き、ずんぐりむっくりな見た目の生き物の情報に、興奮したような顔になる。
「それでも、遺伝子や基本的な作りは怪獣とは違って、他の地球の生き物と同じ系統なのですわ」
助手席のニナは、娘たちの様子に笑った後、問いかけるように語る。
「怪獣の牙や爪なんかが自切信号を発するというのは、同じような性質を持った別の生物と争うためと考えるのが自然じゃないかしら。ビーム発振器官にしても、怪獣同士の争いは確認されていないから、そういうものを使う相手がいる生態系に属していたと思われるの。もしも人類が押し負けるなら、怪獣はたまたま天敵のいない環境に生息域を広げることができた形になるのだろうと、そういう推測が、一応今は主流の考え方ね。そうすると、別に怪獣が特別じゃない、ふつうの生き物だと思えない? どこからどう来たのか、どう増えているのかはまだわからないし、もちろん正しいとは限らないんだけど」
チハとラリサは納得したような顔になった。
ニナは少し考えに耽るような表情になる。
「卵の周りの温度で性別が決まる爬虫類がいたり、幼虫のときに与えられる餌で女王になるかならないかが決まる虫がいたりするし、ミジンコは好ましい環境ではメスだけで増えて、環境が生存するのに好ましくなくなるとオスが生まれて交配するらしいけど、バッタの一部は何世代か同種が過密の環境に置かれた時に、翅の長い、ふつうとは違う形の子どもが生まれるようになるの。相変異って言うんだけどね。普通の……まあ人間の勝手な基準だけど……は、孤独相、特殊な方は群生相って言って、同じ種類とは思えないぐらい、性質や行動パターンがかなり違うのよ。それが群を作って、普段食べない植物まで食べながら群れで飛行してその先で増えるの。飛蝗現象って言うの」
「それがバッタ塚のやつ?」
ラリサの問いにニナは頷く。
レイコも、こちらはニナの話に真剣な顔で頷いていた。
「つまり、過密で飢餓を招き得る環境から、新しい環境へ入植するような形ですね。そのままだと種が自滅するだけだから。ただ飢えて新天地を探すという消極的な場合だけでなく、好環境で増えすぎた場合にもすでに生息している地域の密度を減らして生存率を向上した上で、次の好環境を探す。合理的ですね」
チハが頷いた後で首を傾げる。
「じゃあ、あの超大型怪獣たちもそんな感じ?」
ニナは苦笑した。
「そういう説があるっていうだけね。周囲の群れがあの超大型を守るように見えるから、新しい女王バチや女王アリが新しい巣をつくるためにオスを伴って旅立つのと同じようなものなんじゃないかっていう説もあるけど、先入観を持ちすぎるのも考えものなのよね」
ラリサは感心しきっていた。
「ニナさん、物知りー」
ニナは少しはにかむように笑う。
「私はJKを使えないし、技術的なことも、もうついていけないし、立場的にせめてこういうことを学んでおかなくちゃいけないのよ。怪獣がどういう存在なのか、どういう性質を持っているのか。きちんと判断したり推測したりできるようにね」
お子様はふと眉を寄せてチハを見た。
「ほんとに親子?」
ニナとチハはショックを受けた様子で、レイコは少しだけ気まずそうに微笑む。
エレナは愉快そうに笑っていた。
「ユニークな感覚はすごく似てるじゃない。ドラムキングがかっこいいと思ってるとことかさ」
「「え、かっこよくない!?」」
母と娘は、納得できない様子で息ぴったりに反応した。
車が基地の入り口に差し掛かり、ラリサが白い実物大ガンリュー像を見上げていた時だった。
ニナがチハたちへ向き直る。
「それで、ダイ特尉とも相談していたんだけど、ドラムキングが使えるようになるのが早くても一週間後だとすると、その間はふたりの手が空くのよね。紅姫は直ったみたいだけど。艦上特殊少尉と九七式特殊曹長で、特殊試験騎を使って、それなりに戦えるようになれないかしら」
一同は、とあるJK格納庫に来ていた。
通常、JKは大きさゆえに野晒しである。U素材の山すら、その規模から露天である。カメラを始めとした防犯体制と法令による厳罰によって、窃盗などを行われたことはない。
それでも、基地の一角にはU素材も駆使した巨大な格納庫もあるのだ。
そこはドッグタグと生体認証で通過が許可される特殊な扉を通る必要のある場所だった。
レイコが手に持つコンピュータのカメラ越しに、ナゴミは格納庫の一行にラリサがいることに気づいた。
『なんでお前がそこに入れるんだ? 誰が許可というか登録した』
「私です……」
縮こまって手を挙げたのは。
『司令……』
ナゴミは額を押さえた。ラリサは外国の軍人である。
「だって、折角作った子たち、ラリサちゃんに見て欲しかったし、どうせ試作騎とか特殊な騎体って言っても、外からは何が特殊かとか技術とか機密とか、全然わからないじゃない? JKなんてみんな見た目好き勝手だし、ラリサちゃんが上司にこんな見た目のがあったーって言っても、むしろ撹乱になるわよ」
『それは、そうかもしれませんが……』
「ドレッサー登録はしてないから、動かせないから……ダメ?」
上目遣いで機嫌を窺うように言われ、ナゴミは呻いた。
特生軍の騎体は基本的に個人のメディアに対応してロックがかけられているため、登録されているバスター以外は動かすことができない。
標準的な基地付きの騎体は、基地所属あるいは特生軍所属のバスターであれば動かせるぐらい緩かったりもするが、専用騎などでは個人単位での登録管理もされている。民間所有のJCなどでも車のキーのように使われているそれの、高度な暗号化版である。
『基地の責任者はあなたです』
ニナはうれしそうな顔になった。いろいろな騎体に興味をひかれてあっちこっちへ忙しないラリサとチハの方へと早足で向かう。
本当にチハとニナは親子だと、ナゴミはこういうときに痛感する。
『いつか、あいつにとんでもないものを盗まれないといいけどな』
「もう盗まれているかもしれませんわ」
返しながら苦笑しつつ、レイコはコンピュータのカメラをニナたちに向けた。
病室のナゴミのコンピュータの画面の中では、ニナが喜々とした様子でいろいろな騎体を指さしてはラリサとチハに説明していた。
「かもな……」
特殊大尉は苦笑した。
ラリサは、一体のJKを見上げて目をきらきらさせていた。
標準的なMS型の体格のギャップを若干つよめにした上で縦に圧縮したような、ずんぐりむっくりな感じの体型で小柄なJKだ。
その騎体は全身が金色なのだ。
エレナはラリサの様子に笑みを漏らす。
当然、チハも興味を持っていた。
「これ、小さいですね?」
エレナは頷いて説明する。
「うん、大体身長十三メートル。特殊素材試験騎のひとつであかつき丸って言って、複数のビーム発振器官を騎体に仕込んで、それ自体と、そういう武装なら小さくても戦えるかどうかなんかも含めたテスト騎。ポテンシャルは高いと思うんだけど、ふつうの怪獣相手には使い勝手のわりに攻撃面はオーバースペックで、でもリーチとかを考えると超大型とはあんまり相性よくなさそうかな。小さいこととかで、耐久力も無いしね。レイコちゃん以外は武装をうまく使いきれなくて、レイコちゃんは別の意味で戦いながら操作が追いつかないし、フルに実用はできないんだよね。その内、余裕ができたら分解して、ビーム発振器官を手持ち武器にするんじゃないかな。一体に集約するより、複数のJKに持たせる方が効率いいだろうし」
チハは「へぇ」と感嘆を漏らし、あらためて問う。
「金色なのも、特殊な素材なんですか?」
質問内容に、ラリサも興味津々な様子でエレナを見た。
「いや、開発者とかみんなの趣味」
チハとラリサはずっこけ、レイコは苦笑していた。
ニナはあかつき丸にも関わっているのか、ドラムキングなどで同様のことをしているからか、気まずそうな顔をしていた。
エレナはあかつき丸の向かいを示した。
そのJKは、白くて大きなMSタイプの騎体だった。
「頭頂高二十二メートル、ホワイトジャスティス。これが今回の本命かなぁ」
セカンドJKの標準身長は十六メートル。ファーストJKの標準が十八メートル。セカンドで大きめであるベールクトも十八メートル。ドラムキングは特殊すぎる例と考えると、これもじゅうぶん巨大と言えた。
チハはしばらく見上げた後で、ぽつりと感想を漏らす。
「白い悪魔……?」
レイコが衝撃を受けた顔になった。
ラリサは怪訝な顔になる。
「そう? 正義の主役ロボットって感じじゃない」
「だって、角に、羽で、なんか目つきわるいし……」
チハが言った通り、頭部には斜め後ろに伸びる二本の角のような装飾がある。
アンテナなどでもない本当にただの飾りであるのだが、そういう意味ではまさに戦国時代などの甲冑的と言える。
そして背中には翼のようなものがあった。体の所々が極端にくびれており、それでいて背中にはごついユニットを背負っているのはアンバランスだった。
「ですが、本当にこれを使うんですの?」
チハの感想から立ち直ったレイコが言った。不安そうな様子だ。
エレナもレイコの懸念を理解した上で考えるように腕を組む。
「チハちゃんたちにしか使えないっていうなら、複座で超大型怪獣に対抗できる可能性があるのはこれぐらいじゃない? 最悪、エンジンは外して、羽はスタビライザーとして使う感じででも」
「エンジンを使いませんのでしたら、わたしくしが紅姫、チハがふつうのセカンドで出る方がいいと思いますわ」
レイコの発言に、エレナは「やっぱりそうかな」と独り言のように頷いていた。
「エンジン?」
チハは疑問を口にした。U素材で構成され、メタルハートで稼働する自在甲冑とは無縁に思える単語だ。。
ニナが誇らしげに騎体を示してみせた。
「この子の翼は、ただの剣のベールクトの羽とちがってジェットエンジンがついてるのよ。遠距離単独高速展開能力を期待して作られたの。実際は、性能の限界と法律との兼ね合いで、飛行というより滑空ですらない幅跳びになるんだけどね。欲を言えば、戦闘中に空中での機動とか格闘戦にも生かしたかったんだけど……」
「すごい!」
回りこんで背中のジェットエンジンを見たチハは、感動していた。
背中の翼は折り畳まれており、片側に二発、左右で四発のジェットエンジンがついている。
エレナが困ったように微笑む。
「操作が複雑すぎてね。セカンドのバスターなんて、適性があればあとは騎体を自分の身体代わりに、脳内では自分の身体を動かすようなもんでしょ。変な話、普段はJKの操作中はひとつの身体でケンカしかしてないわけで。この子は、それにあわせてほんとの身体で複雑な操作、しかも、エンジンと翼の特性とか機能を把握して、瞬間瞬間最適な判断で使わなくちゃならない。本来、飛行機、ジェット機はライセンスいるしさ。バスターにそんなことできる人いなくてね。今までのバスターは、それ一本でやってきたような人たちだから。将来的な有力候補はプリズムシンセのふたりかな。で、そういう部分把握して操作できるレイコちゃんは、そういう操作で普段騎体を操作してるから、手が足りない。ジェットエンジンは特注でU素材も使ってるけど、そうじゃない部分も多いからデリケートだし。というわけで、複座でそれなりに試験はされたんだけど、ひとりが格闘するのに合わせてもうひとりがエンジンを活用するなんて、無謀すぎたんだよね。エンジンを使わないとしても損傷しないように気を使わないといけないし。羽を使わないならただの大きいセカンドで、使い勝手わるいだけだし」
クリスタルコアを狙えるなら、通常サイズのセカンドでじゅうぶん怪獣を倒せる。大きくなっても輸送や補修、維持管理などまでを含めると、効率がわるいだけだ。使いこなせるドレッサーも選ぶようになる分、運用効率が低下する影響のほうが大きい。
ベールクトのパワー上昇やリーチ伸長をラリサは十二分に使いこなしていたが、あくまで特殊な事例である。
「本当はこの子も、サード候補だったんだけどね……」
ニナの残念そうな発言に、チハが疑問を持つ。
「サード候補って、あのドラムキングじゃないの?」
「世界中、日本でもあちらこちらで、いろいろなアプローチで第三世代自在甲冑の候補は作られているのですわ。ドラムキングが実用化されましても、サードのスタンダードになるとは限りませんの。今のまま改良しましても、チハのほかにもごく少しの人にしか使えませんでしたら、それは新しい世代の標準にはなれませんわね? JKの強みに、それなりの敷居の低さもあったとしましたら、使える人間があまりに限られ過ぎるのでしたら、失格とも言えますの」
ニナも気落ちしたように言う。
「必要性が近々に生じるかもしれないから、あの子を動かせる候補が他にいないか日本中に募集をかけたけど、そんな募集がいるようならサード候補としてはほぼ落第と言えるのよ。せめてセカンド並に敷居が下がればいいんだけど」
ホワイトジャスティスのコックピットはタンデム式の複座で、複雑な操作機器のある前席にレイコ、その後ろに一段高い形でチハが座る形になった。
こちらはレイコ側のみであるが、ドラムキングと同様に機材が特殊なためにシミュレーションは実騎の中で行うことになる。
仮想空間で一通り格闘術的な動作を試した後で、今度は剣を振り、走る。
「いかがですの?」
尋ねたレイコは、今は操作には関与していない。ヘルメットをかぶり、騎体からのフィードバックは共有し、HMDで視界も騎体から得てはいる。チハは頭部のカメラを利用した主観視点だが、レイコのそれは全身のカメラを同時に使った特殊視点だ。
「当たり前だけど、大きくて、重いですね。基本的にはセカンドだけど、動きの出始めとか切り返しがどうしても遅くなる感じというか。あと、羽が、見た目はかっこよかったけど邪魔な感じが……。動きに余計な反動みたいなのができるというか……」
「それでも、これまでに試された方たちよりは使いこなせているようですけれど」
前置きしたレイコは説明を続ける。
「おっしゃる通りなのですわ。ベースがセカンドの設計で、これほど大きくなりますと、基本的には重さや遠心力による動作への影響のデメリットがメリットに勝るのですわ。羽も、使いこなせません限りはただのデッドウェイトどころか、おっしゃる通り、余計なモーメントなどを生みだすのですわ。理想としましては、エンジンが無い場合でも、ほかの部分と同時に動かすことで体勢の転換などの効率を上昇させる機能を持たせたかったんですの」
動物が時に尻尾でバランスをとるように。あるいはフィギュアスケートでスピンしながら腕を伸ばし、曲げることで回転速度に緩急をつけるように。短距離走で腕の振りで速度を増すように。
翼を理想的に機能させることができたのなら、反作用、慣性、遠心力など、様々な要因を利用して急激な機動も可能となるはずだった。
※予告※
ホワイトジャスティスの本格的な操作訓練はこれからだった。
銃器の配備が始まった中、またも怪獣の群れが出現。
囮になれたら上出来と、チハとレイコはホワイトジャスティスで出撃してしまう。
その存在を知る者たちが不安を露わにする中、失敗作の烙印を押されていた騎体のジェットエンジンが唸りをあげる!
次回、第9話「空を駆ける」