第2話 ひとつのはじまりの日
くろにくる うんちく講座 第1回
自在甲冑
略称「JK」。西暦2021年三月頃では身長15~16メートルが一般的。
第一世代型は通称「ファースト(~JK)」。第二世代型は「セカンド(~JK)」。
ごくおおまかには、西暦二〇一〇年から世界中で出現し始めた特殊な生物群「怪獣」由来の特殊な素材「U素材」を主体に、人型に組み上げたもの。怪獣は他天体由来と思われ、地球にいた生物とは属する系統がまったく異なる。
出現し続ける怪獣に対し、消耗戦で押され続けていた人類が生活圏を奪い返すに至った主要因。
いずれも怪獣由来の、金属塊のように見えて機能としてはバッテリーのような「メタルハート」、金属製の筋肉繊維のような「Uマッスル」とセラミックでできた骨のような「Uボーン」が基礎構造の主要な材料。これに人工物の電装系などを含めたコックピットユニットを乗せ、装甲のような役割も担う外装で覆う。
人類が工学的に作ろうとして作れない高度な複合機能を持つ怪獣の体組織「U素材」を転用しているだけであり、得られる機能に対し、人類の技術的な介在要素は非常に微々たるものと言える。
地球の既存の生物とはまったく異なる系統の生物である怪獣の体組織が持つ「腐らない」「再接続・再利用が可能」な性質が非常に大きな成立要因。
U素材は金属的であったり、セラミックのようであったりするのだが、構造を人体のそれに近づけるにつれ、内部構造をむき出しにした場合には、筋肉配置の大雑把な模型のようでもあり、グロテスクに捉える人もいるかもしれない。
個体差のある怪獣を討伐した結果得られるものであることから、その時々で手に入る材料は常に異なっており、職人が知識と技術、経験をもとに手作りするような性質上、騎体ごとに出来は異なってくる工芸品のような側面を持つ。
様々な理由により、特に日本では、外装は既存のテレビアニメ由来のロボットを模していたり、美少女フィギュアのようであったり、仏像、戦国時代の甲冑風等々、作り手や乗り手の趣味で自由であることが多い。
西暦2011年に世界で初めて実用化されたのが、1970年代のテレビアニメの主役である搭乗型巨大人型兵器の実物大立像由来の外装を持つ、「ガンリュー」。個体名はそのままアニメの主役ロボットと同じである。これが始祖であるがゆえ、世界でも同じような系統の外装が選ばれることも多い。
初期型の設計は、怪獣の骨と筋肉を、大雑把に言えば幼児用玩具さながらの、ごく単純な人型に組み上げ、シード隕石群由来の技術発展により娯楽分野でさえ実用化されていた思考コントロール=ニューラルコントロール(NC)で動かすだけのシンプルな構造。大げさでなく、知識がある程度と、材料と設備があれば子供でも作れるレベルであった。
西暦2021年三月時点において尚、一般的な自在甲冑の製作工程そのものは、ちょっと凝ったプラモデルレベル。大きさが人間の十倍というだけである。とてもではないが人類が作ることなど夢のまた夢である性能を持つ「U素材」は地中から「怪獣」という形で出現し、供給されている。
JC
外来語。自在甲冑=JKに対し、戦いに使えない衣服として、「Jizai Clothes」より。
基本的にはJKと同一の設計に基づいているが、想定される使用目的が異なり、戦闘以外の汎用作業用に作られることが多い。
怪獣との戦闘に使われなくなったJKがJCとして扱われるようになることもあるぐらい、境目は実際には曖昧。
ドレッサー
JCとJKを日常生活動作レベルで操れる者たちを総称して呼ぶ。
西暦2021年三月時点、日本では「ドレッサー」は公的な資格となっており、これが無ければ公道などではJCやJKを動かしてはいけない。
仕組みは判明していないが、女しかJCとJKを動かすことはできない。
バスター
簡単に言えば、JKで怪獣を倒す者たち。
ドレッサーの内、怪獣を倒せる水準で戦うことができ、実際に倒す者のことであり、日本では厳密には俗称とも言えるが広く使われている。
バスターのエースの内、さらに上位の者たちを「トップバスター」などと呼ぶこともある。
シード隕石群
1999年七月、世界中に降り注いだ特殊な隕石群。
通常の隕石等であれば地表に届く前に燃え尽きるサイズのものが大部分でありながら、ほぼすべてが地表に到達したと思われ、世界中でそれなりの被害を出した。
落下に伴う熱や圧力等に耐えたのは、その特異な構造・性質による。
分析の結果、それらはこれまでに確認されていた生物とはまったく別系統の、地球外由来の「生物による生成物」あるいは「生物そのもの」であると推測された。
解析により、多様で特異な性質の内、電磁的作用に関わる部分を始めとしたリバースエンジニアリング的な利用によって、主に電子工学分野の技術の一部などは飛躍的な発展を遂げた。JKに関わる部分では、NC技術の発展や、既存回路の小型化など。
シード隕石は貴重なサンプル等として多数が回収されていたのだが、数年を経て、形状の変化や変質を遂げたものも多い。後の補完情報から、それらは怪獣のようになりそこねたものと推察される。
この隕石の研究により、頑丈すぎる怪獣の体組織の入手後の加工に関して容易になっていた部分もある。
第2話 ひとつのはじまりの日
突き立てられた鎌は、レイコと斜め後ろのチハの間に滑り込むようにして深々と刺さっていた。レイコ用の操作機器も巻き込まれて破壊されている。
怪獣がコックピットとして認識して狙ったものではないだろうが、たまたまふたりに直撃しなかったのもまた、レイコが狙って躱したものではない。
幸運と言うほかなく、死を意識することで緊張に囚われて硬直したレイコの横を、巨大な鎌がゆっくりと引き抜かれていく。
「ご無事ですかしら⁉」
顔面蒼白になった彼女は、サブシートを振り返った。
飛び散ったJKの破片がかすったものか、チハの頬には浅い創傷ができていた。
出血を知ってから知らずか、さすがに肝を冷やした様子で頬をひくつかせたチハは、それでも心配させまいとするように気丈に笑う。
「問題ないです! 気にしないで戦ってください!」
怪獣は、紅姫がまだ動くかどうかを確認しているようだった。
「紅姫、バスターは無事で、問題ございませんわ! 各位、気にせず戦闘の続行お願いいたしますわ!」
こういった場合、急に動いたりしない限り、怪獣は露骨な追撃をしてこない。
ほっとしたレイコは首を振った。
「わたくし用の操作機器の接続が切れてしまいましたわ。悔しいですけれど、わたくしはヘッドドレスだけではまともにJKを動かすことはできませんの」
チハは驚きに目を見開いたが、走らせるのが苦手というレイコの発言と、これまでの特殊な操作の仕方から、ある程度予想はしていた。
少女は口元を引き結び、判断は迅速に躊躇いなく決意して、あらためて発言する。
「ならばわたしの出番です! 艦上さんに怪獣と戦って死ぬ覚悟がおありでしたら、わたしに戦わせてください!」
この提案にレイコは驚愕し、そしてつらそうに微笑んだ。
「では、厚かましいですけれど、お願いいたしますわ。遠慮はなさらず、全力で」
「がってんです‼」
叫びとは裏腹にチハはヘッドドレスを外し、レイコは呆気にとられる。
チハは恥ずかしそうに、首の後ろで髪を束ねていたリボンをほどいた。
ふわりと広がる直毛は流れるに任せ、赤いリボンをハチマキのごとく頭に巻きながら、JKに空いた穴越しに怪獣を見据える。
十年ほど前からしばらくの間、世界中の様々な町が破壊され、さながら戦争か大災害による破壊の跡かという光景があちこちに存在していた。
十一年前から一年ほどの期間は、世界全体で見て、有史以来、文明レべルに対する破壊水準とその規模において最も破滅的な破壊があった時期とも言える。
チハは、そんな破壊の跡に実際に居合わせたこともある。
軽重、多数の負傷者と死者。もたらされた破壊に伴う、衛生環境の悪化に飢餓や伝染病の恐怖。電気ガス水道を始めとしたインフラ、生活基盤の崩壊による不安と混乱の蔓延。
家族や大切な人、ものを失った人たち。失われたものは、有形や無形も問わない。
悲劇の原因となる怪獣は、災害などと異なり、放っておいても消えないどころか、日に日に数を増したのだ。
いつのまにか慣れてしまっていた平和な日常に至るまでに、たしかに存在していた悲劇。
物心ついた頃に強烈に心に刻まれてしまっていた記憶。
少女の決意は軽くない。
「絶対に、町へは行かせない‼」
レイコは少女が気合いを入れた姿に少しだけ、とある人物の姿を感じ取った。世界で初めて自在甲冑で怪獣を倒したとされる少女である。
ヘッドドレスを着け直したチハは、HMDの表示を見ながら自在甲冑を立ち直らせる。
紅姫は相撲の立ち合いにも似た低い体勢で、刀を握りなおした。
さきほどの怪獣に一気に距離を詰め、全身をきりもみ回転させるような勢いで右手の刀を振りぬく。
「駄目ですわ!」
制止の叫びは、しかし間に合わなかった。
凶器的な鎌の付け根あたりを狙った刃は通らず、弾かれていた。
咄嗟に飛びのいて、まじまじと手元の武器を見る。
貴重に過ぎる刀の刃は見事に潰れ、叩きつけられた衝撃で刀身全体もひしゃげ、歪んでしまっていた。
「適切な角度で適切に引きながらでなければ……こうなるのですわ」
解説したレイコは、後半をひどく落胆した様子で力なく語った。
「ご、ごごご、ごめんなさいィ……ッ!」
狼狽えるチハは、一方で躊躇なく刀を投げ捨て、ステップを踏んで立ち位置を変えていた。
弧を描くように駆け、近くで動けなくなっているJKのそばに落ちている斧を走りながら拾い上げる。
Uマッスルの出力を圧倒的に引き出して跳躍を織り交ぜ、縦軸すら駆使した三次元の機動力で怪獣の攻撃をかいくぐりながら、クリスタルコアめがけ、全身を使って力いっぱい斧を振り下ろす。荒々しく動的で、レイコが動かしていた時の洗練された動きとは、あまりに違っている。
刃はクリスタルコアのわずかに外側に当たった。怪獣の攻撃用部位由来のそれは大きくUシェルに食い込むが、相手の動作に支障が出る箇所ではない。
反撃をかわすため、一気に身を引く。
自分が操作する時と違いすぎる愛騎の動きに、レイコは呆気にとられていた。
緩衝機能がじゅうぶんなため、騎体の動きの激しさに比べればコックピットに伝わるGは比較的軽度ではある。
卓越したバスターは、無意識にコックピットの揺れが最小になるように全身を制御する。
自在甲冑は、「ドレッサーが自らの身体のように操る」とも「人間を動作レベルそのままで十倍にした以上の超人的な動作が可能なポテンシャルがある」などとも言われるが、実際にこの水準で両立するバスターは世界でも稀ではないかとレイコは感じざるをえない。
何度かの応酬で、怪獣の攻撃は当たらないものの、紅姫の攻撃もまた、怪獣のクリスタルコアの近くや遠くに何度も外れていた。
ようやくクリスタルコアへ直撃して小型怪獣は動かなくなり、チハは一息つく。
この少女はJK自体の操作水準に対し、武器を狙ったところへ当てることは苦手であるようだった。
これでは今この戦場における戦力としては「いないよりマシ」程度である。
「……ビームでしたら、当てるだけでもじゅうぶんではありますけれど、素人がいきなり使うには危険すぎますわね……」
レイコは呟きながら考える。
ビーム発振器官を使用した武器は、素人に持たせるにはデメリットやリスクも大きい。
通常は考慮しなくていいエネルギー枯渇の危険に加え、峰のような部分が無くて触れるだけで大きな損傷に繋がることから、振るい方によっては自騎が多大な損傷を受ける。最悪、ただ怪獣を相手にするよりも死ぬ危険すら跳ね上がる。
彼女がコンソールのタッチパネルと付属のキーボードを試すと、その機能は生きていた。
タッチパネルと合わせて、すさまじい速度で操作し始める。
「クリスアルコアは狙わなくてけっこうですわ。囮になりましょう」
チハの視界に、迎撃地域まで移動した際のように立体表示で半透過の矢印ガイドが表示される。
それは多数の怪獣とJKが入り乱れる戦場を縫うように走っていた。
「お見えになる? このラインに沿って移動しつつ、届く範囲で怪獣を攻撃なさることは可能ですかしら?」
「やります!」
「では、お待ちくださいませ。……皆様! 紅姫が走り回りますが、怪獣の気をひくためですので、お気になさらず!」
通信を終えたレイコは状況の変化に合わせてガイド表示を修正していく。
「囮が目的ですわ。加えて怪獣の姿勢を崩せたら儲けもの。回避を最優先でお願いしたいのですけれど、よろしくて?」
「がってんです! いきますよ⁉」
「お願いいたしますわ」
紅姫は野生児のような荒々しさで、烈風のごとく戦場を駆け抜ける。
中型・大型怪獣に攻撃が当たった場合、損傷も与えるのだが、怪獣の特性としては行動そのものにそうそう支障は出ない。しかし、攻撃であると認識させて注意をひく、意識を分散させるという目的はじゅうぶんに達していた。
一方で、節足動物のような形態の多い小型怪獣では、結果的に攻撃を当てやすいのは肢部となるため、バランスを崩すことにも多々成功していた。
紅姫が作り出した余裕で、バスターたちは怪獣への攻撃の質を上げたり、態勢を立て直したりすることができる。
劣勢を緩和できた戦場の情報を俯瞰して、レイコはうなずく。
特に動きを止め、且つもともと仕留めやすい小型怪獣が数を減らされた結果、数の面での劣勢はかなり改善されていた。数的不利はあらゆる面に作用する。減らしやすいところから減らすのは、効率的な戦略と言える。
「素敵ですわ」
「そうか。わたしが倒さなくてもお役に立てるんですね!」
「またお願いできますかしら?」
「モチのロンです!」
チハの返事に首を傾げるレイコを置いてきぼりに、紅姫は紅の颶風と化した。
戦場を駆け抜ける囮を生かし、バスターたちは戦況を覆しつつあった。
そんな中、一体の自在甲冑が怪獣の攻撃を受けそこなって姿勢を崩した。
追い打ちは、ビーム発振器官によるものだった。優先的に無力化を図られていたものの、すべてを排除するには至っていなかったのだ。
近くを走っていた紅姫は、咄嗟に間に入るように突き飛ばしていた。
勢いのまま、四つん這いになって動きを止めた紅姫の頭部は消失していた。ビームの棘で首から上を切断されたのだ。
絵面だけを見ると深刻そうなのだが、乗り手のダメージとしては特に被害はなかった。
それ以上動きが無いことを確認したように間を置いて、怪獣は興味を失ったかのように向きを変える。
「もう、じゅうぶんですわ。素晴らしい働きでしたわ」
レイコは無念さを滲ませながらも、微笑んでチハを労った。
頭部以外のカメラはまだ生きているものもあるが、さすがにそれだけで戦闘行動を続行できるものではない。
しかし、特殊少尉が斜め後ろを向いて透過HMD越しに捉えた少女の顔は、まったく臨戦態勢を解いていなかった。
「カメラドローンを一台、専用でつけてもらえませんか? その映像をもらえたら、この子はまだやれます!」
自在甲冑の頭部の主要機能は、メインカメラとメイン集音機の設置モジュールである。それをフレキシブルに動かすことができるだけだ。人体同様の操作感を実現するという点では、それが重要であるとも言えるわけだが。
裏を返せば、今回、紅姫はメインカメラとメインマイクを失っただけである。他で補えるのならば、確かにJKとしての機能はほとんど生きている。
「お願いすることはできますけれど、けれど俯瞰での操作感覚は、簡単に慣れるものではございませんわよ?」
通常のバスターは、自在甲冑の頭部、目に当たる位置のメインカメラからの視点で操作する。シミュレーションでも当然それが普通である。
自分を外から見る形で操作するというのは、周囲の物体との距離感なども含め、いきなり行うには難易度は高いはずだ。
半信半疑ながら、レイコはすぐに司令部に話をつけた。多数の観測ドローンのひとつを紅姫専属としても、大したデメリットは存在しない。
レイコはメインカメラを失ったために中心部が大きく欠けてしまった自らのHMDの映像を、チハに送るドローンからの映像に切り替えた。
これで見ているものは完全に共有できるはずだ。
その視界の中、首の無い紅姫は自然な動きで立ち上がった。
ストレッチするように全身の動きを確認するあまりに当たり前のような動作に、レイコや、ドローンカメラの件を受けて注目していた司令部の面々は唖然とする。
「さっきまでの感じでやってみていいですか?」
「え、ああ、はい、お願いいたしますわ」
判断という行為を挟まないまま、ついうっかりレイコは返事をしてしまった。
急加速した紅姫は、まるでさきほどまでと同じように走り、跳ね、戦場を駆け回り始めた。
人間の目には異様に見える頭部の無い自在甲冑の働きで、戦況はさらに改善していく。
次に紅姫が失ったのは、左脚だった。ルートをレイコが指定する分、チハには周囲に意識を向ける余裕がある。
結果、また他の自在甲冑をかばい、今度は左大腿部を切断された。ビームの攻撃であればこそ、今回も看過できなかった。
脚を切断した怪獣が興味を失ったように向きを変えると、紅姫は上半身を起こした。左手で、左脚の断面を確かめるように触る。一度溶融した断面の一部は滑らかな凹凸で固まっており、神経のような機能を持つUナーヴなどが少し飛び出している。
「ほんとうに素晴らしかったですわ。動かなければ怪獣には狙われないはずですの。ゆっくり休んでくださいまし」
「さすがにこの状態じゃ、むずかしいですね」
チハは深く息を吐き、両手を組んで腕を伸ばした。
レイコは目を細めてその様子を見ていた。本当に、この少女は信じられない能力をもって、戦局へ多大な貢献を果たした。一般人を巻き込んでしまった罪悪感と信じられない収穫とに、特殊少尉の胸中は複雑だった。
戦場の映像へ目を移す。
自在甲冑、怪獣ともに動いている数は少なくなっていた。
決着は近いだろう。
戦況はどちらが有利とも言えず、予断は許さない。
「この子を映すドローンカメラを増やしてもらえますか? あと、トランスレータをオフにして、OSの調律系も全部ゼロにしてもらいたいんですけど」
斜め後ろから聞こえた声に、レイコは固まってしまった。
錆付いた絡繰り細工のように、ギギギと後ろを振り返る。
「あの、それは、どういうことですの?」
聞き違い無く内容が理解した通りだったのならば、特殊少尉には少女の発言の意味が理解できなかった。なまじ知識があるからこそ、意図が理解できない。
あらためて把手に掴まったチハは、迷いなく真剣だった。
「この子はまだやれます。ただ、カメラを意識した動きをする余裕は無いので。……あ、艦上さんは、絶叫マシンとかだいじょうぶですか? ちょっと無茶することになっちゃいますけど」
途中から、まるで自然体で質問され、レイコは頷く。
「一応、バスターですもの……」
「じゃあ、お願いします!」
自信を持って請われ、レイコは考えるのをやめた。
彼女の考えでは、もうできることは無い。となると、反論は時間の無駄で、言われたとおりを試してみることに異論はない。徹底的に論理的且つ理性的な判断だ。
「ええと、トランスレータをオフと……」
トランスレータとは、ドレッサーが個々人で自分用にカスタマイズされたものを持つ、JKなどを動かすための仲立ちプログラムである。通常、USBメモリのような記録メディアを持ち歩いており、それをコンソールに挿して使う。
ここでレイコは、あることに気がついて数瞬手を止めたのだが、それは「済んだこと」であるため、今はそれについて考えるのはやめにした。
「OSの補正パラメータをすべてゼロにしたらよろしいのですわね?」
「はい、お願いします」
ドローンカメラの件で司令部とやりとりを始めたレイコは戸惑った。
紅姫は逆立ちを始めた。
まるで両腕こそが初めから脚である生物かのように、まったく危なげなく歩きはじめる。
それは、自らの身体を動かす感覚を転用すると言われる通常のドレッサーの範疇を、あまりにも逸脱していた。
今や足の代わりとなった右手で小さめの剣を逆手で掴み、逆立ちをした紅姫は怪獣たちの足首を傷つけるように走り回り始めた。
人間換算でも超人的な身体能力を持つ自在甲冑は、逆立ちでも逃げ回るにはじゅうぶんな速度を発揮し、囮としての役割を果たし始めた。
他の自在甲冑は、異様な光景に多少うろたえた様子を見せたものの、間違いなく味方ではあるのだとあらためて理解し、その存在を生かすべく立ち回りを変えていく。
やがて、戦場で立っているのは満身創痍のトリックスターと逆立ちをしている紅姫、そして一体のクマ風中型怪獣となっていた。
ほとんど無傷の怪獣に対し、ぎこちない動きでなんとか身を躱すトリックスターの左腕はだらりと下がり、機能していない。
『これ、あたしじゃ決めきれないぞ、たぶん。左腕は使えないし、ガス欠寸前で、ビームは使えねー』
当然だが「ガス欠」はエネルギー切れの話である。実戦のさなかにそこまで至ることなど、現在では滅多に無い。
『了解ですけれど、こちらも決め手は……』
レイコはずっと逆さ吊り状態で血が集まって顔がむくみ、眼球もちりちりと痛むが、気にしていられなかった。
特殊少尉に不安げな視線を向けられたチハは、何かを決心していた。
かと思うと、紅姫が突然倒れこむ。
誰もが事態を理解できない中、地面に叩きつけられてもがく人間のように、自在甲冑は悶えた。
「こう……? こうかな……」
何かを意図するチハは、必死な様子で呟いていた。
不意に、紅姫の左大腿部の切断面あたりで桃色の光が瞬いた。
「よし、じゃぁ、こうの……こうか!」
切断されてむき出しになっていた太もものUナーヴは、バスターによって切断されて地面に落ちていた怪獣のビーム発振器官の断面に接触していた。
ゆらゆらとすぐに消え入りそうなほど頼りない蝋燭の火のようにぶれていたビームは、鋭さを増し、力強く空へ向けて伸びた。
レイコや司令部の人間は驚愕に囚われていた。知識がある者ほど、ありえないと思ってしまう出来事だ。
『よっしゃ、まかせろーー‼』
深く物事を考えないことの多いチャノの反応は速かった。
トリックスターは、右腕の腕力だけでピックハンマーを掴み、ハンマー投げの如く全身を何度も回転させて勢いをつけた。
後ろ脚で立ち上がった姿勢のクマ風怪獣の片脚が、ピックで強烈に引っかけられる。
思い切り脚をとられた形になった怪獣は斜めに倒れこみ、その頭部のクリスタルコアは、地面から生える巨大な棘のようになっているビームへと落ちていった。
怪獣の最後の一体が倒れこんだまま動かなくなり、司令部に歓声があがった。
厳密には、ほぼ無力化されただけで動いている怪獣もいるが、今現地へ向かっているJKや、戦闘行動まではできないがまだ動ける騎体で処理できる範囲だ。
司令である九七式特殊大佐は、負傷者の把握や損傷した自在甲冑の処理などについて順序だてて指示を出していった。
一区切りついたところで、映像内で横たわったままの紅姫へと視線を送り、通信用マイクに声をかける。
「艦上特殊少尉、だいじょうぶかしら?」
『はい。わたくしも同乗者も、負傷はしておりませんわ』
「それで、誰が一緒に乗ってたのかしら? 私が知ってる範囲だと、あんなことできる子は、心当たりないのよね」
この特殊大佐は、世界で初めて自在甲冑を作ったと言われている人物であり、対特殊生物自衛軍の成立前には、自在甲冑を製作、運用して怪獣に対する自警団のような活動を行なっていた。
現在はこの基地を統括する立場だが、今回の戦いに招集された、周辺の民間企業などに勤務している元バスターたちのことも基本的に把握している。
『それが、司令には謝罪しないといけませんの。誠に申し訳ございませんが、紅姫の移動速度を優先して、JC訓練校志望だったという一般の方にご協力いただきましたの』
「一般人⁉」
叫びは、命がけの事態へ巻き込んだという重大性への感嘆であり、また示された類まれにも過ぎる能力に対する疑問でもある。
『どんな処罰でも受ける所存ですわ。……この方、戦いが終わった途端に、安心して気を失われてしまいましたの。メディアをお借りして、データを拝見してもよろしいでしょうか?』
「そうね、一応、早めに身元はわかったほうがいいでしょうし、JC訓練校志望なら、おそらく構わないでしょう。見てもらえるかしら」
待つ間、司令は思考を巡らせていた。
一般人を戦闘に巻き込むというイレギュラー。
そういったことを防ぐためにも「ドレッサー」という資格が作られたにも関わらず。
この特殊大佐が今の立場に至るスタートがまず、似たようなものだった。
怪獣へ対抗するためにそのときに現実にできることを繰り返す中、似たようなことは何度も起こった。すなわち「現実に可能であり、公益には適うのだが、今あるルールに照らすのならば、アウト」といった事柄の数々である。
そういった経緯もあって、対特殊生物自衛軍設立の音頭をとることにもなってしまったし、今の地位に「なってしまった」のだ。
ゆえにそういったことへの対処は慣れていると言えば慣れているのだが、だからと言って、抵抗が無いわけではない。
レイコの判断力が高い、むしろ慎重な側であることは知っているし、今回の事態を見て、一概に責めることはできない。
部下のそういった性質などを把握すること、その上で普段からコントロールを図ることが上司の務めであり、結果、部下がしたことが責めを負うことならば、その責任を取るのが上司の仕事である。
特殊大佐は、そういったことを踏まえて、何かあって責任を負うことになっても納得のいく部下しかおらず、その点では非常に恵まれていると自覚していた。
『……そんな……』
通信越し、レイコの驚愕の声に思索から引き戻された司令は不安をおぼえる。
「どうしたの?」
『この方は、九七式千八さんのようですわ……』
ニナは愕然として目を見開いた。
司令部中の視線が彼女──九七式二七へと集まる。
「まさか……」
副官が気づかわしげな表情を浮かべる。
「司令、娘さんは、きたじぇは落ちたんですよね?」
呆然としたままのニナは、無言でうなずいた。
「ええ、自力で落ちたわ」
つまり、ニナの意図などと関係なく、チハはふつうに不合格なのだった。
西暦2011年。
九七式千八が北海道JC訓練校の入学試験に落ちる十年前。
この一年ほど前に世界で初めて怪獣の存在が確認されてから、怪獣は世界中で出現し始めた。日本でも数を増す怪獣に対し、自衛隊の弾薬は尽きていた。
大抵の怪獣映画のように、多くても「世界で数体」の出現で終わりならば、どれだけよかったことか。残念ながら怪獣は多くのフィクション作品における特別な由来を持つ存在などではなく、ただの生き物であったがゆえに、まったく当たり前に増えていったとも言える。
世界に数十カ所ある怪獣出現地域の地中から、全長十数メートルの小型が多いとは言え、時に二十数メートルの中型、果ては、たまに40メートル以上にも及ぶ大型が、月に何体も出現し続けたのだ。
世界中で数を増し続ける怪獣たちに対し、弾薬が足りなくなったのは自衛隊だけではない。継続的に攻撃するのではなく、一斉射だけをして逃げるなどすれば、怪獣は戦車などに対してもあまり敵対行動はとらなかった。それに気づくまでに失われた戦力はあまりに多大ではあったが。
数を増す怪獣に対し、各国は消耗戦を強いられた。資源を始め、生産に輸送なども含めたリソースの奪い合いになれば、資源国でない日本はそれだけでも弾薬供給が足りなくなるのは必然だった。各国とも、カネよりもまず自分たちの国土という、直接的な生活基盤が何より重要だった。
増え続ける怪獣のその性質、電磁的作用に伴う放出電磁波などに惹かれるという点により、各国は電力供給系インフラ、特にひどいものとしては発電所そのもの、さらには原子力発電所の破壊などが相次ぎ、また大きな都市ほど徘徊・滞在対象となっていた。多数の怪獣が特に規則性を持たずにさまようだけでも、電線や道路をはじめとしたインフラの寸断も多く見られ、世界の文明レベルは急激な低下を強いられていた。
ただしこれらの破壊は、その後の観察の結果、ネコが暖かい家電製品などに近寄る行為などに似て、ただ惹かれて近づいた結果の接触などに伴うものらしく、特に破壊を目的としているわけではないらしいという説が有力となる。
怪獣の闊歩はあらゆる大陸が対象であり、世界大戦以上の混乱が生み出されていたとも言える。物資の生産、輸送水準はそれまでに比べ、数次元の低下を余儀なくされていた。
この頃、北海道の札幌市、道央大学の敷地内に、とあるプロジェクトのための大がかりなテントが設置されていた。
九七式二七の友人である神経工学博士の雷光に協力を仰がれ、ニナとチハはしばらく札幌に滞在することとなった。その九七式親子には大和という14歳の少女が同行していた。
ナゴミは元々九七式家の隣に住んでいたのだが、怪獣出現のごたごたで両親を失ってしまったため、日本全体の混乱が落ち着かないことも受け、ニナが親戚に連絡した上で一緒に行動していたのだ。
彼女はプロジェクトで多忙なニナの代わりにチハの面倒を見ており、持ちつ持たれつと言えなくもない関係となっていた。
プロジェクトで作られていたのは、工学的見地から見ると高度な機能を複合的に成立させている怪獣の体組織を用いた、人型作業機械である。
身長15メートルほどで構築されたそれは、おおまかに同じような設計のものが世界各国で作られていたのだが、どこも最後の一押しが足りずに稼働することができずにいた。
どういう刺激を与えればUマッスルがどう動くといったデータをもとにした、構造そのものはシンプルな玩具並のものである。むしろ動かないことが理解できないくらいだ。
ニナたちのグループの「鉄人二七式」は、その日、たまたま新たな発見がなされたために、全身の同時稼働に成功した。
同日夜、大学敷地を通って市街地へ向かうようなルートをとったカマキリのような怪獣に対し、居合わせた中で一番うまく動かせるナゴミは、咄嗟に鉄人で迎撃に出てしまう。
幼いチハたちを守りたかったから。両親のような犠牲者を出したくなかったから。
「離れてください!!」
赤いリボンで長い髪をまとめた後ろ姿が叫びながらコックピットに姿を消し、後を追いかけていた者たちは足を止めるしかなかった。
鉄人二七式が頼りない動作で身を起こし、倒れかねないその様子から、下敷きにされないように周りの者は慌てて離れる。
『足止めぐらいはできるはずです!! せめてみんなが避難できる時間を稼ぎますから!!』
外部スピーカーからの声に、ニナは真剣な顔で叫ぶ。
「倒そうとしなくていいから、絶対に、生きて帰って来なさい!!」
ニナを見つめた鉄人の頭部がうなずいた。
ニナは不安な表情をそのままに周りを見やった。
「早く、離れましょう」
一同は、各々に苦しげな表情を浮かべて避難を開始した。
コックピット内のナゴミは、フルフェイス型NCヘルメットのHMDに避難が開始された映像が映し出され、ほっとしていた。
問題は、一番自分が動かすのがうまいとは言え、それはあくまで相対的な話であり、鉄人がきちんとは動いてくれないことだ。
そもそも全身を連動させて動かすことができなかった部分が可能になったとは言え、それはただ動かせるだけであり、思い通りに動かす調整はこれからだったのだ。
もう怪獣は敷地のすぐそばまで来ていた。
距離を詰めながら、ナゴミは時折足を止め、コンソールをいじって試作OSを順番に差し替えていった。
変化はあるものの、どれも一長一短で満足に動かせるとは言いがたい。
怪獣から距離をとるように、あるいは離れた地点から怪獣の進行を見守っていた一般人たちは、新たな巨人の出現に驚愕した。
施された部分的な外装から、人工物であろうことを察するが、ところどころむき出しのフレームには怪獣のUマッスルが見て取れ、事態がやや飲み込めない者も多い。
巨人はよたつき、手をつき、またバランスを崩しと、不安定ながら前進する。その目的を理解しても、それでもその存在と、その行動にもまたギャラリーは驚きを露わにしていた。
巨人は怪獣の進路を塞ぎ、がっちりと正面から受け止めた。
コックピットのナゴミは苦悶の表情を浮かべていた。
「とりあえず、これが一番マシだけど……」
言いながら、試作OSのリストの一番上にある最初に試したものに設定を戻す。
鉄人は、ぎこちない動作で取っ組み合いを始めた。
お世辞にも戦っているとは言いにくいような動作で、組みつき、押し倒され、なんとか起き上がろうとしてまた倒され、しがみついて身を起こし。
なんとか戦おうとしているということは見ている者たちに伝わるものの、それは戦いと言える形ではなかった。密着して組みついているがゆえに、怪獣の鎌がまともにあたることはない。しかし鉄人は自分のバランスを保つためにも組みついており、倒れかけるところを相手に支えてもらう形などで、結果的に動きを阻害してはいるが、攻撃はできない。格闘か回避をしようとして手を放したり、あるいは振り払われたりして倒れ込んでは、またどこかに掴まって起き上がる。
だが、どれだけ倒されても、攻撃されても、けしてあきらめる様子は無い。
街の方へは行かないようにと巨人は怪獣を引きつけつつ、怪獣の攻撃を捌きつづける。
鋭利な鎌が体に当たるたびに衝撃が伝わるが、ナゴミには鉄人にどの程度の損傷が生じているのかはわからなかった。
いつ腕や脚が動かなくなるかびくびくしながら、攻撃の直撃だけは避けようと鉄人を操作する。
やがて戦いの中で鉄人は正面から地面に倒れ込んだ。手を突くのが遅れ、もろに前面から地面にたたきつけられる。
コックピットのナゴミは全体重に速度を乗せてシートベルトに締めつけられる形になり、意識を失った。
少女は夢を見ていた。
怪獣などいない平和な日々。大好きな両親と過ごす、特別なことのない、ただの日常。
なんてことのない、これ以上は無い、とても幸せな暮らし。
ナゴミは意識を取り戻した。
とても長い夢だった気がしたが、おそらく気を失っていたのは一瞬だ。
今、人々は闊歩する怪獣に怯えながら暮らし、安定した日々というのはそれ自体が特別なもの。
大好きだった両親はもういない。
「だから……!」
吊るされるような姿勢で血が集まる感覚のある顔から涙が溢れてHMDを濡らし、滲んだHMDを拭おうとしてずらすと、今度は涙が正面のコンソール画面へと落ちる。
「せめて、ひとりでも多く守れたら……」
自分のように大切な者を失う人が少しでも出ないように。
決意をあらため、涙で滲む画面がきちんと見えるように拭うと、それはタッチ操作として認識された。
画面表示が切り替わる。
『トランスレータの切り替え』。
ナゴミは一瞬固まる。
新たに画面に表示された選択肢。
あちらこちらで遠くから様子を見守る人々。
その中にはニナの姿もあった。
正面から倒れ込んだ鉄人が動かないのを見た人々は、それぞれに狼狽や心配をしていた。
しかし、もう動けないのかと思われたそれは、怪獣が街の方へと脚を向けたところで、絶対にそれを許さない意志を示すかのように、ゆっくりと身を起こした。
それまでとは異なる、しっかりとした動作で。
そして鉄人は、怪獣の鎌に猛然と掴みかかった。
ニナも、周囲の人々も、動作の変化に目を丸くして推移を見守る。
ナゴミは鉄人を操作して、今度はきちんと戦闘を展開していた。相手の攻撃をしっかりとかわし、いなし、鎌の峰を掴み、組みつく。
前肢に組みついて、関節を逆に伸ばし、折ろうとする。動作は拙いにも関わらず、Uマッスルのパワーは力任せに関節を逆に折ることに成功した。しかし、節足動物風ゆえにそのままちぎれそうなイメージとは異なり、実際には節からちぎれるようなことはなかった。
『ナゴミちゃん!? 戦えるの!?』
唐突にスピーカー越しにニナの声が聞こえ、ナゴミは驚いたが、戦いながら応じる。
「はい。パパとママ……両親と作ってたゲーム用のトランスレータに変えたら、かなり使えるようになりました」
それが先程偶然表示された選択肢の正体だった。
鉄人に使っていたトランスレータは、そもそもゲーム用にニナが作ってくれたものだ。それを調整して使っていた。その下に表示されたのは、最終更新日は一昨年。怪獣が世界にその存在を示す直前頃、十二月二十五日のトランスレータだった。
クリスマスプレゼントのゲームを遊ぶために両親と四苦八苦していじりながら、結局ゲームを遊べる水準には全然至らず、ニナの協力で調律した新しいものの出来がよかったために未完成のまま放置されていた、両親とナゴミの共同作業で作られたそれ。失われた両親との思い出の、残滓。
ナゴミはダメ元でそれを選択したのだった。駄目なら駄目で、戻せばいいと。
理屈はわからないが、そんなことは、今はどうでもいい。
両親とナゴミの共同作業で作られたそれが、今、ナゴミが自身を守るために、他の人々を守るために、戦う力となってくれていた。
「今なら、それなりに戦えると思います」
ナゴミの発言が事実であることを示すように、鉄人は怪獣の左前肢の鎌に近い節に次いで、そのさらに根元側の節も逆に折り、左前肢の支持機能を奪った。
右の鎌での鋭い一撃を、鉄人はぶらぶらになった怪獣の左前肢を盾にして受け止める。
鎌は左前肢の半ばに喰い込んだ。
二度三度と振り下ろされるそれを、鉄人は左前肢で受け止め続ける。痛みを感じないためと知能が低いためか、自分の身体の一部を盾にされても、怪獣にはまるで攻撃をためらうような様子は無かった。
何カ所かに斬りこみが入った状態で、鉄人は一度ひざ蹴りを加えてそれを大きく湾曲させた。
そうして引き延ばした斬りこみでさらに攻撃を受け止め、あとわずかで引きちぎれそうと見てとるや、力任せに両腕で引き延ばす。
ぱっと見容易に引きちぎられそうなそれは、しかし引き延ばされただけで、けしてちぎれはしなかった。
あらためて、人々は怪獣の身体の強靭さを目の当たりにする。
だからこそ既存の兵器では、クリスタルコアを狙わない限り、大して影響を与えることができないのだ。
ちぎれはしなかったそれだが、見た目に頼りない細さで張りつめたそこでもう一度斬撃を受け止めると、ついに左前肢は切断された。
鉄人はその鎌の付け根側を両手で持って武器として構えた。
怪獣の一撃と交差するように、鎌の根元を狙って振り上げる。
怪獣が振り下ろす速度も乗ったそのカウンターは、一撃で相手の鎌を刎ね飛ばした。
怪獣は、知能が高くないとすれば、実質的に攻撃手段を失った。
ナゴミにはそういった判断をする余裕は無かった。
怪獣が動ける限り、ただ歩くだけで彼らは街を蹂躙することができ、被害者が出る可能性はある。
──一刻も早く。相手が動けなくなるまで。
鎌を、がむしゃらに相手の脚に叩きつけ、叩きつけ、叩きつけ。
残された四本のうち前側の二本をそれぞれ途中で切断する。
展開は一方的だった。
ギャラリーは、巨人が怪獣をほとんど行動不能に追い込んだのを見て喝采をあげた。
しかし、その後の様子に彼らの表情は徐々に曇る。
巨人は、後ろ脚だけでなんとか動こうとしていた怪獣の頭部クリスタルコアに鎌を叩きつけ続けていた。
結晶体は粉砕され、頭部がずたずたになり、怪獣が完全に動きを止めても尚、巨人は狂ったように怪獣の頭部に執拗に攻撃を加える。
事情を知らない観衆は、鉄人が人工物であり、人が操作しているのだと思っていた。しかしこの劇的な変化を見て、鉄人もまた調教された動物のような存在でしかなく、人の制御を離れて暴走しつつあるのではないかという不安を抱いた。
劇的な動きの改善と戦いの流れに呆気にとられていたニナは、通信機に耳を傾けて状況を察する。
コックピットのナゴミは泣いていた。
「……どうして、どうして死なないの……!!」
嗚咽をもらし、歯を食いしばり、視界の中で動き続ける怪獣の頭部へとひたすら鎌を振りおろし続ける。どう見てもそれは原型をとどめておらず、機能しているとは思えなかった。
「ナゴミちゃん! おちついて! もう、怪獣は動いてないわ。一度止まって、深呼吸をしてみて。だいじょうぶ、もう動いてないから」
ナゴミは呆然とした。
言われたことの意味を理解する間にも、絶対に攻撃の手を止めることはしない。
彼女はようやく理解をし、半信半疑ながら攻撃の手をゆるめ、そして一度止まった。
相手は、もう動いていなかった。
自分が、鉄人が激しく動いて視界が不安定で、攻撃を加えるたびにその衝撃で怪獣の身体が動いているのを誤解していたのだと、ようやく気づく。
鉄人が動きを止め、ニナはほっとした。
しかし周りは逆にざわめき始める。
その原因を見つけ、ニナは愕然とした。
小型怪獣がやってきた方角に、新たにトラのような中型怪獣の姿があった。
怪獣と鉄人の戦いに注目していたために、ほとんどの人はその存在に気づくのが遅れたのだった。
「ナゴミちゃん、うしろ、中型怪獣が来てるわ!」
警告のつもりで言ったニナは、後悔することになる。
鉄人は振り返り、中型怪獣の姿を確認すると駆け出した。
「やめなさい!」
ニナの叫びを無視して今度は全身の損傷でやや不安定な様子で走り続けた鉄人は、警戒するように身構えた怪獣が動く前に鎌を振り降ろしていた。
それは、身長150センチ程度で頼りない動きしかできない子どもが、体長二メートル以上ある虎に挑みかかるようなものだ。
顔面、眼窩のように見えるクリスタルコアも含めて斜めに切り傷こそついたが、それは浅く、怪獣にはまるで意に介する様子は無かった。
体型こそ、地球産の動物と似通っているが、やはり性質的な部分では大きく異なるのだ。
怪獣は、鉄人を敵と認識した。
ぼろぼろになった鉄人は、地面に這いつくばっていた。
涙に歪むナゴミの視界、中型怪獣は悠々と街を歩き、次々と建物を破壊していた。悪意などは感じられない。ただ移動しているだけで起こされる、無数の破壊。
あの足元で、どれだけの悲劇が引き起こされているのか、引き起こされるのか。
「……ナゴミちゃん、だいじょうぶなの!? ナゴミちゃん!?……」
何度も呼びかけるニナの声、その後ろで号泣しているチハの声を、ナゴミは雑音としてしか認識していなかった。
街を荒らされる絶望に、打ちひしがれる。
失った自宅を思い出す。その周囲、日常の象徴的だった住み慣れた町の崩壊を見て、無数の死者だって見て来た。
あそこにはまたあの光景が展開されているのだろう。
唐突に、吐き気を意識する前にナゴミは嘔吐した。しかし、実際にはわずかな胃液しか出ず、なのに嘔吐感は持続する。
しばらくして焼けつくような喉の痛みを残して嘔吐感は消えたが、涙は止まらなかった。
悔しくて、辛くて、悲しくて、それでも戦えないから戦わずにすむことにほっとして。そんな自分も許せなかった。
極度の緊張と恐怖に興奮と悲痛、酷使された脳はとうに限界を迎えており、わずかな気の緩みをきっかけに、ナゴミは意識を失った。
ナゴミは夢を見ていた。
とっくにいなくなった両親や両親と住んでいた街、そして止めることができなかった中型怪獣が登場してそれらを蹂躙する、ありえない組み合わせのそれを、しかしナゴミは夢と認識することができなかった。
少しずつ異なる、しかしほとんど同じ悪夢を繰り返すそのたび、ナゴミは現実のように認識していた。
頭とも体とも違うどこかが焼かれるような苦しみを、延々と彼女は味わっていた。
悔恨と苦痛に流す涙を、不意に冷たい何かが拭いとった。
まぶたが開き、それは夢では無かったことに気づき、そして先程まで心を焼き焦がしていたものがすべて現実ではない夢だったのだと気づく。
ナゴミは病室らしい部屋のベッドに寝かされていた。
「だいじょうぶ? ナゴミちゃん」
ニナが桶の水でタオルを絞りながら心配そうにたずねた。
すぐそばではチハが不安そうな顔で様子を窺っている。
ナゴミは幼子に向けて弱々しく微笑みかけた。
チハはほっとしたように笑顔を見せ、ナゴミも笑みを深くする。
ニナがチハの後ろに立つヒカリに目くばせした。
ヒカリは頷いて、チハに声をかける。
「チハちゃん、ナゴミちゃんたちはお話しなくちゃいけないことがあるから、あっちに行きましょう。何かお菓子でも食べようか」
チハは満面の笑みになって頷き、手を引かれるままに病室を出ようとし、戸口でナゴミに手を振った。
ナゴミもまた笑顔で手を振り返す。
引き戸が閉まり、わずかにそのまま、チハたちが戻ってこないことを確認し、ナゴミは膝を曲げ、布団に顔をうずめた。そしてすすり泣く。
ニナはその背中を優しくさすった。
「怖かったでしょう。ほんとによくがんばった、えらかったわ。けれどもう、あんな無茶したらだめよ」
急にナゴミは顔をあげた。
ぐしゃぐしゃの顔のまま、あたりに視線を飛ばす。
「ティッシュ、ティッシュくだあい」
ニナはあわてて箱に手を伸ばし、三枚立て続けに抜き取ると、そのままナゴミの顔に当てた。ナゴミが自分で押さえたのを確認し、彼女が自分で鼻をかむ間にベッドの上にティッシュの箱を乗せる。
ナゴミはひとしきり鼻をかんだ後で、涙で目の周りを赤くはらし、かみすぎで赤くなった鼻のまま、放心したような様子で呟く。
「こわかったのもたしかです……けど……」
ニナが気づかうように見ていると、ナゴミはまた涙をあふれさせ、それを振り払うように首を振った。自分の手足を確認する素振りをみせる。
「ちがうんです、わたし、わたしは無事だけど、鉄人はぼろぼろになったし……わたし、守れなかった……街を、みんなを守れなかった……勝手に動かしたのに……ほんとうは鉄人は、もっと可能性を持っていたのに」
中型怪獣に負けた、痛烈な悔恨に拳を握りしめるナゴミの頭を、ニナはごんと殴った。
ニナの普段の様子から想像できない行為にナゴミは呆気にとられた。戸惑い、加減を間違えたのかと思って見ると、ニナは真剣に怒っていた。
「勝手に動かすのはダメだけど、あんなあぶないことをするのはもっとダメよ!」
そして、彼女はそのままナゴミを抱きしめた。
「ほんとうに無事でよかった……。あなたがほかの人を守らなくちゃと思ったみたいに、わたしたちにもナゴミちゃんの命だって大事なのよ。わたしたちは家族みたいなものなんだから、もう」
遠慮無く抱きしめられ、何度も何度も愛おしそうに頭を撫でられ、ナゴミは困惑しながらも滂沱と涙を流した。
しばらくしてようやくナゴミを解放したニナは、少し恥ずかしそうに自分の涙を拭った。
「それでね、話さなくちゃいけないことはいっぱいあるんだけど、まず、あなたはたしかに街は守れなかったけど、人の命は守ったのよ。あなたが怪獣と戦っている間に避難が進んで、その最中に転んだりして怪我をした人なんかはいたけど、重傷者だとか、死んだ人は今のところ確認されてないわ。これまでの事例の教訓から、病院の人たちの避難なんかについても手順や設備は整備されていたから」
ナゴミは目を見開いた。複雑な表情でつぶやく。
「そうですか……よかった」
多くの思い出が失われ、生活の基盤が破壊され、どれだけの人がどれぐらいの喪失と苦労を背負いこんだのだろう。
手放しにはよろこべないとわかっていても、それでもナゴミはうれし涙をこぼさずにはいられなかった。
よかったと繰り返しつぶやくナゴミを、ニナは丸椅子に腰かけて少しの間見守っていた。
ニナはおもむろに口を開く。
「それでね、無断であなたのメディアのトランスレータと、鉄人の操作ログを確認させてもらったんだけど」
彼女は言いづらそうに話したが、ナゴミは特に気にしなかった。それは当然だろう。
ニナはさらに言葉を続ける。
「あなたのトランスレータと操作ログを、インターネットで公開していいかしら。あれをとっかかりにしたら、世界中で作られてる試作品の中にも、動作を改善できるのが出てくるかもしれないから」
ナゴミは固まった。
両親と作り上げた、最後の共同作業の産物。ナゴミに残された、ほとんど最後の両親からの贈り物。
ニナは心苦しそうに返事を待った。
ナゴミは思考が追いつかないかのように口を開く。
「それはつまり、あれで守られる人が出るかもしれないということですよね」
ニナは真剣な顔で首肯した。
「反対する理由がありません。両親が生きていたら、なんて言っておどろいて笑って、そしてよろこぶか……」
うれしそうな可笑しそうなナゴミの目には、また涙が浮かんだ。
もしもそれで人々が守られることになれば、きっとそれは両親からナゴミに贈られた中で最高のクリスマスプレゼントになる。
ニナはほっとした様子を見せながら、それでも気がかりなように言う。
「例えば、あなたが望むなら、対価とか報酬のようなものを要求しても……」
ナゴミは不思議そうに見返す。
「ニナさんたちだって、無償でがんばっているのに」
「私なんかは自分の蓄えがけっこうあるから、条件が違うのよ。あなたは御両親を失っているのだし……」
ナゴミは少しだけ表情を暗くした。
「家族とかを失ってるのは私だけじゃないですし。遊ぶために作られたあれで多くの人が助かるかもしれないなら、それが何よりの報酬です」
ナゴミが後段を苦笑しながら言うと、ニナはうれしそうにほほ笑んだ。
「わかったわ、じゃあ、早速手配させてもらうわね」
ニナはためらった後、また申し訳なさげに切り出した。
「他にもお願いがあるんだけど……」
ナゴミはたくさんのカメラの前にいた。
夜も遅いというのに、多くの人が騒然とした様子で集まっていることがナゴミには不思議に見えた。
会場の扉を開く前の、実感できなかったニナの言葉が急激に現実味を帯びていく。
『あなたにとっては怪獣に負けてしまった日かもしれない。けど、世界にとっては、あなたという女の子が怪獣を倒した、歴史に残る日なのよ』
会見の場では、ニナとヒカリもナゴミと並んで長机を前にして座っている。
記者たちの後方、入口の近くの角にはヒカリの研究室の院生に付き添われたチハの姿があった。状況を飲み込めない様子で、ナゴミたちをじっと見つめている。
記者が皆手を挙げる中、ひとりが指名されて質問をしようとしていた。
「その、あなたたちは、あの鉄人?にじゅうなな式?」
「ニナ式です」
ヒカリがきっぱりと訂正し、ニナが横で恥ずかしそうな顔になったが、記者は気にせず続ける。
「その、鉄人ニナ式で勝手に戦ったことに対してどうお考えなんですか? 人も巻き込みかねない、とても危険な行為です。建物なども壊れてますし、あれを重機か何かのようなものと考えれば、子どもに使わせたことだとかも問題でしょう。なにかしらの法令に違反しているのではないでしょうか……」
「ちがいます! 使わされたんじゃなくて、わたしが勝手に動かしたんです。まだ万全じゃなかったのに」
真剣にナゴミが反論し、記者は眉を寄せた。見る人によって記者が望んだ筋書きを否定されたことを不愉快に感じているようにも見えるだろう。
ニナがやわらかくナゴミを制し、説明を引き継ぐ。
「さきほど説明し、今本人が訂正した通り、私たちは大人が使うべきだと思って開発を進めており、操作用のプログラムなどを改善している最中でした。十四歳の子供が怪獣との戦いに使ったということについてはアクシデントです。それを止められなかったということ、独断で動かせる状況にあった管理面などはたしかに我々の責任です。ほかの部分についてですが、例えば馬は法律上軽車両扱いですが、豚であればお酒を呑んでまたがって歩いても、飲酒運転などは適用されません。法律で定義されていない以上、私たちとしては鉄人については特殊な鎧であると考えています。例えば市街地にクマが出て、人が襲われる可能性があり、それを防ぐために他人の敷地に入って格闘するということについては、一概に犯罪と決めつけることはできない緊急避難的な要素を含むと考えています。その結果、周りのものを壊してしまうことがあったとしてもです。もちろん、状況に照らしても問題があると然るべき機関で判断されれば、それは当然違法でしょう。前提として、ルールは公益のためにあり、ルールが公益を害するならば、それは変えていくべきであると考えます。ただ、各時点のルールに従って罰せられるのは仕方がありませんし、当然受け入れる所存です。然るべき機関によって、そう判断されるのであれば」
一見無茶苦茶にも思える論理に記者は反論できないようで、唸りながら黙りこむ。
事実、これまでに確認されている怪獣の性質を考慮すれば、鉄人と戦わなければ進路上の多数の建物が壊され、場合によっては人命も失われただろうことから、鉄人との格闘で生じた電柱や道路などの被害については軽微に抑えることができたとすら言えるだろう。司法機関の判断に委ねることに意義がないと本人も言った以上、記者が違法だと騒ぎたててもしようがない。
後は、この状況下で彼女たちを相手取って起訴するなどして追及するような者がいるかどうかだ。怪獣に生活を脅かされている世間に余裕はない。世論がどう動くかは火を見るよりも明らかだ。
他の記者たちも、それぞれに気になる部分があるようで場がざわつく。
そんな中、女性記者が手をあげながら大声で言う。
「その、あれが、ロボットなどではなく、ヨロイ、ですか」
「ええ。エグゾスケルトンというのはご存知でしょうか。あれと似たようなイメージで、乗り手が自分の身体のように動かす鉄人を、私たちは機能を拡張した衣類のように捉えています。なので、怪獣に対抗できたということで、鎧、甲冑の類であると考えています」
ニナが詭弁とも本気ともとれる様子でしれっとして答えた。
法律上定義されていないのはたしかだが、一般の感覚で言えば重機などの類と捉える方が自然という意見もまた多数だろう。事実、汎用作業機械として開発されていたのだ。
ニナのこの発言に、曖昧な存在だからこそ、都合のいい括りに巻きこもうとしているという意図を感じる人もいるはずだ。そしてそれは正解なのだ。無駄な面倒ごとは減らしたい。
ただそれは責任逃れではなく、根本的には公益のための行動であるというところで、人により、その姿勢に対しての評価は変わるだろう。
彼女は何よりもまず、怪獣へ対抗する手段として実用化する速度を最重要視しているのだ。そのためには使用に対する障壁は、できるだけ無いほうがいい。
重機などの特殊車両のような乗り物の類と、衣類の延長と、どちらが総体として実用化が早いかという話である。長期的には彼女だって、資格のようなものや安全基準などを整備することに対して、容認よりも賛成というスタンスである。
「その、鎧のようなものとして、なにか呼称はあるんですか? エグゾスケルトンのような」
女性記者が流れのままに重ねた質問に、ニナはあまり表情を変えずに思案した。
実際のところ、今はそんなものは無かった。
世界中で同様のものがいくつも作られているが、開発に関わっている者たちがそれぞれに機能由来だとか材料由来、あるいは好きなアニメに漫画、映画にゲームなどから引用するなど、好きな名前を付けている。
どれもスタンダードになっていないのは、どれも完成していなかった、きちんと動かなかったことによると言える。
あくまで彼らの真似をするように作り始めたヒカリは特に考えておらず、ヒカリのグループにおいてはプロジェクト名でもあった「鉄人」がそれに近いとも言える。しかしそれはざっくりとした一般名詞の延長であった。ニナが手を加えたので「二七式」と付いた結果、今度は逆に個体愛称のようになった。どちらも総称にはそぐわないだろう。
ニナの横で、ナゴミがぼんやりと呟く。
「……甲冑……自在……」
それを聞いてニナは察する。恐らくナゴミは平和だったときのことを思い出している。
一昨年のクリスマスから年末の間、怪獣の実在が公的に確認される直前の時期。冬休みであり、チハがせがむこともあって、ナゴミはよく隣の九七式家に遊びに来ていた。
少女趣味なナゴミと違い、ニナは変形したり合体したりするロボットの玩具を大量に所持していた。
ニナは古いものから新しいものまで有名どころの少女漫画も持っていて、それはナゴミにとってうらやましいところであったが、それ以上に少年漫画なども大量にあり、対象の性別年齢を問わないアニメに、特撮ヒーローものの映像媒体なども大量に所有していた。
そんな子ども向けフィクションまみれの家の中で、少し場違いにも見える、写実的な造形の動物の置物がいくつかあるのが気になって、ナゴミが見つめていたことがある。
ニナはそれを見て意気揚々とそのうちのひとつの鳥を触り始めた。
なぜそれがあるのか、ナゴミは少し納得した。
その写実的な鳥の置物は、関節などが可動するのだ。
「なんとこれ、江戸時代の自在置物っていうののレプリカなのよー」
誇らしげに笑うニナに、ナゴミは呆気にとられた。
「江戸時代、ですか?」
「そうなの。戦国時代が終わって平和になったからって、武具を作ってた甲冑師の仕事が減ったわけね。それで、技術を生かしてお金を稼いだり、技術を継承する意味なんかもあって、こういうのを作ってたのよ」
「触っても?」
ナゴミが唖然とした後に恐る恐る尋ね、ニナはにこにこしながらうなずいた。
「どうせレプリカだし、こういうのは動かすためにこそあるのよ」
ナゴミは蟹の関節を動かしてみた。実によくできている。
「江戸時代の超合金ロボみたいなものよ。自在置物っていうのは、そもそも存在が日本では忘れられてたみたいになってて、昭和に再発見みたいになったときにつけられた通称で、当時どう呼ばれてたかはわからないみたいなんだけど」
「すごいですね。戦いの道具を作る技術がこういう形で生きるなんて」
感動したようなナゴミの様子を、ニナは微笑んで見つめていた。
ニナに微笑んで見つめられていることに気づいたナゴミは我に返った。
戸惑うナゴミからニナは視線を外した。記者たちに向かい、凛として言う。
「鉄人二七式は試作品でした。巨大な人型のものが動かせるようになるかどうか。動作だけではなく、怪獣を倒すということが実際に可能であると確認された今、私たちは本格的に怪獣を討伐するための、より強力なものを作りたいと思います。その製作と完成後の運用については、先程のご指摘の通り、法的な問題が絡んでくるとは思います。皆さまご存知の通り、自衛隊の運用についても法律も含めて多々問題が明らかになっており、各種の法改正などが求められている現状、私たちとしては、その中であわせるように、法律の整備などを含めて国会や政府にも理解と協力などを求めて行くつもりです。一般の方々にも寄付を募るなど、様々な形で協力をお願いしていくことにもなるかもしれません」
記者たちがざわつく中、ニナは言葉を続ける。
「兵器のような使い方もできるということを危惧する方もいらっしゃるかもしれません。そういったリスクは特殊車両どころか、包丁だって同じです。私たちの動機を強調します。あくまで怪獣と戦い、人々を守るための鎧になるように、私たちはそれを作りたいと思っています」
記者たちは理解しているだろう。これに異を唱えられるほど、日本には、そして世界にはもっと、余裕は無い。
「将来、いつの日にか戦う必要の無い日が来て平和利用にだけ供される日が来るようにという願いを込め、戦国時代が終わり、武具が不要になって甲冑師が作るようになったと言われる自在置物にあやかり──」
ニナは一呼吸置いた。きっとこれはわるい名ではないと自分に言い聞かせながら、続きを口にする。
「──『自在甲冑』と、私は呼称したいと思います」
横で聞いていたナゴミは目を見開いた。
チハは瞼を上げた。
懐かしい夢を見ていた。
人類が生活圏から怪獣を押し返し始めるきっかけの日の夢。
歴史的な日、その場にチハもまた居合わせていたのだ。
見慣れぬ天井に疑問をおぼえ、上半身を起こすと、どこかの医務室らしかった。
ベッドの横を見ると、歴史に残る人物がふたり椅子に座っていた。
ひとりは、世界で初めて自在甲冑を実用化したとされる九七式二七特殊大佐。チハの実の母だ。
「ナゴミちゃん……」
そう、もうひとりは、世界で初めて自在甲冑で怪獣を倒したとされる大和特殊大尉である。
24歳になった彼女はJK黎明期から怪獣を倒し続け、「ザ・ファースト・バスター」などと呼ばれ、生きる伝説として扱われている。
世界で初めてのバスターは、チハにとっては姉のような存在なのだ。
幼い頃からのチハを知るふたりは、哀しそうな、苦しそうな複雑な顔をして少女を見つめていた。
※予告※
母とナゴミが、喜ばしい結果をもたらしたはずのチハを素直に称賛できないのは何故なのか。
新世代型試作JKを見せられることになったチハは、不安をおぼえる。
さらには、とある世界的天才バスターが乱入してきて?
次回、第3話「天才たち」