届かない希望
ずっと研究を続けていた科学者さんにも、死んだ魔女の国の人が見えるようになりました。ついに彼も、呪いの恐怖がすぐそこまで迫っているのです。たくさんの呪いの言葉を、お化けになって耳元で囁いてきます。その度に必死に謝りながら、科学者さんは頑張りました。
――呪いの中心である、魔女たちの城。そこの上に自分の技術と、魔女さんの残した技を組み合わせた……呪いと怨みと、悲しみを鎮める機械を作り始めたのです。それはとても、困難な道のりでした。
周りの人たちは、次々と呪いの言葉に心が折れて、化け物に変わって人を襲うようになっていきます。一人、また一人と仲間が減っていく中で、材料を集めることも、どんどん難しくなっていきます。
それでも――この呪いを、この悲しみを、この怨みを止めなければなりません。
もう呪いはひどいものになっていて、人間だけじゃなく、動物や植物にもとり憑き始めました。怒りをぶつけられれば誰でもいいと、もう科学者の国に限らず、色んなものを呪って、怨んで、泣いて喚いて、何もかもを壊していきます。
「もう……心の中が怒りと怨みでいっぱいで、何が何だか分からなくなってしまっている。暴走してしまっているんだ……そんなことは望みじゃなかったはずだ。こんな結末は望んでいなかったはずだ」
呪われた人たちは、魔女のお城に殺到し……科学者さんは一度逃げるしかなくなりました。何とか真っ白い塔の中に戻れましたが、もう呪いは自分の国の中にまで広がり、安全な場所はほとんどありません。正気を保っている人もどんどん減ってしまい、もう二つの国は、ほとんど滅びてしまったようなものになっています。
科学者さんは深く悲しみました。これから魔女の城に戻り、機械を完成させて動かしたとしても、世界は元の姿に戻らないでしょう。そもそも、自分が失敗してしまうかもしれません。不安に思った科学者さんは、塔の前に書き残しました。
「もし、僕が倒れてしまったとしても……後から来た誰かに、伝えなくちゃいけない……」
科学者さんは、自分がうまくいかない事も覚悟していました。もしそうなれば、この土地は呪いだけが残った、恐ろしい場所になってしまいます。入ったものが原因も分からないまま、怨みと怒りに取りつかれ……恐ろしい化け物に変わってしまうのです。
科学者が倒れてしまえば、誰も伝える人がいなくなってしまうでしょう。彼ほど今の状況を理解している人もいません。自分がやって上手くいけばいいですが、もしものために塔の前に書き残しました。
「詳しい仕組みは分からないだろうけど……『塔の近くは安全』な事と『黒い塔の近くの城に、すべてを止めれる機械がある』と書き残しておこう。もし、誰かが後からここに来たら……僕の意思を継いでくれるように」
魔女の国はもう、人が住めない状態でした。
人間も、植物も、動物たちも……少しでも足を踏み入れれば、すぐに呪われて正気を失ってしまいます。幸い機械はほとんど完成していますが、科学者さんが間に合うかは微妙な所です。それでも――
「それでも、僕はやらなくちゃならない。魔女さんが希望を残してくれたんだ。この呪いを終わらせる方法を残してくれたんだ。僕は助からないかもしれないけど、もう何も帰ってこないかもしれないけど……これ以上悲しみが続くことは、僕の所で止めなくちゃいけない。もし手が届かないとしても、せめて――」
せめて、この呪いに抗わなくてはならない。そう決意した科学者さんは、もう一度魔女の国の城に向かいました。
二人で作った塔と、二人の考えの混ざった道具を使い、科学者さんは壊れてしまった国を進みます。痛い、苦しい、悲しい、憎い、そうした感情が呪いとなり、世界を暗く包んでいく中で……科学者さんは、すべてを終わらせるために歩き続けました。
「あぁ……あと少しだ」
自分のいた国と、周りの自然が壊れていく。呪いにすべてが沈んで、誰もが口を閉ざしていく。これではダメだと、科学者さんは思います。
誰も、こんな結末は望んじゃいなかった。
誰も、こんな事は望んでいなかった。
みんな生きていたかった。みんな死にたくなんてなかった。
けれど生きる以上、他の命を奪う瞬間は必ずあります。そこまではきっと、誰もが仕方ないと言えるでしょう。
ですが……必要以上に殺してはいけなかったのです。必要以上に、痛めつけてはいけなかったのです。せめて、そうして殺してしまった命に、静かに眠ってと祈りを捧げなければならなかったのです。
それを忘れてしまったから、死んだ側が、殺され側が、死んだことに納得できなくなってしまったのです。それがこの呪いの本質でした。
「仕方ない事だった。悲しい事だった。でも……それが誰にも伝わらないのは、もっと悲しい事じゃないか」
怖いから、恐ろしからと遠ざけられるばかりで、誰にも相手されずに……時間で削られ、消えていくことは悲しい。誰にも思われず、誰にも伝えられず、何も残せずに消えるのは、科学者さんは我慢できませんでした。自分の思いの欠片でも……いいえ、いっそ魔女の国の人の、誰かの悲しみでもいい。この悲しい出来事が、消えてしまうことが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
「今から元に戻しても、何も帰ってこないけど――それでも、何かはしなくちゃいけない」
科学者さんは、確かに頑張りました。
けれど、ずっとずっと頑張り続けた科学者さんは、ついに倒れてしまいました。もう機械は完成していて、後はボタンを一つ押すだけでいいのに……もう、頑張りと呪いの声で、身体がピクリとも動かなくなってしまいました。
「あとすこし……なのに」
すごい人であっても、人は人です。一人だけが頑張っていても、限界は来てしまうのです。心がボロボロで、身体も動かなくて、寒くて冷たい感じがします。みんなのために頑張っていても、みんなの声が聞こえなければ、動けなくなってしまうのです。
くやしい思いでいっぱいになりながら、科学者さんは呟きます。
「頼む……誰でもいい、あのボタンを押してくれ。この呪いを止めてくれ。まだ……まだ、すべてが終わるには早いんだ。終わるにしたって、こんな終わり方は嫌なんだ。誰か……誰でもいい、私の代わりに、誰か……」
それが、科学者さんの、最後の言葉でした。
――――果たして、誰が悪かったのでしょうか? 果たして、何が悪かったのでしょうか。すべての答えは、誰かに見つけられるまで、永遠に埋まったままでしょう。
すべてが終わったそのあとで、誰かがここを訪れるまで……ゆっくりと朽ちながら、待ち続けるしかないのです。