17.買い物
街に到着すると商人に軽くお礼を言って、二人は一足先に人ごみに消えていった。
商人は荷下ろしや手続きのせいで街の入口で足止めされており、それを見送る形となった。
仲良く手を繋いで歩いていく二人の姿は、商人の目に微笑ましく映ったであろう。実際はやむを得ない事情によってそうせざるを得ないだけなのだが……。
いくら仲が良くとも常に手を繋いだままというのは……アルにとっては胃の痛くなる話だった。
ミュレットの案内によって、迷わずにおばさんの家にたどり着く。
ミュレットのおばさんということは、ミレーユの姉か妹なのかな? だとすれば、その性格も同じような感じなのだろうか? などとアルが考えていると、
「あらあら、ミュレットじゃないの? どうしたのよ子供だけで……」
ミレーユそっくりの女性が顔を出した。
それでも少しミレーユよりはふくよかで僅かに年がいっているかと思われる。
とにかく女性は突然の小さな来客に驚いていた。
急なことだったので事前に伝えることができなかったのだ。彼女は事情をなにも知らない。
「あら……? あなたは……?」
彼女はさっそくアルのことにも気づき、互いに軽く自己紹介をする。
ミレーユの姉はレミーユと言うらしい。
ミュレットとアルが手を繋いでいることにも気づかれ、からかわれつつ、とにかく家の中にと通される。
街の中にある一般的な煉瓦の家だが、それでも村にあるどの家よりも立派だった。
居間には暖炉があり、四人掛けのダイニングテーブルに座っていても足が温かい。
「それで……事情を説明してもらえるかしら……?」
促されるまま、アルは自信の置かれた特殊な状況を、虚実を交えつつ説明した。
「なるほど……そういうことね……」
レミーユは意外にもすんなり受け入れてくれたようで、
「アル、自分の家だと思ってくつろいでね。あなたも私の甥っ子のようなものなんだから」
といって歓迎した。
さすがミレーユの姉というところか、すぐにアルを気に入り、数分のうちに打ち解けた。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「そういえば、二人はずっと手を繋いでいるけれど……よっぽど仲良しさんなのね?」
言われて二人ははっと気づく。
街中ではアルの魔力がないことを隠すために手を繋いでいたが、ずっとそうしている必要はないのだ。
レミーユの前では別に大丈夫か、と思って二人は手を放す。
「こ、これはですね……ちょっとした事情があるというかなんというか」
「そ、そうなのよ。ずっと繋いでいるわけではないんだからね!」
二人は顔を真っ赤にして弁解する。
「あらあら……そういうことなのねー……うふふ……」
(なにがそういうことなのだろう……?)
二人には個室が与えられた。
最初レミーユは二部屋用意するつもりでいたが、ミュレットがなにやら耳打ちすると、
「あー、そういえばあの部屋はもう物置に使ってるんだった……」
とつぶやいて、結局ミュレットとアルは同室で寝ることになった。
アルはその一連の光景を見て見ぬふりをしながらも、やっぱりこの家族は恐ろしいと思うのであった。
(うーん……根回しがすごい……)
レミーユが部屋の紹介を終えて通常の家事に戻ると、二人は密室に取り残された。
荷物を床に置き、ベッドに腰かけているのだが、しばらく無言の状態が続き、なんだか気まずい雰囲気が流れている。
何を話すべきか迷った末に、アルが先に口を開く。
「とりあえず、レミーユさんがいい人でよかったよ……。初めてミレーユさんにあったときみたいだった……」
「そうでしょ? おばさんとママはそっくりなの……なにからなにまでね」
会話はそこでまた途切れる。
原因は、なんといってもこの、二人が座っているベッドにあった。
いままでは同じ布団で寝るにしても、間にミレーユという壁があったのだ。
アルの頭の中でミレーユに言われた言葉が反芻して止まない。
(間違いがあってもいいからね……)
(避妊はするのよ……)
言葉の細かいニュアンスはもはや曖昧だったが、とにかくアルは気が気じゃない。
もちろんアルにはそんなつもりはなかったし、分別をわきまえているつもりだった。だが間違いは間違った末に起こるから間違いというのだ。間違いが起こらない保証などどこにもなかった。
(だがまだ九歳か十歳だぞ、お互い……)
アルはあくまで冷静にいようと、母の顔を思い浮かべる。そうすれば自然と肉欲は失せるというものだ。
とにかくこの状況はまずいと考え、アルは提案をした。
「ね、ねえ……せっかくだし買い物にでもいかない? 僕はこんな大きな街になんか来たことないし……」
もちろん前世においてはその限りではない。だがこの街、「アルフォンソ市街」はアルのもともと住んでいた街に比べるとかなりの盛況っぷりだった。
「そ、そうね……まああまり目立たない範囲でなら……それもいいかもね」
ミュレットもへんに緊張していたようで、その提案に待ってましたとばかりに飛びついた。
◇
市場はもう夕方だというのに昼間のような活気に溢れていた。
この時間になってくると、屋台から漂う香辛料のにおいが道行く人すべてを誘惑するようになり、行列もちらほら見える。
当初はあてもなく歩いてるものと思っていたミュレットだったが、どうもアルにはたしかな目的があって行動しているようだった。
それに気づくと、訊かずにはいられない。
「アル、なにを探してるの?」
「うーん、魔法使い用の杖を売ってるお店を探してるんだけど、どうやらこのあたりにはないみたいだね……」
「杖……?」
剣士であるアルにはそんなもの必要であるはずがない。まして彼は魔力を持たない奇異な体質なのだ。それでもしきりに杖を探す理由とはなんだろう……? ミュレットはますます不思議で、頭を悩ませる。
(もしかしたら自分のために……?)
ミュレットがそう考えるのも自然であった。魔法をものにしたミュレットに対して、師匠からのささやかなプレゼントといったところだろうか。
だがそんな期待を裏切るように、アルは。
「やっぱり僕も魔法を使いたいからね!」
「……!?」
ミュレットは絶句した。
「あれ……? 言ってなかったっけ? 僕の目標は魔法を極めることなんだ」
ミュレットの心中を察することなく、アルは無邪気にそう言ってのける。
そう、アルがこの身体に産まれなおしたとき、誓ったのだ。
――今生では剣ではなく魔法を極めるのだ、と。
自信が魔力を持たない忌み子だと悟った後も、その志は失われてはいなかった。
「で、でもそんなのどうやって……?」
「そう、そこが問題なんだよ」
アルは、だからこそ杖を売っている商人を探しているのだ、と付け加える。
「ミュレットが僕に魔力を流しているのを見て、思ったんだ。もしかしたら、魔力がなくても魔法を使えるような杖も存在するかもしれない、ってね!」
そう言って、繋いだ手を上に掲げて強調する。
だがそんなアルの理論は、あくまで憶測にすぎない。
いったいどこに、魔力を持たない存在が魔法を行使するなんて馬鹿げた話があるというのか。
剣聖であったエルフォであっても、そんな話は聞いたことがなかった。
それでも、この何十年かの間にそういった技術がどこかで誕生していてもおかしくはない。という期待だけがあった。
「そ、そうね!」
ミュレットももちろんそんな話は聞いたことがなかったが、アルが自分のしたことによって思いついたという事実に、喜んだ。少しでもアルの力になれたのなら、ミュレットにとってそれは何よりも嬉しいことなのだ。
その後も二人でいろいろ見て回ったが、結局のところそんな都合のいい杖など存在するはずもなく……。
落胆して家に帰るのだった。
帰宅するとレミーユが温かいスープを用意して待っていた。
一日ぶりの温かい食事に、二人の疲れは癒された。
食事の最中、レミーユが二人に話をした。
「明日お世話になっている商人の方がくるのよ。その人に村との連絡役を頼むといいわ。彼はよくこの街に来るのだけど、その際に村を中継してくるから……。もしかしたら先に村に寄っていて事情を把握しているかもね……。ミレーユが話をしていれば」
アルは明日が来るのが楽しみになった。村の様子がわかるかもしれないからだ。
まだ出て日が浅いとはいえ、やはり心配だ。
さしものカイべルヘルト家も一介の村人に手を上げることなどはしないだろうが……。