11.実家【視点移動あり】
そのころ、アルが出ていった後のバーナモント家は困った事態に直面していた。
家事などはほとんどアルがやっていたからである。
「おい、洗濯はどうなっているんだ? 食事もまだできていないぞ」
父、ラドルフ・バーナモントが怒鳴りつける。
「お父様、私たちにできると思いますか? ご自分でなさったらどうです?」
アルの意地悪な姉たちは、家事なんてしたことがなかった。
当然、アルがいないとなにもできないのだ。
「なんだと!? わしに家事をやれというのか!? わしはこれでもいちおう貴族なんだぞ!」
アルがいなくなってからというもの、ラドルフは自分の醜態をとりつくろわなくなっていた。
娘たちに容赦なく怒鳴りちらす。
キムとベラはアルと違って、醜悪な見た目をしていた。
母マリアではなく、父ラドルフに似たのだ。
それでもラドルフも見た目が悪いというわけではない。
今でこそ年を取り、太って醜くもなったが、若いころはそこそこの青年だった。
キムとベラの顔の醜悪さは、その歪んだ性格に起因する。
両親がアルをかわいさのあまり溺愛しすぎたから、姉妹はこうも歪んだのだ。
「とにかく、私たちは絶対に家事なんてやりませんから」
「そうだ! 使用人はどうしたのだ? アルがいないなら使用人にやらせればいい。人手が足りないというのならもっと雇え」
「使用人ならもういませんわ」
「なに?」
「アルがカイべルヘルト家から逃げ出したことはご存じですよね?」
「ああ」
ラドルフは内心、そのことでほっとしていたのだ。
腐っても親なのだから、かわいいアルがカイべルヘルト家の手に落ちることは望んでいない。
「そのせいでうちは今、経済的に打撃を受けているのです」
「どういうことだ?」
「彼らはアルに仕返しできないとなって、腹を立てているのです。それで怒りの矛先がこちらへ向いたというわけですわ。まったく、いなくなってせいせいしたと思ったら、とんだとばっちりですわ」
姉たちはアルをよく思ってなかったから、逃げ出したことにも心底腹を立てていた。
「つまり、カイべルヘルト家がいやがらせをしてきているのか?」
「そうです。私たちの財産を凍結させるように周囲に働きかけたり、店や商人に圧力をかけてまわっているのです」
「なんということだ……それではもう終わりではないか……」
「アルがいれば家事もできたんですけどね……」
姉妹はまるで自分たちには一切非はないかのような口調でいった。
「は? 追い出したのはおまえたち姉妹ではないか!」
「違います! アルが出ていく直接の原因はお父様では?」
「貴様ら親に向かって……!」
ラドルフはキムとベラを殴りつけた。
「娘を殴るなんてひどい親!」
「うるさい! 家事もろくにできない娘なぞいらぬわ」
「狸オヤジめ、アルがいなくなって化けの皮が剥がれたようね」
もともと、ラドルフと姉妹の間には、家族らしい愛情などなかったのだ。
母マリアやアルの存在があってこそ、バーナモント家はなんとか家族としての体裁を保っていた。
それが三人だけになってしまえば、空中分解することは必至であった。
その後も醜い言い争いの日々が続いた。
誰も掃除をしないので屋敷は汚れていき、食事もままならないのでどんどんやつれていった。
しばらくして、ラドルフはいよいよ生きる目的を見失い、完全に老衰の一途をたどっていった。
自分はもう終わりだ、あとは老化して死にゆくだけだ。そんな思いでいっぱいだった。
キムとベラもお互いをののしり合うようになっていた。
「あんたがもっとアルをちゃんとしつけていれば! こうはならなかった」
「うるさい! あんたがアルを虐めすぎるからでしょうが! 私はこっそり優しくしていたわよ」
そうして取っ組み合いの喧嘩が始まる。
突然、キムが思いついたように言った。
「そうよ、だったらあんたがアルを探しにいきなさいよ! 逃げ出したってことは、まだどっかにいるでしょ」
「なんで私が! ……まあでも、悪くない考えね。アルが戻ってくれば、すべて解決するわけだし、最悪、カイべルヘルト家にまた引き渡せば、いろいろな問題も解決するわね」
ということで、ベラはアルを探しに屋敷を出るのだった。
◇
アルがポコット村に来てから半月が経過した。
ミレーユやミュレットとも完全に打ち解け、アルも立派な村の一員と化していた。
数日滞在したら出ていくつもりであったアルだが、ミレーユの説得によりこうしてここに腰を落ち着けている。ミレーユにはいまだ頭が上がらないのだった。
それに、アルが村を離れられない理由は、他にもあった。
村の周りにはもともと、あまり魔物が寄り付かず、盗賊などもめったにここを通らないとのことだったのだが――ここ最近、どうも魔物の動きが活発化しているらしく、森の中は混沌を極めていた。
アルは村を守るために、毎日森へ侵入しては、周囲の魔物を狩っている。
村人はさらにアルを慕い、今ではそれに依存しきっていた。
ある日のことだ、アルがいつものように森から帰って来た……。
「ただいま、ママ、ミュレット」
あれほど恥ずかしがっていたアルも、今ではすっかりミレーユのことをママと呼びなれている。
「おかえり、アル」
「おかえりなさい」
アルの肩にはゴブリンの腕が数本乗っている。それをミュレットは「うぇ……」と心底嫌そうな目で見つめる。
「ねぇママ、またアルが気持ち悪いもの家に持ち込んだ……」
「もう! アル、まだゴブリンの腕なんか食べてるの? ご飯なら私が毎日ちゃんと美味しく作っているでしょ?」
ミレーユは年甲斐もなく子供みたいに頬をふくらませて抗議する。アルは内心それをいつも(可愛い人だなぁ……)と思っていた。
「これは僕一人で食べるから大丈夫だよ。狩りに行くときにゴブリンの腕の燻製を持っていくと、小腹が空いたときにちょうどいいんだ……。かさばらないし、日持ちもするしね」
たくましいのだか、食に無頓着なのか……ミレーユとミュレットは呆れる。
「最近また魔物が増えてきてね……そろそろ僕一人だと限界かもしれない……。僕がちょっと遠くの狩場に行ってる間に、またこないだみたいな連中に村が襲われるかもしれないしね……」
いくらアルといえどもその肉体は一つしかないのだから、村の周囲を全方向守りきるというのは土台むりな話だ。
「そうねぇ……村長さんに話して、村の若い男の人を集めてアルに訓練してもらうとかしないといけないかしら……」
「それだったら、私がアルの力になるわ!」
ミュレットが元気よく立候補した。
「え、ミュレットが……?」
「いけない……?」
「だって、君は剣も魔法も使ったことがないだろ……? それにやっぱりそんな危険なこと、させられないよ……」
「だったら、危険じゃないようにアルが教えてよ……! ね? それでいいでしょ……? ママ」
「うーん……まあアルがついててくれるのなら、問題はないけど……大丈夫よね、アル?」
二人の期待の視線が、アルを突き刺す。
(まじか……)
「ま、まあ危険じゃない範囲でなら……」
実際にミュレットに危険を冒して魔物と戦わせる気はアルにはさらさらなかったが、護身にもなるのでミュレットのためを思えばこれもあながち悪い試みではないように思えた。
「わぁーい! やったぁ! これで私もアルの役に立てるわね!」
ミュレットが戦闘力を付けたがったのはアルに恩返しをするためでもあった。それに、アルに師事すれば、一緒に居られる時間もぐんと増えるだろうことも期待していた。
「それじゃあ、今日はもう遅いから、明日から修行を始めようか」
「うん!」