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ヴァイン戦記  作者: 瀬戸 生駒
騎士
7/7

聖典派

「もうひとつ……」

呟くエリザベートの右肩をガシっとつかみ、シュレーゲルは嗚咽すら漏らしながら言葉を振り絞った。

「やめてくれ! もう……やめてくれ! やめてやってくれ!」

その声にエリザベートはハッとして、短く、鋭く詰問した。

「貴様の仲間か!」


思い起こしてみれば、怪しいことばかりだ。

ナイトの奥に入ってから、やたら時間がかかったのも変だ。

しかし、仲間が集まってくるまでの時間稼ぎというなら、辻褄は合う。

計算違いがあったとすれば、シュレーゲルは本来ならハッチを塞ぐように立って、エリザベートが戻るのを阻止すべきだったのに、それを怠ったこと。

もっとも。そんなマネをすれば即座に両断するから、稼げたとしても数秒がいいところだったろうが。

あるいは、初対面の時に見せた剣速に、無駄を悟ってひるんだか。


「ちがう……。

仲間でもないし、会ったことすらない。

どこの村の者かも知らない。

けど……連中も人間なんだ。生きているんだ。

殺さないでやってくれ。もう見逃してやってくれ……」


「連中が犬猫でなく人間なのは、私にもわかるぞ。

犬は家や蔵の番もするし、狩りにも使える。

猫はネズミを捕るし、何より可愛い。

なにより犬猫は、私に石をぶつけたりしない!」

「それなら……連中は村に戻ったら、二度と騎士様に刃向かおうとしないだろう。

姫様の目論み通り、連中だけでなく、村の者全員が」

「むぅ…………」


エリザベートはモニターの光点に目をやった。

残りは5つ。

予定は達している。

先ほど振るった剣のとばっちりを受けて道化に化けたヤツも、少なくとも今はまだ死んではいない。

時間の問題だとは思うが。


「繰り返しになるが、貴様は連中の仲間ではないのだな?

『仲間だった』と自白したとしても、私は貴様を害しない。

無傷でナイトから降ろしてやると誓おう」

目つきも口調も鋭く詰問するエリザベートに圧せられつつも、

「なにを期待しているのかは知らないが、全くの無関係だ。

初対面どころか村も知らない。

ただ……人間なんだ」

と、シュレーゲルはようやく応えた。


「ふー」

エリザベートは、長い息を吐いた。

「ところでいつまで肩をつかんでいるつもりだ。

貴様たちの風習は知らないが、騎士にとっては不敬だぞ!

それに……少し痛い」

「あっ!

すみません。つい!」

シュレーゲルはあわてて手を離した。

エリザベートの肩は、彼がイメージしていた以上に小さく薄く、固かった。


連中。野盗か落ち武者狩りかも知らないが、遺骸は放置することにした。

最初シュレーゲルは「埋めてやりたい」と言ったが、地面に下ろされた瞬間、跪いて激しく嘔吐した。

もわんとした、圧力と重みを持った死臭と糞尿の匂いが立ちこめている。

遺骸にしても、鉱山の落盤事故で岩に潰された方が、まだマシだった。

ほとんどが挽肉のように潰れ、頭が頭の形を保っている方がまれだ。

手足の破片は広く四散し、その範囲一帯の草が朱に染まっている。


騎士や貴族は庶民の命など、犬猫ほどの重さも感じていない。

騎士や貴族にとって、自分に刃向かう庶民など、害虫以下だ。

よく言われてきたことだ。

だが、シュレーゲルは、そこには誇張があると思っていた。

少なくとも身体は同じ人間だ。

会話もできるし、家に帰れば親や妻子もいる。

しかしエリザベートは、シュレーゲルの幻想を微塵に打ち砕いた。


はたして彼女は、自分を人間として見てくれるだろうか?

接してくれるだろうか?

これから街まで何日かかるか……馬車なら3日とシュレーゲルにもわかるが、ナイトの速さはわからない。

人の命を枯れ葉ほどにも感じない相手と、一日二日を共にする緊張に耐えられるのか?


思案したシュレーゲルは、カマをかけてみた。

「姫様。お互いに名前を名乗り合ったというのに、『姫様』『貴様』としか呼び合ってないような」

「それで不都合がないのだから、かまわないだろう」

「そりゃそうですが、他人行儀というか……」

「他人であろう」

エリザベートはぴしゃりと言い切った。


シュレーゲルは、内心ほくそ笑んだ。

エリザベートの口調は、冷たく素っ気なく聞こえるが、少なくとも「他人」、つまり「人」として見てくれている。

ただ……騎士にとって「人」が犬猫より上位にいるかはわからない。

おそらく馬には劣るだろう。


ならば、彼女の中のランクを上げていけばいい。

「人」のランクを上げるという大それた野望を持とうとも思わないが、人の中でも「自分」のランクを上げる。

「賢者」を自称しながら、実際は流れの吟遊詩人と大差ないシュレーゲルだ。

相手を喜ばせ、油断を誘って相手の心に入り込み、別れ際には涙や餞別を誘う。

その処世術は心得ている。

それに何より、その過程で交わされるだろう会話はシュレーゲルが望んでも得られなかった、知的好奇心をくすぐるものだろう。


そう。

人は、相手が知らないことを指摘し説明するだけで、知らず優越感に浸れる。

相手の物言いにもよるが、知らなかったことを知れれば、知的好奇心がくすぐられる。

いずれにしても、相手と相手の話に興味を持ち、楽しみに思えてくる。

貴族や騎士にとっては、土にまみれた庶民。

いや、その土地すら持たない流浪のシュレーゲルの「日常」は、聞きよう話しようによっては、ちょっとした冒険譚にも聞こえるだろう。

シュレーゲル自身がそうであるように、知的好奇心が満たされることは、パンで胃袋が満たされるのに似た快感となり得る。


「俺はラインヘッセン国のマインツ市で生まれた。

小さい頃から教会に通い、十一歳で『聖典』も読めるようになって、神童とまで呼ばれたんだ」

ただな。成長して知恵がついてくると、聖典と現実のずれに気がついてきて……。

それで、生の声を聞こうと教会を飛び出して、あちこち旅をするようになった」

シュレーゲルの一人語りを、エリザベートは黙って聞いている。

ただ、聞き流しているのでも、興味がないのでもないようだ。


エリザベートも、末端の騎士とは言え、貴族の序列に名を連ねる。

「聖典」や「教会」……今この世界の戦争は、かつてのように単純な領地の奪い合いではなく、「聖典派」と「教会派」に別れての宗教戦争に近い。

聖典を読み、聖典に違和感を覚え、それで教会を飛び出したシュレーゲルの話に興味を持つなと言う方が無理だ。

エリザベートがどちらの派閥に属するのかシュレーゲルは知る由もないが、シュレーゲルの話を遮ってくれば、それがわかる。

シュレーゲルの「自分語り」は、自分語りに見せかけた「誘い水」だ。


クイ。

エリザベートが顎をあげて、話を促す。

「あぁ……。そうして旅をしているうち、僻地の村や集落に、聖典にはない『神話』がいくつもあることに気がついた。

もちろん、鄙びた地方に土着の神話があることは珍しくもないが、北のウレンシュトルートと東のザクセン、南のバーデンに同じ話が残っているとなったら、聖典よりも古い話があって、なぜか聖典に収録されなかったと考えるべきだろう。

それを集めて整理して、聖典の『原型』にたどり着こうというのが、俺の夢だ。

ま。夢半ばで俺の命は尽きるだろうし、弟子を取ろうにも、俺みたいな貧乏人についてくるやつなんていないがな」


「神話研究家と自称していたが、本当に研究家だったのだな」

エリザベートが呟いた。

吟遊詩人や道化が聖典を揶揄やアレンジして、面白おかしく語るのに、「聖典」と言ってしまえば、場合によっては命を失う。

そこで、彼らは「神話」を標榜して芸を行う。

シュレーゲルもその類いだとエリザベートは思っていたが、どうやら本人はいたって真面目な「神話研究者」らしい。


話は前後するが、「聖典」は大昔に記された古代の記録で、星の海を渡る船などの荒唐無稽な話から、道徳や倫理などが書かれている。

もっとも、大昔の書物だけに古代文字で書かれていて、教会で専門教育を受けた者以外は読めない。

教会は古代文字を独占し、聖典にある古代の英知を独占することによって、自らの権威と権力を高めてきた。

ナイトなどは古代の英知の塊だし、修理工具も工法も、古代の文献が読めないと調べられないのだから。

もちろん、熟練の職人に弟子入りし、文字は読めなくても技量を極めることはできるが、技術の新発見はできない。

何十年も努力と研鑽を続けてたどり着いたものが、聖典にさらりと書いてあったりするのだから、モチベーションが保てない。


呟いたエリザベートだが、それからは無言で、表情に変化もない。

……ヤバい橋を渡るか。

「二百年前だったか。教会の中から、教会を否定する司祭が出てきたんだったよな」

「教会を否定したんじゃないぞ。

布教に熱心なあまり、聖典を読みやすい現代語に訳しただけだ」

すかさずエリザベートが修正を入れる。


かかった!

エリザベートの言うとおり、その司祭は聖典を古代文字から現代語に訳しただけだ。

文字も音も文法もわかりやすい「翻訳版」は一気に広がり、司祭の目論み通り、信者は大幅に増えた。

ただ……司祭もやはりエリート「信仰の徒」であり、下世話な一般人の気持ちには気がつかなかったのだろう。

「教会に行って、そのたび多額のお布施をしなくても、自分で聖典が読めれば、その金で贅沢ができる」

かくして、信者は大きく増えたが、教会の収入は逆に激減した。

その司祭は、教会から除名され、逆に……のちに「聖典派」と呼ばれる一派からは、「聖人」とあがめられた。

実は、「ルターの宗教改革」って、ドイツ語の「聖書」を書いちゃった……だけなんです。

それがベストセラー(?)になって、気を良くしたルターは「免罪符の不条理」などエスカレートしますが、もともとは「翻訳」です。

でもって……ぶっちゃけ、カトリックとプロテスタントに分裂して、お互いに憎み合って、お互いに殺し合うようになっちゃいました。


まー。宗教改革や宗教戦争なんて、ラノベ(?)じゃフツーは扱いませんが、この作品ではむしろ「本線」ですので、お付き合いください。

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