エリザベート=カタリーナ=フォン=グロースリッター
「わかった。見届け人は引き受けるから、剣を下ろしてくれ。
エリザベート=カタリーナ=フォン=グロースリッターさま」
その一言に、エリザベートは「ヒュイ」と音にならない口笛を吹いた。
剣を肩からはなして虚空で半回転させ、チャリンと軽い音を立てて鞘に収める。
「私の名前を一度で覚えるとは、それなりの頭はついているようだな。
よし。貴様を見届け人に任じよう」
「ふーーー」
シュレーゲルは長い息をはいた。
「馬鹿ではない」という自己ピーアールがうまくいったか。
剣では到底かなわないとしても、口先の戦いなら機先を制せられる。
そう判断したから、あえて相手のフルネームを言ったのだ。
もっとも、相手にもそれに気がつく程度の頭がなければ、ただの空振りに終わる。
そして、シュレーゲルの人生もそこで終わる。
目の前の騎士エリザベートも、頭まで筋肉が詰まっている馬鹿ではなさそうだ。
シュレーゲルはその場で腰を下ろし、改めて相手を値踏みした。
エリザベートはナイトの前足に上体をあずけた形ではあるが、立っている。
夜伽物語では、女騎士というのは裸に部分鎧を貼り付けただけの半裸が相場だが、目の前の騎士はスカートですらなくズボン姿で、顔以外は全く露出していない。
それも、上着は所々布があまり、身体のラインすらおぼろげだ。
ズボンなど履かれていては、女か男かすら判断がつきかねるほどに胸も足りない。
まだコルセットを締めた村娘の方が、妄想力さえあれば夜伽物語のネタにはできる。
そんな気持ちをおくびにも出さず、もちろん怯えも侮蔑も怒りも押し殺し、シュレーゲルは真顔で尋ねた。
「ところでエリザベート=カタリーナ=フォン=グロースリッターさま。
俺は騎士様をどう呼べばいいんですかい?
フルネームを連呼されたら、さすがにアンタも窮屈でしょう?」
シュレーゲルの問いに、エリザベートは唇に人差し指を当て、空を見るように視線を上げつつ若干考えて
「館の者には『姫様』と呼ばれてはいるが、『グロースリッター様』でも『騎士様』でもかまわない」
と、応えた。
重要なヒントだ!
シュレーゲルは内心ほくそ笑んだ。
家臣に「姫様」と呼ばれているのなら、女で間違いない。
家名で呼ばれると言うことは、騎士を継いだだけではなく、家そのものを継いだから。
この歳で、彼女はグロースリッター家とやらの当主だ。
もっとも、それは最近のことらしい。
「騎士様」でも「姫様」でもいいというのは、呼び名が定着していないためだろう。
逆に駄目なのは「エリザベート様」。
もちろん「リシィ」など論外だ。
なれなれしすぎるのを通り越して、侮蔑と捉えかねられない。
騎士は庶民の命に犬猫ほどの重みすら感じないし、剣の速さはさっき見た。
「馬鹿にされている」と彼女が感じた瞬間、シュレーゲルの命はそこで終わる。
「じゃあ、姫様。
『見届け人』ってのは、なにをすればいいんですか?」
問われてエリザベートは顎をあげ、ナイトを見上げた。
「あの首を持って領主のところに行く。
そこで、見たままの顛末を話せばいい。
嘘偽りなく話せば、小銀貨何枚かは領主からもらえるだろう。
逆に嘘をつけば、領主の衛兵に首を落とされるか、私が首を落とす。
それが、たとえ私を持ち上げるものであっても、私はおまえの首を落とす!」
「!」
瓢箪から駒とも言うべきか、絶体絶命の危機から一転して、小銀貨がもらえそうな話になってきた。
カールらが「戦利品」を手に入れて、村に戻ったときの成功報酬と同じかそれ以上だ。
もちろんカールらが戦利品を手にできなかったり、手に入れたとしても二束三文だった場合は村主に値切られる。
ましてカールらが全滅した今となっては、村には戻れない。
報酬どころか全滅の責任を背負わされ、木に吊される未来しかない。
懐の皮算用をしつつ、、彼にはまだ心配があった。
シュレーゲルはナイトの背中に目をやって静かに問うた。
「まさかとは思いますが、姫様。
走ってナイトについてこいと、まして『街』まで走れとか言うんじゃないでしょうね?」
問われてエリザベートもシュレーゲルの視線を追ったが
「ナイトの背中には乗せない」
と、きっぱりと言い切った。
「おいおい……」
思わずへたり込みそうになったシュレーゲルに、エリザベートは腰に手を当てて、ため息交じりに呟いた。
「背中に乗せて転がり落ちたら、貴様もただではすまないぞ」
「あ。心配してくださるんですか?」
シュレーゲルは意外に思った。
騎士は自分の領民ならともかく、荒野ではじめて会った火事場泥棒もどきの命など歯牙にもかけないと思っていたから。
「それに、背中に乗せて装甲を剥がそうとされたり、ましてカーゴをあさって、せっかくのクビを傷物にされてはたまらない」
こっちが本音か。
ナイトの、馬の胴体部分には、鞍のような振り分け式のカーゴが載せられている。
右側にはランス、左側には盾が掛けられているが、巨大なナイトとそれに見合うランスと盾だ。
どうしてもデッドスペースができてしまう。
そこで、その隙間に大きな革袋を挟み込むようにしている。
シュレーゲルが望んだのは、その革袋に入れてもらうことだったが、初対面の相手だ。
妙な気をおこしてナイトのクビ──領主の元に届ければ小銀貨千枚にもなるらしい─計算をどうにかして持ち逃げしようとするかもしれない。
あるいは、つい先ほどまで剣を向け合った相手でもある。
嫌がらせとばかり、隠し持ったダガーか何かで革袋を裂いて、中身をぶちまけない保証はない。
「いや。本当にまさかと思いますが、俺をナイトに縛りつけて走ろうなんて思っていませんよね?」
冷や汗を浮かべて焦って問うシュレーゲルを、奇妙な生き物でも見るような目でエリザベートは見ながら
「貴様が死なない自信があるのなら、それでもいいぞ」
と言い放った。
「いや。死にます! 死ぬ! 絶対に死ぬ!」
「だったら、つべこべ言わずに『中』に入れ」
「へ……?」
思わず間の抜けた声がもれた。
ナイトの構造などシュレーゲルに知る由もないが、奥にいくつか「部屋」があるのか。
たしかに「馬」部分は大きく、ひと一人なら余裕で、詰めれば十人は入れそうだ。
「私の荷物に埋まることになるが、狭いなりにも貴様一人なら何とかなると思うぞ」
「!」
シュレーゲルにとっては、望外もこの上ない。
騎士でも諸侯でもない庶民がナイトの中には入れるチャンスなど、ほぼ絶無だ。
もちろん、今回のような決闘を何度も見てきたシュレーゲルだ。
敗れたナイトの腹の中をのぞいたことはあるが、そのときは中身の針やら棒やら、部屋(?)の仕切り板も剥がされていた。
生きて動くナイトの中に乗り、動かす様子を垣間見られるとなれば、逆に金を払ってでも惜しくはない!
もっとも、彼のポケットには銅貨が十数枚あるだけだが。
「ヴァイン戦記」ってなってるけど、「ヴァイン」なんて人物は登場しません。
てか、主人公(?)を「ヴァイン」にしたら呼びやすいし、読者も感情移入しやすいと今になって気がついたんですが、主人公の戦闘力は「ゼロ」ですから、やっぱナシで。
この後、地名や人名が出てくると、カンがいい方はピンとくるかもしれませんが……「この世界」そのものが「ヴァイン」です。
あ。「ナイト」のモデルは、「機○界ガ○アン」の「人○兵プ○マキス」ではなく(知人に指摘されるまで、完全に作品の存在そのものを失念してました)、単純に移動の速さとか安定性とか汎用性を考えて「○ップルシード」の多脚砲台+ザ○タンク+ファンタジー(中世ヨーロッパ)風味です(苦笑)