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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

先生

作者: 榮倉 慶

「ひとりでいいのか?」

 いつもそう声を掛けてくれた先生。一人ぼっちで食べていたり、廊下を移動していた時は必ずと言っていいほどそう言い、気に掛けてくれた。

「先生がいるから大丈夫です」

 私はいつも通りの言葉で返した。強がりだって相手にされないけれど。だけどそれは強がりじゃなくて本音なんです、って言いたい。

 先生は知らないんでしょうね、この言葉だけでどれだけ私の世界が変わったか。一人ぼっちでフレーム越しから色のない世界を淡々と眺める日々がどれだけ一変したか。陳腐な表現かもしれないけれど、先生は私の世界に色を与えてくれたんです。その日からは先生に会うためだけに学校に来ていました。私の毎日に色がついて楽しさで一杯になりました。初めて生きていることに感謝しました。先生を見る時、先生と話す時、会う時、食べる時。その時だけは殺風景な色のない世界が一転して、多彩で素晴らしいもので溢れ返っているように感じたのです。

 先生にこの気持ちを伝えたい。でも真面目な先生のことだから傷つかないように配慮して断るのだろうな。生徒と教師の立場だから、って。そういう真面目なところは好きだけど、今はその性格が足枷になってしまう。


 先生、私を撫でてくれたその暖かい手が大好きです。


 先生、私に声をかけてくれたその柔らかそうな唇が大好きです。


 先生、私を暖かく見守ってくれたその大きな目が大好きです。


 先生、私の話を熱心に聞いてくれたその耳が大好きです。


 先生、私を夜遅く自宅まで送り届けてくれたその優しさが大好きです。


 先生、先生、先生。先生の存在そのものが大好きです。大好き、なのに。


「それでな、シャツしまい忘れてますよって言われてさ」

「もう、あなたも変わらないのね。顔も心も子供って感じ」

 夜のレストランで楽しそうに軽口を叩き合う男女。偶然にも私はこの場に居合わせた。大人の魅力を自然と感じさせるような顔つきの茶髪の女性ともう一人、スーツ姿の濡れ羽色の黒髪で可愛らしい童顔の男性。その二人は全く真逆のものを持ち合わせていたが、それが互いの良さを引き立てていた。

 それを見て肺が押し潰されたような、心臓を抉り取られたような、そんな感覚がした。


「先生……」

 喉奥から声を絞り出す。蚊の鳴くような声だった。

「ん?」

 それでも、先生の耳はその声を拾ってくれたようで。先生がこちらに視線を合わせる。今だけ、今だけ先生の耳の良さを恨んでしまった。聞こえなかったらこのまま惨めな気持ちで帰れたかもしれないのに。

「先生。先生は、どうしてそんなに酷いことが出来るのでしょうか?」

 訳がわからないという顔をしている。それはそうだ。別に私たちは恋人同士でも友達同意でもなんでもない。ただの教師と生徒だ。ましてやこのような言い方ではなんの話をしているのかが分からない。私が一方的に育ててしまった恋愛感情をどす黒いヘドロに変換させて押し付けているだけだ。

「日向、今日は席を外す。悪いな。埋め合わせはまた今度」

 呼び捨てだ。やはり、彼女なのだろう。そういって先生がこちらへ向かってくる。そういう優しいところも今は大っ嫌いだ。

「柊、外で話そうか」

 レストランと私への配慮だろうか、それともただこちらを見ている視線を引き剥がしたかったのか。私を連れてスタスタと歩いて行ってしまう。

 もう春だと言っても夜なので外はまだ肌寒かった。道端に咲いているたんぽぽやなずなを幾つも通り過ぎてからやっと先生は足を止めた。私たちは交番前の公園のベンチで腰をおろしたのだった。

 交番前の公園を選んだのは流石としか言いようがない。間違いが起こってしまわぬよう少しでも人目のある所に連れて行ったのだ。

「どうしたんだ」

 先生がそう質問してくれる。ああ、嫌いだ。彼女とのデートより生徒の相談を優先する『いい人』な先生が嫌いだ。分かったような雰囲気を醸し出して私たちを静かに見つめて送り出した先生の彼女が嫌いだ。みんなみんな、大嫌いだ。叩いてくる家族も無視してくる友達も知らんふりを貫き通す他の先生達も何もかも。だけど、一番嫌いなのは駄々を捏ねてる私。溶岩のような、荒海のような醜い荒れ狂った感情を持ってしまった私だ。もうこれ以上先生の時間を割かないように、嫌われてしまわないように、手遅れになる前に帰ろうとする。が、そんな意思とは裏腹に口が勝手に開いで言葉を紡ぐ。

「さっきの人は誰ですか? 彼女ですか? 私、先生に気があるんですよ。知ってましたよね? 知った上であんな行動をとったんですか? 信じられないですね。嘘つき。色々話したじゃないですか。親も友達も先生もみんなも誰も信じられないって言ったじゃないですか。そしたら先生がいいよ俺だけ信頼できる絶対に裏切らない人になってあげるって言いましたよね? それなのに何ですか、もう無理です誰も信じられない」

 どんどん気持ちだけが暴走していってしまう。こうなるともうダメだ、自制が効かない。まるで自分が体から切り離されたような感覚になる。ベラベラベラベラ下らないことを喚き立ててる自分の肉体を一歩足を引いた視点で観察しているような気分。手が付けられない。先生、ごめんなさい。

「あー無理だ。どうせみんなそうなんだ。最初は仲良くスタートして後から私を見下して離れて行くんだ。私なんてそこらへんの階段と一緒。踏み台なんだ」

 先生が困ってる。当然だ。自分は彼女と仲良くデートしていただけなのにそれを生徒に中断されて色々喚かれているのだから。

 ひゅう、と風が吹く。先生が意を決したように口を開くのを見て焦ったわたしは言う。

「そうだ、先生がそんな態度なら私にも考えがあります」

 あ、まずい。こうなったもうダメだ。何か取り返しのつかないことをしてしまう。なんとしてでも止めたいのに、一歩引いた状態の私では何もできない。まるで別人に体を操られている気分だ。いや、別人だといっても間違いではないかもしれない。あれは、私じゃない!

 最初からこんな嘘つきな先生に出会わなければよかった。わたしの感情が流れ込んでくる。勘違いしなければよかった。付け上がらなければよかった。今度はどちらの感情だ? 分からない。

「一緒に死にましょう? 先生。私のものにならないのなら、私だけを見てくれないのならばもう手段はこれしかない。私は悪くない。先生が悪いんだ。あの女と仲良くして。私がいるのに! どうして、どうして私を見てくれなかったのですか先生!」

 そう言いながら先生に詰め寄って行く。先生はじりじりと後退していたが、やがて踵が木にぶつかった。ここは、確かに交番の前だ。確かに僅かだが人目もある。誰かがこの騒ぎに気づいて交番へと駆け出してしまっている。よくない状況である。この惨事が親にバレてしまったら私は陽の目を浴びられなくなってしまう。

 変な所だけ冷静になってしまう。そうだ、人が見てる。人が見てるから、早く、殺さなきゃ。早く終わらせないと、阻止される前に。

「先生ごめんなさい。ごめんなさい。好きです、ごめんなさい。大好きなんです、ごめんなさい」

 私とわたしがごちゃごちゃに混ざる。謝りながら手を首にを寄せていって、絞める。唇を先生のに近づけ、接吻を交わす。暖かい、他人の体温が唇越しに伝わってくる。私なんかが感じてはいけない体温。そのまま自分の舌をぬるりと苦しさの為開かれた口腔内に滑り入れ、先生の舌に絡みつけて引っ張りだす。暖かい。ぬるぬるしている。実のぎっしり詰まった果実を踏み潰したような音がした。何か暖かい、分厚くて柔らかいものが歯に当たって切断される。瞬間、口一杯に鉄の味が広がる。先生の舌を噛み千切ったのだ。口の端から溢れ出るのは血と、罪悪感。でも、だって、そうしないと早く死なないから。早く殺さないと、警察が来て、捕まって、先生が。先生が、逃げてしまう。

 口一杯の紅を堪能しながら、首を締めている手に力を注ぐ。先生、ごめんなさい。こんな愛し方しか知らなくてごめんなさい。こんな愛されない子でごめんなさい。誰も、愛し方なんて教えてくれなかったの。私、先生しか愛したことなくて。どうすればいいか分からなかった。ごめんなさい。

 濡れ羽色に染まる空を見上げながら一筋の涙を流す。それは果たして、悲しみなのか、喜びなのか。

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