証
竜は、縁側に用意されている下駄を引っ掛け、広い庭を歩いていた。
夜風が少し肌寒い。
知らぬ間に、頬を流れる涙。
拭うのも面倒で、流れるままに空気に晒す。
頭の中が、ごちゃごちゃしていた。
目の目につき付けられた信じ難い現実。
「転生…九代目…。」
大きな池に架けられた小さな橋の手摺に手を付き、水面を覗き込む。
風に揺らめき、波紋を広げ、映り込む竜と月を揺らめかせる。
『レグルス…。』
不意にあの少女の声が響いた。
ハッとしたのも束の間。
水面に少女、ポラリスの姿が揺らめく。
辺りを見渡しても少女の姿は見当たらない。
『水を媒体に思念を飛ばしています…。』
「はー…。」
感嘆の息しか出ない。
ポラロスの頬には、幾筋もの涙が流れている。
『救って下さい…。』
嘆願の声。
何処かに閉じ込められているのかと問えば、首を横に振る。
『兄上を…カノープスを救って下さい…!』
必死に訴えて来るが、竜にはどうしようもないのが現実だ。
答えに窮していると、ポラリスの両手の間に光る球体が浮かび上がった。
ポラリスの手が差し出されると、その球体は水面を抜け出し、竜の目の前に現れる。
『それは獅子宮の光の秘宝【コクレア】。必ずや、貴方の力となります。どうか…兄をお救い下さい…。』
それだけ言い残し、ポラリスの幻影は消え去る。
「…言い逃げ?」
呟かずには居られない竜であった。
光の球体は、竜の胸に吸い込まれるようにして消えて行った。
途端、左の肩甲骨に焼けるような痛みが走った。
思わず声を上げそうになるが、時間が時間なのでどうにか堪える。
脂汗が滲み出す。
ふら付く足取りで、客間へと戻り、隅に置いてある姿見で背中を見れば、痛みが走った場所に血が滲んでいる。
やばい、と思い袖を抜けば。
「何だ…これ…。」
左の肩甲骨に浮かび上がるマーク。
痣のような、刺青のようなそのマークは、星座占い等でよく目にするモノだった。
「獅子座の…。」
呟いた瞬間、淡く光り輝いたように見えた。
□ □ □
「っきし!」
盛大なくしゃみの後、ずび、と鼻を啜ったのは竜である。
呆れた目で見つめる流の手には、竜が着ていた浴衣。
「ほんと、わりーな。浴衣汚しちまって。」
「気にしないで。あたしも同じ事した口だから。」
危うく聞き流してしまいそうになったが、どう言う事なのか聞いてみれば、見た方が早いと竜に背中を見せ、Tシャツの左側の裾を持ち上げた。
「うぇ!?ちょ、流サン!?」
「うろたえるんじゃない。ちゃんと見なよ。」
反射的に手で顔を隠したが、呆れたような流の声に、そっと指の隙間から覗き込めば、腰の左側に天秤座のマークが浮かび上がっていた。
「あたしも、姫様の騎士なんだよ。あんたの部下さ。」
ふふ、と口元に笑みを浮かべる。
その微笑みは、どこか翳って見えた。
だが、容易に聞けるような雰囲気ではない。
「学校には、休学届けを出してるから。」
「え、まじ?」
と、喜んだが、次に告げられた言葉に、その表情を曇らせた。
「そうしなきゃ、戦う事が出来ない。他人を巻き込む事は出来ないから…。」
小さく零された言葉が、そこはかとなく重く圧し掛かった。
二人は、広間へと移動した。
並べられた朝食に箸をつける。
「この戦い…。」
焼き魚を突きながら、流が言葉を紡ぐ。
「兄弟や恋人…幼馴染…全員が何かしらの状況で知り合いの可能性が高い。」
「俺と千鶴、流と庵…。」
一気に場の空気が重くなる。
「もしかしたら、全く知らない人も居るかも知れないけど…そっちの方が、どれだけ楽だっただろうね…。」
どちらともなく、自然と箸を置いた。
少しの間の後、流が意を決したように口を開いた。
「昴も…騎士なんだ。」
震え、掠れた声。
その言葉に、竜は何も返せない。
昴とは、流の八つ上の婚約者であり、庵の友人、竜と千鶴の先輩である。
朝比奈昴。
誰からも尊敬される人格者だ。
「しかも、あたしと同じ、天秤座…天秤宮の闇の騎士。」
流は、はは、と声を漏らした。
「これも、宿命なのかな。」
「そんな…。」
「…これも…運命、なんだよね…。」
笑っていた表情が歪み、堪えきれなくなり俯く。
膝の上に握られた拳に、はらはらと涙が零れ落ちて行く。
竜は、何も言えなかった。
儚く華奢な外見とは裏腹に、芯が強く気の強い流が流す涙。
三年間、愛して来た相手を傷付ける覚悟が、流の細い肩に圧し掛かる。
竜は、その重さは分からない。
代わる事も出来ない。
場を沈黙が支配していた。