過去の記憶 1
竜は、学校に行く気にもなれず、ソファーに横になり、天井を見上げていた。
いつの間にか頭痛も治まっている。
「訳…わかんね…。」
ポツリと呟くも、己しか居ない空間に空しく響くだけ。
いつもは、もう一つの気配が在ると言うのに。
彼の日常は、この日を境に“過去の因縁”へと引き摺られて行く。
□ □ □
鹿森家の玄関前に、一人の女性の後姿。
緩やかに波打つ黒髪をハーフアップにしている。
何度かチャイムを鳴らしているようだが、応答が無い事に僅か苛立ち、無遠慮に玄関を押し開けた。
そして、迷う事無くリビングへと足を進める。
「あたしに居留守を使うとは…どういう事かしら、竜?」
聞き覚えのある声に、舟を漕いでいた竜はハッと覚醒し、勢い良く出入り口に目を向けた。
にっこりと見る者を魅了する微笑みを浮かべた幼馴染が、そこに佇んでいた。
「な、流…オハヨ…。」
「お早う、竜。」
そう言って、竜の正面のソファーに腰掛けた彼女は、飛鳥流。
竜の幼馴染兼同級生で、庵の五つ下の妹である。
彼女の格好も制服ではなく、緑の幾何柄ワンピースにレース付レギンスの私服姿。
流は、周囲を見渡して、秀麗な外見を見事に裏切る程の盛大な舌打ちをした。
「遅かったみたいね。」
呟き、視線をコーヒーカップを見て、更に表情を歪める。
そして、盛大に溜息を吐き出し、額に手を添え項垂れた。
竜としては、何がなんだか分からない。
「誰か来たの?」
「え?千鶴と庵が…。」
「やっぱり…。」
それだけ呟くと、勢い良く立ち上がった。
竜の肩が僅かに揺れた。
「竜、うちにおいで。」
「え、飛鳥組に…?」
庵と流の家は、全国でも有数のヤの付く家業。
庵はそこの若頭。
流はそこの御令嬢。
「四の五の言ってないでおいで。」
あんたに、事の全てを教えて上げる…―――。
流の吐息のような囁きが、やけに耳の奥に張り付いた。
【飛鳥組】
ドドンと掲げられる看板は、いつ見ても慣れないもの。
ジーパンにTシャツ、パーカーを羽織って辿り着いた流の自宅。
さっさと入って行く彼女の後ろを、渋々と付いていけば、あちらこちらから「ボン、久し振りです!」だの何だのと挨拶が飛んで来る。
それに手を上げて答えていれば、大広間に案内された。
重厚なテーブルを挟んで、対面に座る。
「さて、何聞きたい?」
「え?」
「…貴方が抱えている疑問に、全て答えて上げる。」
焦げ茶色の目が、真っ直ぐに竜を射抜く。
全てを見透かされているかのように感じる。
恐る恐ると口を開いた。
「…千鶴と庵…火出したりしてた。」
「それが“魂の記憶”だから。」
きっぱりと言い切られたが、尚の事混乱が生じる。
それ以降、何を聞いたものかと逡巡する。
すると。
「貴方…何も覚えていないのね…。」
寂しそうな流の声。
―――何も覚えていないのね…
彼女の言葉が、何を指しているのかが分からない。
そして、彼女は紡ぎ出した。
遥か遠い昔の事を。
“魂の記憶”を…―――。