屋上の憂鬱
□ □ □
夜。
街中は昼間よりも活気に満ち溢れている。
高いビルの屋上。
二つの人影が、ネオンの海を見下ろしている。
一人はフェンスの外で、背中をフェンスに預けた男。
一人はフェンスの上に立つ少女。
腰まである金茶色の髪が風に弄られる。
「芽依、何か感じる?」
男が少女を見上げる。
少女は少し考えた後、小さく首を振る。
「でも、嫌な予感はする…。」
少女の名は、近衛芽依。
年はまだ12。
地属性の“乙女座騎士”である。
対するタバコを踏み消した男の名は、近衛武彦。
年は21。
火属性の“牡羊座騎士”。
少女・芽依の異母兄である。
「うんだば、結界張っとくっかね〜。」
「メイも張る。」
近衛兄妹が、同時に拍手を打てば、彼等を中心に半透明な壁が広がっていった。
同時に、全ての音が消え去った。
点滅していた看板の光も、ピタリと動きを止める。
「さて…あちらさんは動くかな?」
武彦が呟き、その場に腰を下ろす。
芽依もフェンスから降り、武彦の足の間に座った。
目を閉じ、集中する。
「ど?」
「ん…居るけど…。」
「けど?」
「メイの相手じゃない。」
「俺のは?」
「“牡羊座騎士”は居る。」
芽依がス…と目を開いた瞬間、地上から二人の男がバッと姿を現した。
「いよ、旭。」
武彦が、口元をニヤリと持ち上げ、挨拶したのは茶髪の青年。
名は保塚旭。
勤勉そうに見えるのは、眼鏡を掛けているからか、彼が纏う雰囲気のせいか。
年は武彦と同じで21。
そして同じく“牡羊座騎士”であり、“蟹座騎士”の保塚洸の実兄である。
「馴れ馴れしく呼ばないでくれますか?僕と貴方は敵同士ですよ?」
「冷たいな〜…元恋人に〜。」
「僕の人生最大の汚点です。」
正に一刀両断。
取り付く島もない。
芽依は、もう一人の男をじっと見つめていた。
漆黒の髪に、哀しみに翳った漆黒の瞳。
「貴方は誰?とても哀しい風を纏ってる。」
「俺かい?お嬢ちゃん。俺は朝比奈昴…風属性の“天秤座騎士”だよ。」
とても穏かで心地よい声だった。
芽依の不思議な色の目が真っ直ぐに昴を射抜く。
普段は、茶色の瞳だが、騎士の力を発動する時、彼女の瞳は瑠璃の輝きを放つ。
「…戦いたくないのなら、大人しく身を引いた方が、彼女を傷付けずに済むわ。」
抑揚のない声だ。
淡々と紡ぐだけの声。
芽依が言う"彼女"とは、昴の婚約者である流の事だ。
昴は、芽依の言葉に小さく頷いた。
「そうだね…でも、それは彼女が許さないだろう…。」
とん、とコンクリートに足を付け、芽依の頭を優しく撫でた。
芽依の表情が、明らかにしょげてしまった。
それを見て、昴が武彦に目をやれば、ニカッと笑い返された。
「さて、今から戦る?」
芽依の頭をぐりぐり撫でながら、武彦が旭を見ながら問い掛ける。
が、旭はフン、と鼻で笑うと踵を返した。
「芽依ちゃんに迷惑は掛けられませんから。今日の所は退かせて頂きます。」
そう言って、旭の姿がその場から瞬時に消えた。
昴も小さく微笑むと、旭の後を追ってその場から消え去った。
残された近衛兄妹は、小さな溜息を吐き出した。
「やっぱり…アサちゃん戻って来ないのかな…。」
極端に人嫌いをする芽依が懐いた数少ない人物である旭。
冷たいのは昔からだが、どこか無理をしているようにも見て取れた。
旭だけでなく、昴も無理をしている。
「この闘いが終わった時じゃなきゃ、全ては解らんよ。」
「ん…。結界、張らなくて良かったね。」
「あは、そうだね。さ、行こうか。」
武彦がパチンと指を鳴らし、芽依がパンと手を鳴らした。
途端、結界が崩れ始め、姿を消した。
結界が消え去る頃には、近衛兄妹の姿もその場から消え去っていた。