獅子座の宮殿
周りは、完全な闇。
自分の体もその闇に同化しているのか、何の感覚も掴めない。
ただそこに「在る」というだけ。
『竜…。』
――誰だ。
男の声。
自分の声と似ているが、落ち着いていて大人な男の声。
自分より、自分が産まれる以前に亡くなった祖父の声に似ている。
竜自身、勿論会った事はない。
ホームビデオで、見た事があるだけ。
孫の自分が言うのもなんだが、紳士的な雰囲気を纏い、俗に言う「素敵なおじ様」という印象を抱いた。
不意に目の前に、光が煌き、視界を覆う。
瞬きをした次の瞬間には、見た事もない豪奢な室内の高級そうなソファーに腰掛けていて驚いた。
「良く来たな…竜。」
あの男の声。
正面にある重厚なデスクの向こう側に在る椅子が、くるりと回って竜の方を向いた。
自分と同じ珍しい赤銅の眼に、白髪が多い真紅の髪。
少し垂れた目元には、重ねた年数分の皺。
口元の整えられた白髭。
口角が持ち上がり、穏かに微笑んでいる。
「じっちゃん…だよな…。」
竜が呟けば、笑みが穏かに深まった。
どうやら、自分の祖父で間違いないらしい。
「ほっほっほ。初めましてが、このような場所とはの。」
「そいや、此処って何処なの?」
竜が問い掛ければ、穏かな笑みの中に、僅かな哀しみが滲んだ。
「此処は、私とお前の魂の故郷…“獅子座騎士”の拠点地である“獅子宮”の一室じゃ。」
“獅子座騎士”。
光の騎士と闇の騎士を総称して騎士と呼ぶ。
つまり、今居る場所は、初代の竜と千鶴が長い時間を共に過ごして来た宮殿と言う事である。
「ほっほ、まだまだ子供じゃの。」
祖父が指摘したのは、竜の真っ赤に染まった顔。
思い出しただけで真っ赤になってしまうのは、果たして子供だからなのか。
「じっちゃんは、どうなのさ…。」
「私か?私は…もうそのような年ではないからの。」
ふっと笑みが翳った。
それに対し、不意に疑問が聞いていいのか迷っていると、祖父…壱が口を開いた。
「記憶が、完全に蘇っておらぬか…。私は、20の時…“オルディネ”の命を獲った…。」
壱は、過去を懐かしむように語り出す。
「七代目の時は、光側が女子だったんじゃが…私の時は男じゃった。年は幾つじゃったか…確か、40だったか?…私も相手…信久と言うが…彼も、同じ工場に勤めておった。当時は、戦争中じゃったからの。あっちは、重役。私はしがない下働き。いつ徴兵されるか分からん身じゃ。…じゃが、やはり運命かの。私も信久さんも、自然と惹かれ合った。当時は今ほど衆道に理解はなかったから、深夜に密会を繰り返しておった。しかし、その幸せも長く続かぬ。…分かるじゃろ…?」
「…“魂の記憶”。」
「そうじゃ…しかも、間が良いのか悪いのか…。逢瀬の時に突然じゃ…片方だけならまだしも、二人同時に、じゃ…。」
「そんな…。」
「私も信久さんも泣いた。泣いて運命を嘆いた。」
壱は立ち上がり、竜の隣へと腰掛け、いつの間にかテーブルの上に現れたタバコを咥え、火を付け大きく吸い込むと、溜息と共に煙を吐き出した。
「お前のように、徐々に思い出したかった…。」
温かな手が竜の頭を撫でる。
「私も彼も打ちひしがれた、が、彼の方が耐え切れなかったんじゃろう…その場で、自分の胸を貫いてしもうた…。」
告げられた言葉に、竜は衝撃を受けた。
「突然の別れじゃった…私も己を見失い掛けた…。じゃが、彼に止められた。自分の分も生きろ、と。」
「そんな…!じっちゃんが、どんだけ辛いと…!」
「ああ、辛かった。辛かったが、今になって思えば、良かったとも思える。」
「な、で…。」
「…信久さんに、辛い思いをさせなくて済んだ。そう思えば、不思議と受け入れられた。」
祖父の言葉に、竜は何も言えなかった。
そのあまりに純粋な心に、言葉が出なかった。
「九代目が孫でよかったわい。」
ほほ、と微笑む。
「なんで?」
「私の言葉を託す事が出来る。」
穏やかな笑みが、何故か竜の胸を締め付ける。
すると、壱の体が光の粒子となって崩れ始める。
それに驚いている間も無く、壱は話し始めた。
「千鶴に…彼の先代に伝えてくれ…。今も尚、愛していると…。」
壱は身を乗り出し、竜の額に口付けると、静かにその姿を消して行った。
同時に、竜の意識も遠退いて行った。