第10話 図書館
第10話
図書館
すっかり梅雨が明け、清々しい初夏がやって来た。空気までも澄んでいるように思える。毎日暑いが、まだ暑すぎるというほどではなく、部活をやっていない僕でも外に出たくなる時期だ。
もうすぐ夏休みだし、自然と気分が高揚する季節だった。
しかし、夏休みまでには超えなくてはいけない山があった。
1学期の期末テスト。その山は富士山、いや、エベレストよりも高い山かもしれない。
明日から定期テスト。西山先生の数学から戦いの火蓋がきられる。西山先生は最年長の先生で、立派な白髪と髭を備えている。それは別に構わないが、問題はテストが難しいことで、前の中間テストの時なぞ平均点が40点くらいにしかならないような、テストを受けながらげんなりするような問題を出したりした。先生いわく、赴任した当時から問題を変えていないらしいが、年々平均点が下がっている、という。
前日は授業が午前でおしまいなので、松田も僕も学校の図書館に行って勉強していた。図書館の奥の角机には他に人がおらず、落ち着ける。
今日は夕方までここにこもっているつもり。引き伸ばして来たテスト勉強だが、ようやく火がついたのだ。
「おい、まつまつ」
図書館のテーブルに座っている松田に声をかける。
「どうした?」と松田。
「さっきから一問も進んでないぞ」
「そうだな。そしてそれをずっと見ていたお前も一問も進んでないな」
およそ非生産的な会話を繰り広げている。図書館の時計を見るとまだ1時半。今日は時が歩みをのろくしているようだ。
「おい、ナガモ」10分と経たないうちに今度は松田が話しかけた。
「なんだよ」僕は指でシャーペンをくるくる回しながら答える。
「邪魔されたそうにしてるな」
「邪魔されたそうってなんだよ。考えてるんだ。テストの山を越えたら何があるのかなと」僕が反論する。まだ登山準備すらできていないけど。
「そういや、ナガモ。昨日有瀬といっしょに帰ってなかったか?駅近くでそれらしい人影が見えたんだが」うわ、目ざといなあ。
「うん、帰る時たまたま会っただけ」
「たまたま会って、そしていっしょに帰るのか?」
「まあ、なんとなく。ところで、まつまつ。有瀬さんは彼氏いないのかな。あんなにモテるのに」
「お、有瀬のこと、気になるのか?ま、気にならないやつの方がどうかしてるが」松田が話題に飛びついてくる。テスト勉強より面白いことを見逃すわけはないか。
「いや、別に。ただどうしてかなと思って」
「うーん、どうしてだろうな。多分理想が高いんだろうけど」
「好きな人もいないんかな」さりげなく問いかける。
「そんな話は聞いたことないな。有瀬だったら好きな人いたら誰でも手に入るだろ。俺だったら喜んで付き合うけど。で、なんでそんなこと聞くんだ?やっぱ昨日いっしょに帰って惚れたんだな。一回帰ったからって調子に乗るなよ!」ちょっと、この辺りに人がいないからって声が大きいって!
「だから、違うってば!」急いで打ち消す。
「そうだ、ナガモ。今回のテストでお前の方が結果悪ければ有瀬に告ってみるっていうのどうだ?」まつまつが笑いながら言う。
「絶対に断る!自滅しに行ってどうするんだよ。逆にまつまつの方が点数低かったらお前が告りに行くんだな?!」
「俺は構わないよ。当たって砕けろ!の精神だから」そうなんだ、いいんだ・・・。
「・・・じゃ、ナガモ。そう言うことでいいんだな。これでテスト勉強も少しはやる気が出て来た」とまつまつ。
「いや、やめとくよ。有瀬さん使ってふざけるのはよくないよ」
「やっぱ本気なんだな。有瀬のこと・・・」
「だから違うって!!」
〜〜〜
1時間後・・・。
「ちょっとジュース買ってくる。なんかいるか?」まつまつに尋ねる。
「じゃあ、綾鷹と大福で」
「渋いなあ」
「しぶしぶ勉強してるからな」うわ、急に寒くなった。
図書館から出てアトリウムを抜けたところに購買がある。昼ごはんのパンやお弁当の他に小腹がすいた時にも便利なところだ。今日は自習をしている生徒が多いせいで購買もいつもよりも混んでいる。
自分用のジュースとまつまつのお茶と大福を手早く取って買い物を済ませる。店を出た時、アトリウムのベンチで有瀬莉帆が座っているのが目に入った。うわさをすればだ。
莉帆は一人でベンチの端に腰掛けてノートを見ているふりをしながらスマホをいじっている。学校で使っているのを見つかったら怒られ・・・ないか。有瀬さんなら。
「あ、悠太だ」気配に気づいて、両手を小さく振る。
「やあ、莉帆」
「悠太はテスト勉強?」
「うん。図書館で」
「一人で?」
「いや、松田と」
「あ、そうなんだ」
「莉帆はテスト余裕そうだね。うらやましいなあ」
「余裕ってほどでもないけど。明日はとりあえず大丈夫かな。分からないことがあったら教えてあげよっか?」にっこりとされる。これは反則だ・・・。
「いや、大丈夫かな。ありがとう」ほんとは「ぜひ!」と言いたいところだが、松田がいるし。これなら誘わないで一人で自習してればよかった。
「じゃあさー、テスト終わったら悠太にチェス教えてもらおうかな?」
「チェス始めたの?意外だなあ」
「うん。ちょうど今もスマホでやってたところ。ね、悠太強いでしょ。私、始めたばっかりだから、たまに教えてくれたらうれしいなぁ。やってみるとチェスって全然楽しいね」お、チェスの楽しさに気づいたか。これははまるやつだ。
「いいけど、テスト終わったら夏休みじゃん。僕は部活やってないから9月まで学校来ることないよ」そう、小学校からずっと、夏休みは学校がないから素晴らしいんだ。今年も一日だって来るつもりはない。
「じゃあまたアイスクリーム店だね!」
「えっ?」
「大丈夫、今度はラブなんとかキスは頼まないから。悠太言いにくそうだったし」笑っている。そういう問題じゃないけど。あのシーンを思い出してちょっと身体が熱くなってきた。
「ま、バニラアイスだったらいいよ」僕も冗談に乗ってごまかす。
「おっけー!じゃ、また連絡する必要あるし、LINE教えとこっか。こっち座ってよ」ベンチのスペースを指し示す。うわー、これは自然な感じで莉帆のLINEを手に入れられる!
僕は距離感に悩みながら、近すぎず、遠すぎもしないところに腰掛けた。スマホを出してQRコードを表示する。
「あ、私も出しちゃった。じゃ、私の方がカメラにするね」莉帆のスマホが僕のスマホに覆いかぶさって来る。ほっそりした指と爪が綺麗。このどきどき感。今日はもうお腹いっぱいだ。勉強どころではない。明日のテストはひどそうだ。
あ、莉帆の指先が手に触れた。スマホをのけた時に。
「莉帆はいつも成績よくてすごいね」話しかけてごまかす。
「そう?多分、親が厳しいからかなー。いっつも両親ともが勉強しろって言ってくるから」
「へえ、うちは放任主義だからなあ。成績いいっていうのも楽なことばっかりじゃないんだね」
「それに弟もいるから自然にしっかりしないとなーってなるし。悠太は兄弟いないの?」
「僕は一人っ子」
「お姉ちゃんか妹だったらどっちが欲しい?」
「ええっ?お姉ちゃんか妹?難しい質問だなあ」
「じゃあ私みたいな同い年の双子とか?」と莉帆がいたずらっぽく笑う。・・・私みたいなってなんだよ。莉帆が双子の兄妹だったら?ちょっと想像できない。
「さらに難しくなった・・・」
「あ、ごめん。すっかり引き止めちゃったね。そろそろ図書館に戻った方がよくない?私もそろそろ帰って勉強しようっと」そう言って立ち上がった。
「じゃあまた」僕も立ち上がる。
「また明日。あ、テスト勉強で分からないことあったらLINEしてくれていいよ。せっかく交換したんだし」莉帆が微笑む。そっかー、その気になれば今日から家でも連絡できるんだ。他の男子がうらやましがるだろうな。いや、みんなクラスのグループLINEから連絡先を手に入れてるだろうけど。
僕にはとてもそれはできなかった。でも、今日からこれで連絡できるようになったわけだ。
〜〜〜
「やっと帰って来たか。どこで油を売ってたんだ。俺はもう腹が減って勉強どころじゃなかったぞ」図書館に戻るとまつまつに責められる。
「ごめん。ずっと座ってたからちょっと散歩したくなって。はい、お茶と大福。240円ね」
「遅かったから、ナガモのおごりで!」
「いいよ」あっさりと答える。使い走りのおかげで莉帆に会ってLINEゲットしたんだからまつまつにはどれだけ感謝しても足りない。
「まじで?ほんとにいいのか?遠慮しないぞ」
「いいって。その代わり僕が分からないところ聞いたら教えろよ」
「おけ。まあ、ナガモが分からない問題を俺が分かるとは思えないが」まつまつは教科書を机に立てて早速大福を食べ始めた。




