07 異世界対策室の発足(2)
「ここは内閣府に新設された、異世界対策室。本日付できみの所属はここに移された。私は室長の山村だ。外務省から出向している。休憩時間に異世界転生アニメを見ていたのを上司に見つかり、気がつくとここに配属されていた」
中央のデスクに座っている男が言った。
歳は四〇前後。上等そうな背広に身を包み、髪をオールバックに撫でつけている。彼はデスクの上に両手を組み、能面のような表情で俺を見つめていた。
「私はきみの上司になるわけだが、各省庁とのつなぎが主な仕事だ。先刻開かれた閣議において、異世界との実質的な外交交渉はきみに一任されることに決定した。肩書きは内閣府特務審議官。こと異世界に関し、その権限は外務大臣より上だと思え」
山村と名乗った男は、見た目通りの低い声で早口にまくし立てると、ぽかんとする俺を無視して、今度は隣に立つ若い女性に目を向けた。
二〇代前半くらいだろうか、ビシッと着こなした黒スーツと短く切り揃えられた髪の毛が、いかにも堅物そうな印象だ。彼女はなぜか、太い黒縁眼鏡の奥から俺を血走った目でにらみつけている。
「ここで血涙を流さんばかりに歯を食いしばっているのは、桐島雅。東大法学部を主席で卒業し、外務省に入ったエリートだ。入省直後だった三年前、日米首脳会談においてアメリカ大統領が重度のマゾであることを瞬間的に見極め、ドロップキックをかまして有利な条約を締結させた。大統領は今でも来日のたび、彼女に踏まれに訪れる。省内の若手官僚の中ではトップと言っていいだろう。きょうからきみの部下になる。分からないことがあれば彼女に相談したまえ」
「きき、桐島……みみ雅、です。よ、よろしく……お願い、します……ッ!」
「は、はあ……田中達也です。よろしくどうぞ」
差し出された手を握り返す。と、彼女は俺の手を握り潰さんばかりに力を込め、下から涙目で、えぐり込むように見上げてきた。
「あのぉ……なぜ彼女は、先ほどから俺を視線で焼き尽くそうとしているのですか?」
「うむ。元々きみのポストに就くはずだったのが、着任後2秒でポストを奪われ大変腹を立てている。私もさっきまで精神に障害を負いかねないレベルで罵倒されていた。優秀だが気が短い。殺されないよう気をつけろ」
自分の握力では骨が砕けないことを悟ったのか、彼女はようやく手を放し、今度は引き攣った笑みを浮かべて問いかけてくる。
「あ、あの、田中さんは大学はどちらを――」
「ああ、俺、高卒なんです」
「こ、こここここ……ッ!」
口を開けたまま、ぷるぷる震えだす彼女。
「……コーヒーでも……いかがですか?」
「いただきます」
答えると、桐島は青ざめた表情でふらふらと隅にある給湯室へと向かっていく。
しばらくして「高卒に何ができるってのよッ!」という叫び声と共に何かが割れる音が聞こえてきたが、山村はそれを冷静に無視した。
俺はいくらか衝撃から立ち直り、彼に向かっておそるおそる尋ねてみる。
「ええっと……何かの間違いってことはないんでしょうか」
「間違いではない。きみには正式な辞令がくだっている」
言って、山村は一枚の紙片を差し出す。そこには俺を内閣府特務審議官とやらに任命する旨と、達筆な内閣総理大臣の署名、それから大きなハンコがどーんと押されていた。
こんなものを見せられても本物かどうか自分では判断できないが、とりあえず冗談などではなさそうだ。
「その……お断りするわけには……」
「駄目だ。きみは王女殿下から、かなり気に入られている。今から代わりの人材を用意するのはリスクが高いというのが上層部の判断だ。望む望まざるにかかわらず、きみはすでに国家の重要な外交ルートを担ってしまった。公務員である以上、拒否権はない。それに官邸でのやりとりを聞かせてもらったが、きみの物怖じしないところは外交官に必要な資質だ。専門的なことは我々でサポートする。存分にやりたまえ」
「やりたまえと言われましても……具体的に、俺は何をすればいいんでしょう?」
「国益の確保だ」
にこりともせず、山村は答える。
「は、はあ。国益……というのは、どうやって確保すれば?」
「分からん。とにかく情報が少なすぎる。何をどうすれば国益につながるのか、政府内の誰も分かっていないのが現状だ。当面は情報収集と親睦を深めるのがおもな仕事となるだろう。王女殿下はしばらく日本に滞在なさるご意向だ。観光にでも連れていってさしあげろ。その後、きみたちには殿下に随行して異世界に入ってもらう。あちらで見聞を広め、できるだけ多くの情報を持ち帰ってこい。成果はひと月後に予定されている国連会議の場で発表してもらう」
こ、国連会議……?
俺は卒倒しそうになるのをどうにかこらえ、近くにあった椅子に倒れ込むように腰掛けた。と、そこへお盆にコーヒーを載せた桐島が戻ってくる。
「……どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ひどく喉が乾いていたので、本当にありがたかった。
コーヒーに砂糖とミルクを入れ、一口飲むと、少しは心が落ち着いてくる。冷静に考えれば、これは出世というやつかもしれない。
しかし、俺なんかにそんな大役が務まるのだろうか……。
「まあ、あまり難しく考えるな。審議官ともなれば給料も増える。そう悪いことばかりではないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。諸々の手当も付くし……そうだな、年収は一五〇〇万くらいか」
「ぶふぅぅぅぅッ!」
と、俺はコーヒーを吹き出した。
一五〇〇万!?
「そ……そそっ、そんなにもらっていいんですかッ!? 俺まだ一八ですよ!」
「政府の高官ともなれば当然だ。無論、責任は重いし、それに見合う働きはしてもらう。危険も伴う仕事だしな」
「わ、分かりました。そういうことなら頑張ってみたいと思いますが、その……異世界には、俺と桐島さんのふたりだけで行くんですか?」
言うと、桐島がまた凄い目つきで俺をにらんできた。
「……何? なんか文句でもあるわけ?」
「そういうわけでは……」
山村はそんな俺たちの様子を無表情に観察しながら、
「いや、ほかにも数名同行させる。現在、人選を進めているところだ。護衛用の自衛官一名と技術官僚を一~二名、予定している。あとあと大規模な使節団を送ることになると思うが、そのための下調べだと思ってくれ。きみの意見があれば聞いておこう」
「はあ……では、一つ希望があります。民間人を一名、同行させたいのですが」
「何者だ?」
「お母さんです」
山村の能面のような顔が、一瞬ぴくりと引き攣ったように見えた。隣から桐島が般若の形相で俺を見てくる。
そのまま、しばらく沈黙が流れる――。
コーヒーを混ぜながら、山村がゆっくりと口をひらいた。
「お母さん……というのは、きみのか?」
「はい」
「何をしてる人だ?」
「近所のスーパーでレジ打ちのパートをしてます」
「……」
また少し間が空いたが、今度はさっきより短かった。
コーヒーを一口すすり、山村は静かに尋ねる。
「理由を、聞かせてもらえるだろうか」
「はっ。俺は小さい頃に父を亡くしまして、それ以来、母ひとり子ひとりで暮らしてきました。とにかく安定した職に就き、母に楽をさせてやりたい一心で在学中に採用試験を受け、高校卒業と同時に警察学校に入学したのです。先日、一〇ヶ月の学校生活を終えて配属先も決まり、今度の連休を使って母を温泉旅行へでも連れていってやろうと思っていた矢先の、この人事異動でありまして……」
俺は説明を続けた。
現在、埼玉の実家にひとりで暮らしている母は、俺をとにかく溺愛しており、週に一度は会いに戻る約束で家を出たのである。
警察学校に入るときも、わんわん泣いて大変だった。このまま異世界に行って一ヶ月も会わずにいたら、寂しさでどうにかなってしまうかもしれない。
「それに俺が言うのもなんですが、お母さんは非常に気さくで人当たりがよく、異世界の人々と交流を図るのであれば最適の人材ではないかと。また、異世界に長期間滞在するとなると、途中で和食が恋しくなることも予想されます。お母さんの料理は大変おいしく、特に野菜の煮付けなどは絶品でこれがもう――」
「許可しよう。次に、明日からのスケジュールについてだが……」
「ちょ、ちょっと待ってください、室長ッ!」
雅は目を見開き、デスクにバンッと両手をついた。そのまま山村に食ってかかる。
「どうした、桐島」
「なに許可してんですか! お母さんですよッ? 駄目でしょ、連れて行ったら!」
「話を聞いていなかったのか? お母さんは確かに適任だ。そして彼は今どき珍しい孝行息子だ。異世界の住人にも好感を与えられることだろう。何も問題はない」
「えぇ……」
桐島は釈然としない表情で引き下がると、また俺をにらみつけはじめた。その視線には明らかに殺意がこもり始めている。
山村はなかなか話の分かる上司のようだが、この先、彼女と上手くやっていけるだろうかと、俺は少し不安になった。
「田中、王女は明日の予定については何かおっしゃったか?」
「あ、えっと……こちらの世界のことをよく知りたいとか言ってたんで、とりあえず本屋にでも連れて行こうかと思ってましたが」
「ふむ、向こうもこちらの情報を求めているわけだな。いいだろう。丸の内の丸善本店に連れて行け。今日中にめぼしい歴史書、学術書の類をまとめさせておく」
「あの、俺には外交のことはよく分からないんですけど……あまりこちらの情報を与えないほうがいいのでは?」
「いや、相手の不興を買うようなことはすべきではない。欲しがる情報はすべて与えて構わん。どのみち交流が進めば伝わる程度のことだ」
なるほど、そんなものか……。
俺は心の中で頷いた。
「分かりました。ああ、あと、あの格好だと目立ちすぎるんで、俺はまず服を買うべきだと思うんですが……ファッションとか詳しくないんで、そっちは桐島さんにお任せしてもいいですか?」
「へっ? 服?」
と、桐島は声を裏返らせる。
急に振られたことに驚いた様子だ。
「ええ。やっぱり王女も女の子ですから、可愛らしい、流行りのブランドのお店とかに連れて行くと喜ばれるんじゃないかと」
「あ、ああ……そうね。もちろんよ。任せてちょうだい」
「よし、あとの細かいことはふたりに任せる。田中、異動の挨拶は今日中に済ませておけ。それと、明日からはスーツを着てこい」
言いながら、山村は引き出しから手帳とプラスチックのカードを取り出した。
「きみの新しい身分証だ。これを見せれば政府関係にはかなり無理が通る。それから必要なものがあれば、このクレジットカードを使え。五〇億まで好きに使えるよう手配しておいた。機密費扱いだから領収書は不要だ」
「ご、五〇億……?」
「それだけの価値がある、ということだ。あの王女にはな。――まだある」
山村は床に置いてあった小さなアタッシュケースを机に乗せる。留め具を外して開かれたその中には、二丁の拳銃が入っていた。
俺の腰にぶら下がっているちゃちなリボルバーとはまるで違う、ハリウッド映画の中でしか見たことのない、オートマチック。
「SATで採用されているグロック19だ。田中は、銃は扱えるな?」
「は、はい。でも、警察で使ってるニューナンブしか撃ったことありませんよ」
「たいして変わらん。分からないことがあれば、ネットで適当に調べろ。桐島は? 銃を撃ったことはあるのか?」
「アメリカでの研修中に、射撃場で何度か……」
「充分だ。ふたりとも、今後は常にそれを携帯しておけ。中国とロシアの動きも不透明だ。現状で王女殿下に危害が加えられる可能性はないと思うが、接触を図ってくることは充分考えられる。公安とCIAが協力して張りついているが、きみらも注意しろ」
「殿下が東側と接触しようとした場合は?」
銃を手に取り、桐島が質問した。その顔は若干強張っている。
「妨害する必要はない。だが、それとなく悪口を吹き込め」
「悪口……中国とロシアのですか?」
「うむ。ただし『こいつ性格悪いな』と思われないよう、あくまでそれとなくだ。中華料理屋も極力避けろ。ラーメンは許すが、餃子は頼むな。生魚は食べる文化があるかどうか不明なので、寿司や刺身には注意しろ。私としては天ぷらかトンカツあたりが無難だと思うが、状況を見て的確に判断をくだせ。とにかく日本文化に対して好感を持たせるんだ。彼らはどういうわけか日本語が堪能だ。漫画やアニメを見せるのもいいかもしれん」
俺は手の中でグロックの感触を確かめながら、
「あのー、俺もちょっと質問なんですけど」
「なんだ、田中」
「政府はこれまで、何やってたんでしょうか。異世界と繋がってから、もうけっこう経つんですよね。王女様がしたみたいに、こっちから誰かを派遣したりはできなかったんですか?」
そうすれば、俺が今ここにいることはなかっただろう。
やっと慣れてきた警察官の仕事に、未練がないと言えば嘘になる……。多少、恨みがましい口調になってしまったかもしれない。
その言葉に、山村は少し眉をひそめて答える。
「無論、我々も何もしていなかったわけではない。異世界出現直後から人員を送り込み、極秘裏に調査は進めている。表立った動きが取れなかったのは、国連内部で異世界に関し宇宙条約を適用しようという動きがあるためだ」
「……宇宙条約?」
山村が桐島に視線を向けると、彼女が面倒くさそうに説明してくれた。
「宇宙空間における、探査と利用の自由、領有の禁止、平和利用の原則などを定めた国際条約のことよ。めちゃくちゃな理屈だし、常識的に考えて異世界との交渉や貿易に関して日本に優先権があるのは明らかだけど、そういった横槍が多くてこれまで思い切った対応が取れなかったの。政府としては、向こうから接触してきてくれて助かったというのが正直なところね。これで大義名分が立つから、いろいろやりやすくなるわ」
「ははあ……なるほど」
よく分からないが、とりあえず頷いておく。
「すでに異世界目当てに来日する外国人が急増していて、将来的には観光収入が莫大なものになることも予想されている。異世界との貿易が独占できるとなれば、日本の得る利益は計り知れないものになるでしょうね。ただ、防疫や生態系への影響など、頭の痛い問題も山積してるわ。明日からの交渉次第だけど、早急に異世界駅で出入国管理がおこなえるようにすべきだと思う」
山村も頷き、そのあとを引き継いだ。
「また、キリスト教、イスラム教をはじめとした各宗教の原理主義者がどう動くかも未知数だ。異世界の存在を認めることがイコール神の否定につながるとして、王女殿下がテロの標的になる可能性も考えられる。それから、中国、ロシアはもちろんだが、西側諸国に対しても警戒を怠るな。アメリカは表向き日本と同盟関係にあるが、裏では何を仕掛けてくるか分からん」
「外務省は異世界の出現を外交上の大きな転換点と捉え、この状況を最大限利用するつもりでいるわ。当然、他国からの妨害は激しいものになるでしょう。戦後レジームから脱却する、最初で最後のチャンスかもしれない」
……戦後レジームってなんだろう?
ふたりの言ってることは俺には難しすぎて理解できない部分がほとんどだったが、とにかく彼らが真剣なことは伝わってきた。
国のために、自分に何ができるか――今のところさっぱり分からないが、俺もふたりを見習って頑張ってみよう。
「きょうのところは以上だ。最後に、田中。これから官僚として生きていくきみに、ひとつアドバイスしておく」
山村はそう言うと、席を立って俺にゆっくりと近づいてきた。
「きみは今回、首相の肝いりで官僚となったわけだが、内閣の意向と霞ヶ関の意向とは別だ。法律を作るのも我々、首脳会談の内容を事前に取りまとめるのも我々……国家を動かしているのは我々官僚だということを忘れるな。政治家など、国民に主権があると思い込ませるためのスケープゴートにすぎん」
「は、はあ……」
「今後、きみに近づいてくる政財界の人間も出てくるだろうが、奴らのことは豚として扱え。おまえは、それを喰らう狼となれ」




