06 異世界対策室の発足(1)
政府が王女一行のために用意したのは、東京駅すぐそばにある高級ホテル『インペリアル・ホテル東京』――その三六階にあるプレジデンシャル・スウィートだった。
プレジデンシャル、というのが俺にはよく分からないが、プレジデントっぽい響きだからきっと立派な意味を持つ言葉なのだろう。ここまで車を運転してくれた首相秘書官によれば、一泊の料金はなんと二〇〇万円を超えるらしい。
俺が住んでるワンルームがすっぽり二〇個は入りそうな広いリビングには、ふかふかのカーペットが敷かれ、高そうな調度品や巨大なテレビが並んでいる。天井にはお定まりのシャンデリアまで――。
豪勢なその内装に、俺は深く溜息を吐いた。
「凄い部屋だなぁ……」
「そうか? 王族をもてなすには、ちと貧相な気もするが」
王女が窓から夜景を見下ろしながら答える。
「しかし、ここはずいぶんゴミゴミした街じゃのう」
「まあ、狭い国だからね」
「狭いと言うても限度があると思うが……人口はどれくらいおるんじゃ?」
「一億二〇〇〇万」
答えた途端、窓に反射する王女の顔が少し引き攣ったように見えた。
「ほ、ほお……それはこの国だけでか?」
「うん。世界全体だと八〇億くらいだったかな?」
「八〇……」
「王女様の世界には、どのくらいいるの?」
「そ、そうじゃな。我らの世界は……八兆人くらいかな」
「ええーーッ! そんなにいるの!?」
あまりの数に俺が驚いていると、
「姫様……そんな、すぐバレる嘘をつくのはおやめください。あとで恥をかきますよ」
キッチンから森本が、呆れた口調で言ってきた。
彼女は部屋に入るなり家電をいじるのに夢中になっており、先ほどから冷蔵庫や電子レンジ、IHクッキングヒーターなどにしきりに感心している。
「ハッキリした統計はありませんが、全体の人口はこちらの一〇分の一以下だと思います。ドルガノン王国は小国ですので、一〇〇万人程度ですね」
「お、多ければいいというものではないぞ!」
王女は悔しそうに歯噛みして、
「もうよいッ! わらわは風呂に入る! 達也、なんぞ菓子を用意せい!」
「えっ、お菓子? なんで?」
「火の精霊さんに菓子を捧げねば、風呂を沸かしてもらえんではないか!」
いや、火の精霊さんとかいないから……。
そう言おうとしたところで、今度は背後から武井の悲鳴が聞こえてきた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
彼はすぐさまリビングへ、転がるように駆け込んでくる。鎧と兜を脱ぎ、軽装に着替えた彼の姿はあどけない少年そのものだが、その顔は今、恐怖に青ざめていた。
「ひ、姫ッ! 一大事でございます!」
「何事じゃ、武井! 騒々しい! 騎士たるものがそのように取り乱すな!」
「そ、それが今、便所に行っておったのですが……用を足したあとに、何者かが尻に水をかけてまいったのです!」
「尻に水となッ!?」
……しまった。
先ほど武井がトイレに行きたいというので案内してやったが、ウォシュレットの使い方を教えるのを忘れていた。おそらくボタンを勝手に触ってしまったのだろう。
俺は彼らに、トイレと風呂、フロントへの電話のかけ方など必要と思われることを一通り教えてやり、いったん署に戻ることにする。そういえば、パトカーも官邸に置きっ放しだ。
「俺はこれで帰るけど……もう大丈夫かな? 困ったことがあったら、フロントに言えばなんとかしてくれるからね」
「うむ。おぬしに逮捕されたときにはどうなることかと思ったが、無事役目を果たすことができた。感謝するぞ、達也。……そうじゃ、これを持って行け」
と、王女は腰に吊した重そうな袋を差し出してくる。受け取ると、ずっしり重い。中を覗くと、交番で見せられた金貨や銀貨がたくさん入っていた。
「どうせこの世界では使えんのじゃから、今日の礼としておぬしにくれてやろう」
「そんな……こんなものもらえないよ。金なら、こっちでも換金すればちゃんと使えるようになるから」
「遠慮深い男じゃのう。ますます気に入ったぞ。ならば、一枚だけでも受け取ってくれんか。それくらいはいいじゃろ?」
そこまで言われて断るのも失礼な気がして、俺は一枚だけ受け取った。改めてよく見ると、コインの表に男性の肖像が彫られている。国王のものだろうか。
とぐろを巻くような二本のツノと大きな牙がちょっと……いや、かなり気になったが、それについてはコメントしないでおくことにする。
「ありがとう。それじゃ、明日の朝にまた来るから」
そう言って彼らに別れを告げ、部屋を出た。
廊下にはSPらしき、いかつい体つきをしたスーツ姿の男が何人も立っている。俺は彼らの前を、ジロジロ眺められながら通り過ぎ、エレベーターに乗り込んだ。
はぁ……何だか大変な一日だったなぁ。
異世界なんてものが本当に存在することにも驚いたが、その王女と知り合いになるなんて――昨日までの自分には想像も出来なかった。
時間を確認しようと携帯を取り出し、そこで俺は先輩に連絡するのをすっかり忘れていたことに気づく。首相との会談中に鳴ったら恥ずかしいと思い、電源を切ってそのままにしていたのだ。
慌てて電源を入れると、案の定、何度も着信が入っている。俺はすぐにかけ直し、
「もしもし、先輩っ? すみません、連絡が遅くなりました!」
『ああ、田中……どうだった? 上手くいったのか?』
「はい。なんとか無事、首相と会うことができまして」
『そうか。そりゃよかったけど、なんかさっき課長から連絡があってさ。おまえ、異動になったらしいぞ』
「えっ? いや、あの……しばらく彼女たちの案内をすることにはなりましたけど、異動というほどのことでは――」
『まあ、短い間だったけど、おまえと働けて楽しかったよ。じゃあ、元気でな』
「は、はあ……」
先輩の言葉に首をひねりつつ電話を切ると、エレベーターが一階に到着した。
……どういうことだ? もう誤解は解けたんじゃなかったのか? それとも誤解は解けたものの、やはり王女を捕まえたのがバレて問題になったのだろうか。
そんなことを考えながらホテルを一歩出た――その瞬間、
「田中達也さんですね。ご同行願います」
俺はスーツを着たふたりの屈強な男に両腕をがっちり掴まれ、近くに停まっていた車に強引に引きずり込まれる。
抵抗しようと暴れる暇も、助けを呼ぶ精神的余裕も与えられなかった。見事な手際と言わざるを得ない。
「あ、あなたたち、いったい……」
「ご安心ください。我々は政府の人間です」
そう言われたところで、まったく安心できない。
心を落ち着ける間もなく車は走り出し、連れて行かれたのは、さっきまでいた永田町のようだった。おそらくは政府関連の施設だろう。
面白味のないデザインのビルに車が横付けされると、俺はまた男たちに挟まれ、引きずられるようにして中へと連れ込まれる。
エレベーターで五階まで上がり、通された部屋は机が三つしかない狭苦しいオフィス。殺風景なその中で、ふたりの男女が俺を待ち受けていた。




