26 竜のまぐわい亭(2)
「むーッ! むぅぅぅぅッ!」
床の上に転がっているのは白人男性のようだった。
ようだった、というのは目隠しと猿ぐつわで顔の大半が隠れているからだが、鼻が高いのでまず間違いないだろう。彼は身体を縄で拘束され、重そうなベッドの脚に手首をくくりつけられている。
音で誰か入ってきたのを察したのだろう。彼は芋虫のようにうごめきながら、必死に声を上げようと頑張っていた。
早乙女はしばらく無言で男を見つめたあと、目だけでJA5に問い掛ける。
「こいつはマイク・ボドリー。アメリカ人エージェントだ」
「所属は?」
「国家安全保障局。昨日の無線のあと、とりあえず拘束しておいた」
「やけに手回しがいいな」
「まあ、相部屋だったからな」
「――なんだと?」
と、鋭い視線を向ける早乙女に、彼は肩をすくめてみせた。
「今回は別に機密情報を探ってるわけじゃないし、自衛のために他国のエージェントともそれなりに協力してるんだよ。この宿にも、他に何人か泊まってる」
「ふん。で、口を割ったか?」
「いや、何も。同盟国の人間を拷問するとなると、こちらも覚悟を決めなくちゃならん。おたくらの承諾を得てからにしようと思ってた」
答えながらJA5は男の前にしゃがみ込み、
「大声を上げるなよ。おまえさんも目立ちたくはないだろう?」
そう言って、目隠しと猿ぐつわを外してやる。
途端に目をむき、俺たちをにらみつける男。
「鮫島、貴様ッ!」
「事情はもう話しただろ。こちらは異世界対策室のかたがただ。おとなしく協力してほしいんだがね」
「おまえらに話すことなど何もない!」
はぁ、とわざとらしくため息をつき、JA5――鮫島は近くの椅子に腰掛けた。
懐から取り出したタバコに火を付けながら、
「なあ、マイキー……ゲロっちまえよ。俺に友達を殺させないでくれ」
「そうだな。拷問するなら生かして返すわけにもいかなくなるが――王都の治安はどうだ? 死体が出ても問題はないのか?」
「このあたりなら大して珍しくもない。鎖国の影響で、最近は失業者も増えてるからな」
そのやりとりを聞き、彼は「ハッ」と嘲るように笑う。
「それは脅しのつもりか? 日本人が無理をするな。おまえらに007の真似事は無理だよ」
――ゴッ!
と、そのセリフが終わるか終わらないかのタイミングで、早乙女のブーツのつま先が男のみぞおちにめり込んだ。
悶絶して床を転げ回るボドリー。
「アメリカ人なら、そこはジャック・バウアーと言ってほしいな。――悪いが、われわれにはお前の軽口に付き合っている時間はない。こういうところは、あまりお母さんに見られたくないんでね」
「ああ、俺もこの歳でお母さんに怒られるのはごめんだ。とっとと済ませよう」
「はぁ……はぁ……ジャップ……ッ! こんなことをして、ただで済むと思ってるのか!? 国際問題になるぞ!」
「もうなってるよ」
早乙女は無表情に答えると、今度は男の髪の毛を掴んで喉元にナイフを突きつけた。
「拷問なんぞしても無駄だ! 俺は何も知らん!」
「だったら、意地を張る必要はどこにもない。違うか?」
「無線で上と連絡を取るだけでいいんだ、マイク。あとの交渉は俺たちがやる。お前が不利益を被るようなことは何もない。連絡員が死んで、俺たちは困ってる。同盟国なら、助け合うのが当然だろ?」
「…………」
ボドリーは一瞬だけ逡巡するような目つきをしたが、すぐに頭を振って視線をそらす。
「ニ分だけ時間をやる。よく考えるんだな」
そう言って、早乙女は俺と鮫島に視線で合図を送ってきた。三人で入り口の前に集まり、彼に聞かれないよう小声で相談する。
「どう思う?」
「シロだな。あいつは何も知らんよ」
「じゃあ、どうして協力してくれないんですか?」
俺の疑問に、鮫島は横目でボドリーを観察しながら、
「自分の知らないところで何かが動いてる。それを邪魔するわけにはいかないと考えてるのさ。もしくは、あとで責任を取らされないよう言い訳となる傷痕が欲しいのかもな。――おまえさんたち、拷問の経験はあるか?」
「ない」
「ありません」
「俺もだ。取りあえず爪でも剥がしてみるか」
「そんな悠長なことはしてられん。それに外傷が残るのは望ましくない。あとあと騒がれたら面倒だ」
「こんなことなら自白剤でも持ってくるんだったな……」
ふたりともさっきはああ言っていたが、本気で殺すつもりはないのだろう。
俺は少し安心したが、このままでは拷問が始まってしまう。
困った……そんなところをもしお母さんに見つかったら、息子の俺は怒られるだけでは済まない。お尻ぺんぺん――いや、きっとそれ以上の折檻が待っていることだろう。彼らは本気で怒ったときのお母さんの怖さを知らないのだ。
ここは俺が、なんとか穏便に収めなければ――。
しかし、その後もいい考えは浮かばないまま、すぐに約束の二分が経過してしまった。再び男のほうに向かい、早乙女が短く尋ねる。
「答えは?」
「……ノーだ」
覚悟を決めた顔で答えるボドリー。
「そうか、残念だ。――吊るしてくれ」
「やれやれ……」
鮫島は嘆息しながら彼を引きずり起こすと、手首を縛っている縄の先端を天井の梁に引っ掛けた。そのまま、手際よく宙吊りの状態にしていく。
革手袋を嵌めながら憂鬱な表情を見せる早乙女に、俺は、
「あ、あの――ちょっと待ってもらえますか?」
「安心しろ、達也。責任は私が取る」
「いえ、そういうことではなくてですね。えっと……」
言葉を探しながら視線をさまよわせていると、何となく隅のテーブルに置かれた花瓶に目が止まった。
生けられているのは、鮮やかに色付いた数本の真っ赤なバラ。それは自分たちの世界にあるものと何ら変わらず、茎に小さなトゲがたくさん付いている。
「見たくなければ、外に出ていても……ん? あの花がどうかしたのか?」
俺の視線に気がつき、そちらに近づく早乙女。
彼女はバラを一本手に取り、しばらく考えるような顔をしていたが――
「なるほど、そういうことか。了解した」
得心したように頷くと、あらためて男に向き直った。
「おい、マイクとか言ったな。これからしばらく地獄を見ることになるわけだが、全ては貴様の選択が招いたことだ。悪く思わないでくれ」
「な……なんだ、おまえら! そのバラで俺に何をするつもりだ!」
「分からないのか?」
バラの茎に指を這わせながら、早乙女はにやりと冷酷な笑みを浮かべる。
「尿道に――」
「分かったぁぁぁぁぁ! 何でも言うことを聞くからそれだけは勘弁してくれぇぇぇぇぇぇぇ!」
次から不定期更新になるかも。




