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22 エンカウンター(3)

 見張りは、俺と早乙女の交代で行うことにした。


 俺は固まって寝ているみんなのほうを向き、背後から襲われないよう、大きめの木の幹に背中を預けて座っている。東京と違い星明かりがやけに明るく、慣れると意外に遠くまで見渡すことができた。


 深夜の森に漂うのは、凍てつく冷気と異様な静けさ。


 魔物を呼び寄せる恐れがあるので火は焚いておらず、俺たちは精霊術で暖を取っている。カイロ程度のぬくもりではあるが、ないよりはマシだ。


 ……

 …………


 見張りを代わってから、しばらく――喉が乾いた俺は、お母さんの用意してくれた水筒を取り出した。コップの蓋にお湯を注ぎ、そこにブレンディのスティックカフェオレを投入する。


 俺がこれを好きなのを知っていて、日本から持ち込んでくれたものだ。

 うちのお母さんは本当にぬかりがない。


 それをスプーンでかき混ぜていると、匂いに反応したのか、ごそごそと起きてくる人影があった。桐島だ。


「すみません。起こしちゃいました?」

「いや、起きてた。寝らんないわよ、こんなとこで」


 小声で答えると、彼女はあくびしながら俺の隣に腰を下ろしてきた。


「あんたのお母さん、すごいわね。ぐっすり眠ってるわよ」

「まあ、お母さんというのは基本的に寝つきがいいものですから」

「それには異論があるけど、まあいいわ。――ところで、なに、ひとりでいいもん飲んでんのよ。ちょっとそれ一口ちょうだい」


 桐島はそう言って俺からコップを奪うと、


「んっ、んっ、んっ……ぷはぁ。あー、おいしい。文明のありがたみを感じるわ」


 三口くらい飲んでから俺に返してくる。

 俺は中身が半分ほどになったコップに口を付けつつ、しみじみと言った。


「なんだか、大変なことになっちゃいましたねぇ……」


 胃袋に流し込まれたカフェオレと、お母さんの愛情によって身体が芯まで温まっていくのを感じる。


「俺の判断はこれで正しかったんでしょうか?」

「さあね。まあ、しょうがないわよ。あんたがリーダーなんだから」


 そう言ったところで、ぶるっと肩を震わせる彼女。


「寒いですか? 精霊術、使います? お菓子ならまだありますけど」

「いや、平気。ところで達也、そのぉ……私、ちょっと散歩に行ってくるから」

「散歩に行ってくるッ!?」


 俺はその発言に度肝を抜かれた。

 目を丸くして、桐島のほうをまじまじと見つめる。


 彼女はいきなり何を言い出すのだろう?

 さっき魔物に殺されかけたことを、もう忘れてしまったのだろうか。


「うん、まあ。気分転換っていうか」

「なにこの状況で転換しようとしてんですか! ずっと緊張しててくださいよ!」


 俺はほかのふたりを起こさないよう、小声でたしなめる。が、桐島はなぜかだんだん不機嫌な表情を浮かべ始め、


「ああ、もうっ! 気の利かない男ね……分かるでしょ、大体!」


 足をもじもじさせながら、俺を罵倒してきた。

 そういえば――と、俺はカフェインに利尿作用があるのを思い出す。


「ああ、なんだ。おしっこですか」

「お手洗いって言いなさい」

「それならそう言えばいいのに……早乙女さん、起こします?」

「あいつ、さっきまで見張りしてたんでしょ? いいわよ、起こすのも悪いし」

「じゃあ、えっと……その辺でしてもらえますか?」


 そう言って、俺は三〇センチほど離れた茂みを指差した。


「近すぎでしょ! 馬鹿なのッ!?」

「でも、魔物が出たときに刀が届かないと守れませんし……」

「だって、ここじゃ音とか匂いが……はっ! まさかあんた、それを狙って――」


 桐島が自身を抱きすくめるようにして、俺から少し距離を取る。

 その顔には、蔑むような表情が浮かんでいた。


「あっ、大丈夫です。俺はそういうタイプの変態ではないので」

「変態ではあるの……?」


 ――結局、羞恥心より魔物に対する恐怖のほうが勝ったのだろう。

 彼女は、しぶしぶながらもその場所でおしっこすることに決めたようだった。茂みから顔を出した桐島が、俺をにらみつけながらパンツを下ろしている。


「こっち見ないでよ! ……お、音とか聞こえてないでしょうね!?」

「ええ。全然聞こえません」


 ほんとはめちゃくちゃ聞こえているし、何だったら風下にいる関係で匂いもハッキリ感じ取れるのだが、俺はとりあえずそう答える。

 そして長い水音が終わり、ポケットティッシュのカサカサという音が聞こえてきた、まさにそのとき、


『――JA(ファイブ)よりJA(ワン)、応答しろ』


 どこからか、低い男の声が響いてきた。


  ◇ ◆ ◇


 スピーカーを通したようなノイズ混じりの音、闇の中に点灯する青色LEDライト……無線機からのものに間違いない。


『こちらJA5。JA1、定時連絡がないがどうした?』


 慌てて俺が出ようとすると、いつの間にか起きていた早乙女がそれを手で制してきた。唇の前に人差し指を当て、そのまま彼女が無線機を手に取る。


「JA5、どうぞ」

『……誰だ?』


 途端に、男の声が緊張を孕んだものに変わった。


「私は防衛省情報本部に属する者だ。無線機を持っていた男は死んだ。――待て。切るな。話を聞いてほしい」

『どういうことだ。何があった?』


 早乙女が、先ほどのモンスターとの遭遇と男が死亡した経緯をかいつまんで説明する。


『おまえが日本政府の人間だと証明できるか?』

「口頭では難しいな。異世界対策室については聞いているか?」

『聞いている。使節団として王都に派遣されてくると』

「私はそのメンバーだ。王都への途上、アメリカの計略により団員のティナ・エルドリッチが拉致され、われわれは置き去りにされた。王女はその行為を黙認した」

『…………』


 考えているのだろう。JA5と名乗った男はしばらく沈黙を続けた。


「ネガティブな状況だが、われわれは任務の続行を決断した。公安の協力が欲しい。返答求む」

『……確か、使節団にはお母さんが含まれていたな?』

「ああ。ここにいる」

『代わってくれ』


 無線機を渡そうと振り返る早乙女。だが、お母さんはまだすやすやと寝息を立てていた。俺は身体を揺すり、お母さんを起こしてやる。


「お母さん、起きて! ほら、お母さんってば!」

「むにゃむにゃ……んー? どうしたの、たっくん」

「電話だよ! お母さんに代わってって! はい!」


 そう言って、早乙女から受け取った無線機を強引に押しつける。

 お母さんは寝ぼけ眼をこすりながら、それを耳に押し当てた。


「もしもし、お電話かわりました。お母さんですよ?」

『お母さん、今の話は本当ですか?』

「今の話?」

『ティナ・エルドリッチがさらわれた件です』

「本当です! もー、お母さん怒っちゃいましたよ! ぷんぷん!」

『……分かりました。先ほどの女性と代わってください』


 再び無線機を受け取る早乙女。


「JA5、どうぞ」

『信用しよう』

「あっさりッ!?」


 と、おしっこを終えて会話に聞き入っていた桐島が、驚愕の声を上げた。

 彼女は早乙女から無線機を引ったくると、


「ちょっ――なんで信用したのよ、あんた! おかしいでしょ! ありえないでしょ、絶対! ねえ、何とか言いなさいよ、こら!」


 そう、マイクに向かって早口でまくし立てる。


『おい、今のは誰だ?』

「私は外務省の桐――えーと、本名って言わないほうがいいの?」

『通信は暗号で保護されているが、コードネームがあるならそれを名乗れ』

「えッ? コ、コードネーム?」

『そうだ。ないなら別に構わんが』

「一応、あるにはあるけど……」

『では、早く名乗れ』


 言われても桐島はちょっと黙っていたが……やがて、観念したようにマイクに口を近づけた。誰にも聞こえないような小声で、ぼそぼそとつぶやく。


「ツ……ツンデレ……ぺちゃぱい娘……」

『なんだって? すまないが、もう一度言ってくれ』

「……ツンデレぺちゃぱい娘よ」

『ん? 今、ツンデレぺちゃぱい娘と聞こえたんだが』

「だからツンデレぺちゃぱい娘よ! ツンデレぺちゃぱい娘! 私のコードネームはツンデレぺちゃぱい娘ッ!」


 と、彼女の大声が森中にこだました。

 近くの木々から、バサバサッ……と鳥が飛び去る音が聞こえてくる。


『オーケー、ツンデレぺちゃぱい娘。きみは諜報に関しては素人か? お母さんの言うことに間違いはない』

「か……仮にそうだとしても、今のがお母さんかどうかなんて、あんたに分かるわけないじゃない!」

『声を聞けば分かる。お母さんの声にはお母さん特有の癒やし波長が含まれてるからな。俺はそれを聞き分けるための、対お母さん用特殊訓練を受けている』


 絶句する桐島。

 放心状態の彼女からマイクをもぎ取り、早乙女があとを引き継いだ。


「協力を感謝する、JA5。今は王都にいるのか?」

『そうだ』

「王女の馬車はもう到着したか?」

『いや、そんな様子はなかった。だが、到着したらこちらでも探ってみる。ティナ・エルドリッチの容姿は?』

「十一歳、白人。金髪ツインテール。コードネームも同様だ」

『了解した。JA1から宿の名前は聞いたか?』

「ああ、聞いた」

『では、そこで落ち合おう。俺は毎晩そこにいる。周波数を教えておくから、メモは取らずに記憶してくれ。無線で連絡するときは、この時間に頼む』


 彼から周波数を教えてもらったあと、早乙女はここからのルートについて相手に相談する。発見される危険を減らすため、街道は避けたほうがいいというのがその主張だった。


「それで、王都には簡単に入れるのか?」

『俺が潜入するときは問題なかったが、異世界のことが知れ渡ってからは警戒が厳重だ。四方は海と城壁で囲まれ、門には見張りの騎士が立っている。王女がアメリカと組んだのなら、おまえたちの情報も伝えられているかもしれん。この国ではアジア人は目立つ。何か方法を考えろ。潜入に関して俺はサポートできない』

「そうか……どうするかな」

『ほかにまだ、聞きたいことはあるか?』

「少し待て」


 言って、彼女は俺に目線をよこした。

 俺は首を振り、何もないとアピールする。彼らの会話は終始無駄がなく、俺のような素人が口を挟む必要はないように思えた。


「JA5、以上で交信を終わる。私のコードネームは《メルティキス》だ」

『了解、メルティキス。きみとのキスを楽しみにしている』


 ブツ、と通話は途切れた。

 無線機を地面に置き、早乙女が大きく息を吐く。


「ありがとうございます、お母さん。おかげで上手くいきました」

「そうなんですか?」


 包丁でリンゴの皮を剥きながら、お母さんは不思議そうに首を傾げている。


「はい、さすがです」

「納得いかないわ……」


 と、ぼやく桐島。

 彼女は先ほどから眉間にシワを刻み込み、ウサギの形に切られたリンゴをしゃりしゃり頬張っている。


「とにかく王都まではこれでどうにかなりそうだな。問題は潜入方法か――」

「そんなの、お母さんに任せとけばなんとかなるんじゃない?」

「アホかッ! おまえはお母さんをなんだと思ってるんだ!」


 桐島の投げやりな言葉に、早乙女は目を吊り上げて努鳴った。

 俺も彼女に同調し、抗議の声を上げる。


「そうですよ! 俺のお母さんは便利屋じゃありませんよ!」

「えぇ……もう基準が全然、分かんないんだけど……」

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