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「――出てこい」


 早乙女の言葉に暗闇から姿を現したのは、片手に折りたたみ式自転車のようなものを持った、若い男。

 顔から判断すると、二〇代後半くらいか。ひょろりと背の高い身体に、動きやすそうな皮の上下を身に着けている。

 早乙女は男の胸にぴたりと銃口を向けたまま、


「両手を頭の後ろで組んで、膝をつけ」


 冷たい声で言った。

 言われるままに膝をつきながら、彼はおどけるような笑みを口元に浮かべる。


「安心しな。俺は味方だ」

「日本人か?」


 見た目も口調も明らかに日本人だが、早乙女はまず、そう質問した。


「日系アメリカ人だが、公安に雇われて働いている」

「身分証は?」

「本物の? そんなもん持ってるスパイは聞いたことがないな」

「名乗れ」

「コードネームは《JA1(ジェイエーワン)》だ。仲間内ではジャックと呼ばれてる」

「生年月日」

「一九九二年七月六日」

何年(なにどし)だ?」

申年(さるどし)だよ。古臭い手だ。今どきはサバ読んでるアイドルだって引っかからんぜ」


 ふん、と鼻を鳴らし、早乙女はしばらく男を観察していたが――


「いいだろう」


 やがてそう言って、静かに銃を下ろした。


「やれやれ……。怖いお姉ちゃんだな」


 男は軽く息を吐き、焚き火のそばへと近寄ってくる。

 炎に照らされたその顔には、うっすら冷や汗が浮かんでいた。


「よかったら、お食べになりますか♪」


 かたわらに荷物を置いて座る彼に、お母さんがすっとお椀を差し出す。


「や、お母さん。これはどうも助かります」

「それで、用件は?」


 早乙女が言った。

 彼女は銃は下ろしたものの、しまうつもりはまだないらしい。


「情報を交換したい。それと必要なら、手も貸そう」

「ありがたいが、こちらが提供できる情報は少ないぞ」

「構わんさ。あんたらがこのままアメリカに出し抜かれたら、こっちも困るんでな」

「あのー」


 と、俺は手を上げて発言する。

 学生時代の癖がまだ抜けてないのかもしれない。


「公安警察が動いてるんですか?」

「ああ、政府は自衛隊の派遣には及び腰だからな。潜入調査は俺たち公安の外事課にお鉢が回ってきたんだよ」

「公安って俺、過激派の政治団体とかを担当してるところだと思ってました」

「それだけじゃない。国際テログループや宗教団体も監視対象だ。防衛省に情報本部が置かれたあとも、防諜機関としての役割は失われていない」

「はあ……でも、どうしてこの場所が分かったんです?」


 聞くと、彼は豚汁をうまそうに啜りながら桐島のほうへ目を向けた。


「異世界駅で、そこのお嬢さんに発信器と盗聴器を仕掛けておいたのさ」

「ええッ!?」


 桐島が慌てて服をバタバタやりだす。と、スーツの襟の裏からテントウムシほどの小さな機器が地面に転がり落ちた。あの人混みの中では簡単に仕掛けられたことだろう。

 ショックを受けた様子の彼女とは対照的に、早乙女は特に驚いた様子もなく、


「まあ、そんなところだろうな。会話は録音したのか?」

「もちろんだ。あまり役には立ちそうにないが」

「役に立たないって、どうしてです? 立派な犯罪の証拠だと思いますけど」


 大使館付きの駐在武官が、銃で脅して少女を拉致したのである。アメリカにとってはとんでもないスキャンダルのはずだ。

 俺の疑問には、桐島が答えてくれた。


「その程度の弱みは日本もさんざん握られてるってことよ。まして声だけじゃね。外交カードとして使うなら、もっとはっきりした謀略の証拠を掴まないと――って、あんたどういうつもりよッ! 勝手に盗聴器なんか仕掛けて!」


 怒りの表情で男に銃を向けようとする彼女を、早乙女は手で制し、


「やめろ、桐島。公安というのはこういう連中だ。敵だろうが味方だろうが、国家の安全を脅かす可能性を持つ者を監視するのが仕事なんだ」

「それで異世界対策室も監視してるってわけ?」

「当然だろう? おたくらの成果次第で日本の将来が決まると言っても過言じゃないんだ。逆に言えば、それだけ裏切りの誘惑も多くなる」

「裏切りなんて――」

「本人にその気がなくとも、無意識に利用されることだってある。それより、そろそろ本題に入っていいかな?」


 お椀を地面に置き、きちんと「ごちそうさま」をしてから彼は話を切り出した。


「アメリカの狙いは何だ?」

「そんなの分かりきってるじゃない。異世界の権益よ」

「だが、やり方が強引すぎる。アメリカからすれば日本が間に入るのは悪くないんだ。貿易上はマイナスだが、国防の観点から見れば何かあったときに日本が盾になってくれるわけだからな。未知の病原菌、異世界との戦争、中露との軋轢……リスクを挙げればキリがない」

「ノーマンの独断だと言いたいのか?」


 早乙女の言葉に、男は肩をすくめる。


「分からん。単に、独断に見せかけているだけかもしれん。作戦に失敗したあと簡単に切り捨てられるように」

「その可能性はあるかもしれんが、それよりもっと分からんのは王女の腹の内だ。アメリカと組むにしても、タイミングというものがあるだろう。なぜ今、日本政府との関係をこじらせるようなまねをする? あの王女は馬鹿ではない。心当たりはあるか?」

「なくはない」


 言うと、彼はカバンからボロボロになった一冊の本を取り出した。

 表紙には『おうこくのれきし 1ねんせい』というクレヨンの文字と、かわいらしいタッチで描かれた魔王っぽいイラストが載っている。


「苦労して手に入れた、この国の歴史教科書だ。あのお姫様は現在、かなり微妙な立場に立たされている。――彼女が魔王の子孫というのは?」

「聞いてます。魔王というのがどういう意味かは、よく分かりませんけど」

「言葉通りの意味だ。彼女の一族は魔族を束ね、過去に数度にわたって世界を統一している。最もひどかったのは七〇〇年前あたりで、当時、魔王の圧政によって世界人口は一〇分の一にまで減少したらしい。我々の歴史に照らし合わせると、ちょうどペストの流行と重なる時期だな。一番最近だと八〇年前ほどで、そのときは《聖魔大戦》という世界規模の戦争にまで発展した。最終的には、どちらも勇者と呼ばれる存在によって打倒されている」


 桐島は、難しい表情で教科書をぱらぱらめくりながら、


「……それで、よく王家が存続できてるわね。普通なら倒された時点で根絶やしにされてそうだけど」

「その辺の事情は公開されてないから分からんが、世間では人類側が、魔族の統制が取れなくなることを恐れたためではないかといわれてる」

「ふーん。天皇制を解体しなかったGHQみたいね」

「みたいというより、この世界の天皇に当たるのが魔王本家の鈴木家ではないかという話も出てきている。歴史を比較すると、細かい部分では異なるが大筋ではかなり一致しているんだ。産業革命と魔導革命。世界大戦と聖魔大戦。近年では精霊術の多用が原因とみられる異常気象も問題になっている」


 異常気象まで……。

 こうなると、まだまだ共通点はありそうだ。


「そして聖魔大戦で破れた際、魔王の一族はここ、日本の関東地方に封印された」

「封印?」

「封印だ。勇者によって張られた強力な魔法の結界によって、魔王を含む上級の魔族はこの国に出入りできなくなっている。出入りできるのは普通の人間や低級な魔族だけだ。魔王と幹部を切り離し、勢力を弱体化させるのが狙いだろう。そして人類側は、その功績をもって勇者に対し、魔王を監視し続けることを条件にこの地方を支配する権利を与えた」

「えッ!?」


 男の意外な言葉に、俺は思わず大きな声を出す。


「じゃあ、なんで魔王の子孫が王様に? 勇者はどうなったんですか?」

「さあな。歴史書にはかなりぼかして書いてあった。なんにせよ、この国の民は魔王の統治を受け入れている。評判も悪くない。戦後の高度成長によって経済は安定し、他国から人間やエルフが移住してくるほどだ。むしろ近年は、人類側のほうが戦争や内乱で国力を落としたりしている……と、前置きが長くなったな。重要なのはここからだ」


 そこで彼は、いったん言葉を切った。


「数年前、突然その結界が強化され、外界との接触が一切不可能になった。人間を含むあらゆる流通、交流が遮断され、この国は現在、完全な鎖国状態にある」

「理由は何です?」

「不明だ。王家は沈黙を貫いている。国民の不満は高まる一方で、王室の廃止を訴える者も出始めた。この件を巡っては、王女と国王の間での確執もささやかれている」

「……やっぱり」

「ちょっと、達也。やっぱりって何よ? 何か知ってるの?」

「いや、俺も王女殿下の行動が不自然すぎるとは思ってました」

「ほう。というと?」


 男に促され、俺は自分の考えを説明する。


「だって、王女がお供をふたりしか連れずにわけの分からない異世界に行くなんて、ありえないじゃないですか。殿下はお父さんの名代だとか言ってましたけど、俺はちょっと、そこは疑問に感じてました」

「同感だな。騎士団が動いてるところをみると国王も黙認してるのかもしれんが、今回の王女の訪問はかなりイレギュラーなものに思える」

「うーん……どういうことなんでしょう?」

「それを今、王都に潜入した仲間が調べてるところだ」


 男のその言葉に、先ほどから黙って話を聞いていた早乙女が反応した。


「仲間のコードネームは?」

「JA(ファイブ)。今は貧民窟にある《竜のまぐわい亭》という宿に滞在しているらしい」

「分かった。王都に着いたら訪ねてみよう」

「まぐわいって……」


 と、小さくつぶやく桐島。

 早乙女はそれを無視して、さらに質問を続ける。


「ところで、公安は各国情報部の動きをどこまで掴んでる?」

「異世界報道後に入国した諜報員は、米国中央情(CIA)報局、英国情報(MI6)部、ロシア対外(CBP)情報庁、中国国家安(MSS)全部、イスラエル諜報(モサド)特務庁……合わせて四〇〇人ってところだろう。うち、半数以上が異世界駅のカメラに映っているのが確認されてる。他の国や資料にない非正規職員(イリーガル)まで含めれば、おそらく一〇〇〇人以上が異世界に来てるんじゃないか」

「公安は?」

「相当数が派遣されてると聞いてるが、正確なところは知らされてない。俺が連絡を取り合ってるのは今言ったJA5だけだ。最初は六人いたが、残りは連絡が途絶えている。魔物に殺されたか、王国に捕らえられたか……。俺は日本とのつなぎも担当している」

「日本との通信が可能なのッ!?」


 桐島は身を乗り出し、期待を込めた視線を男に向けた。

 が、彼はあっさりと首を振り、


「いや、今のところは無理だ。有線を介しての情報通信は可能とみられてるが、まだ技術的な課題が残っている。現状では、山手線が唯一のアクセス方法だな」

「なぁんだ……」

「とにかく上への報告は俺に任せて、おまえたちは――」


 ふいに、早乙女のほうから強烈な緊張が伝わってきた。

 彼女の視線を追うまでもなく、俺もすぐに気がつく。男のすぐ後ろ……茂みの中に、一つ目の巨人が姿を現していた。

 先ほどお母さんが倒したオークより、二回りは大きい。筋肉で隆起した赤黒い肌に申し訳程度の腰巻きを身に着け、右手には巨大な棍棒を携えている。


 ――やばい。

 ドラクエの終盤とかに出てくるやつだ。

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